2013年12月31日火曜日

168. 2013年を振り返って(今年の漢字一字)

2013年、振り返ってみて、自分としての漢字一字を与えるなら、

「角」

だと思う。

仕事では、一つの転換点を迎えた。
日米英の3拠点に跨がるタスクを担当させてもらえるようになった。

自分の至らなさを痛感し、
英語力の弱さに愕然として、
反省の年であった。

と同時に、一部員として、知ることのできる情報量が圧倒的に増えた。
その上で、情報は力だ、と確信している。

情報は理解を深めてくれる。
自分の判断力や、アイデアをよりブラッシュアップしてくれる。
今、この時代に必要なのは、恐らく「天才的なひらめき」よりも「情報のスピーディーな掛け合わせ」なんだと思う。
これは、職人的な、求道者的な、孤高の発明ではない。
(※もちろん分野によります。ここでの発言は全て自分の知っている狭い業界、狭い世界での話です)

そのためには、

  • 情報をいち早く入手すること
  • 情報の本質(要点)、ベクトル(今後の成り行きの方向性)を自分なりに咀嚼すること

がまず必要で、その上で、


  • 異なる情報を掛け合わせてみること


を積極的にやってみる。
ここまでは、自分個人の動き。
その上で、

それを他者に話してみる。
他者の考えと混ぜ合わせてみる。
そうやって、結論へと向かっていく。

ここがチームとしての動き。

このような、一連の動作を行うために、とても動きやすい立場を与えられたのが2013年だったと思う。これは幸運としか言いようがなく、僕はその幸運に感謝しながら、縦横無尽に動き回りたい。

2013年に「角」を選んだのは、そういったターニングポイント(曲がり角)であったなぁという実感とともに、将棋で言う「角」のように真っすぐではなく、斜めに動き回ったなぁという印象があったからだ。

2013年は忙しかった。(振り返ってみると、2012年はブログの記事が45件だが、2013年はこれまで15件。これは自分のプライベートな時間が短かくなったことを示していると思う。)

今年は、
手を出せるモノには大抵手を出してみた。
思う存分振りかぶってボールを投げてみた。
顔を出していい場所には、全て出してみた。

そうやって複数のプロジェクトに併行して顔を出していくうちに、僕はなんだか会社の中で行われている一連の活動が「交響曲」のように思えてきた。

複数のプロジェクトが、日本、米国、欧州で動いていて、日本の中でも多数のプロジェクトが動いていて、それは自分の部署だけでなく、他部署でも行われていて、それらは「ある程度共通した方向」を向いて、一つの大きな交響曲のような様相を示している。

しかし、子細に見つめてみると、その譜面はまだ荒削りのように思えた。
ある意味、個々の楽団が勝手に自分の曲を弾いているような、そんな印象を受けることもある。

今、僕はこう思っている。

全体を束ねる楽譜が必要だ。
タクトを振る人間が必要だ。

実はタクトを振る人間は、誰だっていい。適切な人がやればいい。
しかし、きちんとした譜面を創るのは、ちゃんと考えないといけない。色々知った上で、それらをうまく組み合わせなければならない。ここに全てが集約されている。そういったことを担いたい、と漠然と思っている。

ところで、TEDというサイトで面白いプレゼンを見た。
ムーブメントをどのように起こすかというテーマで3分程の短いものだったが、実に示唆に富む内容だった。

要点は、「ムーブメントには、指導者が必要だと思われているが、実は指導者よりも(初めの)フォロワーの方が遥かに重要だ」ということだ。

ムーブメントの基本は、

簡単にコピーできる動作をまず考案する。
(例えば、簡単な踊りの振り付け、単純な主義主張)

次にリーダーが、その動作を恐れず勇気を持って行ってみる。
次に、最初のフォロワーがそれをコピーする。

この最初のフォロワーは、集団にその動作を伝播させる上で、非常に重要な意味を持つ。
つまり、「こうやったらコピーできるよ」と周りに知らせる役割を持つのだ。

もし逆に、フォロワーがすぐに現れない場合、リーダーが強力なリーダーシップと優れた勇気を持ってその動作を行っていても、いつまで経っても集団にその動作は伝播しない。単に、一人踊りになるだけだ。

無事、最初のフォロワーがコアとして機能をし始めると、次々とフォロワーが現れてくる。
そして、フォロワーが一定数を超えると、

「もうフォローしない方が、おかしい」

という状態に、集団が相転移を起こす。
なるほどなぁと思いながら、今年は暮れていく。

2013年12月25日水曜日

167.ハイレベルコミュニケーション

――社内でも、Dfについては賛否の声があったそうですね。
三浦:人材の配置ですとか予算の問題などで反対意見が出るのは現実的な問題としてこちらも理解できるのですが、中にはこの種のカメラ開発をネガティブに捉える人や考え方自体が後ろ向きだという意見もありました。
――それでも、上層部の最終決済が出て実現できているのですよね。
三浦:幸い、映像カンパニー・プレジデントの岡本がこの製品の企画に前向きであったことに救われました。
――先ほども出ましたが、富士フイルムのX100など、レトロな外観のカメラに人気が出ていたことも援護射撃になった?
三浦:そうですね、X100は2010年秋のフォトキナで発表され翌年3月の発売だったと思いますが、このカメラが市場からどういう評価を受けるかに大変関心がありました。もしX100があまり良い評価を受けなければ、このカメラの企画もだめかもしれないと思ったからです。結果的にX100の評判がよかったこともあり、ニコン社内でも意外といけるかもしれないという空気が生まれました。
(出典:デジカメWatchインタビュー 「ニコンDf誕生に迫る 枠組みにとらわれない“ニコンらしい”カメラ」Reported by 杉本利彦 2013/12/13)

-----
この件を見た時に思わず、ニンマリしてしまった。
なるほど、これは「コミュニケーション」ではないか、と。
僕はカメラを創る人々を尊敬している。
カメラを好きな余り、時に批判的になってしてしまうこともあるけれど、それでもやっぱり「創れる人」は素晴らしいと思う。
僕はX100を創り上げた人々を身近に知っている。
そして、X100のユーザーでもある。
これらの背景もあって、このインタビューは個人的に感慨深いものとなった。

2011年にX100が出たときは、その「明確すぎる懐古主義」がむしろ新鮮だった。(もちろん、そのデザイン性だけでなく、OVFとEVFを組み合わせたハイブリッドビューファインダーという全く新しい機能も、注目された大きな理由だ)
その後、様々なテイストが織り交ぜられながら、各社「やや懐古主義」路線にデザインの傾向を振ったように感じている。
パナソニックやOLYMPUSも、一部影響を受けているように感じられた。もちろんこれは僕の主観的な意見だ。
さて、このインタビューが素晴らしいのは、ニコンDfという希有な機種が、X100のスマッシュヒットに後押しされたという事実を素直に公表しているという点だ。

富士フイルム X100



ニコン Df

このインタビューを見た時に思ったことは、
「まるで、カメラを創る人々の集合体である企業が、「カメラというプロダクト」を介して、コミュニケーションを取っているようではないか。」
ということだった。
これをすごく引いたサイエンスの目線で見ると、ある企業が出したアイデアが他の企業に伝播していくような、原始的な、その実、非常に高度なレベル(当然、デジタルカメラというプロダクトは複雑な技術の集合体であり、その一つを創るにも、非常に多くのプロセスが関わっている。その点で、プロダクト1つでも「高度なレベル」と言えるはずだ)でのコミュニケーションを達成している、と描写できる。
これは素晴らしいことだと思う。
ホモサピエンスという知性は、こんなレベルでも会話できるのだ。
さて、次に気になるのは、今のタイミングであれば、間違いなく富士フイルムの新型機だろう。
この機種は、今のところ
  • 中央にEVFを内蔵した一眼レフスタイルのミラーレス機である
  • 防塵防滴である
  • 往年の機種FUJICA STに似た直線的でレトロなデザインである
  • 恐らく1月中旬には発表される
という噂に包まれている。
こうなってくると、気になるのはペンタ部分の処理だ。

FUJICA ST605N

FUJICAのロゴは直線基調のフォントで、その機体の直線性ともマッチしていて、実に納まりがいい。
ペンタ部のロゴの字体と、本体のデザインエッセンスとの整合性は、とても大事なものだ。僕はその点で、SONYのα7Rやα7をどうしても愛せないでいる。

SONY α7

これは完全に趣味の領域だが、まずSONYのロゴの位置が「そこかーい!」と突っ込みたくなるような高い位置にある点と、SONYという字体と直線的なデザイン性との微妙な関係がどうしても気になってしまうのだ。

一方、最近よく「ありきたりな」と揶揄されるキヤノンのカメラでは、実はロゴと機体のデザインセンスとがうまくマッチしていると言える。





Canon EOS 5D Mark III

Canonの丸みを帯びた独特な字体と、これまた丸みを帯びたボディーのデザインセンスがうまく一致していると思う。

さて、こんな風に、ペンタ部のロゴと機体とのマッチングは、デザイン性を語る上で妙に気になっている僕としては、富士の新型機がどのような路線でくるのか非常に気になってしまうのだ。

これまで富士はX100から着想を得て、レンズ交換式の「Xシリーズ」を創ってきた。
そのデザインセンスを振り返ると、

ハイブリッドビューファインダーを搭載したフラッグシップ機 X-Pro1
電子ビューファインダーを搭載したX-E2
ファインダーを排し、代わりにティルト液晶を配したX-M1
X-M1とほぼ同スペックながらより廉価な(通常のカラーフィルターを使用した)APS-Cセンサーを有する入門機X-A1


一見して分かるように、前面には「FUJIFILM」の会社名は一切載っていない。
実はFUJIFILMという社名は、軍幹部の上面にさりげなく描かれているのだ。この辺りは、ライカを彷彿とさせるデザインセンスだ。(恐らく参考にしている)


富士フイルム X-Pro1上面


前面に社名が載らないというのは、「ペンタ部がないレンジファインダー風スタイルだから」」というわけでもない。
というのも、例えばSONYの場合なら、

α NEX-7

上記のように、きっちり社名を全面に入れてきている。


OLYMPUS PEN Lite E-PL5 

OLYMPUSでもやはり社名は入れられている。
つまり、XシリーズでFUJIFILMというロゴを配さなかったのは、「敢えて」なのだ。
それがデザインを担当した人の「選択」だったのだろう。
それはそうだろう。
元々、「製品」は「第一の広告媒体」であり、どの会社のものか表した方が会社にとっていいに決まっている。だからこそ社名をロゴ化して、製品に貼付けるのだ。

さて、富士の一眼レフタイプの機種というのは、これまでも何機種か出ている。
それらは、多くがレンズ交換式ではない「レンズ一体型」の「ネオ一眼」というカテゴリのものだ。

一例を見てみよう。

FUJIFILM X-S1

一見して分かる通り、ロゴは現代的な社名の字体そのままに「FUJIFILM」と入っている。
やはり新型機でも、この通りなのだろうか?
曲線基調のボディーであれば、このロゴで全く問題ないのだが、FUJICAのデザインエッセンスを取り入れるとなると、なにか違和感を感じてしまうのは僕だけだろうか?

さて、冒頭のインタビューにはもう一つ興味深い点があった。

-----

――Nikon書体も、昔のまっすぐな書体を採用していますね。この理由は?
三浦:それは、このカメラのデザインに最も合った書体だからです。
――社内的に縦型書体を使うことへの抵抗はありましたか?
三浦:斜めの「Nikon」はニコンという会社のブランド表記ということで、製品においてもそれ以外を使用することは原則的にできません。
――そこを敢えて採用した?
三浦:このカメラを作る過程で大きなポイントの一つがこの部分であったかもしれません。こちらとしては、このカメラのデザインには縦型の書体がマッチすると思っていましたので、粘り強く話し合った結果、ペンタ部に限って例外的に認めてもらいました。デザイン上これが一番いいのは、ほとんどの方から賛同いただけると思っています。

-----

確かに通常のNikonのイタリックは、このDfには似合わない。この斜体は、現代的な曲線基調のボディーにこそ似合うと思う。

Nikon D610


もう一度、Nikon Dfを見てみよう。

Nikon Df


やはりこの直線基調のカメラには、この直線的なロゴでないとしっくりこないことがわかると思う。

さて、このNikon Dfの選択は、富士フイルムの新型機のペンタ部分のロゴに影響を与えるだろうか?

もしも「ボディーがFUJICA様の直線基調デザインであった場合」という前提条件において、あり得るパターンは、

  1. FUJIFILMという通常の社名ロゴでくる
  2. 他のXシリーズ同様、全面には社名なしで、ペンタ部にも何も書かれない
  3. FUJIFILMという社名は入るが、字体を直線基調に変える
  4. FUJICAブランドの復活で、FUJICAというロゴが入る

くらいかと思う。

可能性としては1が最も高いが、2、3、または4であったのなら、かなり購買意欲を刺激される。

ただ、最も危惧するのは、そもそもFUJICAのような直線基調のデザインをそもそも採用していないというパターンだ。この場合、もう確実に、通常の社名ロゴで来るだろう。
こうなると、よほどの高性能機でない限り、食指は動かないと思う。

さて、来年の発表が楽しみである。

(2013/12/13 08:00

2013年12月10日火曜日

166. 黒子のバスケ

三十代、四十代は一般的に働き盛りと言われている。
また、うちの父親が言うには、頭の冴え具合そのものは28歳頃がピークだが、その後の仕事は、経験の蓄積によって、結果広がっていくものらしい。

なるほど、32歳になって、最近、これら意見がよく分かるようになってきた。
なるほど、こういうことか、と。

仕事を形成する、組織、仕組み、システム、人(モチベーションや役割や立ち位置や思考の型などもろもろを含めて)、コミュニケーション、手続き、ヒエラルキー、物事のうまい進め方、失敗する予感、うまく行く予感(またそれが的中する確率)、そういったものが腑に落ちてきたような気がする。

そして、何より「プラン」がある。

こうしたい、こうした方がいい、そういったアイデアが生まれてくる。
そして、それを徐々にではあるけれど、実現させていける確信めいたものがある。

それは時にズタズタに引き裂かれて、「あ、うぬぼれだったかぁー」と思うけれど、最近はその「あ、失敗しちゃった」というものも含めて、どんどん進めていきたい気持ちになっている。

全てがうまくいくことなんてありえない。
失敗含みで、それでも正しいと思う活動を。
一つではなく、二つでもなく、五個、六個、七個と量を重ねて行く。
カロリー高く、ひたすら出力を続けていく。

思いつく限り、妥協無く、出し惜しみなく。

そうすると、沢山の出会いが生まれてくる。
そうすると、色々なことを教えてもらえる。
その金言が、また次のアクションのバックボーンになっていく。

みんな何かに問題意識を持っていて、
それぞれに「腹案」がある。
その腹案は、そのままだと点に過ぎないけれど、
それを聞いて、また別の所で、別の「腹案」と組み合わせてみる。
そうすると、点と点だった腹案は、歯車がかみ合うように、つながっていく。

自分の強みは、そういった「専門性のある人々」と意見を交わし、
それら意見をパーツとして、より大きな仕組みを「組み立てていく」ことのように思えてきた。

人の頭と頭を、ケーブルでつなげていくような行為だ。
この行為は、まるで組織の「ニューロン」をつなげるようではないか。

この方向性に、「線」があるように思っている。
そして、この方向性で行く上では、「黒子」のような気分がちょうどいいように思う。
あまり目立とうとせず、ささっと動いて、ある所で必要なことを仕上げて、
また別の所に出現し、別の仕事を仕上げていく。スパイのような、特殊部隊のような。

それぞれの場所には、それぞれのリーダーやグループがある。
成果はその人達のものでいい。
ただ、ひたすら黒子になって動いていく。

生来、目立ちたがりな性癖を持っている自分には、「黒子」くらいの気分の方がバランスいいのではないか。そんなことを思っている。



狙いは、そこにはないのだから。


2013年11月5日火曜日

165. 最近のカメラ事情

OLYMPUSは、フォーサーズを終了し、マイクロフォーサーズのみに集中することを決めた。(OM-D E-M1)
ソニーは、(恐らく計画を前倒して)35mmフルサイズミラーレスを発表した。(α7R、α7)
ペンタックスは、連射速度を高め、ニコン、キヤノンが埋めていない「高速連射APS-C機」を発売する。(K−3)
パナソニックは、驚異的な小ささのGM1を発売。これは恐らくライカのOEMになる、と言われている。

年初には、「今年はフルサイズの年じゃないから、つまらないかもな」とたかをくくっていたが、そんなことはなかった。

今年最大のニュースという意味では、恐らく、ソニーのフルサイズミラーレスだが、今年最大の「隠し球」は、ニコンDfであろう。

ニコンが公式に、ティーザー広告(商品の詳細を隠しつつ、一部だけ予告する広告)を積極的に打ち、その動画は第六弾にまで及んだ。
その度に、デジカメの噂サイト「デジカメinfo」では三桁に届くコメントがついた。ソニーのα7Rを予約したユーザーが若干後悔してしまう程の人気だ。

発表日は本日11月5日。
だが、早くもデジカメinfoには製品のリーク画像が11月4日に出ていた。
引用元:http://digicame-info.com/2013/11/nikon-df-2.html





明らかに、往年の銘機F2を意識したデザインと思う。
やや縦長なのが、個人的には残念だが、それでも十分魅力的なラインを保っていると思う。
これは、OLYMPUSのOM-D EM-5を見たときも同じ印象で、何故かデジカメの場合は縦長になってしまう傾向がある。
これは、もしかすると背面液晶の面積を十分に取りつつ、かつ十分なサイズのEVF(電子ビューファインダー)を置こうとすると、結果として縦方向に伸びてしまうのかもしれない。
フジフイルムのX-Pro1、X-E1,2などのように、またソニーのNEXシリーズのように、レンジファインダー様のスタイルであれば横長の比率は保ちやすいのだろうけれど、この辺りは機能とデザインのせめぎ合う部分なのかもしれない。

さて、驚いたのは軍艦部左側のISOダイアルで、「そこまでやるか」と笑ってしまった。
機能性という意味では、正直あまり役に立たないと思われるが、確かにかつてのフィルムカメラにはISO(またはASA)のダイアルがあった。

こんなところを見ていると、このカメラのコンセプトは、(恐らく)「温故知新」だと思えてくる。

2010年のフジフイルムのX100に端を発した(と思われる)、「フィルムカメラのテイストを最新のデジカメに組み合わせる」という意匠のトレンドは2013年11月現在も続いており、このカメラがニコンなりの回答なのだろう。
これまで頑に、フィルム時代からデジタルカメラ時代までマウントの互換性を保ってきたニコンだからこそ、このような発想の商品企画が許されたのだと思う。

この辺りが、マウントをFDからEFに、全く互換性を取らずあっさりと変えてしまった、ある意味合理的なキヤノンとの違いのように思われる。

キヤノンにも、優れたフィルムカメラはあったが、恐らく、温故知新のようなモデルは出さないだろう。キヤノンは逆に、流線型のモデルに自信を持っている節がある。


2013年の悲しいニュースは、
1)ペンタックスのカメラに、RICOHという名称が堂々と入れられるようになってしまったということ(K−3から)

これは、もう買収というものがそういうものなのだから仕方ないけれど、HOYA時代は少なくとも背面液晶にでかでかとHOYAとは書かれなかったわけで、一抹の寂しさを感じてしまう。(僕はもともとペンタックスで一眼レフを始めた)

引用元:http://digicame-info.com/2013/10/k-3-6.html


2)キヤノンがいよいよ泣かず飛ばずの雰囲気を出しているということ

正直、今年を振り返って、キヤノンに面白いニュースはほとんどなかったように思う。
EOS 70Dのデュアルピクセルによる撮像素子全面AF素子化は、原理的には、おおっと思ったが、これはどちらかと言うと、動画撮影とミラーレスカメラでの応用技術で、一眼レフ機としては、あまり大きな技術革新とは思えなかった。

差し当たっては、まず撮像素子から立て直しを図っていただきたい。
あまりに、ソニー、東芝、パナソニックと差が付き過ぎている現状を打破していただきたい。
次に、ローパスレス化。
結局は他社の後追いだが、ソフトの補正技術が上がってきているはずで、次世代DiGICではここを厚くして、ローパスフィルターをなくしても支障がないようにしてほしい。




Fu

2013年10月16日水曜日

164. 写真展2013

今年もニーチ写真展に出展しました。





瀬戸正人さんがオーナーのプレイスMにて、10月14日から10月20日まで開催中です。
もしお時間があれば是非お越し下さいね。

ちなみに、今年はDMの撮影も担当しました。
写真は、我が家の壁です。
本は図書館から借りてきた本を多少いじっています(画像上)。

また、日本カメラ、アサヒカメラ、フォトコン、月刊カメラマン、フォトテクニックデジタル、シャッターマガジン、写真ライフといった雑誌に本展をご紹介いただきました。
編集部のみなさま、ありがとうございました。


しかし、今回は大変だったなぁー。
作品は、掲示写真一作品と、3冊の写真集。
訳あって、2回も印刷会社に修正いただきました。
網点印刷の特性について、痛い程よく分かりました。
フォントは14pt以上で、英語ならゴシック。
日本語は明朝体にするならボールドで。これ鉄則。

さて、写真展も終わらぬ10月20日から、UK出張へ。
西へ東へ。
東奔西走。

立ち止ってゆっくり考えている時間はないけれど、
走りながら考えよう。
考えることを諦めたら、そこまでだと思う。

でもさすがに11月はだらだらしたい。あーだらだらしたい。

2013年9月7日土曜日

163. できそうで、できないこと

できそうで、できないことがある。

  • 毎日英語のトレーニングをすること
  • 食事の量を少なめにすること
  • お酒の量を少なめにすること
  • 運動をすること
  • 車の運転をすること


などである。
やらなくてもいいし、やったからと言って劇的に何かが変わるわけではない。
また、それそのものに、あまり魅力を感じないし、
ちょっと面倒だ。

他にやりたいことはたくさんあるし、やらなくたって、誰からも文句は言われない。

なので、これら「やったらいいのだろうけど、ちょっと面倒なこと」は、あっさり数年間も置き去りにされてしまう。上記の事柄は、大体2008年くらいからずっと、To Doリストに載っては消え、載っては先送りされ、載っては忘れられてきている。

大体は、他にTop priorityが付く事項(往々にして仕事、そして結婚や引っ越しなどの大きなイベント)にかき消されてきた。


しかし、上記のことは長期的な視野に立つと思ったより重要で、非常にクリティカルな問題につながっている。

  • 毎日英語のトレーニングをすること:仮に海外赴任になった場合、英語の理解力、表現力は生命線。
  • 食事の量を少なめにすること:成人病と癌の確率に寄与。
  • お酒の量を少なめにすること:主に癌の確率に寄与。
  • 運動をすること:主に成人病の確率に寄与。
  • 車の運転をすること:仮に海外赴任になった場合、毎日の生命線。

短期的には、極小のリスクしか示さないが(やらなかったからと言って明日いきなり困ることはない)、
長期的(10年スパン)な視野に立つと、大きなリスクをはらんでいる。


「やらないこと」に隠されている潜在的な長期リスク、と言える。


大人になると時間の流れは早い。
30代は20代より早いらしい。確かにそんな気がする。
だったら、こういった長期的な観点から、換言すれば「未来の自分」の立場になって、行動の優先順位をつけてみるのもいい。

どうせあっと言う間に過ぎるのなら、多少面倒なことに時間を費やしてもいいように思う。逆に時間の流れがゆっくりに感じるかもしれない。


写真展の準備を本格化させながら、一方では、こういった「習慣化した怠惰」を駆逐していかなければと思った。

一段高い意識を持とう。
それが、長期的な生存率を上げる。
  • 毎日
  • 毎日英語のトレーニングをすること
  • 食事の量を少なめにすること
  • お酒の量を少なめにすること
  • 運動をすること
  • 車の運転をすること
  • 毎日英語のトレーニングをすること
  • 食事の量を少なめにすること
  • お酒の量を少なめにすること
  • 運動をすること
  • 車の運転をすること

2013年8月15日木曜日

162. 一息ついてからまたラストスパート

去年11月から続いていた仕事の波は、4月頃に一旦収まり、さらに6月7月に第二波が来た。
また、所属する写真サークルでは10月に向けて写真展を予定しており、その広報活動も6月、7月、8月初旬にピークを迎えて、平日も土日もなんだか忙しなかった。

その第二波もようやく収まって、晴れて夏休みを気兼ねなく取れる状態になれたのは昨日くらい。

「休むことは、働くことと同じくらい大事。」

とは、どこかの掲示板で見た書き込みだが、確かにそうだなと思っている。

休もう。

とはいえ、ただダラダラとしていたい訳でもなく、直接的な行動は起こさないまでも、「何かしら面白いことをしてやろう」という考えを密かに練っていたいと思う。

仕事にせよ、
写真展にせよ、
旅にせよ、

「何か面白いことをしてやろう」という気構えが大事で、
構想を練っている期間がある方が、いい結果を生む。

というのは、
1)構想により計画がより洗練されるため
2)構想が長いと執着心が生まれ、結果として、最後の一踏ん張りが利くため
だと思っている。

「何か面白いこと」は大抵、面倒くさい。
面倒だから他の人があまりやりたがらず、その結果、それをやることに稀少性が生まれる。
例えば、写真作家の作品も、アイデアそのものは他の人も考えそうなことであったりするのだが、凡人が2、3枚で満足してやめてしまうところを、200、300枚くらい撮る(分かりやすい例が浮遊少女の人)。そこがプロの作家とアマの作家の歴然とした差につながる。という風な解釈をしている。

この構造は、仕事においてもそうで、パッと思いつくのはある程度経験があったり、センスがあればできてしまう。しかし、それを実践して証明していくのは労力を要する。いつも「最後の一踏ん張り」が要求されてくる。

大体、面白いアイデアなんてものは、通常の業務範囲には入っておらず、結果として、業務が追加される形になる。通常業務はこなしつつ、新しい実験をするのだから、そりゃ疲れるし、しんどいわけだ。

しかし、執着心が芽生えていると、その計画は「自分の仕事」になっているので、やり切る。これは「構想の長さに基づく、計画の素晴らしさ」というよりも、もはやメンタル面での作用だろう。


執着心というのは、変に使うとよろしくないが(他人との対立の原因は執着心にあることが多い。執着心のベクトルが一致していれば問題ないが、大概はズレていて、双方が執着心を満たそうとするので対立が生まれる。そうなった場合は、よい執着心ではないので、さっさと捨てた方がいい)、しかし、物事をやり切るという面から考えると「執着心」はいいものだと思う。


何か面白いことをしてやろう。
こんなことはどうだろうか。
あんなことはどうだろうか。
こうしたらどうだろうか。
よし、こうしてみよう。
もう少しできないだろうか。
あと1%でも良くできないだろうか。

構想がよく、
計画がよく、
実行が徹底していれば、
それなりのものに行き着けると思う。

毎日1%でも成長できたとしよう。
憶えている英語の単語数でもなんでもいい。
1日目を100%として、毎日1%ずつ足していくと(複利計算)、365日後には3740%というとんでもない数字になっている。

まー、毎日「現在の自分のうち1%分を積み立てる」というのは、不可能に近いことなのかもしれないが、それでも、この数字は勇気を与えてくれる。

たった1%でも、良くしよう。


休むことを書いていたのに、結局は努力することを書いてしまった。
とりあえず、休みながらこれからの構想を練りたいと思う。まずは写真展、次に仕事だ。

2013年8月10日土曜日

161.小さな成功の秘訣(情報を取るという行動)

「何かが思い通りにうまく行く」ということを「小さな成功」と定義しよう。

その小さな成功の積み重ねが、日々の成長や大きな成功につながると仮定しよう。

この定義と仮定に基づいて考えると、大事なことは「小さな成功」をどれだけ効率的に、継続的に、たくさん達成できるかってことが重要なんだと思われる。

なので、ここでは「小さな成功」をどうやったらものにできるか、その秘訣みたいなものを考えてみたい。

今回は、「情報を取る」という行動について書く。

仕事にしても、受験にしても、僕たちは常に「問題」を解かなければならない。
受験においては、問題が書いてあって、問題の本質は明確だ。
とはいえ、どんな問題が出題されるか、その傾向は?という「情報」がないと、その受験勉強は徒労に終わってしまうだろう。
自分の志望校で出題される問題、自分が受けるTOEICの問題、そういったものがどんな内容なのか?をあらかじめ把握しておくこと、それが地道な努力の「前」に必要となる。

この順番が大切だ。

情報を取る>地道な努力を開始する

地道な努力は偉大だが、その努力の方向性を間違えると大きな損失になる。
英単語を憶えるのには、それなりの地道な努力と時間が必要だが、その憶える単語は、自分が受けるであろう試験に出題される言語空間で頻出するかどうか。
海外のドラマで使われるスラングを一生懸命憶えても、TOEICでは使われない。(しかし、現地で親しい仲間と会話する時には、いい感じのスパイスになる。なので、目的がそれだったら正しい「地道な努力」となる。)

さて、仕事の場合は、「問題」自体が不明確であったり、本質がどこにあるのかよくわからなかったりする。で、その問題自体をはき違えて一生懸命努力すると、結構な確率でわけのわからない無駄な時間を費やすことになる。

問題を理解できていない人に、クリーンヒットの明答は出せない。

そのため、仕事においては、「問題自体を理解する」ということに注力することが重要だ。これ、できていると思っている人が多いが、案外そうでもない(これは自分への戒めでもある)。

降り掛かってくる問題(命題の方がふさわしい場合もある)を、全て一人でこなすことはできないので、大抵はいくつかに分割して部下や外注先の会社に振り分ける。
しかし、問題がきちんと理解されて、お望みの回答が得られる割合は案外低いものだ。
もちろん、これは問題の出題方法(こちらの指示)が悪いケースも含まれる(これは自分への戒めである)。

しかし、優秀な人は、問題の本質がよく分からない場合、質問によって「自分が何を期待されているのか」を理解しようとする。
そして、それを口に出して、こちらに確認を求める。

これが、「情報を取る」という行為の一つだ。

さて、問題の本質が理解できたところで、次に必要なのは「回答」の準備だ。
ここで、自分の頭だけで回答を準備してしまうと、一応の回答にはなるが、いい回答にはならないことが多い(時間がないときはそうせざるを得ない場合もあるが)。

望ましくは、「正解の裏を取る」ことだ。

正解を知っていそうな人を探して、その人に考えを聞いてみる。
これで大体の見当がつく。
少なくとも大はずしはなくなる。

正解を知っていそうな人は、(1)問題の出題者本人、(2)専門部署の人、(3)その問題の経験者、(4)上司/先輩、(5)社外の専門家などが考えられる。これらは問題毎に変わる。当然参照先が多ければ多い程、回答の精度が高くなるので、人脈は重要と言える。
また人脈形成の前提として、「経験」が必要になる(様々な経験を経る過程で、人を知ることになる。この人々とのつながりが人脈だ)。なので、大抵の大人は、「何事も経験が大事」と口を揃えて言うが、それは正しいのだ。

経験>人脈>参照先が増える>回答の精度が増す>うまくいく確率が上がる

ということなのだろう。(ここでは、回答を自分で作る、というケースを想定している。人脈の効用は、他にもチームワークの増強など様々なことが考えられる。)

また、参照先という意味では、(7)文献(論文)、(8)インターネットというツールも見逃せない。問題に関連した、適切な背景知識は、「力のある情報」となる。回答の説得力をバックアップし、回答の精度も増す。

さて、正解の裏を取った後は、きちんと自分の頭を使って、回答のロジックを考える番になる。

回答は、自分の頭で理解しただけでは駄目で、一人以上の他人に理解させないと効力が発動しない。

このため、他人が理解できる言語とロジックで、回答を記述または口述する必要が出てくる。言語というのは、日本語の場合もあるし、相手が外国人の場合だったら英語の場合もあるという意味と、terminologyが異なる部署(うちの場合は研究所が多いので、部所と書くことが多いが)や他社とやりとりをする場合には同じ日本語でも異なる内容を指している場合がある。このterminologyレベルでalignment(整合性)を取って回答を記述することが重要だ。このalignmentという行為も実は「情報を取る」という行為の一種である。

相手の脳内にある「言語空間」を把握して、自分の回答に対して、その補正をかけるわけだ。
この補正を無視すると、話が噛み合ないことになり、回答の精度が落ちてしまう。


さて、言語のalignmentを取ったら、残るは回答のロジックだ。
ここが腕の見せ所で、かつ頭の使いどころだ。

基本的には、ロジックは回答に向かって一直線であることが望ましいと思う。
時間に余裕がある場合は、選択肢を3つ示して、そのうち2つを否定して、残りの1つを際立たせるという方法もある。
しかし、多くの場合、問題の出題者は急いでいて、結論を早く聞きたい。
このため、結論に直接的に結びつかない情報はできるだけ削ぎ落として、ロジックをシンプルにすべきだ。(ロジックの枝葉をむやみやたらと作らないということ)

プレゼン資料にまとめて回答を説明する必要がある場合もあるだろう。
その場合気をつけるべきなのは、ページとページの連鎖がきちんと機能しているかだ。

1ページ目で問題を確認、2ページ目で問題自体を2つの側面に分割、3ページ目で1側面からの解決方法を提示、4ページ目でもう一方の側面からの解決方法を提示、5ページ目で両方の解決方法をまとめ、6ページ目に具体的なアクションアイテムとスケジュールを示す。

それぞれのページが連鎖的に、つながりに破断がない状態。
このプレゼンの後に、我々は何をすべきなのかという結論まですっきりと持っていく。

さらに時間に余裕があるのなら、解決方法に対する、challenge(予想される困難)とmitigation plan(緩和策、対策)を付加するとなおよい。

自分の解決策に対しても、客観的な態度を取れる人間は冷静に思えるし、信頼を置けると思いやすくなる。(ただし、それをやっているからといって一切合切信用すると、痛い目を見ることもある。)

より具体的なロジックの組み立て方は、問題によりけり、制限時間によりけりだ。
他にもたくさんの良アプローチがあるはずで、また別途考えてみたい。

さて、情報を取って問題の本質を理解して、適切な参照先から裏を取って、適切な言語を使用して、シンプルなロジックで回答を用意したら、後は思いきってそれをぶつけてみる番だ。

ここまで来たら、自信を持っていい。
なぜなら、あなたの回答は、大方間違っていない。裏は取れている。
ロジックも、常人が分かるレベルであればよい。突飛な飛躍がない限り、シンプルなロジックは大抵受け入れられる。

回答が英語の場合がある。
あなたが日本人なら、発表の練習をすべきだと思う。少なくとも通しで3回はやりたい。
通しでプレゼンの練習をすると、話しやすい順番にスライドの内容を変えたくなる。
それは変えていい。直前まで変えてよい。
話しやすい順番は、理解しやすい順番でもある。

自然と、その順番で脳が言いたくなっているということは、そこにはロジックの連鎖があるはずだ。

なので、練習を繰り返すことはロジックの精度を上げる意味でも重要だ。
そして、何よりプレゼンの際の緊張レベルを下げてくれる。

いいプレゼンができる人は、恐らく、「次のスライドで何を話すか」を分かった状態で話をしている。
このため、「今、このスライドで何を強調すべきか」を意識しながら話すことができる。

故スティーブ・ジョブズはまさにその権化だったと思う。ぶらぶらと壇上を自由に歩きながら、聴衆に向かって語りかけるように話す様は、芸術的と言ってもいいくらいだった。ただ、そのまま真似しようとは思わないけれど(アップルの新製品発表という条件と、僕が置かれているプレゼンの条件は違いすぎる。基本的に、聴衆は目上の人が多い)。

僕はよほど大きな会議でない限り、発表原稿は書かない。
それは英語であっても書かない。
当然、発表原稿を見ながら話すということもしない。

ライブ感がなくなってしまうので。
口語のライブ感は、発表内容を「自分のものにしている」感を高めると思っている。
なので、実は練習毎に、言い回しは微妙に違ってきている。
それで問題ない。

大事なのは、言い回しではなく、「次のスライドでこのことを伝えるためには、このスライドでこれを言わなくちゃな。」という意識だ。

ここがブレていなければ、言い回しがブレることは全く問題ない。
(むしろ、言い回しをブレさせないようにしようとすればするほど、「ライブ感」は失われ、発表原稿型の機械的なプレゼンになってしまう)

回答がプレゼンでない場合もあるだろう。例えばメールや電話で回答する場合もある。
とはいえ、プレゼンで伝えるくらいのつもりでロジックを組んだ方がいい。
(もちろん電話やメールでの回答はもっと端的にやらなければいけない)


さて、まとめると、今回強調したかったのは、

「地道な努力」の前に、「情報を取る」ということだ。

情報さえ手にしていれば、後は地道な努力(ロジック組み立て)に集中できる。

「情報を取る>地道な努力をする」

ということが最小単位の「小さな成功の秘訣」なのだろう。

最近そんなことを思っている。

2013年6月16日日曜日

160. ようやくNY



「ようやく、この地を踏めたな。」

ちょっとした感慨を感じてしまった。

入社以来、米国小会社へ漠然とした憧れを持っていたので、今回の米国出張は素直に嬉しかった。期間は1週間と短かったが、なるほど、なるほど。

米国では、管理職クラスには7畳程の部屋が与えられ、L字やT字の机で仕事をしていた。一人の専有面積が日本と比較すると圧倒的に大きい。管理職でない人でも、パーティションで区切られ、少なくともL字のデスクで仕事ができる環境が与えられる。

一人の専有面積が広いことは、そのまま建物の大きさが大きいことにつながっている。会社があるのはマンハッタンからハドソン川を渡ったニュージャージーだが、NYの中心地であるマンハッタン島でも「ビルひとつひとつが大きい」ことにまず驚いた。恐らくマンハッタンのビルでも同じように、一人の専有面積が広いのだろう。

次に驚いたのは、Ph.Dが多いこと、また、それがすぐに分かるようになっていること。
一人一人の部屋やパーティションには、表札があり、名前の後に必ず学位が書かれている。Ph.D(博士号)取得者には、Ph.Dと書かれ、医師免許取得者にはM.D.と書かれる。米国が徹底した学歴選別社会であることは聞いていたが、なるほど、実際に目にするとそれがよく分かった。

僕は修士号を取得しているが、MSc(Master of Science)とは書かれない。
(経営学の修士号であるMBAは書かれるが、理学や工学修士は書かれない)
米国で彼らと肩を並べて仕事をしようとすると、Ph.D取得は重要であるように思われる。(とは言え、それ以前に、仕事そのものができないとどうにもならないのだが。)

3つ目に驚いたことは、米国では朝が早いということだ。
朝7時半から会議ということも、ままある。
一方で、夜は早く終わる。
17時半にもなると、もうオフィスには人がいなくなる。
しかし、電話会議が日本や欧州とあることが多いことから、家に帰ってから仕事をすることはあるらしい。
つまり、「オフィスでの残業はしない」という習慣のようだ。

自分が担当している会議そのものは、うまく行った方だと思う。
また、自分の課題や特徴や、やるべきことの輪郭がはっきりして、ますますやる気になってきた。

英語も、もっともっと磨かないといけないなぁ。
純粋にひたすら巧くなりたい。

ここ数年は、仕事で英語を使う機会が増えたため、それにあぐらをかいてしまって、あえて英語運用力を「向上させよう」とはしてこなかった。どちらかと言えば、「維持管理」という感じだ。
しかし、それは、アジアで仕事をする上では良くても、米国で仕事をしようとすると、かなり厳しいことが改めて分かった。現状に甘んじていては駄目だ。

これから、自分の会社でも本格的なGlobalizationが始まるだろう。
それは海外からの波となる。(日本から海外の小会社へ発信する波ではない。海外から、こちら側へ迫ってくる波となる。TOYOTAなど希有な例を除き、島国日本では、いつも海外から黒船を迎える宿命にある。)

その向こう側とこちら側を、最も詳しく、知っているようになりたい。
それが自分の活きる道だと信じるようになった。

2013年4月29日月曜日

159.我が子の成長

現在、息子は5ヶ月と9日。
首は据わっているが、腰が据わっていない状態で、まだ寝返りはしていない。
ずり這いもまだなので、基本的には「自らの意志でどこかに移動する」ということができない。(バウンサーからずり落ちてしまうということはある)

とは言え、以前の記事(No.156)で書いたような感情レベルから確実に一歩先にいっており、完全に「嬉しい」、「楽しい」、「かまってほしい」、「さびしい」という気持ちをものにしている。
よく笑う。よく泣いて親を呼ぶ。
ありありと自分の気持ちを体現している。
朝起きて、目が合うと笑う。
会社から帰ってきて、じっと見つめると笑う。




こんな風に目が合うと笑うのは、一体いつまで続くだろう?
これだけ目を見返してくるのは、一体いつまでだろう?



自分の記憶が定かな時期には、つまり小学生頃には、既に親は興味の対象ではなかったように思う。もはやその目は、「外の世界」を見ていた。学校の友人や田んぼや畑、滑り台、プール、ちゃり、土器、隣町、テレビゲーム、漫画、アニメ、学校内でのハイラルキー、そんなものが関心事の中心となり、親そのものは興味の対象にはならなくなっていた。

そう思うと、こんな風に我が子から見つめられ、求められるのは今のうちなんだろうなと思う。

また、既に「外の世界」への興味は始まっているとも言える。
おもちゃ(鈴の入った積み木のようなもの、ぬいぐるみ、吊り下げられたカラフルな積み木、プレイマット)には1ヶ月前(4ヶ月頃)では、ほとんど反応しなかったが、最近は興味深く見て、触って、べろべろに舐めている。

















舐めるという行為も新しい。
とにかく、舐めて確認したいらしい。
この時期、触覚の中でも、舌での感覚が特に優れているそうだ。




また、最近は手をよく使えるようになってきた。
息子は肌がまだ弱く、かゆくて引っ掻いてしまうため、手袋(ミトン)を着用させているのだが、それを自分で取ってしまうくらいになった。

指を差し出すと握り返してくるのだが、握力も確かな強さになっている。
まだまだ不器用で自由に操ることはできていないが、自分以外のものを「掴む」ことができているのだ。
この手で何を掴んでいくのだろう?などとすぐに考えてしまう。これが親というものか。





大人に置き換えてみると、不思議な世界観だ。

動くことができず、
相手が話す内容を理解できず、
口の感覚が最も優れていて、
揺さぶられたり、振動があったりすることを好む。



日本語を解さないというのも、日本語が当たり前の存在になっている大人からすると、想像を絶する世界と言ってもいいくらいだ。
(元々は「そこ」にいたはずなのだが、人はあっさりと忘れてしまう。)

「意味」というものが存在しない世界。
「概念」というものもあいまいな世界。

その世界を想像するだけで、どこか日常とは違う所に、ぽーっんと放り込まれるような気分になる。それは素晴らしい体験だ。

しかし、徐々に「意味」という概念は芽生え始めているのだとも思う。
最近、たまに自分の意志を持って声を出していることがある。
何かをつぶやいているような、表現しているような声だ。
その自由な内発的表現(エロス)が、徐々に日本語という形式(ロゴス)に従い出し、社会的な世界の仲間入りを果たす。

自分の意志を伝えられる「精度」は、日本語の習得により増していくだろう。
「伝わらない」というもどかしさは、それによって癒される。
これこそが、言語を習得する原理そのものだと思う。


我が子の成長を、ひとつひとつ見ていくことで、
自分自身の人生を、ひとつひとつ追体験していく。


もしもこの子が、字を書けるようになったら、僕は泣いてしまうかもしれない。

2013年4月7日日曜日

158. 新しい朝

新しい朝が来た。

希望の朝だ。


担当プロジェクトとは別に、グローバルな会議体に参加させてもらえることになった。これまで日本国内、もしくはアジア地域でのプロジェクトしか担当してこなかったため、右も左も分からない状態だが、ようやく自分の進みたい方向に第一歩を踏み出させてもらえたように思う。

任命してくれた部長に感謝するとともに、全力を尽くそうと心している。
うまくやれるかは分からないし、
自分の不甲斐なさに、落胆する日々も多いに予想されるけれども、そういった失敗も含めてレベルアップと思ってやっていこう。

希望はつないでいきたい。

2013年3月10日日曜日

157. 31歳のはじまり

31歳の誕生日は、終電の中で迎えた。
12時を過ぎた頃に奥さんからメールがあって、「ああ、そうかー。誕生日になっちゃったなぁ」と。
翌日、翌々日も結局仕事が終わらずに、終電で帰ったので、あっという間に過ぎ去ってしまった。

仕事でトラブルが出てしまったので仕方がないのだが、これだけ忙しいのは就職してから一番かもしれない。
気を許すと、落ち込んでしまったり、不要な不安感を抱いてしまったりと、精神的に苦しいのだが、なんとか自分を立て直そうと、心のハンドリングを意識している。

トラブルが大きく、他部門との間にそれがあった場合、責任のなすり付け合いになりやすい。追いつめられると、人のせいにしたくなる。人のせいにすることで、一瞬楽になるのも事実だが、人と人との間にトラブルが発生した以上、責任はどちから一方にあるのではなく、双方にあると捉えるべきだろう。

100%自分が悪い、となると精神のバランスを崩すし、
100%相手が悪い、となると信頼のバランスが崩れる。

自分の精神の許容量の中に収められる範囲で、責任を取る。
(それを超えると、今度は自分が破綻する。)

うまく表現できないが、そういうことで、自分を守りながら、信頼も維持することが今置かれている状況では最善の策と言えるだろう(しかし、このようなトラブルを起こさないことが真の意味で最善の策なので、本当の意味では「次善の策」である)。

31歳の一年は、「スタート直後に、いきなり転倒してしまった」という印象だ。
悔しいし、情けないけれど、起こってしまったことはいくら悔やんでも変えることはできない。

こんな状態だからこそ、一層、「誠実さ」を忘れてはならないと、自分を戒めている。
(気を許すと相手を責めたくなる、狡い自分がいるからだ。それは一種の精神安定剤になるかもしれないが、効果は一瞬であり、その後信頼を落とすという長期的な副作用がある。それが分かっているから、誠実に、低姿勢で、問題に対応していきたい。)

どんなに酷い状況であっても、その中で取るべき、正しい選択があるはずだ。

問題そのものの被害を最小限に留める方法、
担当者間の信頼を大きく損なわない方法、
自分自身の精神バランスを大きく損なわない方法。

考えよう。答えはきっとあるはずだ。

2013年3月3日日曜日

156. ヒトの感情形成

今日は自分が主催していた、とある会合が無事終わって、ひとまず一安心している。
とは言っても、明日からまた走り出さなければならない。

ここ4ヶ月程、大規模な試験の準備で、張りつめた空気の中、朝から晩まで働き通している(朝6時45分に出発し、8時から業務開始、22時半〜24時くらいに帰宅する)。

あーもう疲れた。

と何度も思っているが、やらなければならない。
自分がやらなければ、ならない。
代わりはいそうでいない。
というのも、他のチーム員も一杯一杯なのだ。

全員が120%を出し切って、それでも終わらない。
知らなかったのだが、労働基準法の上限を超える残業申請は連続4ヶ月までらしい。
もう4ヶ月も前の記憶などないに等しいので(毎日の上書きっぷりがすごい)、いつもの通り2月も申請したら却下されてしまった。

素直な気持ちとして、「あれ?そんなに連続して申請してたっけ?」と思った。
確かに11月(息子が生まれ一月前頃)から、忙しくなった気はしていたのだが、いつの間にか4ヶ月も経っていたというのが実感だ。
(というわけで冒頭で、「ここ4ヶ月程」と書いているのは、この申請却下でようやく知った事実である)

仕事は比較的好きな方なのだが、難しい取引先を任されることが増えてきて、正直しんどいと思うことも多くなってきた。
タイムラインがしんどいところに、難しい仕事が3種類以上同時に進行すると、かなり追い込まれてしまう。

最近はストレスからか、一日が終わると「顎」が疲れていることに気付くことがある。
どうやら、知らず知らずのうちに、「歯を食いしばって」いるらしい。
そのことに気付いてから、意識的に口を開けて、凝りをほぐすようにしている。
ストレスで顎関節症になってしまうことがあるらしい(嫁さんはなったことがある)。

夜も、寝たら寝たで、結構な確率で仕事をしている夢を見る。
それは、存外正確なもので、「現実世界でやらなければならない仕事」を必死でやっているのだ。

下手をすると、まるで翌日は夢をトレースしているような気がするほどだ。
仕事のタスクリストが頭から離れていないということだろう。
ちょっと病んでいるのかもしれないが、「それくらいがちょうどいい」という話もある。

ギッタンギッタンに仕事してやるぜ。
っていう、無茶苦茶な勢いが、まだ自分の中にある。
それが、ちょっと嬉しくもある。

ただ、実際はやっぱり疲れていて。
夜にもなると、ディスプレイの文字が見えづらいことも多い。

考えてみると、先週の土日も会社で、昨日は家で仕事して、さらに今日は会合本番だったので、ここ2週間まるで休んでいないことになる。

うーん。
そして明日も・・・いや、やめておこう。

さて、前置きが長くなってしまった。

こんな状態にはあるが、帰ってきたらなるべく息子を抱いて、あやして、話しかけて、こちょこちょして、とふれ合いを持つように心がけている。


最近は本当によく笑うようになった。
(現在、生後3ヶ月と10日)

それも、ちょっと前までは「笑っている」=「楽しい」ではなかったように思うのだが(つまり、楽しいから笑うのではなく、筋肉の動かし方を学んでいる過程でたまたま「笑っているように見える表情」になっているだけで、「感情」が伴っていないように思えたのだが)、最近は「笑っている」=「楽しい」という図式が成り立ってきているように思える。

そもそもこの「楽しい」という感情も、生まれてから2ヶ月まではあるのかないのか判別できないくらいだった。

冒頭のように、僕は息子と触れ合う時間が残念ながら短いので、間違っているかもしれないが、息子を介して見る「感情」や「感覚」の成長には以下のような順番があるように思える。


  1. 不快さを感じる(お腹が空いた)
  2. 恐怖を感じる(お風呂でお湯が顔にかかると息ができない→お湯が怖い)
  3. 寂しさを感じる(自分がかまわれていないと泣いて呼ぶ)(ミルクを与えられたり、熟睡したりといった満たされた「快」の状態が「当たり前(ベースライン)」なため、感情の発露として初期段階に発信されるのは基本的にネガティブなものばかりになると考えられる。残念ながら「快」の感情は、なかなか表に出てこないのが現実だ。)
  4. 揺さぶられることを好む(表情からは読み取れないが、抱き上げて揺らすと泣き止む。きょろきょろと周りを見渡す。恐らく、揺られている状態が好きなのだ)
  5. 自らの肉体を意識する(手をしげしげと見る。指をおしゃぶりする)
  6. 自らの声を意識する(最近になって、自分から意図的に声を発するようになった。それをそっくり真似して繰り返してあげると、喜ぶ。)

まず僕が思ったのは、ネガティブな感情の方が根源的だということだ。
不快さや恐怖というのは、生まれてから真っ先に感じる、天性の、最も基本的な感情なのだと思う。
この感情が支配的な、新生児の時期は、

「ぼーっとしている時間」と「ミルクを飲んでいて満たされた時間」が最も多く、その合間に時々、「不快や恐怖を感じる時間」があるというような、認識の中で生きている。

例えば、小さな子が喜びそうなぬいぐるみや音を出しても、まるでそれが何か分からないといった感じで、喜んだり、はしゃいだり、楽しがったりは一切しない。

ただ、快と不快の間を漂うような意識のレベルなのだ。

息子を見る限り、「楽しい」という感情は、かなり遅れてやってくるようだ。
「楽しい」「面白い」という感情は、3ヶ月くらいになってようやくその片鱗が見えてきたという印象である。
だからこそ最近は、「あやし甲斐」が出てきて、とても楽しい。


また、一方でネガティブな感情に紐づく「複雑な感情」は早くから備わるもののようだ。

僕が驚いたのは1週間くらい前だったと思うのだが(つまりちょうど3ヶ月を過ぎた頃)、僕が仕事から帰ってきて、すぐにお風呂に入り、
嫁さんは夕飯の支度をしていて、息子をかまってやれない時間が30分程続いてしまったことがあった。
風呂から出てみると、大分泣いていたようで、涙が顔を伝っており、声もひっくひっく言っている。可哀想になってすぐに抱き上げてあげたのだが、口を真一文字に閉じて、目を合わせようとせず、身体を固くしている。その様子は明らかに、「すねている」のだった。

「構ってくれないならいいよ!ほっとけよ!」

という、見事なすねっぷり。
全身から、そういうオーラが出ている。

「すねる」という感情は、結構高度な感情かと思っていたのだが、既に3ヶ月時点でそういった感情も発生するようだ。

この「すねる」という態度の前には、

「構ってもらえなくて寂しいな。」
「こっちに来てよ!(泣く)」
来ない
来ない
「ちくしょう、こんなに呼んでるのに来やしない!」
「もういいもん!」

というような感情の動きがあったわけで、そういう感情の連続性や論理性が既に彼の意識下に存在しているということになる。
3ヶ月でここまで育つのだ。
もうこれは、すごいとしか言いようがない。


僕は、すねてしまった息子を抱きかかえて、ゆっさゆっさと揺らしたり、話しかけたり、色々と気を引こうとしたがその日はなかなか心を開いてくれなかった。
それだけ「意志」というものがあったということだ。

これもよく考えるとすごいことだ。
「意志」というのは「心の持続性」を意味しているので、「すねる。すねてやる!」と決めた、その心が、少なくとも僕がなんとか気を惹こうとした数十分間、持続していたことになる。
(なお、その後はめそめそしつつも、ミルクを飲み、静かに寝入ったのだった。つくづく子供らしい、100%子供らしい子供だ。うん、いいね。とてもいい。)

他にも変化はある。
これまでは、外に連れて行くと必ずと言っていい程、眠っていたのだが(それは外界をシャットアウトするかのような、ものすごい落ちっぷりだった)、それも、最近は変わってきた。

これは嫁さんが言っていたのだが、今日などは、外に連れて行くと抱っこ紐の間から外をきょろきょろと眺め、外界に興味を示していたようだ。

最近、自分の手を見つめることが多くなっていたのだが、

自己
外界

の境界線や、その多様性を理解しつつあるということだろう。
それは、とても重要なことだ。
一生のテーマにもなりえる。

好奇心一杯に、世界を見て、闊歩するようになってほしい。
親としては、その初めの数歩をともに歩んでいきたい。
そういう気持ちである。

この子の成長を見ることは、どこかに忘れてきた幼少時代の自分を見つめ直すことでもあるのだと思う。そうやって、ヒトは人になるのかもしれないな。
などと、ベタなことを考えながら、僕は今日を生きている。

(最近は、ベタなことの「力強さ」を信じるようになってきた。ベタなことは、大方正しい。そして、フラットな気持ちで考えると、心地よい。ベタなことを真っ正面から、言える人でありたい。)

2013年3月2日土曜日

155. 特火点のその先(価値観と家族と生活と)

iPS細胞を用いた網膜色素上皮の置換施術について、臨床研究の実施が理化学研究所の倫理審査委員会で承認された。

今後、厚生労働省にて実施が承認されれば、世界初のiPS細胞を用いた臨床研究がスタートすることになる。

僕の友人は、この臨床応用を事業化する仕事をしていて、昨年末から「一緒にやらないか」とリクルートを受けていた。

特に、1月末から2月中旬まで、かなり多くのことをしてもらったと思う。
研究所を見学させてもらい、様々なデータを見せてもらった。また研究を統括する教授とも引き合わせていただき、ハード面からソフト面まで、全てを伝えてもらった。

本当に魅力的な仕事で、医薬品開発に携わってきた人間からすると、これ以上の充実感はないだろうと思われる内容だった。(詳しく書けないのが本当に残念だが、日経新聞の一面記事になるだけあって、大変夢のある技術だ)

同時に、会社の上司にも、会社を移ろうか迷っていることを正直に話した。
恐らく普通は、転職を決めてから会社には報告するのだろう。
しかし、今回の場合、僕は自分自身の会社を気に入っているという状況にある。
このまま、今の会社でキャリアを積むことも、十分魅力的と感じているのだ。

だから正直に話して、この会社で今後自分に任せてもらえそうなこと、今後自分がどのようなキャリアを積める可能性があるのか、今考えてみるとかなり不躾な、ストレートな質問なのだが、そういったことを聞いてみた。

また、人生の先達である、自分の父親と義父にも意見を聞いてみた。
父は、技術屋として、外資系メーカーを渡り歩いており、転職経験者としての意見を話してくれた。また、義父はとある企業の取締役であることから、経営の視点から、考えられるシナリオやリスクを話してくれた。

そして、嫁さんとも何度となく相談した。
転職すれば神戸に拠点を移す可能性があること、どのような生活になりそうか、子育てにはどれくらい参画できそうかということから、この分野の将来性や発展性、また、任される仕事の大きさ、将来の夢。

ちょうどこの相談をしていたとき、子供はまだ2ヶ月半で、子育ての大変さを身に沁みて感じていた。正直言って、不安の真っただ中にいると言っていいと思う。
朝起きると奥さんが泣いていた、ということもあった。

こういう時期に、生活の基盤を丸々変えることは、しんどい。
不安も大きくなる。

しかし、最後には、「それでもやりたいことをやってほしい」と、自分の意志を尊重してくれた。感謝である。

以上のように、
自分の人生において重要な決定を、
自分の人生において重要な人達と相談しながら、考えた。

そして、ようやく出した結論は、
「今の会社に残って頑張る」だった。

最後まで悩み抜いて、考え抜いた結果なので、後悔はしていない。
今は、彼らが無事、臨床での有効性、安全性を確かめ、事業化に成功してほしいと願うばかりだ。

最後にCEOから電話がかかってきた。
月曜日のお昼だ。

考えうるあらゆる論理(夢やロマンに始まり、国家としての戦略上の位置づけや、産業としての発展性、技術としての発展性、必要性と必然性)を駆使して、
またあらゆる話法(譲歩、懐柔、感情の発露、強行、権力行使、想定の置き換え、答のない質問)を駆使して、説得された。

舌戦。

恐らく時間的には20分くらいだったと思う。
僕は驚いてしまったが、と同時に、次に何を言い出すのか少しだけワクワクしながら、その全ての質問や言葉に応戦した。

専守防衛。

そんな会話はなかなかする機会がないが、圧倒的な力を前にして、自分の立場と意見と主張を守り抜くような会話だった。
それはちょっとゾッとするようなものだった。

「20年後の未来を考えてみてください。あなたは今の選択に自信を持てますか?」


こんなクリアな、そして、途方もない質問を繰り出せる人は世の中にそうそういない。

そして、肝心なのは、この質問には「答がない」ということだ。

僕は、こう答えた。

「自信なんかありはしませんよ。ただ、必要なのは自信ではなくて、この「選択」の結果を引き受ける覚悟でしょう。その覚悟はあるつもりです。」


一言で言えば、信長のような人だった。
警戒心を持ちつつも、一方で憧れも感じるような人だった。
こういう人が新しい世界を創るのだろう。

そう思いながら、僕は僕が描いた道を進むことにした。
いつかまた仕事で出会えたらいいと思う。

2013年2月3日日曜日

154. 特火点(本当にやりたいこと)

自問自答をしている。

「限りあるこの人生において、本当にやりたいことはなんだろうか?」

僕は今、医薬品の臨床開発を行っている。
これは、僕が学生時代に心からやってみたいと思っていた仕事だ。
それができているんだから、いいじゃないか。
とも思う。

自分の会社や待遇も気に入っている。
上司にも比較的恵まれている方だと思っている。
それはとても幸運なことだろう。

新薬の開発は、それそのものが先端的で、知的な欲求にも「それなり」に応えてくれる。いや、そう言うのは失礼か。
実際には、広大な知識の平原のうち、手の届く範囲で摘み取っているだけなのかもしれない。いずれにせよ、興味の持てない仕事ではないのは事実だ。

つまり、ちょうどいいサイズなのだ。
自分の能力の範囲内でこの仕事を行うことが可能。(もちろん、時間的なストレッチや精神的なストレスはかかるが、それもmanageできる範囲内だ。)

この現状に対して、「過不足無く自分を発揮できている」という肯定的な評価もできるし、何か「収まりのいい範囲にいる」という否定的な評価もできる。
(もちろん、今の与えられたポジションで、最大限の努力はしている、という前提があってのことだ。)

---

入社当初、僕は海外に赴任することを夢見ていた。
臨床開発の活発な欧米に行き、日本の臨床開発を変えられるような発想や制度や技術を手にして帰ってくる、というような漠然とした夢を見ていた。

しかし、実際には、まず海外に行くにも長い順番待ちがあり、既に入社してから丸7年が経とうとしているが、それでもあと3年は必要と思われる(順当に行ってもだ)。

また、実際に海外に赴任して帰ってきた人に話を聞くと、日本と海外の試験環境差が激しく、海外の発想や制度や技術で日本の試験環境を良くするというロジック自体がほとんど成立しないことが分かってきた。

また、海外ではMD(医師)が臨床試験のデザインを行っており、単なる修士出身の自分にとっては高い障壁があることもよく分かった。

残されているのは、臨床試験の推進(Operation)と日本を中心としたアジア地域での治験デザインといったところか。

経験が蓄積してきたことで、担当できる業務の幅は年々広がってきたと思う。この先もあることはわかる。この先、どんなことを期待されるのかも、おぼろげながら見えている。
そう、「見えている」のだ。


この「見えている」というのは、大きな安心感にも繋がるし、強力な自信にもつながるし、また、逆に「見えてしまっている」という残念な気持ちにもなる。

先が見えてしまっている。

また、その「先」というものに行き着くのに、あと10年かかることもわかっている。1万人を超える企業であれば、順番待ちは、どこだって、ありふれたものとなる。

そうやって、連綿と続く選手層があってこそ、組織は力を維持できるという側面もあるので、一概に否定できないが、それでも、間延びしてしまう感は否めない。

こんなこと、今まで思うことはなかった。

---

冒頭に書いた通り、会社や待遇や上司に大きな不満はなく、仕事の内容も興味を持てるもので、安定と安心と自信に満ちた日々を送っていたのだ。


しかし、状況が一変してしまった。


友人から、立ち上げたばかりの会社に入らないかとリクルートを受けている。
まだ数人の会社だ。規模としては、今の会社の1万分の一になる。
しかし、事業内容はとてつもなく魅力的だ。

iPS細胞の臨床応用。

世界の先陣を切る争いの渦中に、傍観者としてではなく、中心的なプレーヤーとして参加できる。ノーベル賞の受賞で一躍時の人になったが、京都大学山中教授が開発したiPS細胞は、日本発の技術であり、バイオ分野で「日本がかろうじてまだ世界と戦える唯一の技術」とも言える。
そして、山中教授が臨床応用を目下の目標としているように、基礎の成果を臨床で結実させることが急務となっている。

医薬品の開発を行っていると、欧米でのメガファーマの開発に遅れを取っていることや、例えば臨床試験だけに限って考えれば、効率やスピード、国際化の面で韓国に多いに遅れを取っていることを、何かにつけて感じてきた。

一方で、例えばEML-ALK融合遺伝子の発見は日本人によるものだが、そのターゲットを利用したクリゾチニブの開発はアメリカのファイザーがやってのけたように、「日本は基礎が強いが、臨床応用が弱い。事業化はもっと弱い。」ということが再三指摘されてきた。

その結果、最近の医薬品開発では、


  • トランスレーショナルリサーチ(基礎から臨床への橋渡しを担う研究)を重視しよう。
  • 初期臨床であるPhase1を日本でやろう。(特に、初めてヒトに投与するFirst in Human:FIHを日本でやろう)

ということが各種医学会で叫ばれている(特にOncology)。
基礎から臨床への橋渡しが重要。
その最たるものが、iPS細胞だろう。

iPS細胞の可能性は、現時点では推し量れない。
様々な臓器、組織に分化させる技術が続々と生まれつつある。毛髪や腎臓まで出てきた。これだけ基礎の発見が充実してくれば、臨床応用も自ずと増えていくだろう。

しかし、一方で、原理的に考えれば、分化誘導が不十分な細胞が仮に移植されてしまった場合、腫瘍化するリスクは否めない(恐らく原理的には)。
リスクとベネフィットのバランスが、通常の医薬品と異なる地点にあるように思う(ベネフィットが限りなく続くが、製造の過ちで途端にリスクが反転するイメージ。一方医薬品は基本的に用量に依存してリスクは上がっていく。線形にせよ非線形にせよ連続的なバランスのイメージ)。これを社会的な視点でどのようにジャッジするのか?厚生労働省も今後極めて難しい判断に迫られることになるだろう。

日本では、ベンチャーキャピタルが欧米に比較して弱小で、結果、日本ではバイオベンチャーは生き残りにくい状況になっている(投資家がいない。バイオベンチャーブームも2005〜7年くらいに去ってしまった)。

医薬品であっても、成功確率は合成段階から2万分の一(数年前まで1万2000分の一くらいだと言われていたが最近さらに下がってしまったらしい)。一つの医薬品がつぶれても、会社そのものはつぶれない大手と、一つの製品に望みを託すベンチャー。

明らかに人生のvolatilityは増大する選択だ。

しかし、やり甲斐は極めて大きい。
将来性は未知数だが、大化けする可能性がある。

そして何より、cutting edgeに接していられる。
僕がやりたかったことは、そういうことだった。

最先端の突端に触れていたい。
尊敬できる人を得たい。

こういう自分の根源的な欲求は間違いなく満たされる。
そして、嫌が応にも、本気になれるはずだ。
そうしないと、ついていけないだろうから。

そういう、必死になっている自分を見てみたい気もしている。
追い込んでやろうと。

生活も一変し、生活の拠点も帰る必要がある。
家族との相談も必要だ。

子供はまだ2ヶ月半。まだまだ子育てが大変だ。
そうそう、最近になって、泣く時以外にも「あー!」とか「んぁーっ!」とか意図的に声を発するようになってきた。同じ声を真似てやると、ニヤリと笑う。それがまた可笑しい。

奥さんは今朝から食中毒のような症状で、つらい状況なので、今日は一日子供の面倒を見ていた。

色々なことを考えた。

これ以上考えても結論は出ないので、今日はここらへんにしておこう。

最後に一つ。
今回のことで直感したのは
「人生をかけてチャレンジできることって本当に少ないよな」ということだ。
そのモードへのスイッチを押してみたい自分がいる。

2013年1月12日土曜日

153. 年始に思うこと(表情と感情)

ここ最近、1週間くらい前から子供が笑うようになってきた。
まだ、笑おうとして笑っているのではなくて、反射的に(筋肉を動かす練習をしていて)笑っているような表情になるということのようなのだが(そういう時期らしい)、とは言え、その笑顔がかわいくてしかたない。

そんな瞬間は不意に訪れるのでなかなか写真に収めることができないのだが、思わず、おー!と見入ってしまう。
この嬉しい気持ちは、得難いものだ。よく温かい気持ちという表現をすることがあるが、まさにそういうものだと思う。

自分の子供を見ていて思うのは、生まれた瞬間から、もしくは生まれる以前から、「心地いい」「心地悪い」という「快/不快の感情」は間違いなく存在しているということだ。
そして、生まれてから1ヶ月半くらいは「泣く」という行為でその気持ちの変化を、半ば無意識のレベルでしている。

これからは徐々に顔の筋肉をコントロールできるようになるだろう。
すると、「感情」と「表情」が一致し始める。
僕たち大人は、「表情」と「感情」が一致していることを前提として社会に生きているので、表情という「記号」から感情という「情報」を読み取り、喜んだり、不安になったりする。(なお、大人になると、「感情」と「表情」を意図的に一致させない人も出てくるので注意が必要だが、それは、また別の話だ。)

その点で、「表情」は、身体的な「言語」であるとも言える。(言語とは、平たく言えば、「情報を伝える一定の規則性を持った記号」である)


そして、言語であるのなら、きっと、子供は言葉を真似て憶えていくように、表情も真似て憶えていくのではないかと思っている。


僕は、子供の前でニカッと笑う。
よく笑う人になってほしいからだ。


さて、話は変わるが、1ヶ月程前、所属している社会人写真サークル「ニーチ」で、写真のコンテストが開かれた。今年で2回目になる参加だったのだが、ありがたいことに、1位の評価をいただいた。

実は作品は2枚出せる。
僕は、自分としては「実験的な写真」と位置づけるものと、「ストレートな写真」と位置づけるものの2枚を出してみた。
(「実験的」にも、「ストレート」にもなっていない、というツッコミはとりあえず置いておいてほしい。そのツッコミは正当であるが。)


ということで、以下に個人的な思い出として、出展した2枚の写真を載せておく。


































この写真の頃は、生後12日目。
まだまだ表情は無意識のレベルにあり、微睡みの中を漂っている。
大人である僕らは、そんな彼に微笑みかける。