2012年10月28日日曜日

141. 外部刺激(並行世界)

医師でMBAホルダーの友人から、

「会社を一緒にやらないか?」

と誘いを受けた。
今日、その事業内容や、技術について話を伺ってみたのだが、これがもう何とも刺激的で。

今の医療や治療概念、医薬品産業そのものをひっくり返すような、インパクトのあるものだった。

データの詳細を吟味するまでには至らなかったが、
「筋もいいし、追い風も吹いている。」
そう感じた。


CEOにも会うことができた。
これまで今の会社で、自分なりに描いてきたキャリアプランを話した。

返ってきた言葉は、

「それって楽しいですか?」


そう来たか。
こういう反応がある人は初めてだ。
しかし、彼のミッションから考えると、「確かにな」としか言いようがない。

参加するにせよ、しないにせよ、このベンチャーが成し遂げようとしていることは、日本の未来を変えうるものだ。産官学が一体となって、金とエネルギーを存分につぎ込んで、つぎ込んで、つぎ込んでもおつりがくるくらいのものだと思う。


これまで、比較的大きな企業体の中で、一歩一歩、地道に階段を積み上げてきた。
それはまさに、「積み上げる」作業と言ってよかった。

その階段が、いきなり大波に飲まれるような。
そんな衝撃を感じて、目眩がした。

正直に言うと、短期的な回答としては、
「No」だ。

しかし、仮にここで「Yes」と言ったら・・・

世界は分岐する。
そういう類いの選択肢と言える。



Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?


スティーブ ジョブズがペプシコーラのスカリーを引き抜く際に言い放った台詞だ。

2012年10月20日土曜日

140. 理想のカメラ(実現できるのは・・・)

ニコンのD800は、2012年3月22日に発売された。
3680万画素の35mmフルサイズセンサーを搭載しており、2012年現在としては、「高画素機」と目されている。

質実剛健な造りと、圧倒的な高画素(当時ライバルと目されていたキヤノンのEOS 5D MkIIIは2230万画素なので)、そして、何よりその安価な価格設定(2012年10月20日現在で最安値は23万6千円。一方5D MkIIIは27万円)で大ヒットしている。

3680万画素について、発表当時は「そんなに画素数はいらない。」「画素数が多過ぎると画素ピッチが狭くなり、結果、ノイズが乗りやすくなる。画素数は据え置きで高感度耐性を上げてくれ。」と否定的な意見が多かったが、蓋を開けてみれば、「案外高画素でも、縮小して(といってもA3ノビ程度)印刷する分にはノイズが見た目上キャンセルされ、むしろディテールを残す良い効果を発揮する」ということが次々と示されていった。

一方、「画素数据え置きで、高感度耐性を上げる」という方向(ある意味、世間一般の支持する常識的な方向)に進んだライバル機5D MkIIIはDxO Mark scoreなどで先代の5D MkIIから十分な進化を示せず、さらにスコア上でD800に大きな差をつけて負けてしまった。
(ただし、DxO のスコアは画素数が大きい程有利な傾向にあり、必ずしも全てではないということを付け加えておく。)

5D MkIIIはそれ単体としてはいいカメラだが、価格設定がD800より4万円程高いということもあり、結果として、「思ったよりヒットしなかった」というのが本音なところだ。先代のMkIIの評価が高かったため、ファンの期待が大きすぎたというのもあるかもしれない。(という自分もMkIIを使っているため、正直言ってこの結果はつらい)

さて、巻き返しを図るキヤノンは、4700万画素の高画素機を開発中、と噂されている。一方で、ニコンにセンサーを供給しているSONYは、5000万画素の高画素機を開発中と言われている。

まず、キヤノンはニコンと並び一般的には一眼レフの王者と見られがちだが、ことセンサー(撮像素子)の市場から考えると、むしろ挑戦者に近い。
というのも、センサー市場では9割近くがSONY製だからだ。

SONYは、ニコンにも、OLYMPUSにも、ペンタックスにもセンサーを供給している。SONY自身もカメラを製造しているので(正確に言うとセンサーを作っている会社はSONYの子会社だが)、これらカメラメーカーはライバルではあるわけだが、同時に、顧客でもあるわけである。

つまり、「他社が儲かれば、自社も儲かる」というおいしい仕組みをSONYは持っており、センサーを中心に見ると、SONYこそが王者なのである。

一方、キヤノンはあくまで自社製造路線を崩しておらず、また例えば台湾のOEMメーカーへの外注も極端に少ない(ただし、台湾の小会社へは依存している)。センサー市場では、キヤノンとパナソニック、それからAptina社などがSONYに対抗しているが、それらを足しても10%程度。

これはPCのプロセッサでインテルが一人勝ちしているのとほぼ同じ状態だ。


さて、話を元に戻すと、王者SONYは5000万画素で、挑戦者キヤノンは4700万画素。
このような高画素化はどこまで進展して行くのだろう?


僕は、「2億画素」くらいまで行ってもいいと思っている。

いやむしろ、理想的な、究極的なカメラというものには、2億画素程度は必須だとすら思っている。

こう言うと、大方のカメラ好き(カメラオタク)の諸先輩方には一笑にふされるだろう。

もちろん、現時点では、画像処理エンジンの処理速度が追いつかず、連射速度に問題があるだろうし、ノイズも十分に制御できないだろう。そもそも、2億画素の35mmフルサイズセンサーには、レンズ自体の解像力が追いつかない、という意見もあると思う。(3680万画素のD800でさえ、レンズを選ばなければその解像力を十分には発揮できない)

しかし、あくまで「2億画素が理想的である」と考えるには以下のような理由(と仮定)がある。

  • まずセンサーのサイズは36mm×36mmの正方形センサーとする。(理由は後に述べる)
  • ファインダーは、リフレッシュ速度が十分高いEVFとする(どの程度の動体を被写体とするかによって「十分なリフレッシュ速度」は変わってくるが、とりあえず細かなスペックは置いておく)。
  • まず大事なポイントとして、2億画素まで高画素であれば、モアレを除去するためのローパスフィルターが不要になるということが挙げられる(レースのような高周波の被写体であっても、干渉縞が発生しないほど画素ピッチが狭い。このため通常のRGBベイヤー配列のセンサーでもモアレを気にしなくていい)。結果として、解像力が単なる画素数の増加以上に向上する。
  • 次に大事なポイントは、通常の撮影時では、デモザイク処理(RAW→JPEG処理)の段階で9画素を1画素に統合する画素統合処理を行い、2000万画素程度のJPEGを生成するという機能を付けることである。(これがかなり重要。つまり、2億画素=一枚で200Mbというアホらしい容量を通常時は抑制できる。そして風景撮りなどとにかく解像力を活かした撮影をしたいときに、2億画素開放(35mmフルサイズの領域だと1.3億画素だが)で、エッジの効いた超弩級の高解像写真を生成する。)
  • さらに大事な点は、デジタルズームを1インチセンサーサイズくらいまで可能とすることである。正方形センサーは36mm×36mm=1296、1インチセンサーは13.2mm×8.8mm=116で面積比で大体10倍くらいの差があるが、もとのセンサーが2億画素もあればトリミングした1インチセンサーの面積であっても2000万画素程度保たれることになる。つまり、デジタルトリミングをしても、十分写真になるのだ。
  • デジタルズームを1インチセンサーまで可能とすると、レンズの焦点距離は2.7倍まで伸ばせることになる。例えば、28mmの単焦点レンズ1本で、75mmまでデジタルズームが可能である。28mmのF2レンズなど小型軽量で安価なわけで、それが75mmまでF2通しのスペシャルなズームレンズになるのだ(現在そんなレンズは存在しない!※1)。キヤノンの大三元レンズの一本EF24-70mm F2.8Lレンズは大体17万くらいで950gくらいの重量があるが(2年前から愛用しているが重い)、これよりも(若干広角は負けるにしても)明るくて小さなズームレンズが4〜5万円で手に入ることになる。なんと素晴らしいことか。そして、これは「レンズで儲ける」という商売を得意とする老舗メーカー、キヤノンやニコンには手痛い話となる。
  • 画素統合は、デジタルズーム中も連動することとする。つまり、35mmセンサーサイズ時にも2000万画素、APS-Cサイズ時も2000万画素、フォーサーズサイズでも2000万画素、1インチセンサーサイズでも2000万画素と最終のJPEGサイズは常に2000万画素となるようにアルゴリズムを組むのである。
  • 同時に、ファインダー上の画像もデジタルズームに追従して拡大することが必須である。このため、必然的に、光学ファインダー(OVF)ではなく、電子ビューファインダー(EVF)を搭載することが必須となる。
  • また、縦横のフレーミングの回転も、これまではカメラそのものを持ち替えて行っていたが、センサー上のトリミング範囲を縦横交換することによって可能となる。これが、36×36mmの正方形センサーを搭載する所以である。こうすることで、フラッグシップ機にあるような「縦位置グリップ」というスタイルが不要になる。縦位置グリップには周囲のカメラマンを威圧する力があるが(もちろん縦位置も横位置も同様に違和感なく交換できるという本来の良さもあるが)、大きく重くなるというマイナス点も大きい。正直、キヤノンから高画素機が出るとしてもEOS 1DX系の縦位置グリップが付いているような大きなモデルであれば、全く欲しいとは思わない。普段使いに、アレは大袈裟過ぎる。
  • そして、画素数を最大限使いきるには、30×30mmの真四角領域(対角線長43mmで、35mmフルサイズセンサー用のレンズがギリギリカバーできる最大のイメージ範囲)で撮影するという選択肢がある。これは、およそ1.38億画素で、正方形の比率から中判の6×6写真のような印象を与えるだろう。


というわけで、まとめると「2億画素のカメラ」によって、

  • 明るい単焦点レンズを夢のズームレンズに変換することができる。この結果、大きく高価なF2.8通しのズームレンズが一切不要になり、レンズも含めたカメラ全体の大きさを小型化できる。
  • ローパスレスによる解像度の向上をベイヤー配列センサーでも(特別なアルゴリズムを必要とせず)実現できる。
  • 36mm角の正方形センサーによって、縦位置への変換をボタン一つで行えるようになり、縦位置グリップが不要になる。
  • 30×30mmという新しいフォーマットが副産物として生まれる。なお、この場合、1.38億画素であり、いわゆるフルサイズの36×24mmでは1.33億画素である。


以上が、「理想的な、究極的なカメラには2億画素が必須」と考える理由だ。

こんなカメラが出てきたら、既存の高価な交換レンズを主体とする一眼レフの市場は完璧に過去のものになるだろう。


さて、こんなラディカルで素敵なことをできるメーカーはあるだろうか?

キヤノンには絶対できない。
(仮にやれたとしても、しないだろう。また、これまでEVFの技術を軽視し過ぎてきた。これからよほどの巻き返しをしなければ追いつけないだろう。さらにレンズビジネスまで取り上げられたらと思うと、もう進めないはずだ。)

ニコンにもできないだろう。
(レンズビジネスとOVFがある。)

結果として、僕は、SONY以外にはあり得ないと思っている※2。

SONYには、

  • 2億画素を実現する技術基盤が既にある。
  • レンズのビジネスモデルを守る理由がない。(むしろ、カメラ本体を売ってなんぼの商売をしている。というか、カメラ出し過ぎ。)
  • エントリー機からハイエンド機まで、徹底してEVFを搭載している(むしろ、OVFの銘機だったα900シリーズを潰してしまったという因縁すらある)

さて、今後5年間くらいの間で、どれだけ僕の理想(妄想)に、カメラメーカーが追いついてくれるだろう?

上記の理想(妄想)は、あくまでベイヤー配列のセンサーを軸に考えているが、もう一つの方向として、FOVEONのような三次元の積層型センサーという方向や有機センサーの方向もあるかと思う。こちらの方向にも期待大だ。

両者が融合して、結果として5年以内に僕の妄想が追いつかれ、追い抜かれたら、これはもう言うことなしだ。
10年以内でもOKだと思う。

いずれにせよ、高画素不要論は2012年10月時点では多いものの、各メーカーには頑張ってほしい。特に画素統合など、ソフトウェア側の進化が実はボトルネックになりそうだ。こちらの開発も抜かり無くやってほしいと思う。

理想のカメラができることを、楽しみに待っている。

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後日追記(2012年10月22日)
※1:すまん、存在していた。不明を恥じるばかりだ。
OLYMPUS ズイコーデジタル ED 14-35mm F2.0 SWDである。
フォーサーズは2倍するとフルサイズ換算の焦点距離になるので、このレンズは28-70mmの開放F値2.0ということになる。フォーサーズはフルサイズやAPS-Cに比べると小さな撮像面でボケ量は少ないのだが、その分、レンズの中心部分の一番密度の高い光を受光できる。恐らく、撮像素子が小さな分だけ、またμフォーサーズに比べてフランジバックが長く余裕がある分だけ、明るいズームレンズを作りやすいのだと思う。

※2:あともう一社、可能性がある会社があった。サムスンだ。日本では販売されていないので余り知られていないが、サムスンは既にミラーレス一眼レフを販売しており、世界的には割と知られている。コンデジでは、既に世界シェアで10.7%取っており、富士フィルム(9%台)を抜いている。サムスンが、本当に本気でハイエンドカメラを狙ってきたら、これくらいの理想は達成されてしまうかもしれない。個人的には、SONYに達成してほしいが。

2012年10月19日金曜日

139. 半形而上学的な君へ(父親未満のひとりの男)





子供ができた。
もちろん、奥さんに。
11月中旬に出産予定で、どきどきしながら経過を見守っている。

先日、初めて産婦人科に付き添って、エコーで「我が子」を見た。

モニターに目が映った。

二重だった。

くっきりと。

エコーの画面越しに、
目が合った気がした。

その瞬間、
「ああ、生きている。」
と思った。

そして、何と言えばいいのだろう?
空想上の生き物だった「我が子」が、
一気に現実の、
自分の延長線上に出現したような、
それはとても鮮烈な体験だった。


「ああ、ここにいる。
 新たな世界が始まりつつある。」

僕が率直に思うのは、そういうことだ。
なんと、素晴らしいことだろうか。


それでもまだ、僕は十分な実感を伴ってはいないのだろう。
熱心に出産や子育ての本を読む奥さんを横目に、僕は写真論の本に没頭していたりする(おい)。


父親未満のひとりの男。

それが今の僕なのだろう。
子供がもしもできたなら・・・という空想は、これまでにも何度かしたことがあった。それは、まさしく「空想」であり、「形而上学的な」ものだったろう。

正直に言うと、この記事は、随分前に一度書こうとしたことがある。

そのときのタイトルはこうだ。

「形而上学的な君へ。」

しかし、あのエコーの事件があって以来、僕は君のことを純粋に「形而上学的」な存在にはできなくなっている。もっと実体を伴った、リアルな存在として、既におぼろげながら、僕の精神の中にいる。

しかし、まだ生まれてきてはいない。
実体はあるが、君は子宮の中に留まり、現前してはいない。
その結果、

「半形而上学的な君へ」

というタイトルとなった。

さて、父親未満である僕は、むしろ積極的に「一個人」として思いを巡らせている。

まず、何よりエキサイティングなことは、

僕とは違った「知性」が、生まれつつあるということだ。

一体、君は30年後、何を考えているのだろう?
僕が到達できなかった、知の地平を切り開いているのだろうか?
何を悩み、何に頭を使い、何に喜びを見い出しているのだろうか?
人生の目標は何で、どんな研鑽を積んでいるのだろう?
そして、その胸に抱く「君の世界」はどんな広がりを持っているのだろう?

僕は純粋に、一個人として(それは父親というよりも、1人の人間として)これらに興味がある。

そして、その将来を指向したワクワク感は、20代の頃には想像もしなかったものだ。
僕は「一個人」の時代から、「父」の時代へと移り変わろうとしているのだろう。
父性というものを、まだ僕はおぼろげにしか感じることができないが、その片鱗を自分の中に見い出しつつある。
僕自身も成長していかなければならないだろう。


次にエキサイティングなことは、「生命」が正に今、形作られているということだ。
僕は、高校生くらいの頃から、「生命」というものを、正確に理解したいと思っていた。
熱力学第二法則は、「宇宙の万物は、エントロピーが増大する方向に向かって行く。」と言い切った。
エントロピーとは、「乱雑さ」であり、「無秩序さ」である。
山肌にある大きな岩は、やがて転がり落ち、川に流され、細かくなり、小石となり、砂利となり、砂となる。全ての物質は、拡散していく。混ざり合い、複雑になり、境界を失っていく。それが自然の摂理である、と。

しかし、と高校生の僕は思った。

「じゃあ、生命の進化については、どう説明をつけるのだ?」と。

単細胞生物から、真核細胞生物へ。
魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、人類と、むしろ身体機構は複雑さを増し、意識という曖昧なものが芽生え、知性が生まれた。

そして、僕たちは地上に立って、思考している。

この知性を備えた人類というものは、いや、それだけではなく、その他のあらゆる生命というものは、あたかも熱力学第二法則に抗い、無秩序さから秩序を作り出し、発展させているように見える。これはとても不思議なことだ。

生命の生命たる理由を解明してみたい。
理解してみたい。
熱力学のあらゆる法則に矛盾しない形で、生命が存在していいことを、自分なりに明かしてみたい。
そして、願わくば、生命を自らの手で作り出してみたい。
生命を一から作り出せるということは、生命を理解した何よりの証拠だろう、と思った。

そういった欲求から、生命理工学部の道を選び、生物物理学の研究を行った。
しかし、僕が生物物理学の世界で理解できたのは、ほんの僅かなことだった。

ATPaseというタンパク質は、回転機構を持っており、その物理的な挙動は一切、熱力学の法則と矛盾しない。ただし、水の熱揺動によるエントロピックな力をも利用して、非常に高い効率で回転運動を行っている(ATPの化学的なエネルギーがほぼ100%の効率で、γサブユニットの回転という力学的な反応に置換されている)。
そんなことくらいだ。(とはいえ、それはそれで結構面白い発見だったのだが)

結局、「生命の生命たる理由」を解明することのないままに、僕は大学院を卒業し、今は抗がん剤の分子標的薬を開発している。

(なお、熱力学第二法則と生命との共存については、修士課程でそのカラクリをある程度確からしく理解することになる。熱力学第二法則が予言しているのは、「宇宙」のことなのだ。つまり、地球という小さな惑星の中でたとえいくら生命が高度に組織化したとしても(無秩序さを減らしたとしても)、宇宙規模で見れば、宇宙の大部分は物質でできており、シンプルな物理学に従って、乱雑さを増している。宇宙の中の全ての乱雑さの総計から比べれば、地球上で起こる生命の進化など、容易にキャンセルされてしまうだろう。高校生の僕は「生命」に着目し過ぎていたわけだ。対象とする系が宇宙規模まで拡大された場合、生命とは微小空間に巻き起こった渦に過ぎないのだろう。その渦だけを見て、「熱力学第二法則は成り立たないんじゃないか!?」と言っていたわけだ。ああ、恥ずかしい。)

僕は自身の研究で生命を作り出すことはできなかったが、しかし、今、それは自然な形で実現しつつある。

内蔵ができ、心臓が拍動し、手が形成され、目や耳ができ、といった人類が解明したい「生命の神秘」が正に進行している。

こういった「形態形成」というのは、今の生命科学の中で重要な位置を占めているはずだ。元は、まん丸い一つの受精卵だった細胞は、分裂を繰り返すうちに、「俺は心臓をやるから、お前は手な、お前は目で、お前は足。」というように、自分の位置を把握して、立体的なヒトの形を形成していく。

外から見て、ここらへんに目で、ここらへんに腕で、とやっているわけではない。「内発的」に自分の位置を探知し、自らをトランスフォームしていくわけだ。それは中心から「湧き上がる」ようなものだ。

これは大変なことだと思う。
ちょっと考えただけでも、簡単なプログラムでは実現できないことを直感する。何より「形態」とは、「三次元」なのだから。

三次元の座標を正しく把握して、自らの役割を決め、変容していく。
そのプロセスは、「神の御業」としか言いようがない。

それが、今、進行しているのだ。
「科学」では到達できなかったことが、「自然」によって実現される。

これを奇跡と呼ばずに何と呼ぶのだろう。
僕はつくづく、そんなことを思っている。

2012年10月7日日曜日

138. TOKYO PHOTO 2012(鈴木理策さんに会う)

先日(2012年9月30日)、六本木ミッドタウンで開催されたTOKYO PHOTO 2012へ行ってきた。

欧米、中国などから著名なギャラリーが集まり、時代を代表する作品(それは例えば、アウグスト ザンダーのような1920年代の名作から、マッギンレーの最新作のようにごく最近のものまで含まれる)が出品され、観賞するだけでなく、購入もできるイベントである。


今年で四回目ということだが、自分は初めての参加である。
これもひとえに、定期購読を始めた写真雑誌IMAの招待券のおかげだ。
(通常は入場に1500円かかる)


今年創刊された「写真の現在」を伝える雑誌 「IMA」
僕の現在の興味にぴったりの雑誌である。


ここではそのとき取ったメモを残しておこうと思う。

様々な収穫があったが、大きなものとしては2つ。

1)鈴木理策さんがサイン会を開いており、幸運にもサインをもらうことができた。「分離派宣言、がんばってください!」と言おうと思ったのだが、この宣言について、どれだけ深く理解できているか自信がなく、また勇気もなく、結局「ありがとうございました。」とだけ言って去ることになる。とはいえ、初対面で嬉しかった。なるほど、この人があの写真を撮るのか、と。

2)作品の価格というものを、試みに、ドラゴンボールで言う「戦闘力」に置き換えると(無粋なことかもしれないが)、結構値札を見るのが愉しくなる。傾向としては、

  • 歴史的に、地位が確立された作家(ザンダー、エグルストン、マーティン パー、アヴェドン、ポール ストランド、ウォーカーエヴァンス、ベッヒャー夫妻など写真の歴史本に名前が大きく出てくるような人々。いわゆる巨人達。)は、当然ながら高い。大体100〜750万くらい。
  • 今をときめく作家は、そこそこの値段60〜150万くらい。
  • 日本人の作家はかなり有名な人でも比較的安い。30〜60万円くらい。新人作家では3万円というのもあった。

という感じだった。
もちろん、今回出品された作品にも、エディションとして価値が低いものが混じっていたと思うので、上限はもっと上にあると思う。(エグルストンの有名な三輪車の写真は、4900万円ほどで落札されたことがあるので、エディション的に希少なものはこのくらいまで跳ね上がる。その点を考えると、今回は1000万越えのものがなかったので、ギャラリーとしては比較的イベントに出品しやすいものを選んでいたようにも思える。来場者に制限がない(プロのみの来場ではなく一般人も入れる)のもそのおかげかもしれない。)


気になった作家をメモしておく。特に気になったものに☆を付けた。


  • Jean Baptiste Huynh Official web site: http://www.jeanbaptistehuynh.com/
  • Philippe Calandre / Slio 2001 / Official web site: http://www.philippecalandre.com/main.html
  • Loan Nguyen / Basin 2000 / ¥510,000 Official web site: http://www.madameloan.com/
  • Denis Darzacq / Hyper 15, 2007 / ¥1,106,000(浮遊少女の元祖かも?)Official web site: http://www.denis-darzacq.com/
  • Bernard Faucon / Official web site: http://www.bernardfaucon.net/v2/index.php
  • Anders Ptetersen / Vasagatam Stockholm 1968 / ¥2,615,000
  • Ryan McGinley / Black forest / ¥1,344,000,  Kaboom / ¥2,467,500
  • 蜷川 実花 / Plant a tree / ¥304,500
  • Laurie Simmons / Man/Sky/Puddle/Second View/ ¥2,662,800
  • Nick Brandt / Elephant Train Amboseli 2008 / ¥270,000
  • David Drebin / Jerusalem 2011 / ¥410,000
  • Elger Esser (好ましい淡いプリント)☆ Official site: http://www.elgeresser.com/index.php?id=38
  • Martin Parr (暴力的なビビッドさ)
  • Joann Callis
  • Tereza Vlgkova (双子写真?フェイク?)
  • Susan Perges(フォトグラムっぽい)
  • Edward Weston
  • Dodie Weston (Edward Westonの息子の嫁さん。Edward Westonのフィルムから作品を選び出し、再度プリントしていたもので、3000〜5000USDだった。再プリントだから安いのだろう。)
  • Chen Baosheng / Open Air Theatre (この作品は人物のものだが、本来は馬の写真が代表的な作家。馬の「龍性」を捉える。)
  • Yang Yongliang / Snow City Quaternity 02 / ¥375,500 (中国の山水画と現代の街をミックスさせたような作品。写真と絵画の中間のようなイメージ)☆ 紹介Web site http://mag.9bic.jp/yang-yongliang/
  • Paolo Roversi 
  • 山本糾
  • 川田喜久治
  • 西村陽一郎 / 青いバラ / ¥400,000
  • さをり にのみや / 鎮魂景 / ¥30,000
  • 佐藤信太郎 / 2010年11月3日新小岩 / ¥262,500
  • 新井卓 / 放射性のヤマユリ(飯館村)ダゲレオタイプ / ¥277,788
  • 横須賀功光 / Cave(壁)
  • 北井一夫(農村風景が多かった)
  • オノデラユキ /  Portrait of second hand cloths(あの衣服の写真シリーズ)/ 窓の外を見よ☆
  • Michael Kenna / ¥473,000 (日本の風景を再発見している写真家。この人の写真は本当に好きなのだが、どうしてもこういう風には撮れない。。)☆ Official web site:  http://www.michaelkenna.net/
  • Masao Yamamoto / ¥108,000☆(変な喩えかもしれないが、Michael Kennaに近いものを感じる。それは「和」だ。)Official web site : http://www.yamamotomasao.jp/
  • Sarah Moon / Fashion (pour New York Times) 1998
  • Richard Avedon / ¥7,350,000(今回気付いた中で、最高額だったと思う)
  • Nastassja Kinski and the Serpent 
  • Helmut Newton / ¥2,310,000 (今回出品数が多かった。複数のギャラリーが扱っている)
  • Yuki Tawada / Layered / 複雑な形のパネルが3層に重ねられたオブジェのような作品。
  • Jonas Bendiksen / The place at live Mumbai 2006 / ¥235,000☆(マグナムフォトの一員。現実の報道でありながら、絶妙な、ある意味で絵画的な構図。瞬発力とセンスの調和。裏打ちする行動力。うーんこの人の本はほしい。)紹介サイト:http://thephotosociety.org/member/jonas-bendiksen/
  • Elliot Erwitt / ¥ 340,000 (エディションNo.不明。サインあり)
  • Steve McGurry / Afgan girl 1984 / ¥600,000(友人からもらったNational Geographicの表紙に選ばれていたアフガニスタンの少女を写した写真。オリジナルプリントで見れるとは。吸い込まれるような目だった。)
  • Rong Rong & inri (双子の三つ編み)
  • 林ナツミ(浮遊少女の人。売れてるなぁ。木村伊兵衛賞かな?)
  • August Sander / Two boxers / ¥ 630,000 (あの有名な「拳闘士」の写真である。それでも安いのは、エディションが切られていないからなのか。そうはいっても、リアルに見れるとは。)
  • Lee Friedlander / Self portrait / ¥238,000
  • Ellen Kooi / out there (とても不思議な写真だった。僕には真似したくても決してできないタイプの写真。大判カメラ×ファンタジー。)☆ Official web site: http://www.ellenkooi.nl/
  • Eterplan:縮面加工された上質紙。テクスチャとして面白い。
  • Ansel Adams / Sand Dunes, Sunset, Death Valley 1948 / ¥1,200,000
  • Paul Strand / New York roof tops 1916
  • Walker Evans / New York Skyline / ¥900,000
  • William Eggleston / Sign between two tree 1972 / ¥950,000
  • Joel Peter Witkin
  • シカマタケシ
  • Hamid Sardar

走り書きをそのまま転記したので、スペルミスがあるものと思うが、とりあえず「とっかかり」のテキストとしてメモっておく。これからそれぞれを検索し、その作家の他の作品を見てみたい。

しかし、上記のメモをしていたとは言え、4時間ほど滞在していたことになる。

約1000点の見応えは、相当あったと思う。

改めて思ったのは、「写真に国境はない。」ということだ。

「スポーツに国境はない。」というのは有名だし、「音楽に国境はない。」というのもよく言われる。つまり、「言語」ではなく、「身体」に帰属するものは、基本的にホモサピエンス間で無条件に交換可能であるということだ。味覚に依存する「料理」もそうだろう。各国で馴染みやすいようアレンジはされるものの、料理は国境を越えている(今夜はナポリ風ピザだった)。嗅覚に依存する香水だってそうだ。日本ではそれほど強いものは好まれないが、それでもなお、外国産の香水は一定の地位を得ている(高校時代とCK oneの香りが結びついているのは、恥ずかしくもあり、懐かしくもある)。写真も視覚に訴えるものであり、言語は補足になるにしても、基本的には独立変数と考えていい。

言語を伴わないものは、情報量が少ないという欠点を持つが、一方で、一国に閉じることなく(言語の勢力圏に依らず)拡散する性質を持ちうるということだ。普段、海外の写真に接していなかった分、こういったことを強く感じる結果となった。
面白いなぁ。

来年も是非行きたいと思う。