2013年1月12日土曜日

153. 年始に思うこと(表情と感情)

ここ最近、1週間くらい前から子供が笑うようになってきた。
まだ、笑おうとして笑っているのではなくて、反射的に(筋肉を動かす練習をしていて)笑っているような表情になるということのようなのだが(そういう時期らしい)、とは言え、その笑顔がかわいくてしかたない。

そんな瞬間は不意に訪れるのでなかなか写真に収めることができないのだが、思わず、おー!と見入ってしまう。
この嬉しい気持ちは、得難いものだ。よく温かい気持ちという表現をすることがあるが、まさにそういうものだと思う。

自分の子供を見ていて思うのは、生まれた瞬間から、もしくは生まれる以前から、「心地いい」「心地悪い」という「快/不快の感情」は間違いなく存在しているということだ。
そして、生まれてから1ヶ月半くらいは「泣く」という行為でその気持ちの変化を、半ば無意識のレベルでしている。

これからは徐々に顔の筋肉をコントロールできるようになるだろう。
すると、「感情」と「表情」が一致し始める。
僕たち大人は、「表情」と「感情」が一致していることを前提として社会に生きているので、表情という「記号」から感情という「情報」を読み取り、喜んだり、不安になったりする。(なお、大人になると、「感情」と「表情」を意図的に一致させない人も出てくるので注意が必要だが、それは、また別の話だ。)

その点で、「表情」は、身体的な「言語」であるとも言える。(言語とは、平たく言えば、「情報を伝える一定の規則性を持った記号」である)


そして、言語であるのなら、きっと、子供は言葉を真似て憶えていくように、表情も真似て憶えていくのではないかと思っている。


僕は、子供の前でニカッと笑う。
よく笑う人になってほしいからだ。


さて、話は変わるが、1ヶ月程前、所属している社会人写真サークル「ニーチ」で、写真のコンテストが開かれた。今年で2回目になる参加だったのだが、ありがたいことに、1位の評価をいただいた。

実は作品は2枚出せる。
僕は、自分としては「実験的な写真」と位置づけるものと、「ストレートな写真」と位置づけるものの2枚を出してみた。
(「実験的」にも、「ストレート」にもなっていない、というツッコミはとりあえず置いておいてほしい。そのツッコミは正当であるが。)


ということで、以下に個人的な思い出として、出展した2枚の写真を載せておく。


































この写真の頃は、生後12日目。
まだまだ表情は無意識のレベルにあり、微睡みの中を漂っている。
大人である僕らは、そんな彼に微笑みかける。