2010年5月25日火曜日

054. 朝鮮半島のこと(妄想全部入り)


なんとなくなのだが。


最近の北朝鮮と韓国の状況(2010年3月、黄海上の南北朝鮮の境界に近い場所で韓国海軍の哨戒船「天安」が沈没し、その原因が北朝鮮による魚雷であったと5月20日に韓国側が発表した)は、これまでの両国の状況とはちょっと違っている気がする。


まず、明確に死者が出ていること。
実に、46名である。


僕はあまり韓国と北朝鮮のことに詳しくないので間違っているかもしれないが、確か、2009年11月の南北艦艇銃撃戦でも北朝鮮側に数人の死者が出ていた。

しかし、11月の銃撃戦と今回の一件が大きく異なるのは、
「銃撃戦を繰り広げた結果(つまり、両国が互いに戦闘状態に突入したのを認知した後で)、死者が出た」のではなく、
「一方的に北朝鮮から攻撃を受けた結果、死者が出た」
という点である。
つまり、今回の一件は、「加害者と被害者」が明確である。

(もちろん、今回発表された調査結果が間違いだったという可能性もあるが、報道を見る限りは「かなり科学的に」調査されているようで、米国を始め各国がその信頼性を認めている。このため、修辞学的な都合上、ここでは「仮に」調査団の結果を支持して、文章を書くこととする。)

「加害者と被害者」が明確な場合、加害者が被害者に謝ってその罪を償えば事は済むわけだが、「加害者が加害したことを認めない」場合、話がこじれてくるのは人間関係と全く同じである。

そして、例によって北朝鮮は「やってない」「韓国の自作自演だ」と言ってきた。
殺害された韓国人の家族としてみれば、「すっとぼけんな馬鹿野郎!」であろう。

その上、例によって「制裁するなら戦争で応じる」「現事態を戦争局面とみなす」等と強気路線の発言をしている。

これを個人の関係で喩えるなら・・・

自分の息子が誰かに殺された。
息子の胸に刺さっていたナイフから犯人の指紋が見つかり、
隣家に住む男の指紋と一致した。
証拠は十分。
しかし、その男はシャアシャアとこう言う。
「俺はやってねぇよ。知るかよそんなこと。あ?なんだその目は?殺すぞ!」
被害者の父親としては全く持って許しがたい状況である。

韓国人の家族意識は強い。
それは、日本人と比べ物にならない程だ。
それ故に、今回の46名の死は、韓国という「大きな家族」に、息子を殺されたような感覚を引き起こしているだろうと推測する(※あくまで個人的見解です)。

さて、現実の韓国を振り返ってみると、金大中大統領以降、盧武鉉大統領までは北朝鮮に融和を図る「太陽政策」を継続してきたが、度重なる物資の支援を行っているにも関わらず、北朝鮮側の挑発/要求/ミサイル発射(2006年7月)/核実験(2006年10月、2009年5月25日)は繰り返され、世論は「いい加減にしろ!北朝鮮!」という方向に変わってきた。
そこで、現政権の李 明博大統領は、「南北融和ありき」の太陽政策から一歩引いた姿勢をとっている。
恐らく、もう「駄々っ子行為」に付き合ってくれる程、甘くはないのだと思う。

さらに、国連の事務総長が韓国の潘基文(パンギムン)氏であることも、目を引く。
曰く、「調査結果は、否定し得ないもの」であり、「北朝鮮の容認しがたい行為は、地域の平和と安定を促す国際努力に反する」ものであり、「韓国国民の焦燥感と怒りが十分に理解できる。国連事務総長としても、一人の韓国国民としても、非常に心が痛む。私の気持ちがわかるでしょう」と訴え、「私の祖国だ」と結ぶ。国連の事務総長が自国に対してこれほど感情的な発言をするのは異例である。

もちろん、事務総長の「感情」がダイレクトに国連の選択に反映されるわけではないが、しかし全く影響を与えないわけでもあるまい。

今後も本件については注意が必要であろう。


・・・といったところで筆を置こうと思ったのだが、ほとばしる妄想を蛇足だが書いておこうと思う。以下の文章は歴史的考証や正しい情報に基づくものではなく、一個人のサラリーマンが勝手な憶測と偏見で書いている最低で最悪の独断的文章であるということを承知の上で、興味ある方のみお読みいただきたい。


そろそろアメリカは戦争したいんじゃないだろうか?

イラク戦争で米国民は一様に傷を負った。

イラクでの終わらぬ戦闘、増え続ける米軍の死者、
「もう派兵はやめてくれ!」
「戦争反対!」
「ブッシュは悪魔だ!」

そういった世論を受けて、オバマ大統領はイラクからの完全撤退を謳い大統領に就任。その後、この公約を撤回したものの、2010年8月末までにイラク駐留戦闘部隊を撤退させるという代替案を提案している。

しばらく前から、米国民の感情に敏感なハリウッド映画では、

「大国の発想は間違っていた。」

という反省ものの映画が続いていた。
そこでは、大国アメリカや力の象徴である米軍が惨めに破壊されるシーンが数多く描かれることになる。
しかし、最近はそのような風向きが若干変わってきている。


「イラク戦争は悪かった!」
  
「イラク戦争を引き起こした前政権は悪かった!」
  
前政権に操られて悪いことをしたけど、米軍ひとりひとりは心の通った同じ市民であり、命がけで戦う正義の集団なんだ!」
  
「悪かったのは前政権で、政権交代して区切りはついたので、今の米軍はきれいな米軍ですよ。みんなのヒーロー!頼れる米軍!」

こんな感じの主張を潜ませた「ハート・ロッカー」や「グリーン・ゾーン」が流行っているということは、米国民の自信(自軍)回復も大分進んできたのだろう。

さて、もうしばらくすると米軍のエンジンはいよいよ暖まってくることだろう。
経済の起爆剤として、戦争は必要だ。
いつだってそうしてきたじゃないか。
不景気を戦争で吹き飛ばそう!

戦争の裏に潜む、甘い甘い「特需」。
だってそうだろう?
1929年から始まった世界恐慌だって、結局第二次世界大戦による莫大な軍需景気で乗り越えてきたじゃないか。ルーズベルトのニューディール政策があったって?そんな政策より大戦特需の方がはるかに効果があったさ!1965年からのベトナム戦争だって特需を生んだじゃないか!
リーマンショック、ギリシャ発の信用収縮、それに伴う株価の低迷、莫大な時価総額の損失、貿易赤字に財政赤字。そんな暗いことは戦争で一気に吹っ飛ばしちゃえばいいじゃん。
ってなことを、アメリカンジョークを交えながら、ホワイトハウスで話されているじゃないかと妄想している。

「北朝鮮と韓国が戦争になったら、米軍に要請がくるわけだ。」
「そうだよね。それで特需♪特需♪」
「そうすると、東アジア一帯の平和の維持には、米軍と言う抑止力が必要であることが明白になるわけだ。」
「おっおー♪だったら、ついでに普天間問題も解決できるんじゃね?」
「い ー ね ー !」
「ちょっとあおっちゃおうぜ。まずはテロ支援国家に再指定しちゃおっか?」
「い ー ね ー !」
「ついでに金融制裁も最大レベルまで上げてやろう!」
「い ー ね ー !」

ってな具合で、北朝鮮への締め付け強化と国連安保理を介した国際的な包囲網の構築で、「北朝鮮の暴発」を誘導する方向に力をかけていくという選択肢も「国益のみ」を考えればありうると思う。

さて、仮に戦争になっちゃった場合を考えてみよう。
参考になるのは、1950年から始まった朝鮮戦争であろう。
1950年6月25日午前4時、突如北緯38度線にて北朝鮮軍の砲撃が開始。
このとき、宣戦布告は行われなかった。つまりは、奇襲である。

恐らく、もし今回戦争状態に突入するとしたら、北朝鮮側からの宣戦布告はないだろう。むしろ、「調査団の挑発的調査結果が宣戦布告であった」とか言って、先制攻撃を肯定するに違いない。

さて、北緯38度線からソウルまでは車でわずか1時間半〜2時間程の距離(去年行ったかんじだと)。長距離弾道ミサイルでなくても、北朝鮮領土内からソウル中心部は十分に破壊できる。
もし、僕が北朝鮮の王様だったら、ソウル陥落を第一優先とするだろう。理由は簡単だ。
1000万人のソウル市民を人質にする」ためだ。
この人質を使って、まず休戦を要求。
ここから米国、国連と交渉を開始する。
平壌の陥落が先か、ソウルの陥落が先か。
ギリギリのスピード勝負となるだろうが、奇襲が成功するとすれば、ソウル陥落の方が早いような気がする(全くの勘だが)。

さて、こんな状況に置かれた場合、米国含め国連軍は非常に厳しい判断を迫られるものと思う。まず、鳩山首相では判断できないだろう。しかし、米軍が本気で動くとしたら、北朝鮮の要求を飲まずして、一気に平壌を攻め落とし、北朝鮮軍の本部を壊滅させることを優先させると思う。

これは、過去の朝鮮戦争を振り返ると当然の流れだ。
北朝鮮の奇襲攻撃が功を奏し、1950年6月から9月の間に朝鮮半島の8割が北朝鮮によって制圧されることになる。しかしその後、マッカーサー率いる米軍、イギリス軍、韓国軍を中心とした国連軍が反攻を開始。9月28日にソウル奪還、10月20日には平壌まで制圧した。このような流れからすれば、戦争状態になった場合、不当な占拠に基づく要求は国連にも米軍にも通用しなくなるのは明白だろう。

さて、この後の展開も見てみよう。
国連軍が平壌まで制圧したことから、南北朝鮮の統一が図られるかに見えたが、ここで北朝鮮側に中国軍が参戦することになる。中国軍は、ソ連から支給された最新鋭の武器を使用し、10月24日頃から北朝鮮領内に侵入。その後、12月5日には平壌を奪回。翌1951年1月4日にはソウルを再度奪回するまでに至った。

つまり、中国の援軍と、ソ連の後ろ盾が入った結果、北朝鮮は盛り返したわけだ。

その後、国連軍が再度態勢を立て直し3月14日にソウルを再び奪回。この後、戦況は38度線を境にこう着状態となり、休戦協定を経て、現在に至る。

さて、今後戦争が起きたとして、果たして中国やロシアは北朝鮮に協力するのだろうか?
少なくとも中国は、北朝鮮に派兵することはしないと思う。というのも、本日開かれた「米中戦略・経済対話」で、クリントン米国務長官と胡錦濤国家主席が「韓国哨戒艦沈没事件の対応を巡っては、米中で緊密な協議を継続することで一致する」との見解を示しているからだ。

中国は、当面「冷静な対応を求める」といった制裁強化への慎重な姿勢を示し、暴発の回避を図るものと思う。しかし、ひとたび上記のような戦争状態に突入してしまった場合、「無視」を決め込むくらいしかしないのではないかと思う。
50年前のようなソ連対米国という冷戦構造は無くなっているし、経済で中国と米国の相互依存関係は分ちがたい程強く絡まりあっている。
つまり、政治的な理念では同化できなくても、戦争のような対立はお互いに避けたい(少なくとも現時点では)。

ロシアについては、まだラブロフ外相の「(本件については)全ての当事者に自制と慎重さが求められる」程度のコメントしか発表されていないため、どのように出てくるのか分からないが、中国と同様の動きになるのではないだろうか。

さて、日本はどうだろうか?
5月20日に首相官邸で行われた記者団とのやりとりを抜粋してみよう。

記者団)
−−韓国の哨戒艦沈没事件に関し、北朝鮮の攻撃が原因だと断定したことを受けて、韓国は国連安全保障理事会で制裁決議案を提起する方針だ。その場合は日本も協調する考えか。また、6カ国協議の見通しについてはどのように考えるか

鳩山首相)
「はい。きょうご案内の通り、韓国の政府が調査の結果を報告をしました。その結果に
よれば、北朝鮮の魚雷による沈没であるということでありました。大変これは遺憾なことで強く北朝鮮に対して非難をいたします。当然のことだと思います。そして韓国の政府に
対して、あるいは韓国の国民に対して、哀悼の意を改めて申し上げるとともに、私どもと
すれば、これは韓国の立場を支持をする。すなわち、もし韓国が安保理に決議を求めると
いうことであれば、ある意味で日本として、先頭を切って走るべきだと、そのように考えておりまして、強くその方向で努力をしたいと思います」


・・・ごく私的な感想を言わしてもらえば、「集団的自衛権すら憲法で認めていない国の首相がそこまで言うことはできないだろう」である。
対北朝鮮の先頭に立つ?
先頭に立って何をするのだ?
先頭に立って戦闘しないなんてありえないだろう?

せいぜい日本にできることは、米軍への物資支援と長距離ミサイルが間違っても飛んでこないことを祈るのみだ。

1950年の朝鮮戦争当時と決定的に違うことは、「北朝鮮のミサイルが物理的には日本にも届く」ということだ。

1950年の朝鮮戦争では、日本に特需が生まれた。
米軍が物資調達のために大量のドルを日本に落とし、これが戦後経済の立て直しとその後の高度経済成長期の足がかりとなったのは言うまでもない。
しかし、仮に「次」の朝鮮戦争があったとして、それは日本にとって「対岸の火事」なのだろうか?「特需」を生む起爆剤なのだろうか?そんな簡単な話なのだろうか?

例えば、僕が北朝鮮の王様だったら、こんな交渉の仕方をするだろう。

「我が国には強力な長距離弾道ミサイルがある。今、そのミサイルを東京を目標としてセットしたところだ。さて、何から交渉しようか?」

日本を超えて太平洋に落ちたテポドンの能力を考えると、とりあえず日本にミサイルを届けるくらいの力はありそうである。東京を狙って、栃木に当たったということくらいはありそうだが、とにもかくにも「日本の都市が人質にされる」という可能性も0ではない。

そうなった場合、日本の自衛隊は何ができるのか?
先制攻撃はあり得ないので、とりあえず東京に着弾するまで自衛隊は動けない(ことになっていたはずだ)。
とすると、米軍か?

確かに米軍であれば、「大量破壊兵器の疑いがある」という疑いレベルの理由でイラク戦争を起こすくらいなので、そのような「侵略行為に直結する恫喝は、侵略行為と見なし先制攻撃を仕掛けてもかまわない」という論理を組み立て、攻撃に向かうかもしれない。

そうであるなら、ありがたい。
しかし、間違っても攻撃の最中にテポドンが発射された・・・なんてことはないよう、確実に短時間で制圧してくれることを切に望む。

だが、アメリカの国益だけを考えた場合、むしろ四角四面に日本にミサイルが着弾してしまってから「侵略行為」と見なし、攻撃を加えた方が得かもしれない。

「すまんけど、攻撃する理由作りのために、東京は犠牲になってね☆」

的な判断をされてしまうと非常に困る。
とはいえ、日本の大都市が壊滅的打撃を受けて、日本円や日本株が暴落した場合、それがキッカケとなって恐慌が起きる可能性もあるので、そんな短絡的な判断はしないと思われるが。

何はともあれ、そういうことも含めて、政府には日本の姿勢を決めてもらいたい。

さて、そうこうしているうちに、「北朝鮮、韓国との関係断絶」というニュースが入ってきた。いよいよ緊張が高まりつつある・・・。

listening to  nothing

2010年5月13日木曜日

053. 言葉のクオリア、混成体(壊れたラジオのように)


壊れたラジオのように支離滅裂な文章になってしまうだろうが、今日思いついたアイデアを一通り書き残しておこうと思う。

1)言霊? (言葉のクオリアについて)
以下の言葉を5秒間見てほしい。


「おでん」


・・・いかがだっただろうか?
「おでん」である。
あの冬にコンビニで売っている、湯気のたった、大根やらチクワやらハンペンやらを和風のだし汁で煮込んだアレである。あの食べ物が頭に浮かんだだろうか?
もう一度やってみよう。


「おでん」


どうだろう?
さて次は、頭の中で「おでん」と繰り返し言ってみよう。
さんはーい!

(おでん)


(おでん)


(おでん)


(おでん)


(おでん)

いかがだろうか?
こいつ何言ってんだ?という気持ちがわきあがってくるのをとりあえず置いておいて。

心の中で「おでん」という単語を発すると、おでんのイメージが脳内に浮かび上がってこないだろうか?
「おでん」という単語をきっかけに、おでんのあのホカホカした平和的な姿が浮かび上がってきているなら、この実験は半ば成功したも同然だ。

さて、「おでん」のことを考えながら、今度は「戦争」をイメージしてほしい。


「戦争」


である。
・・・ものすごく、嫌ーな感じはしないだろうか?
というより、「おでん」と「戦争」を並列して考えること自体無理があるだろう?と思うだろう。
よし、わかった。


「おでん」から「戦争」へ。


頭を切り替えようじゃないか。

「おでん」

から、

「戦争」

へ。

一気に平和ムードが興ざめだ。
人がばたばたと死んで行く。
よく見知った街が燃えている。
近くで何かが爆発する。
気付くと、君の隣の人がいなくなっている。
君は無事か?
いやそうではない。
あそこに転がっているのは君の・・・



いかがだろう?
そんな世界が「戦争」だ。


さて、ここで「戦争」という言葉を脳内で繰り返し繰り返し言ってみてほしい。
もう嫌だ!なんて思わずに。
さぁ始めよう。


(戦争)


(戦争)


(戦争)


(戦争)


(戦争)



もしマジメにこの文章に付き合ってくれていたのなら、今頃あなたの脳内は、あたなの中にあった戦争に対するイメージで、一杯に満たされているだろう。


さて、ここで考えてみてほしい。
あなたの脳の「状態」は、戦争という殺伐とした「イメージ」で汚されてしまっているけれど、その「トリガー」って奴は何なのか?を。


「おでん」のときはあんなにリラックスできたのに・・・

「戦争」のときはなぜあんなに暗い緊張した気持ちになったのだろう・・・

そう、トリガーは「おでん」という「言葉」や、「戦争」という「言葉」である。

あなたの脳の状態が、「言葉」というありふれたものに支配されてしまった、おおげさに言えばそういうことになる。

なぜか?
それは、言葉が持つ「クオリア」のせいだ。
と僕は予想する。


クオリアというのは、Wikipedia先生によれば、

「簡単に言えば、クオリアとはいわゆる「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、世界に対するあらゆる意識的な体験そのものである。」

クオリアとは、以上のように外部の世界を見たり、聞いたり、触ったり、食べてみたり、嗅いでみたりしたときに、脳内に浮かび上がる「感覚質」そのものである。
つまり、五感の情報に付随した「脳内で沸き上がる感覚」がクオリアであると理解される。

さて、通常は、そのように理解されるけれど、実は「言葉」を読み取った際にも、その言語から沸き上がる「イメージ」を人間は感じられる。
そもそも、Wikipedia先生の引用のところで僕たちがやっていることは、まさにそれそのものである。

「空のあの青々とした感じ」

という「言葉」に対して、あなたは「あなたなりの青々とした空」を思い浮かべて、
「ああ、クオリアとはこういう【感じ】のことを言うのだな」
と合点したはずだ。
その間、あなたは一度も実物の「青い空」を見ていない。
それにも関わらず、あなたは「空のあの青々とした感じ」というクオリアを理解したのである。
つまり、慎重に考えれば(慎重に考えなくても)「言語」をきっかけとしても「クオリア」が発生することがわかる。


さて、先ほどの「おでん」と「戦争」の思考実験は、「言葉のクオリア」があなたの脳内の「状態」に与える影響を試す意味で行ったものである。

願わくば、「おでん」で平和的に、「戦争」で殺伐とした気持ちになってもらえたらいい。
というのも、それは即座に、「言葉によって脳内の状態をコントロールできるかもしれない」という可能性を示しているからだ。

古来、日本では「声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。」(Wikipedia先生)

こんなこと迷信や眉唾ものだ、と僕は思ってきたし、多くの人もそう思ってきたかもしれない。しかし、先ほどの「言葉のクオリア」の存在を考えると、あながち全くの迷信ではないのかもしれないという気がしてきた。

I’m not spiritual, but 「言葉のクオリア」という一種の「脳の機能」を意識的に活用したいだけだ。

というのも、不思議なことだが、


「ストラテジックに動こう」


と脳内で一人言を言っていると、本当にそんな風に考え始めるのである。
(注意したいのは、ストラテジックに考え始めてからそう言っているのではなく、ストラテジックに考えるのが「だるい・・・」ときに、あえて言ってみるのである。そうすると、脳内の状態が「ストラテジック」であろうとする。してくる(ここが言霊的であり、実体としては「ストラテジック」という言葉の「クオリア」が脳内に「戦略的な思考をする」というムードを発生させるのだ)。そのわずかな反発力のようなものがキッカケとなって、思考が「ストラテジックに。ストラテジックに。」と徐々に動き出す。「言語」ありきで、「思考」が開始するというのはなかなか面白いなぁと思った次第である)

他にも、


「無駄なものは捨てよう。」


と一人言を言うと、無駄なものがだんだん見えて来る。
気になってもいなかった不要品、不要な書類、無駄なこだわり、無駄な仕事等が見えて来る。



「シンプルに。シンプルに。」



そう言い出すと、短時間で本質だけを目指すようになって来る。




「無駄を削ぎ落とす。」




この「削ぎ落とす。」というストイックな響きが好きだ。
そう、



「ストイックに。」



これもキーワードになる。
そうだ、



「キーワード(Key word)」



という言葉はスゴい言葉だな、とつくづく感じる。

Key=鍵、となるWord=言葉」である。
つまり、あなたの前には、容易には開けられない「扉」があって、
そこであなたは右往左往している。
一体この扉はどうやったら開けられるのか?
そもそも開けられるようにできているのか?
鍵穴はどこだ?
鍵はどこだ?
そうやって見つけた、「鍵となる言葉」。


それがキーワードだ。



言葉が鍵になる。



まるで、言霊のような発想を前提としているようにも思える。


さて、言葉の効用が分かってきたところで、あとはどのような自分でありたいか?
今日をどう過ごしたいか?
である。
それらの願望に応じて、望ましい言葉を選べばよいだけである。


当面は、


「ストラテジックに動こう。」
「無駄なものは捨てよう。」
「シンプルに、シンプルに。」
「無駄を削ぎ落とす。」
「ストイックに。」


あたりが僕にとってのキーワードになりそうだ。積極的にクオリアを活用させてもらおう。



2)アイツの中の俺。(混成体)

僕は思う。


「アイツの写真にかける情熱は、俺以上に俺だからなぁ。」

「アイツの論理性は、俺以上に俺だからなぁ。」

「アイツのプレゼンは、俺以上に俺だからなぁ。」


どういうことかと言うと、

僕も写真に対する情熱を持っている。
しかし、僕の友人のアイツにはちょっと敵わない。
僕の「写真に対する真剣な自分」の側面を、さらに強くしたような存在が、僕の友人のアイツなんだよな。と僕は認識する。


僕も論理性を持っている(方だと思いたいだけかもしれないが)。
しかし、僕の友人のアイツにはちょっと敵わない。
僕の「論理的であろうとする自分」の側面を、さらに強くしたような存在が、僕の友人のアイツなんだよな。と僕は認識する。


僕はプレゼンが結構好きだ(客観的にうまいかどうかは置いておいてくれ)。
しかし、僕の友人のアイツのうまさにはちょっと敵わない。
僕の「うまいプレゼンをやろうとする自分」の側面を、さらに強くしたような存在が、僕の友人のアイツなんだよな。と僕は認識する。

と、いうように、僕は他人の中に、「僕のような部分」、それはおおげさに言えば、「僕の片鱗」を見つけることができる。

また、逆に、自分自身の「言動」や「行動」や「判断」や「思考」に対して、僕の友人や知人や先生や同僚や上司や先輩の「一部のようなもの」を感じとることもできる。

「あれ?こんな言い方、まるでアイツみたいだな」

とか、


「あれ?こんな行動、まるでアイツみたいだな」


とか、


「あれ?こんな判断の仕方、まるでアイツみたいだな」


とか、



「あれ?こんな思考、まるでアイツみたいだな」



とかである。
つまり、「混ざっている」なぁと。


僕は、恐らくある側面で見たら、友人Aのようであるし、別の側面で見たら友人Bのようにも見えるだろうし、また別の側面で見たら友人Cのようであるかもしれない。
色に喩えるなら、下から見たら青だけど、上から見たら緑で、右から見たらピンクだった、というような複雑な多面体をしているのかもしれない。

しかし、どの側面をとっても、それはやはり「僕」なのだ。

僕は幸いにも、多重人格を有していないので、多面体的な側面はあったにせよ、それは有機的に、しなやかに、ひとつの形を造っていて、それらの集合体—それは混ざり物の混成体かもしれない—が、僕という一個体の実体なのだろう。


そんなことを思った。


3)何かが分かると、またひとつ世界はクリアに見える。

そして、それは分かった気になっただけのことなのかもしれないが。
しかし、何かひとつを学ぶこと、気付くこと、思いつくことで、僕の世界はまたひとつクリアになる。その感覚は本物だ。

そして、僕はもっと、もっとクリアな世界を見てみたいと望んでいる。
貪欲にも。

listening to 「My Foolish Heart/Bill Evans」

2010年5月5日水曜日

052. 帰国(ギリシャのこと。37458のこと。)


昨日の午前中、無事ギリシャから帰国した。

今回は、久しぶりに「こりゃやべー!」と心底思える程、
本当に楽しい、幸せな旅行になった。

Special Thanks to
>大規模な火山活動を再開しなかったエイヤフィヤトラヨークトル付近の地球
>旅行期間中は一部のストライキだけにとどめてくれたギリシャ人の皆さん

しかし、今回の旅は本当に幸運に恵まれたものだったと思う。
というのも、

4/15:エイヤフィヤトラヨークトルの噴火により欧州の航空網が完全に停止。
   使用予定のルフトハンザ航空も完全に運休。
4/21:出発3日前にしてようやく運行再開。「やれやれだぜ。」
4/24:旅行開始。
   くしくもこの日の日経一面の見出しは
    「EUとIMF ギリシャに金融支援へ」
    であった。
    「いよいよストライキが強まりそうであるな」と思ったものだ(機内で)。
5/1:パリ時事によると、
   「ギリシャ メーデーデモ、暴徒化:財政再建策に反発」
   この記事を引用すると、
   
現地報道によると、首都アテネでは推定1万5000人が数カ所で抗議行動を展開。数十人の若者が財務省庁舎に近づこうとして警官隊ともみ合いになった。別の場所では公営テレビの車に火が放たれた
 北部のテッサロニキでは約5000人がデモに参加。若者グループが
鉄の棒などで銀行の現金自動預払機や商店の窓ガラスを破壊し、駆け付けた警官隊が催涙ガスを発射した

というわけで、かなり物騒な感じなのだが、このとき僕はアテネやテッサロニキから離れたロードス島にいて「聖ヨハネ騎士団の城壁」を興味深く観察している最中で、全くと言って影響がなかった(ただし、城壁の向こう側でストライキのデモ隊の声は聞こえていた。高い城壁は僕たちも守ってくれたようだ)。
実はこの日、夕方にはアテネに飛行機で向かっていたのだが、街は静けさを取り戻していて(ホテル探しには苦労したけれど)、報道が伝えるようなストライキの爪痕を感じることはなかった。
実に、幸運である。

さて、時系列に戻ろう。

5/3:旅行終了。ギリシャを出国し、日本へ。
5/4:無事帰国。
  「あーよかった!」
  と帰国の喜びとともに成田空港で記念撮影に興じていたのだが、
  この日のロイター通信によると、
  「ギリシャ公務員が48時間ストを開始」
  とのことで、記事を一部抜粋すると、

ギリシャでは4日、欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)による融資と引き換えに求められている歳出削減計画に抗議し、公務員が48時間の全国ストに入った。歳出削減に向けた政府の実行力があらためて問われている。スト突入により、官公庁、税務署、学校、病院などが閉鎖され、公共サービスが停止している デモへの参加者はいまのところ数万人にとどまっているが、5日にはゼネストが予定されている


「ゼネスト」
これは僕が最も恐れていた事態だ。
ゼネスト=ゼネラル・ストライキに入ってしまうと、全ての交通機関がストップするので旅行は完全に不可能になってしまう。
しかも、5日のゼネストは「官民の主要労組が行う」ことになっているので、当然、民営の航空会社もストップしてしまう。つまり、「帰ってこれない!」わけだ。

「あぶね。」

と思っていたら、今日(まさに5/5)の午前中のニュースで、

「財政危機のギリシャ、公務員がゼネスト」
 ギリシャでは5日、公務員の労働組合がゼネストに入り、空港の機能がストップ、未明から空の便が全てキャンセルされた。今後、鉄道や船の便なども運航が中止される。
(出典:http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4420294.html


というわけで、恐れていた事態がまさにそっくりそのまま現出してしまっている。
よくもまぁ、避けられたものだ。
帰国した翌日にゼネスト、って。
ミッションインポッシブルかよ。
とツッコミたくなるくらい「ぎりぎり感」がある。
実に、幸運である。


Special Thanks to 
>神さま


というわけで、「火山活動とゼネストの間隙を縫って行ってきたギリシャ」について、これから写真の整理と旅行記の作成に取りかかろうと思う。

本格的に開始する前に、ハイライトをちょっとだけ書いておこう。

1)メテオラ(奇岩群と天空の修道院)
一言で言えば、マチュピチュに匹敵するレベル。
マチュピチュが「天空都市」と形容されるなら、こちらは「天空の砦」。
ひとつひとつの修道院が、切り立った奇岩群の頂上に作られている。
その石造りの建物は、「砦」と形容するに相応しい重厚さを備えている。
メテオラのいいところは、奇岩群の上を渡り歩きながら(びっくりするくらい「天空 感」がある)、中世の趣のある6つの修道院を徒歩で巡れるところにある。

「一体自分は、どこにいるんだろう?」

時代も、場所も、強烈に現実離れしている。
また、4月は花々が咲き乱れる時期でもあり、歩いていて実に幸せな場所だった。
勝手な話だが、

「みんなも来ればいいのになぁ。」

としきりに思っていた。
それだけの価値がある場所だと思う。


2)サントリーニ島(白亜の街並とエーゲ海)
これぞ、ギリシャ。
これぞ、エーゲ海。
と思わず頷いてしまう美しい島。
「宝石のような」という形容を使ってもいい。
白亜で統一された街並とエーゲ海の深みのある青が、シャッターを押す回数を飛躍的に増加させてくれた。
その結果、撮影データは80GBにも達してしまい、我が家のiMacが悲鳴を上げることが確定的になってしまった。
どうでもいい話だが、先日から、増え続ける写真のデータをどうにかしようと、1.5TB(テラバイト)のHDDを2機揃えてマニュアルでミラーリングしながらバックアップを取っている。
当初、

1.5TBなんてなかなか一杯にならないだろう。」

とたかをくくっていたのだが、1回の旅行で80GBも撮ってしまうと、以外と底が見えてきてしまうものだ。案外早く新しいデータ移転先を探すことになるかもしれない。

増え続ける「情報」を、どのように取り扱っていくか。

これは何も写真の整理だけにとどまる話ではない。
例えば、「今、人類が理解している【世界】ってやつは、一体どんな姿をしているの?どんな風に解釈すれば、正しく【世界】ってやつを理解したことになるの?」という根源的な欲求を本気で満たそうと思うと、一個体の人間が処理しきれない程膨大な論文や本、ネット上の情報、データを閲覧しなければならないだろう。しかし、そもそも、その量は「一個体の人間が処理できない」量なのだ。
さて、これとどう向き合うか。
無視して通り過ぎればいいのかもしれない。
しかし、それでは根源的な「世界を知りたい。世界を記述してみたい。」という欲求は満たされない。
この「不可能性」と「世界への渇望」が表裏一体となって僕たち現代人(の特に科学者)を悩ませている。

それにしても僕たちは、
まるで「世界に関して説明責任を負っている」ように思える程、
【世界】を解釈しようと日々努めている。

また話は逸れるが、僕はRADWIMPSというバンドが好きなのだが、その理由は単純で「世界を記述しよう」という欲求がもろに表出しているからだ。

自己中心的な香りがする歌詞もたまにあるけれど、例えば「おしゃかしゃま」(お釈迦様のもじりと思われる)や「バグッバイ」(ってタイトルだけ書くとすごくお馬鹿な感じなのだが、歌詞が取り扱っている内容はとてつもなく深い)等は、「世界の解釈の仕方」に光るセンスを感じて、本当に「いいなぁ」と思っている。

ここで、センスが光る歌詞を一部抜粋して紹介したい、ところなのだが、「歌詞の引用」はJASRACが著作権法上の「引用の要件」をかなり厳しく捉えているようなので(特に引用の成立要件の4番「必然性」の箇所をかなり厳し目に見積もっている。引用側がいくら主張したって、「必然性」なんて曖昧なもん被引用側が認めなければ成立するわけないやんかーと判断して)、やめておこうと思う。

気になる人がいたら、是非上の二曲を聞いてみてほしい。そして、最後に「37458」(「みなしごはっち」と読む。)を聞いてみると、「不可能性」と「世界への渇望」のねじれが一個体の知性を苦しめる様子がよく分かる(ただし、不可能性の質が上述のものと多少異なるが。)と同時に、「なんか頭いい人って大変なのねー」と「厭世的な賢人」の憂鬱が擬似的に体験できる。

それにしても、以上のような思索は、一般的な社会人が見たら、「どーでもいいよそんなこと」的なことであろう。しかし、そんなことを、こんな風に考える頭(の余裕?)が生まれることそのものが、きっと「日常」から強烈に自分を奪い去ることができる「旅」の効能なんだろう。



・・・ああ、とてつもなく脱線しちゃった(笑)


さて、そんなわけでサントリーニ島はおすすめである。(無理矢理)

3)ロードス島(聖ヨハネ騎士団の城壁)
この場所は、

塩野七生著 「ロードス島攻防記」

を読んだことがある人であれば、直球ど真ん中でメロメロになってしまうこと請け合いである。(メロメロって(笑))

勢いを増すオスマントルコ帝国と、
キリスト教世界の最前線に孤立する聖ヨハネ騎士団。
20万のトルコ軍に対峙したのは、わずか600人の騎士と3千人余りの傭兵と民間兵。
単純に数の原理で考えれば、
戦闘力200,000 対 戦闘力3,600
一見すると、フリーザ 対 チャオズ 並の戦い(「ボ、ボクの超能力が効かないっ!!」ってナッパに対して言ってましたね・・・)なのだが、4ヶ月の闘争の末、
トルコ軍の死者は4万4千人に上ったという。
実に、自軍の10倍以上の数である。

このような凄まじい戦果は、「騎士団の勇猛な戦い振り」によるところも多いけれど、見逃せない大きな要因として、「防衛戦に特化した当時最高の技術で築かれた城壁」が挙げられる。

実際に、城壁を前にして立ってみる。

心地よい春の風。

照りつける南欧の日差し。

それを受けて咲き乱れる草花。

犬の散歩をする人々。

全ての視覚情報、聴覚情報、皮膚感覚が、

「ここは平和だ。」

と教えている。

ここがかつての戦場であったとは全く信じられない。

城壁を見上げる。

想像よりも遥かに高い。

「よく、こんなものを造ったな。」

という思いと、

「よく、こんな城を攻め落としたな。」

という思いの双方を、どちらに偏ることなく、平等に感じることができた。

真上からこの城塞都市を眺めると、城壁は多角形(少なくとも6角形)をしていることがわかる。その張り出した角の部分が「砦」となっており、左右に伸びる2辺の城壁を横から守る仕組みなっている。(この当たりは図解しないと分かりにくいかもしれない)

「ここから、矢を放ったのか。」

斜めに開けられた「攻撃用の窓」をしげしげと見ながら、僕は、

「ああ、この窓は人を殺すために造られたんだな。」

とも思った。
もちろん、こうも言える。

「そうじゃない。街を守るために造られたんだ。」

僕は、聖ヨハネ騎士団に敬意を表すとともに、無心に生を全うしようとする草花と、城壁の向こう側から聞こえるストライキの声に、「無常感」を感ぜずにはいられなかった。

「夏草や兵どもが夢の跡」

きっと芭蕉さんがこの場所に来ても、同じ句を詠んだことだろう。

さて、今日はここらへんにしておこうかな。

しかし、考えてみると、旅行記としては、

2009年
3月韓国
8月インドネシア
12月タイ

2010年
5月ギリシャ

と、4つも溜まってしまっている・・・!
一体いつになったら現実に追いつくのだろう?

冷蔵庫を開けると、パルメザンチーズとリバーサルフィルムのVelviaが仲良くならんで棚に収まっている。

「ああ、我が家だなぁ。」

とホッとしつつ、僕はPhotoshop Lightroomを起動する。

listening to 「37458/RADWIMPS」