2012年12月31日月曜日

152. 年末に思うこと2

【2013年のこと】

2013年にひとつのキーワードを設定するとしたら、「意志の力」だ。


生活を律し、やるべきことに集中する意志の力を高く持っていきたい。


ここ数年思ってきた「成長」や「継続」といった言葉は、今の状況には合いそうもない。
もちろん、「結果」として成長があるのであれば、それは喜ばしいことなのだが、僕にはやるべきこと、やりたいことが分かっていて、その〆切も見えているので、毎日が「本番」なのである。この本番をどうやって戦うか。その点を真剣に考えると、「意志を強く持ってやる」という至極シンプルな信条に収斂していく。


明確な成果が求められる特に30代以降は、実戦経験に特化し、戦いの中でスキルを伸ばしていくのが良いように思う。逃げずに、覚悟して、やるのだ。


その場合、意志の力は、何よりも優先される。


ツルゲーネフも言うように、「自由よりも重要なのは意志」なのである。



【人間の本能について】
子供が生まれてから1ヶ月と10日経った。
目が見えてきたようで、起きている間は目をくりくりさせ、色々な方向を見ている。

最近は、「泣き出せば大人がやってくる」ということも学習済みのようで、例えば目が覚めたとき、近くに人がいないと、とりあえず泣き出す。

母乳であったり、おむつ交換であったり、そういった具体的な要求がない場合も多く、初めは「一体何をしてほしいんだろう?」と考えたものだが、抱っこしてあげると途端に泣き止むのだった。

つまり、「抱っこしてほしい」、「近くにいてほしい」ということなのかもしれない。

確かに幼い頃の淡い記憶として、「スーパーで親が視界から消えたとき」途端に不安になった感覚がある。そのような感性を既にこの子は持っているのだろう。

考えてみると、自分が子供であり、親とともに生活をしていたときは、「さびしい」という思いをほとんど感じなかったように思う。
しかし、10代後半を迎え、特に寮で生活をしたり、一人暮らしを始めると、「なぜか」彼女がほしくなり、独り身でいることが嫌になってしまった。真っただ中にいるときは、その理由を「そういう年頃だから」とか「周りが付き合っているから」等と思っていたが、根本的には、「さびしいから」なのだなと今は思う。

親から生まれ、育まれ、常に誰かが一緒にいる状態から、
1人での生活に切り替えたら、
寂しくなるのも不思議ではない。

人は、根本的に寂しがりなのだ。
もちろんその度合いは人それぞれだけれど、根本的に寂しがりなので、幼少期は親がその隙間を満たし、青年期からはパートナーがそれを満たす。だから、パートナーが見つからないと不安定だし、何か虚ろでもの寂しいのだろう。

この子は、まだ言葉を解さない。
他の子供も知らない。
他人との比較、という概念もない。
純粋に、内発的な欲求に従って日々を送っている。

つまり、僕はこの子を通して、「純粋な人の本能」を見ることになる。
そして、自分が気付かずに通り過ぎてきた、もしくは置き忘れてきた、自分自身の本能にもう一度出会うことになる。

親になって一人前だ、なんて言われることがある。
いやいやそんなことはないでしょ。経済的に自立していれば、もう一人前でしょ。と信じてきた。それは今でも同じだが、しかし、一方で、親になってようやく「人の基本部分」を理解できるようになるのだなという気もしてきた。

できるだけ、この子を見て、かまっていたいと思う。



【家族を持つこと】
結婚して、子供が生まれると、自由な時間やお金が減るし、ましてや一人旅なんか行けなくなる。一個人としてのプライベートに強烈な制限がかかる。だから、結婚や家族を作ることには懐疑的だ。

正直に言って、僕は20代までこう思ってきた。
実際に結婚して、子供が生まれてみてどうか?

確かに、自由な時間もお金も減るし、ましてや一人旅なんか行けやしない。
しかし、もともと「一人旅」をなぜしたかったのかと考えれば、「自分の日常にはない新しい何かを発見したい」という欲求があったのだと思う。

そして、この「新しい何かを発見したい」という欲求は、「子供」によっても多いに満たされることに最近気付き始めた。

家の中に、「新たな発見」がある毎日。
日常には「新しいことなんか一つもない」と信じて疑わなかった日々から、「日常の中に新たな発見が散りばめられている」と信じる日々へ。

なるほどなぁ。

こういうことをもっと早く知っていれば、また、若い世代にも共有できれば、少子高齢化も少しは緩和されるように思う(もちろん経済的な要因も解決しなければならないが、現実的に考えて、経済的な要因を解決することは非常に難しい。また、そもそも制度でできることと、精神的な変革を起こすことは根本的に異なるし、実は両面での改革が必要なんだと思う。制度でできること(意図的にインフレを起こす、税制を変える、子育て支援制度を充実させる、保育園を増やす)だけをやっていても駄目で(経済的に豊かになった→「じゃあ子供を作ろう」となるだろうか?経済的に豊かになった→「じゃあ何か買おう」となるのが普通だし、その世代内で経済的な余剰分が遣われてしまえば、少子には何の効果もない(国内経済的な効果はあるが)。「保育園が少ないから子供を作らない」というのも聞いたことがない。もちろん保育園は十分に作るべきなのだが、「結婚をする」「子供を作る」という「決断」には)精神的な部分でも変わっていかなければならないと思う。大家族が維持されていた高度経済成長期以前であれば、家族を作ることになんらの躊躇もなく、それが当たり前のものとして精神的に育まれてきた。しかし、核家族が大半を占める世界になると、世代間の連携が弱くなり、家族を作ることに対して意識が弱まってくる。ましてや親は高度経済成長を遂げるために仕事仕事で、家庭が家庭として機能を果たすのが難しいという状況まで揃ってしまった。さらに、ネットの普及から、個人が情報に直にアクセスする機会が増え、マスメディアがマスとして機能しにくくなり、「個の時代」が到来している。つまり、国全体をコントロールすることが非常に難しい社会だ。これは社会としては成熟段階にあるので、「自由意志に基づく人間観」としては究極の状態かもしれないし、実際、一個人としては快適なのだが、一方で、世代内に閉じた利己性を存分に発揮してしまうと、その世代で経済(具体的にはお金)を消費し尽くしてしまい、次の世代が生まれなくなってしまう。この現象を見るに、僕は毎回宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を思い出す。漁師から獲物を買いたたく町中の荒物屋の主人を指して、宮沢賢治は「こんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく」と書いた。その通りで、「ずるい人間」は少しずつ世界から排除されていく。有限のエネルギー(食料、金、資源)を世代間で分け合う必要がある世界が規定された時点で、そう決まってしまうのだ。そして、当然、世界のエネルギーは有限だ。「個の時代」は文化の成熟という意味では賞賛されるべき時代かもしれないが、一方で、「ずるい人間(利己的な人間)」が多くなる傾向にあるように思う。僕もその一人なので、自己批判になるわけだが・・・。いずれにせよ、「個人の幸せ」の追求と、「国や社会(つまり集団)としての幸せ」の実現が相関しなくなってきており、そのズレが無視できないレベルまで来てしまっている。時代背景にせよ、経済的な背景にせよ、そういった言い訳はたくさんある。しかし、現実問題としては、個人個人の人生における「決断」がより合わさって社会や国の有り様を形作っているので、その「決断」に関与する精神的な下支えがなくてはならないだろうと思う。精神的な下支えというのは、「そうしたい」と本人が思える「価値観の下地」ということである。平たく言えば、「家族っていいもんだよ。」と心から信じられるということだ。僕は残念ながら、かなり長い間、「家族って厄介なもんだよな。」と思ってきたので、今となってようやくそう思えるようになった。大きな変わり様で、また、大変な幸運である。)


みなさん、良いお年を。

2012年12月30日日曜日

151. 年末に思うこと

メモ的な内容になるが、思いついたことを羅列していく。


  • どれだけの時間とお金をかけたのか:これは、その人にとってその対象がどういう位置づけにあったのかを簡単に推し量れる指標かもしれない(人生を「会社経営」に喩えた場合、どの分野にどれだけの資金と時間を投下したかに相当する)。例えば、カメラ、旅、英語学習といったものに僕は時間とお金をつぎ込んできたと思うけれど、それがどれくらいのものだったのかを考える場合、時間とお金は定量的に把握できる有用な(簡単な)指標と思う。ただし、その対象に取り組む精神、集中力は全て均一であるという強烈な仮定が必要だが。(英語学習など、教材への投資と努力とが必ずしも相関しないことが多い。)
  • 周期的に、2013年はAPS-Cサイズのデジタル一眼レフが多く出るのだろう。Canonからは7D mark2、NikonからはD300の後継機が出るかどうかが焦点だ。この二社は2012年までにフルサイズのラインナップを一新したので、恐らく次はAPS-C機の上位モデルを主軸に展開するものと思われる。後は、地味にレンズの刷新だろう。特にCanonは高画素機を計画中のはずなので、それに耐えうる性能を有するレンズを取り揃えるためにレンズの刷新を急ぐはずだ。個人的には、高画素機のセンサーをこれまでのプロセスルールで製造するのか、ファブリケーション設備を新しくして製造するのかが気になるところだ。後者の場合、後2年くらいはかかってしまいそうな予感。逆に早く登場するのであれば前者の可能性が高くなり、この場合、とてもがっかりする性能(ダイナミックレンジ的に)に落ち着くだろう。そして、SONYとのセンサー性能差が完璧に露呈することになる。DxO mark scoreは高画素機で得点が高くなりやすい傾向にあるが、それでも負けてしまうとなると、もはや誤摩化しがきかなくなってしまう。この辺り、Canonの開発部のシニアはどう捉えているのだろうか?ミラーレス市場での台頭を目指し、他方でプロユースも睨んだセンサー性能の底上げを要求される。異なるベクトルに多大な労力をかけねばならず、舵取りがかなり難しいはずだ。Canonは数年前(ミラーレス登場前の2007年くらい)から比べると、格段に苦しい状況に追い込まれている。Canonと同様にプロユースの多いNikonはと言うと、Nikonはセンサーを外注(SONY)に出しているため、センサーの設計には自社のコストをかけるが、製造設備の投資までは頭に入れる必要はない。その分、悩みは少なく、SONYが良いセンサーを作ることも相まって、プロユースでの勝負ではCanonを制していると思う。ただ、Nikonもミラーレス市場ではイマイチな位置取りで、ミラーレスという括りで考えると決して成功はしていない。(しかし、モノは考えようで、コンデジの市場とミラーレスの市場をくっつけて考えると(ニコンのミラーレス機Nikon1の1インチセンサーはコンデジ寄りの製品とも言えるので)、ある意味ビジネスとしては成功なのかもしれない※1。これはペンタックスのQシリーズも同様である。Qシリーズはコンデジと同じサイズのセンサーを使っており、出てくる絵もコンデジレベルと評判だが、「ミラーレス一眼」ではなく、「レンズが交換できる高級コンデジ」を売っているというつもりであれば、値崩れの激しいコンデジ市場から回避できているわけで、ビジネスとしては成功なのだ。)
  • SONYの動きが気になるところだ。ボディーのロードマップに大きな変更があり、恐らく、NEXのフルサイズ版がファーストプライオリティーで開発中である。NEXのEマウントにはフルサイズのセンサーが物理的には入るため(ビデオカメラとして既に販売はされている)、開発自体は容易と思われるが、問題はレンズとのマッチングだろう。Eマウント用のレンズはAPS-Cサイズのセンサーに特化してイメージサークルを決めており、当然フランジバックもそれに応じた最適化が行われている。しかし、恐らくだが、フルサイズのセンサーを積んだ場合、Eマウントよりも長めのフランジバックが要求されることになると思われる。個人的にはレンズの後端を前よりに設計して、レンズの鏡筒自体にフランジバックが内包されるようにすれば問題は解決しそうな気がするのだが、技術的にはそう簡単ではないのかもしれない。後は、フルサイズに求められるAF性能を、コントラストAFもしくは像面位相差AFでどれだけ達成できるか。既にRX1でポテンシャルは見えているのだが、レンズ交換式=様々な焦点距離に対応したAF(望遠は被写界深度が浅いのでよりシビアなAF精度が要求される)が必要で、この辺りに技術的な障壁がありそうな気がする(完全に素人推測だが)。ただ、SONYとしては「活路はここだ」と思っているはずなので、AFとレンズ設計について解決の目処が立った時点で一気に発売まで持ってくるはずだ。ここ最近のSONYの戦略は「先行逃げ切り型」なので、スタートの合図さえ鳴り響けば、市場構造が変わるのも時間の問題だ。後は、地道にEVFの性能向上をお願いしたい。NEX7あたりからかなり良くなったと思っているが、それでもまだまだ違和感を感じる(低輝度では特に)。この違和感がとれたとき、僕はフルサイズNEXを買うだろう(そして、CanonとSONYの2マウント体制になる)。
  • ペンタックスは2年前からフルサイズを開発中と言ってきたが、なかなか出せなかった。今年は、「マーケティング次第で、出す。」ということなので、発売時期として今年かは分からないものの、ある程度期待できそうだ。やるのであれば、高級路線の小型デジタル一眼レフだろう。K-7で既に使ってしまったが、キャッチコピーは「Pentax LXの遺伝子」だろう。小型のフルサイズには、Canonから6Dが、NikonからD600が出てしまい、「フルサイズで小型」というところには新規性がなくなってしまった(言わんこっちゃない、という思いで一杯である。せっかくの商機を逃してしまった。その上、EF40mm F2.8のパンケーキレンズも出されてしまい、「パンケーキが得意なペンタックス」という評価も事実上無くなってしまった)。しかし、6Dにせよ、D600にせよ、ある程度「フルサイズエントリー層」を意識した廉価版としての制限(作り込みの品質の制限)がある。ここを度外視して、高級感溢れる、カメラとしての魅力を発するようなエクステリアを纏えば、一定の支持は得られるはずだ。ペンタックスはデザインセンスもいい(K-5など)。そして、その発想はフィルム時代であればLXに相当する。3本のリミテッドレンズを刷新して、AF性能を付加した上で同時発売すれば、恐らく僕は買う(そしてCanonとSONYとペンタックスの3マウント体制になる)。
  • 富士フィルムは、Xシリーズのさらなる廉価版を出すと思われる。この機種には恐らくEFVもOVFも付かない。背面液晶のみの搭載となると思う。カラーバリエーションを揃え、女性層も取込む、「裾野を広げる」戦略を取るものと予想する。この場合、問題となるのは、黒いレンズだろう。カラーバリエーションをボディ側で作るのは容易でも、レンズの鏡筒が黒いままだとバランスが悪くなってしまう。そこで提案としては、シルバーバージョンのレンズも作るということだ。カメラの軍艦部(上部)はシルバーに統一し、張り革の色でカラーバリエーションを作る。レンズはシルバーとすれば、統一感が出てくる。ここまでやったら拍手を送りたい。そして個人的には、そのときになって、X-E1のシルバーを買うだろう(そして、CanonとSONYとペンタックスと富士フィルムの4マウント体制が出来上がる)。
  • RICOHが最近ずっと大人しい。どうした!?ペンタックスとの調和がうまく行っていないのか?とずっと心配だったのだが、今年はようやく動き出すようだ。個人的にはGX-Rの前に販売されていたGX-200の正統な後継機が出てくれると嬉しい。RICOHはカメラというモノをよく理解している希有な企業なので、是非頑張ってもらいたい。
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※1:BCNランキングによる2012年のミラーレス一眼カメラ販売台数シェアで考えると、一位はNikon 1 J1で11.2%、2位 OLYMPUS PEN Lite E-PL3 8.6%、3位 SONY NEX-5N 7.7%、4位パナソニッック LUMIX DMC-GF3 7.4%とのこと。台数シェア(売上げではない)では、安くなった2011年モデルが2012年に売れて、上位に来ている。台数で考えた場合、Nikonのミラーレスは好調なわけだ。ペンタックスQも7位でシェア6.0%となっている。「型落ち」や「値引き」も含めて、一般的なユーザーは購入を決断することになる。基本的に僕の考えは、early adopter(カメラの新製品を早く手にしたい層、カメラマニア層)ベースなので、この実売台数のシェアと僕個人の感覚には乖離がある(正直言って、J1が一位とは我が目を疑った。そして、数秒後に、自分の目が完全に一般消費者からかけ離れてしまっていることに気がついたというわけだ)。例えば、2012年のミラーレスと言えば、OLYMPUSのOM-Dがまず頭に浮かぶが、販売台数的には12位でシェア2.8%に過ぎない(それでも2012年のエポックメイキングなカメラとしてその名を刻むことは間違いない)。一方、あれだけAFの低性能ぶりで紛糾したEOS Mは15位 2.1%であり、歴史的な銘機となるOM-Dとわずかに0.7%しか違わない。これが「early adopter」と「late majorityを含めた市場全体」の乖離なのだろう(CM効果含め)。また、かなり意欲的な性能と特徴を持つ、富士フィルムのX-Pro1やX-E1は20位以内にも入っておらず、台数ベースで考えるとかなり低いと言わざるをえない。元々他社より価格設定が高めになっているのでメーカーとしても数が出ないことは織り込み済みだろうが、こういった高級機を含めて正当な評価を下すには、台数ベースではなく売上げベースで考えるべきなのかもしれない。なお投資家目線で言えば、売上げベースでもなく、営業利益ベースで考えたくなるのだが、そこまで行くともうカメラの世界から出てしまうので、とりあえず置いておこう(しかし、サムスンとの比較等、業界として企業同士を比較する場合、この考え方の方が重要だ。長期的な優劣は営業利益でつく。とはいえ、ここまで行くと証券アナリストやジャーナリストの世界に入ってしまうので、あまり深入りしないでおこうと自制する)。


  • 新しいiMacを購入することにした。27インチ、2.9GHz Intel Core i5で、1TBのFusion Driveとし、メモリをソフマップで積みまして、8Gから24GBに変更した(アップルで32GBまで積み増そうとすると5万2800円かかるが、ソフマップだと16GBの追加(24GBへ変更)で9000円くらいしかかからない。ちなみに同じことをヨドバシでやると4万5千円くらいかかる。ソフマップすごいな)。これでここ数年はやっていけると思う。品切れ状態が続いており、入手は1月末になりそうだが、楽しみだ。ちなみにこのiMac購入の遠因にはEOS 6Dの購入がある。EOS 6DのRAWファイルは、Lightroom 3では読み込めない(現像できないのではなく、ファイルそのものを読み込めない)。で、Lightroom 4を導入したいわけだが、Lightroom 4はMacのOSが10.6以上(Snow leopard以上)でなければならず、10.5のうちのiMacでは対応できない。Snow leopardを購入してOSを新しくすることもできるが、もうこの際だから買ってしまおうと決断したわけだ。うちのiMacはEarly 2008モデルで2008年末から使っているので、4年間も頑張ってきたわけだ。お疲れ様である。

2012年12月29日土曜日

150. 開眼

年末だ。
昨日、なんとか今年中に終わらせなければならない仕事を終わらせて、本日から年末の休みに入った。

子供が生まれてから、できるだけ夜早く帰れるように、朝は6時に起きて、6時45分に出発、8時少し前から仕事を開始する、という生活をしている。

生まれる前は、フレックス制をいいことに10時前に出社するというスローな生活だったので、2時間ほど生活のリズムを早めたことになる。

当初の目論見としては、19時くらいには帰り、沐浴や洗濯を手伝うことを予定していたのだが、ちょうど大規模なプロジェクトの開始時期にぶつかってしまい、結局夜22〜23時くらいに帰るのが精一杯という状況が続いている(結局朝の2時間分残業時間が追加されただけ、という状態)。

残業時間が70時間近くになるとさすがに疲れてくるのだが、とは言え、早起き効果なのか、存外集中力が続いた1ヶ月だった。

「今日、午前中の2時間でこのドキュメントを仕上げる。」
「その後、明日のプレゼン資料を30分で仕上げる。」
「3時間半外勤に出て、帰ってからシステムのレビューをする。」

といった具合に、1日にいくつもの締め切りがやって来ては、障害物競争のように各種のハードルを飛び越えていく。詳細を書けず伝わらないと思うが、統計、データマネジメント、トランスレーショナルリサーチ、臨床試験、海外規制、日本とアジアの医師とのやりとり、といった具合に、各分野の専門家達と顔を付き合わせ、協議し、決断し、アイデアをまとめあげて行く。
頭を短期間に切り替えて複数のタイムラインを並行して進めていく。

この業務の振幅の大きさが、初めはかなり不安だったのだが(普通なら2〜3人で分担するはずでパンクするんじゃないかと思っていた)やってみると、この振幅の大きさが自分を適度に緊張させ、「目が開いている」という状態が持続しているようだ。
中途半端な集中力では許されないという、状況が目をこじ開けさせているのかもしれない。暗闇で目をこらすのと同じだ。

ただ、金曜日くらいになると流石にへとへとで、体力を振り絞って仕事を終わらせ、終わらない場合は土曜日の午前中出社し、終わらせるということを繰り返している。

そんな流れでの年末年始なので、この「目が開いた状態」を持続させて、休みとしても高密度な状態を維持したい。

少なくとも朝は7時代には起きたい。今年は年末年始が長いので、朝 型の維持を意識していきたい。やりたいことは、それこそ山積している。

2012年12月16日日曜日

149. 体感としての遺伝子



11月20日に子供が生まれて、
僕たちの生活は、この子の時間をベースに動き始めた。

分かったことがいくつかある。
まず、僕たちは突然親になるのではない。
この子を抱いて、おむつを換えて、沐浴をして、ミルクをあげて、
せっせ、せっせと、行動を積み重ねていくうちに、
徐々に親の自覚が湧いてくるということだ。

そして、初めにこの子を見た時よりも、
今の方がもっと大事に感じている。
何かを愛おしいと思う気持ちは、
ある日突然湧いてくるのではなく、
重ねられる行動の内に芽吹いてくるのだ。

泣いている。
どうした?どうした?
と抱き上げて、
ゆっさゆっさと揺らしていると、
だんだん落ち着いてくる。
口を尖らせて、舌を出し、
ミルクが欲しいとねだってくる。
哺乳瓶を差し出すと、すごい勢いで飲みまくる。
ゲップして吐き出して、
それをガーゼで拭く。

そんなことを日に何度も繰り返している。
どうした?どうした?
と何度も語りかける。

その度に、僕は目を開かれるような、首の後ろから熱くなるような、不思議な充実感を感じる。

なるほど。
これが親の気持ちなのか。

もう一つ分かったことがある。
この子は、僕を父親にしてしまったと同時に、
僕の父をおじいちゃんに、
僕の母をおばあちゃんにしてしまった。
漏れなく、押し出し式に世代が一段上に上がってしまった。

父は70歳で、母は58歳。
「もうそんな世代だよ」と明るく言った。
そうか、もうそんな年なのか。

僕は、多分中学生くらいから、精神年齢は変わっていないと思うけど、
僕も30歳。
そんな年なのだ。

腕の中で、あやしながら、
顔をよく見る。

なんとなく、自分の幼い頃の写真に似ているような気がする。
目を細めたときは、父に似ているような気がする。
目をぱっと見開いたときは、嫁さんに似ているような気がする。
何か思案気にしている表情は祖父を思わせる。

遺伝。

この子は、僕たち家族の遺伝子が混ざり合い、
今この場に存在している。

ありありと、それが分かる。
体感する遺伝子。その権化に会ったように思う。


人と人とが出会うことは、そう珍しいことではない。
日常的に、僕たちは出会いを経験している。

しかし、僕や彼女が存在して、初めて存在する者と出会うことは、
めったにない。

もしかすると、僕たちが世界に対して行える、最も大きなことは、この出会いなのかもしれない。

148. 5→6

先日、Canon EOS 6Dを購入した。
これまでEOS 5D mark IIをメイン機種として愛用してきたが、今後は6Dへと引き継がれることになる。

EOS 5D mark II
2008年の発売から4年近くハイアマ向けフルサイズ機として活躍してきた銘機。
僕は2010年から使っている。


EOS 6D
2012年11月30日、廉価版フルサイズ機として、フルサイズ入門者向けに作られた新たなライン。


なぜ今、6Dか。

  • 子供が生まれ、室内での撮影が増えた(新生児は1ヶ月間外に出られない)。
  • 最近、マクロ撮影を始めるようになった(EF 100mm f/2.8 L)。
  • このため、暗所での撮影に強い機種が欲しくなった。


ということが挙げられる。

所有している5D mark IIは暗所での性能以外はほぼ満足しており、ISO 1250までなら作品づくりにも使えると思っている。しかし、ISO 3200から画質の劣化が激しく、そして、室内×マクロの場合、ISO3200は常用感度となる。

結果として、高感度性能重視で、新機種を導入することとした。



さて、Canonの製品ラインナップを整理すると、5Dは6Dの上位ラインにあり、最新機種としては、5D mark IIIがある。
なお、全体としては、1D X > 5D III  > 6D (ここまでフルサイズ) > 7D > 60D > Kiss というラインナップになる。

さて、価格面では、ざっくり言うと5D mark IIIは最安価格で、26万円。6Dは16万円と、10万円の価格差がある(2012年12月16日現在)。

対して、高感度特性(高感度撮影時のノイズの少なさ)は、ざっくり言えば、両者で同等。レビュー結果によっては、6D > 5D mark IIIという下克上な報告もある。これは単純に画素ピッチが6Dの方が広いためだろう。

5D mark IIIと6Dの最も大きな違いは、AF性能。
6Dは、低輝度AF性能が優れているが(-3EVまで可能。5D IIIは-2EV)、測距点の数、クロスセンサーの数で、いずれも5D mark IIIが圧勝しており(というのも、5D IIIはさらに上位のフラッグシップ機1D XからAF機構を引き継いでいる)、AFを重視する人には間違いなく5D mark IIIとなる。

しかし、である。
僕の場合、基本的に中央一点のみのAF利用で、コサイン誤差は許容するというスタンスだ。(コサイン誤差というのは、中央1点で焦点を固定した後、構図を変えた場合、構図を変える際に生じるカメラの回転(角度θ)によってcos θ分だけ、ピントがズレるというもの。気にする人は気にするし、厳密なピントを求めるなら正しいスタンスだと思う。)

僕にとっては、むしろ、「より近いものにピントが合ってしまう多点AF」の方が、こちらの意図を解されず使いにくいと思っている。(例えば、木陰の向こう側にいる猫にピントを合わせたくても、より近い葉っぱにピントが合ってしまうなど。例え測距点が増えても、視線入力でもない限りこの問題は解決しない。)

また、5D IIIにない機能として、6DにはGPS機能(ジオタグ)とiPhoneを使用して撮影する(背面液晶をWi-Fiで共有し、ライブビュー撮影を行える)機能も追加となった。また、重量もかなり軽くなり、大体EOS 50Dと同じくらいだ。これはペンタプリズムのある一眼レフとしては驚異的な軽さだ。やればできるじゃないかCanon。

もちろん、6Dには視野率が97%であったり(5DはIIでも100%だし、ペンタックスでは普及機であっても100%だ)、最高シャッタースピードが1/4000であったり(5D IIでも1/8000)と見劣りする部分もある。しかし、色々と頭の中で機能の拮抗を計算した結果、それでも6Dの存在価値はあるものと判断した。

その中には、以下のような局面を意識した理由もあった。
少し長くなってしまうが、メモしておく。

現在のCanonの撮像センサーは、プロセスルールが古く、全体的にSONY製センサーに劣ってしまっている。

Canonは自社製センサーにこだわり、その姿勢はよいと思うのだが、プロセスルールを新しくしようとすると、半導体製造設備を刷新することになるので、巨額の設備投資が必要になる。このため、その経営判断には時間がかかるし、はっきり言ってここ数年は、あまり積極的に投資はしていないものと思われる。(マイナーチェンジを繰り返しつつ、メジャーチェンジは控えているという状況)

一方、SONYは自社のカメラ以外にも、ニコン、OLYMPUS、ペンタックスにセンサーを外販しており、それそのものがビジネスになっている。この結果(と思われるが)、プロセスルールの刷新が早く、結果として、SONYセンサーを搭載したモデルはダイナミックレンジに優れ、大ヒットしている(好例:Nikon D800, D800E, OLYMPUS OM-D,ペンタックスK-5, 5II, 5IIs これらは、2012年を代表するカメラとなるだろう)。

撮像素子の性能を比較しているDxO mark scoreを見ると、それがよく分かる。


出展:デジカメinfo
http://digicame-info.com/2012/12/dxomarkeos-6d.html


出展:デジカメinfo
http://digicame-info.com/2012/09/dxomarkd600.html


残念ながら、Canonの機種はフラッグシップの1D Xを含め総合スコアで82止まりである。
一方、Nikonは96というあり得ないスコアまで出ており、近年発表した機種は全て90以上のスコアをマークしている。

DxO Mark scoreは、画素数が大きい程結果がよくなる傾向があり、この数値をそのまま信用するのは危険だとも言われている(特に熱心なCanonファンから)ので、鵜呑みにしない方がいいかもしれないが、それでも全く無視することもないだろう。

いずれにせよ、一般的に言われているのは、「Canonはここ数年センサー性能が伸び悩んでいる」ということだ。
5D Mark IIがスコア79で、最新のMark IIIが82では悲しくなってしまう。

しかし、その分、画像処理エンジンのDIGICの開発には力を入れており、撮像素子では負けているけれど、その出力(JPEG)では何とかライバルにくらいついている。

整理すると、

撮像素子・・・光の情報(輝度、色)をデジタル変換
RAW画像・・・DxOではここを計測。結果、Nikon > Canon
画像処理・・・ここがGICICによる処理
JPEG画像・・・優れた画像処理により、高感度(ISO6400〜)ではややCanon > Nikon

というかんじなのだ。

素子が負けているのに、JPEGでは追いつくというのはある意味すごい。
しかし、やっぱり素子は負けているのである。

恐らく、Canonは次のフルサイズラインナップ(大体3年〜4年周期)で、プロセスルール自体を変更して、素子からのレベルアップを図ってくるはずだ。高感度だけではなく、低感度でのダイナミックレンジも改善してくるだろう。また、高感度一辺倒な戦略を見直し、D800に対抗する高画素機も投入するだろう。

その時、SONYセンサー搭載のNikonとどう戦えるかが、天下分け目の合戦となるだろう。(そのときには、もしかすると、SONYがさらに飛躍しており、三国志のような三つ巴の戦いが巻き起こっているかもしれない。もしくは、場外乱闘扱いだったミラーレス市場がさらに支配的になり、戦場自体が移っている可能性がある。その場合、圧倒的にSONY>Canon、Nikonとなるだろう。SONYには合戦場自体を変えてしまう可能性があるので、頑張ってもらいたい。)

上記のような大局観に立った場合、現在のラインナップは、そのときまでの「つなぎ」としてしか考えられなくなる。

これは、Canonのビジネスモデルと経営判断から生まれた必然的な状況で、一カメラファンとしてはどうしようもないものだ。
結果として、僕の判断は、「今は廉価版で様子を見て、3年後につなごう」というものになった。

と、色々書いてきたが、「今買う」という条件の中で、「Nikonに行く」という選択肢を捨てるとすると(これはレンズ資産がそこそこある僕としてはなかなか取りにくい選択肢だ。何より、レンズの赤いラインが好きだ。Nikonが金色のラインをやめたら行く気も起きるのだが、金色のラインはどうしても好きになれない。ここは非論理。感性の問題だ。そして、結局カメラも写真も感性がモノを言う)、あと残るのは、5D mark IIIと6Dの価格差と性能差のバランスということになる。そして、前述の通り、5D IIIは機能面での完成度が高いが、10万円の差を肯定するまでではない、という判断となった。

さて、6Dは12月12日に159800円で、銀座のチャンプカメラにて購入した。
直後の12月13日には165000円に値上がりしたので、底値で買えてよかったなと思う。
スマートフォンがあると、値動きを逐一チェックできて、買い時が分かりやすい。
(多分、冬のボーナス需要を当て込んで大量仕入れした店が12日時点で在庫を売り切ったのだろう。結果、5000円程の上昇となった。)



現在所有している5D IIは139800円で販売されているので、6Dは販売から僅か半月で2万円差まで値が下がったことになる。フルサイズに価格破壊が起こっていることをひしひしと実感してしまう。
同じく廉価版であるNikonのD600は大体16万2000円くらいなので、それよりも機能的に劣っている6Dは安くなければいけないと思っていたが、ちょうどよく15万台まで下がったので、購入を決めた次第だ。

ちなみに、ヨドバシカメラでは198000円なので、4万円ほどの差がある。
ポイント還元を考えても、2万円程の差だ。
同じ東京で買うのに、ここまで差が出てしまうとは、カメラの購入とは難しいものである。ヨドバシはカメラの周辺機器やフィルムなどでよく使っているのだが、価格差が出やすい大きな買い物となるとなかなか使いにくい。ヨドバシとしても業態の異なる卸売り業者のような激安販売店と競争を強いられるのは辛いだろう。

しかし、ネットの普及やスマホの普及はこういった業態の異なるもの同士がライバルとなる世界を実現させてしまった。この世界の中で、最適な者が生き残る。在ったはずの壁がなくなり、世界はより競争的になったと思う。Canonにせよ、ヨドバシにせよ、頑張ってもらいたい。

147. 4→5

先日、長らく愛用してきたiPhone 4をiPhone 5に変えてきた。
5の前に登場した4Sへの乗り換えは見送ったので、2年数ヶ月使用してきたことになる。
ほぼ毎日、デジカメinfoとデジカメウォッチを見せてくれた。
お疲れ様でした。




5は4から少し縦長となり、軽くなった。
この軽さはちょっと驚くくらいだ。iPadもじきに軽さを売りにしたモデルがでるのだろう。
(サイズの小さなminiが出たが、性能も下げてしまった。価格帯を優先したのだろうが、次は性能も多少上げてほしい。)

また、昨日から(ソフトバンクでは)5でテザリングができるようになった。データ通信量に制限はあるものの、これで家にあるWi-Fi版 iPadを外で使えるようになったわけだ。

さて、5になっていいことばかりかと言うと、ソフトバンクのLTEはまだ発展途上だし、デフォルトの地図アプリが間違っていたり(座標情報とテキストが間違うとは、、UAT(User acceptance test)やってないんじゃないか?と疑いたくなる。どうした?>アップル)、電池の持ちが悪かったりと、実際は色々とある。けれど、使って半月だが、既に手放せない存在になっている。
多分、また2年くらいの長い付き合いになるんだろうな。

カバーは付けない主義だったのだが、5では塗装が剥がれやすかったので、カバーをつけることにした。

韓国製なのだが、なかなか手触りがよい。
天然の木を使っているらしいけど、一体どうしたらこんなに薄く貼付けることができるんだろう?

カバーをつけて、より愛着が湧くこともあるのだな。