2013年8月15日木曜日

162. 一息ついてからまたラストスパート

去年11月から続いていた仕事の波は、4月頃に一旦収まり、さらに6月7月に第二波が来た。
また、所属する写真サークルでは10月に向けて写真展を予定しており、その広報活動も6月、7月、8月初旬にピークを迎えて、平日も土日もなんだか忙しなかった。

その第二波もようやく収まって、晴れて夏休みを気兼ねなく取れる状態になれたのは昨日くらい。

「休むことは、働くことと同じくらい大事。」

とは、どこかの掲示板で見た書き込みだが、確かにそうだなと思っている。

休もう。

とはいえ、ただダラダラとしていたい訳でもなく、直接的な行動は起こさないまでも、「何かしら面白いことをしてやろう」という考えを密かに練っていたいと思う。

仕事にせよ、
写真展にせよ、
旅にせよ、

「何か面白いことをしてやろう」という気構えが大事で、
構想を練っている期間がある方が、いい結果を生む。

というのは、
1)構想により計画がより洗練されるため
2)構想が長いと執着心が生まれ、結果として、最後の一踏ん張りが利くため
だと思っている。

「何か面白いこと」は大抵、面倒くさい。
面倒だから他の人があまりやりたがらず、その結果、それをやることに稀少性が生まれる。
例えば、写真作家の作品も、アイデアそのものは他の人も考えそうなことであったりするのだが、凡人が2、3枚で満足してやめてしまうところを、200、300枚くらい撮る(分かりやすい例が浮遊少女の人)。そこがプロの作家とアマの作家の歴然とした差につながる。という風な解釈をしている。

この構造は、仕事においてもそうで、パッと思いつくのはある程度経験があったり、センスがあればできてしまう。しかし、それを実践して証明していくのは労力を要する。いつも「最後の一踏ん張り」が要求されてくる。

大体、面白いアイデアなんてものは、通常の業務範囲には入っておらず、結果として、業務が追加される形になる。通常業務はこなしつつ、新しい実験をするのだから、そりゃ疲れるし、しんどいわけだ。

しかし、執着心が芽生えていると、その計画は「自分の仕事」になっているので、やり切る。これは「構想の長さに基づく、計画の素晴らしさ」というよりも、もはやメンタル面での作用だろう。


執着心というのは、変に使うとよろしくないが(他人との対立の原因は執着心にあることが多い。執着心のベクトルが一致していれば問題ないが、大概はズレていて、双方が執着心を満たそうとするので対立が生まれる。そうなった場合は、よい執着心ではないので、さっさと捨てた方がいい)、しかし、物事をやり切るという面から考えると「執着心」はいいものだと思う。


何か面白いことをしてやろう。
こんなことはどうだろうか。
あんなことはどうだろうか。
こうしたらどうだろうか。
よし、こうしてみよう。
もう少しできないだろうか。
あと1%でも良くできないだろうか。

構想がよく、
計画がよく、
実行が徹底していれば、
それなりのものに行き着けると思う。

毎日1%でも成長できたとしよう。
憶えている英語の単語数でもなんでもいい。
1日目を100%として、毎日1%ずつ足していくと(複利計算)、365日後には3740%というとんでもない数字になっている。

まー、毎日「現在の自分のうち1%分を積み立てる」というのは、不可能に近いことなのかもしれないが、それでも、この数字は勇気を与えてくれる。

たった1%でも、良くしよう。


休むことを書いていたのに、結局は努力することを書いてしまった。
とりあえず、休みながらこれからの構想を練りたいと思う。まずは写真展、次に仕事だ。