2011年12月21日水曜日

107. 薮原十区(7年越しの来訪)

明後日、結婚式を挙げる。
そのための準備として、今日、麻布十番にある「綱町三井倶楽部」に行って来た。
一通り、送ったドレスを広げると、昼食だ。

ここ1年程、外食と言えば、「食べログ」を見てしまう。
この口コミサイトは、下手なガイドブックより、よっぽど信頼ができる。
「麻布十番」でランキングを表示すると、「薮原十区」という店が3.9点という高得点を獲得していることに気付く。

「・・・?」

僕は、何かにひっかかった。
「薮原十区」という店名、どこかで聞いたことがあるような。

記憶を丹念に辿ると、学生時代、東京大学の駒場キャンパスに通っているときのことを思い出した。確か当時、「食」というものに徐々に目覚め始めていて、「駒場東大駅」周辺の「美味い店」というのを、今はなき「東京グルメ」というサイトで検索していたのだった。

「東京グルメ」というサイトは、後に、ライブドアにより買収され、今はライブドアグルメというサイトに変更されたが、結局、「食べログ」の人気に押されてしまい、今となっては存在感が薄くなってしまった。


それは、さておき、「薮原十区」である。
駒場にあった「薮原十区」は当時でも、非常に高い評価を得ている魚料理を出す店だった。ただ、ディナーで1万5千円は学生には高すぎた。
そのため、行ってみたいけれど行けない、という状態のまま、やがて、研究室が大阪大学に移転し、自分も大坂に引っ越し、その後、東京に就職して、、という流れの中で、その存在を忘れてしまっていた。

その淡い思い出の「薮原十区」と麻布十番の「薮原十区」とはどんな関係なのか。
たまたま、名前が同じなのか。
それとも、系列店なのか。

ネットで調べてみると、すぐに分かった。
正解は、
「同じ店」ということだった。

つまり、駒場にあった「薮原十区」が麻布十番に移転した、ということなのだ。

なんという偶然。
駒場東大にいたときは、僕側に、この店に行けるだけの準備が整っていなかった。
しかし、今は違う。
昼は安いというのもあるが、今であれば、当時よりもこの店に行きやすくなっている。
それは、「準備が整った」ということなのだろう。

僕個人からすると、しかるべき準備が整ったら、そこに店が現れたような、不思議な感覚を抱いた。

そんなわけで、薮原十区に7年越しでようやく訪れることができたのである。
大体、麻布十番という場所は、結婚式や仕事など、何らかの「訪れる理由」がない限り、行かない場所だろう。だからこそ、その場所が、自分にとって「行く必要がある場所になった」ことと、「その場所に薮原十区が現れた」ことが、偶然にしても奇遇に思えてならなかった。


また、この店が看板もなく、カーテンも閉まっていて、一見さんお断りな風情を漂わせていることも、この不思議な感覚を抱かせる一因となっている。

店内に入っても、メニューがない。
口頭で、今日のメニューを伝えられるだけだ。
広いキッチンには主人が1人で、腕を振るっている。

席と席が離れた、すこしガランとした店内。
シンプルな内装。
オーダーをすると、「時間がかかるけど、いいですか?」と聞かれる。
全てが、「味第一優先」であることを示している。

果たして、僕の頼んだ「鰆の醤油焼き」はふっくらとした焼き上がりで、水分が多い、旨味を閉じ込めた仕上がりだった。
奥さんが頼んだ「カジキ」は、濃厚な脂が載っていて、まるで肉のような焼き魚だった。
どちらも美味。

薮原十区に限らないが、
自分に準備ができると、自然と、それが現れてくる。
今回の再会を通して、人生とはそういうものなのだな、と思った。

2011年12月7日水曜日

106. 70億分の一の世界(2011年10月31日〜2012年3月12日)


サイト名「7 billionth part of the world」の意味は、「70億分の1の世界」です。
このサイトを作り始めた2008年6月16日23時55分、世界人口は66億8209万0721人でした。一人一人にそれぞれの「世界」があるとすると、僕がここに残す全てのことは1/66億8209万0721の世界にすぎないんだなぁ、と思い、そのまま名前に拝借しました。
(正確に書くと「6.68 billionth」となるのですが、あまりに長くなるので・・・「7 billionth」としました^^;)
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このブログの本体である、「7billionth.com」を作成した2008年時点では、世界人口はおよそ66億8千万人。それからわずか3年半で、世界人口は70億人を突破したようだ。

ようだ、というのは統計の取り方によって、70億人に到達するタイミングが2011年10月31日から2012年3月12日まで幅があるためだ。まぁ、一介のサラリーマンには、正確な統計が必要なわけではなく、「大体70億人を越えたらしい」という情報でも、大きな問題はない。
正確な時期がどうであれ、当初の、「6.68 billionthだと長くなるので7billionthとしました」というのは、わずか3年半〜4年で現実のものとなった、ということだ。そして、すぐに「過去のもの」になるのだろう。
おびただしい人の命が生まれ、ざわめき、ついえていく。
その繰り返しのなかに、僕はいる。それが、ときどき、不思議に思えてしまう。
70億分の一の世界を抱いて、明日も生きられることを感謝しよう。

2011年11月27日日曜日

105. 最高の一日

最高の一日の出来事は、最高の一日のうちに書くべきだろう。

今日、宮崎駿監督に会った。
両親が住む町の喫茶店で、結婚式の打合せをしていたのだが、
フラッと監督が入って来たのだ。

実は7〜8年前に、僕はこの町で宮崎駿監督を見かけたことがある。
そのときは、「なんでここに?っていうか、本物?」と
存在自体を疑ったのだが、その容姿は100%宮崎駿監督で、そっくりさんにしては出来過ぎているなぁと思ったものだった。
(すれ違ったのは、畑のすぐ傍の一本道で、決して有名人とすれ違うようなオシャレな(?)環境ではない。そのことも相まって、この記憶は少し現実離れした、夢のような記憶になっていた)

それが、今日は喫茶店で、2m程先の席で、ノートを開き、万年筆でモレスキンのノートに何かの構想を書き綴っているのである。
すれ違う、のとは訳が違う。
すぐそこに、宮崎監督はいるのである。

ここで、僕は一瞬躊躇した。
「今話しかけたら、仕事の邪魔をすることになるんだろうな。
嫌な顔されちゃうかもな。
そしたら、こっちも若干嫌な感じになってしまって、
これから宮崎駿作品をニュートラルな気持ちで観れなくなってしまうのかな。」
そんな一抹の不安がよぎったのだが、
もう、こんなチャンスは二度と訪れない。
意を決して話しかけた。

「宮崎駿さんですよね?」

僕の声は緊張で小さく、監督は

「え?」

と聞き返した。
そこで、もう一度聞く。

「宮崎駿さんですよね?」

「そうですよ。」と。

「いつも観てきました!握手をしていただいてもいいですか!?」

もう直球である。
「いつも観てきました」というのも日本語的に訳が分からないのだが、(例えば、毎週やっているテレビ番組の司会者に対してなら成り立つが、映画監督に「いつも」というのは正確には不正確だ)それでも勢いで言ってしまった。

すると、監督はちょっと笑いながら、スッと手を差し伸べてくれた。
がっしりと、握手した。
無骨な、温かい手だった。
この手から、ナウシカの絵が生み出され、
この手から、トトロやキキやシータやパズーやポルコロッソが生み出されたと思うと、
感激だった。

宮崎監督は隣にいた僕の奥さんをみて、
「奥さんですか?」
と聞いてくる。

すかさず、嫁さんも

「小さい頃から大好きで、ずっと観てました!」
と、握手をしてもらう。

いい人だ。
仕事をお邪魔してしまって恐縮だったし、
正直、話しかけるのは勇気がいったけど、
しっかり話をしてもらえた。
それが感激過ぎて、その後、結婚式の打合せは上の空。
ずっと「宮崎監督と握手できてよかったなぁ〜」と何度も何度も振り返ってしまった。

それにしても、ノートにはびっしりと構想が描かれていた。
それは絵ではなく、文字だった。

宮崎監督は今も現役で創作活動をしているということだ。
午後の喫茶店で、ノート一冊と万年筆一本で構想を練る。
そんな「創作者」の姿を目に焼き付けて、その場を去った。

監督、ありがとうございました。


さて、その4時間後に、嫁さんのお父さんと会食をした。
お義父さんは、とあるカメラメーカーのカメラ部門のトップで、
毎回、色々なことを教えてくれる。

僕は、実はあまり知られていないのだけれど、カメラ好きだ。
デジカメウォッチ(新製品の発表等、正式情報がいち早く載るサイト)とデジカメinfo(アングラな新製品情報、新製品の噂がいち早く載るサイト)を観ることが、日課になっている。
(お義父さんはたまにデジカメウォッチに出てくるので、その度に「うおっ」となる。)
そんなわけで、お義父さんとは、新製品に関してかなりフレッシュな状況で議論ができて、とても、とても、極めて愉しい。

特に今回は、お義父さんが前回話していた新機種を一通り触って、自分の中で意見がまとまっていたので、話が弾んだ。
デジカメウォッチで見た、あのインタビューのことや、デジカメinfoで見た、あの新製品のことも、かなり本気で議論できた。

今回印象的だったのは、とある機種の問題点を問われて、
答えた問題点が、プロのカメラマンから寄せられた問題点の1位と2位にまんま合致していたことだ。
プロカメラマンと同じ意見だったというのが素直に嬉しかった。

また、これから始まる新シリーズの設計思想に関しても、周辺情報から予想していたロジックを正直に話してみた。

この製品の市場での立ち位置から考えて、◯◯には制約がある。
その制約を考えると、××はありえない。
とすると、△△は、□□にならざるをえない。
しかし、一方で、デジカメウォッチのインタビューでは、このように答えている。
そのギャップを埋めるのは・・・

この内容はここでは明かせないが(まぁ実際はここで明かしても世の中的には全然問題ないかもしれないけど)それがそっくりそのまま、開発チームの思考過程と一致していたというのは、僕にとっては非常に嬉しいことだった。
やっぱりそうか、と。

これからの新製品は、ある分野でかなりの風雲児になりそうだ。
2012年も、カメラから目が離せない。

2011年11月26日土曜日

104. 3.11のその後(Blind)

3.11は日本人にとって「カイロス」である。
と、書いたのは今年の4月5日。
(カイロスとは、その前後で世界観が変わってしまうような「節目」という意味。古代ギリシャ人の時間観念は、「連綿と続く時間」=「クロノス」と「連綿と続く時間を分断する節目」=「カイロス」から成り立っていた。分かりやすい例は、9.11はアメリカ人にとって「カイロス」である。)

東日本大震災。
その後の福島原子力発電所の破綻と、まき散らされた恐怖。

恐怖、というものを直接的に脳内に届けられた経験は、
そう多くない。(幸いにも)

それも、多くの人が、比較的長い期間、そのような感情に曝露された、ということが非常に重要だ。

その結果、日本という国の、いろいろな部分が変容していくだろう、というのはズブの素人の占い師であっても、寝起きの馬鹿であっても、容易に想像がつく。

特に、幻想と共同意識の産物である、映画、小説、漫画では、半年程度のラグを経て、変容を見せるのだろうな、というのが僕の密かな読みだった。

それは、寝起きの馬鹿であっても、ズブの素人の占い師であっても簡単に予想できる程度の低次元な話なわけだけど、それがそっくりそのまま現実になってみると、

「ああ、やっぱりか。」

と妙に愉快になってくるもんだ。
人は、まずショックを受け、立ち尽くし、咀嚼し、人に言いふらす。
その期間は、ショックの大きさに応じて変化するわけだが、今回の大震災では大体半年くらいのラグがそれに見合っていたということだろう。
今、漫画にせよ映画にせよ、「3.11その後」というものが、ある程度冷静に、またある程度、皮肉って表現されだしている。

そんなわけで、今日紹介したいのは、短篇映画「Blind」である。

ガスマスクすら、デコってしまう感性が、「ああ、日本人」って思えてくる。
それが、リアルだし、同時に、デコって日常のものにしてしまう逞しさと、アホっぽさが、「ああ、日本人」って思えてくる。

世界一、我慢強く、
世界一、お人好しな、
世界一、他人行儀で、
世界一、日本的な日本人

っていう印象。
実は、今回の地震で、日本人は世界でも類い稀なる特質を持っていることを世界に示したのではないか、と思っている。
パニックを案外起こさない。
デモもすぐにはやらない。
静か。
逃げ出さない。

それは我慢強さ、という度を超している、と外国人のみなさんには映っただろうし、日本人としては、他にやりようがなかったという感覚もある。
いずれにせよ、日本人は静かにその日を迎え、耐えて、耐えて、徐々に復興が始まっている。これは、外国人のみなさんには不思議な現象かもしれないが、事実、そういう民族なんだ日本人って。

この過程そのものが、日本人のアイデンティティを示しているのだろう。
良かれ悪かれ、事実が証明している。
我々は我々である。

原発が危なくなっても、生命の危険が近づいて来ても、やっぱり日本人は日本人。
いい、とか、悪い、とかではなく、どうしようもない現実として厳然としてある。
そして、その特質は希有なものだと言っても、僕はいいと思う。

2011年10月23日日曜日

103. みらいのカメラ(画素→光線へ)

以前、ペンギンカメラの店主と世間話をしているときに、

「最近、すごいカメラがアメリカの方で出て来た。」

という噂を聴いた。
何やらとにかく画期的で、これまでの写真の概念をひっくり返すくらいアレらしい。
確か、今年の2〜3月くらいの話だったと思う。

そのときは、気にも留めていなかったのだが、先日、例によってデジカメWatchを見ていると、気になる記事を発見した。

【Lytro、撮影後にフォーカス自在の「ライトフィールドカメラ」を2012年に米国発売】



記事によると、
「通常の撮像素子に特殊なマイクロレンズを配したという「Lytro Light Field Sensor」により、色と輝度に加え光線の方向も記録。再生時にフォーカスを自由に変更したり、表示を2Dと3Dでシームレスに切り替えられるとしている。」
らしい。

焦点が合ってる所が、撮影後に変えられる?
どういうことだ?
と思った方、ぜひ以下のLytroの公式サイトに行っていただきたい。


確かに変えられてしまうのである。
しかも、思ったより全然自然で、こう近くの物を見た後で、遠くの物を見る感覚を味わうことができる。画像上で。

一眼レフ、もしくはミラーレスカメラを持っている人は、絞りを開けて、被写体のバックをボカした写真を良く撮るが、思ったところにピントが来ていないと「ああ!」となってしまい、ガッカリしたり、やるせなかったりする。
ところが、このカメラのシステムでは、「ピントは後から自由に変えられます。」というわけだ。

恐らく、ペンギンカメラの店主が「概念が変わる」と言ったのはこのことなのだ。
なるほど、撮影で最も気を遣うもののひとつ「ピント」が、
このシステムでは撮影時には気にも留めなくていい存在に成り下がるわけだ。
それが写真をやる人にとってどういう意味を持つのか、いいのか、悪いのか、は今の段階ではよく分からないが、とはいえ、概念が変わってくるのは間違いない。

しかも、出来上がった画は、意外にも現行の3D写真のように、チラチラと見にくい画ではなく、普通の写真(デジカメ写真)と遜色がない。
本当に、ピント面をずらせるデジカメ写真です、というかんじだ。
これなら、マーケットも反応すると思う。

さて、そんな奥行き方向の情報すら記録するこのカメラでは、「解像度」を表す単位も従来とは異なっている。
「画素」ではなく、「光線」。
うーん未来だ。「光線」。

1100万光線、とのこと。

画素数(ピクセル数)に対応させるとどのくらいになるのかな?
(恐らく結構少ないとは思うけれど)

それにしても、重量は214gで全然普通のコンデジと変わらない。
形状が筒状で独特なのだが、シンプルな外観はアップルに通じるものがあり、好感が持てる。
とりあえず、米国のみの販売のようだが、2013年には日本にも入ってきているだろう。

今から楽しみである。

2011年10月19日水曜日

102. 204800(動き出した)

兼ねてより噂のあったキヤノンファンにとってのX Day 2011年10月18日。
新型iPhone並の期待感で待っていたのだが、果たしてその期待は裏切られなかった。

プロ向けハイエンドフルサイズ機「EOS -1D X」が発表された。

兼ねてより噂のあったとおり、EOS-1D系(小振りなAPS-Hサイズのセンサーで10コマ/秒の高速連射に重点を置いたプロ向け機)とEOS-1Ds系(35mmフルサイズのセンサーで5コマ/秒の普通の連射速度のプロ向け機)を統合したスペックで、

・センサーは35mmフルサイズ
・連射速度は、12コマ/秒

を達成している。
というところまでは、「うん、知ってた。」と思う所だが、ISO感度がすさまじいことになっている。


拡張感度=ISO 204800 (!)


初め目にした時、誤植かと思った。
20万って・・・。
ドラゴンボールかよ、と思わずつっこまずにはいられない。
セル編のドラゴンボールかよ、と。

もちろん拡張感度は、かなりゲインを上げた無理した感度なので、実際には通常感度であるISO 100-51200までで使用することになると思うが、それでも51200である。

経験的に、通常感度の最大値の半分までは許容できるので、ISO25600までは恐らく実用感度となるだろう。(希望的観測)

これなら、夕暮れ時に羽田に降り立つジャンボジェット機を被写体ブレなく撮影するのも夢じゃなくなるわけだ。(やらないけど)


画素数は、1800万画素。
むやみな高画素化は避けて、むしろ1画素当たりの面積を大きくすることで、高感度特性を上げる方向にシフトしたわけだ。
正しい、選択だと思う。
(ちなみに、1Ds系は2110万画素だったので、画素数は減っているわけだ。一方1D系は元々1610万画素なので、こちらをベースにすると画素数は上がったわけで、本当に両系統の間の子的なスペックである。)

僕は5D MkIIユーザーなので、1D系や1Ds系の操作感等は正直分からない。従って、今回の1DXが「正常進化している」と実感を伴って断言はできないのだが、少なくとも、「キヤノンが動き出した。」ということだけははっきりとわかった。

2010年は寂しい年だったので、2011-12年では多いに盛り上げてほしい。
硬派なフルサイズ機で。

さて、5D MkIIIはどんなスペックになるだろう?
とりあえず、感度の進化は間違いなさそうだ。

2011年10月11日火曜日

101. 成長の2条件(全能感と無力感)

仕事や勉強で成果が出たり、高く評価されたりすると、僕は至って安易に「全能感」を感じてしまう。

何でもできる!天才か!
そんな勘違い。

一方、何かひとつでも躓いたり、思い通りにならないことが続くと、僕は至って安易に「無力感」を感じてしまう。

何にもできやしない。失敗作か。
そんな勘違い。

この振れ幅が大きければ大きい程、「成長体質」なんだと思う。
もちろん大きすぎると人格という器自体を壊してしまうので、結果としては良くないのだが、人格が保たれる範囲内であれば、両者の振れ幅が大きい程、その間にエネルギーが蓄積する。
そんな風に思う。

全能感を味わっているときは、それが続くまで突っ走ればいい。
どこまでも、どこまでも、息が続く限りどんどん突き進んで連戦連勝すればいい。
ハイになって、乗りに乗っているときは、確かにうまくいくものだ。
それは、ある意味で、秋の豊穣のようなもので、刈り取れるうちに刈り取った方がいいのだ。

しかし、やがて確実に冬はやってくる。
なぜかうまくいかないことが出て来てしまう。
それは、慢心してしまったためなのか、それとも、以前よりもレベルがアップした結果、負荷の大きなことに挑戦してくじけてしまったのか、それは時と場合によって異なるが、いずれにせよ、人生ずぅーっと連戦連勝とはいかないのだ。

そんなときは、無力感を感じればいい。
自己点検をするいい機会だ。
謙虚になろう。
周りにも気を配ろう。
自分の欠点や、獲得すれば成長につながる知識、情報源を丁寧にマーキングして、3ヶ月かけて制覇しよう。
今日が駄目でも、明日やろう。
明日がだめでも、今週やろう。
根気強く、粘り強く、食い下がってやろう。
どんなに意見が通らなくても、意見の質が低いかなと不安になっても、言い続けよう。
馬鹿にされても、しょうがない。
ただ、ファイティングポーズだけは保っていよう。

そして、遠き日の「全能感」をかすかに思い出して、そこに至るための道を探すんだ。

やがて冬は終わる。

寒暖差がある地方の方が、うまい米ができるのだそうだ。
全能感と無力感の落差がある方が、うまい成長ができるような気がする。


そんなことを頭の一部で思う一方で、「全能感」も「無力感」も、実は一種の「勘違い」で、
自分自身をアジテートするためのギミックに過ぎないことも、薄々気付いている。

けれど、それに醒めて、冷め切ってしまったらおしまいだ。
馬鹿っぽいかもしれないけれど、この「偉大なる勘違い」こそが、僕の成長の原動力であり続けている。

2011年10月7日金曜日

100. Steve Jobs 1955-2011


アップル社の前CEO、Steve Jobs氏が2011年10月5日逝去した。

アップル社の創始者の1人であり、
Macintoshを生み出した。

アイコンをクリックすることでアプリケーションやフォルダを操作する、という現在では一般的となったPCの操作概念を生み出した(そしてWindowsにも採用された)。その結果、一般人には敷居が高い「コマンド入力による操作」から人々は解放され、PCを直感的に操作できるようになった。

iMacを生み出し、
それまでの「PCのデザインは事務用品の延長線でも構わない」という概念を壊し、「PCもインテリアの一部であり、デザイン性があるべきだ」という感性を人々に気付かせた。

iPodとiTunesを生み出し、
それまで「音楽はCDを買って聴くもの」もしくは「CDを借りてMDやテープにダビングして聴くもの」という概念を壊し(その結果、アメリカではタワーレコードが潰れ、一世を風靡していた日本の電機メーカーのMDコンポは駆逐された)、「音楽はダウンロードして購入し、PCで管理し、気軽に大量に持ち歩くことができるもの」という新しいスタイルを定着させた。

iPhoneを生み出し、
「携帯電話は、キーと画面が別々であるべき」、「インターネットと携帯用ネットワークは別でも問題ない」という概念を壊し、「携帯電話は、電話機能だけでなく、PCと同レベルでメールやWebを利用でき、大画面で操作できるべき」という感性を人々に与えた。

アプリの概念を生み出し、
「携帯やPCの機能は発売当初から固定されている」という概念を壊し、「アプリを追加することで、機能の拡張は気軽に、頻繁に、大幅に行える」という概念を生み出した。


そして重要なこととして、
Steve Jobs氏が生み出した製品は、どれも美しかった、という点も見逃せない。

僕は「アップル信者」という程、アップルに傾倒はしていないが、それでも、アップルの製品には美しさを感じてしまう。

最近、iPhone 4のケースが欠けてしまい、ケースを付けずに剥き身のまま使用していた。実際そのようにしてみて分かったのは、「この製品はケースなど付けるべきではなかったな」ということだ。

ケースで覆われてしまう背面に触れてみると、ディスプレイの面と同様の滑らかな触感を感じる。表と裏で感覚が近く、その結果、触感上に一体感が生まれている。
ケースの分だけ厚みがあったが、それが無くなることでよりその薄さが際立ってくる。

表面の硬質感、剛性感を頼りに目を閉じて想像すると、磨き上げた1枚の大理石のような感覚を抱く。この小型で美しい石盤には、様々な情報が流れ込んで来て、僕に多くのことを語ってくれる。

今日一日のWeb閲覧の履歴だけ見ても、
  • 食べログで立川周辺のお店をチェック→パスタの名店が閉店予定であることを知る
  • 昨日久しぶりにテレビで見た相川七瀬の半生をWikipediaで確認
  • 相川七瀬とPUFFYの吉村由美が似ていることを知る。言われてみればそうだ。
  • デジカメウォッチで昨日から大きな変化がないことを確認
  • 富士フィルムの新作Xシリーズ X10の外観を確認。
  • 富士フィルムの新作Xリシーズ X-S1の外観を確認。ペンタ部には何が入っているのか?
  • デジカメinfoで富士フィルムのミラーレス一眼に関する情報を確認(4/3ではない)
  • 今週末の天気を確認
  • グランドハイアット東京のお店を確認。→鉄板焼きの「けやき坂」でランチ
  • 4×5カメラの種類を調べる
  • 埼玉スーパーアリーナのイベント情報をチェック→SIAM SHADEがまだ活動していることを知る。
  • 4×5カメラのトヨフィールドについて仕様をチェック
  • 食べログで 浦和の店のランキングを確認

と言うように、ちょっとでも気になったことは片っ端から検索し、情報を得ているというのが事実だ。

普通の携帯電話を使用していた時、僕はここまで気軽にネット検索を行わなかった。ネット検索は、家か会社でPCの前に座って、というのが当たり前だった。
しかし、今では電車の待ち時間でも、電車の中でつり革に掴まりながらでも、トイレの中でも、テレビを見ている最中でも、食後のまったりとした時間でも、歩きながらでも、寝る直前でも、「調べることができる」。

このため、僕に流れてくる情報の「流速」が明らかに上がったと思う。

これも、元を辿れば、「Steve Jobs氏のおかげ」ということになる。
この遠く離れた日本の、見ず知らずの一会社員の生活が、彼の仕事によって変わった、ということになる。


Steve Jobs氏の仕事、
それは多くの変革を生み出した。
それは美しかった。

ソフトバンクの孫正義社長は、Steve Jobs氏を現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと喩えた。その心は、「芸術と技術を融合させた天才」だそうである。
的を射ている。

また、米国の新聞 The Miami Heraldでは、
Jobs, who founded and ran Apple, told us what we needed before we wanted it.
(アップル社を創始し率いたジョブズ氏は、「私たちが望んでいるもの」を私たちに教えてきた—私たちがそれを欲しがる前に。)
と表現している。
これは、彼が成し遂げた偉業をよく表した表現だと思う。

彼は、人類のその他大勢よりも、「未来の自分たちが何を欲しがるのか」に早く気付けた。
そのニーズを、テクノロジーと自身の美学を持って、製品に結実させた。
そういうことなんだと思う。

アップル社の公式サイトでは、今、Steve Jobs氏の顔写真がトップに載せられている。この写真をダウンロードしてみると、ファイル名はこうだった。


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その通り。
彼は、英雄である。



2011年9月22日木曜日

099. ミラーレスのニコン(戦国時代?)

兼ねてから噂があり(海外サイトではQマウントと言われていた。今となってはPENTAXが同名のマウントを出してしまったので変なかんじ)、
さらに、日経新聞にすっぱ抜かれて「それは弊社が正式に発表したものではありません」と否定されてきたニコンのミラーレス機。

ついに正式発表となった。
ニコン側からすると、「ミラーレス機ではなく、『レンズ交換式アドバンストカメラ』である」とのことだが、機構としては「ミラーとペンタプリズムを排してEVFもしくは背面液晶でフレーミングをさせ、フランジバックの短いマウントを装着した、コンパクトなレンズ交換式カメラ」なので、世の中としては「ミラーレス機」そのものといえる。

また、そのターゲットニーズは岡本恭幸氏によると「デジタル一眼レフカメラの趣味層が確実に拡大している一方で、コンパクトデジタルカメラではちょっと物足りないという人が新しいカメラを求めている」とのことで、いわゆる「ミラーレス機」のターゲット層そのものである。
素直に「ミラーレス、遅ればせながら、うちもがんばります!」と言えばいいのにね。

名称はとりあえず、置いておいて。

特徴としては、

・高速AF (確かにミラーレスが弱いのはAFの合焦速度なので、いい訴求点です。位相差AFとコントラストAFの組み合わせ。)

だろう。

気になるのは、センサーサイズが小さいということ。

Nikon 1のセンサーはCXフォーマットで、13.2×8.8mmというサイズ。

SONYのNEXシリーズは、ミラーレス機でも最大のAPS-Cサイズで、23.4×15.6mm

次いで大きいのは、フォーサーズ(4/3型)規格のOLYMPUS PENシリーズとパナソニックのGFシリーズで、約17.3×13mm

ミラーレス一眼で一番小さなフォーマットはPENTAXのQシリーズで、1/2.3型6.2×4.2mm
これ、実はRICOHのコンデジCXシリーズと同じサイズ。つまり、Qシリーズは悪く言ってしまえば、コンデジをレンズ交換できるようにしただけとも取れる。(持ってる人すみません。。)

ちなみに、伝統的に用いられてきた35mmフィルムの感光面のサイズは、36×24mmで、デジカメの世界ではフルサイズと称されている。

さて、これらを面積順に並べてみよう。

フルサイズ:  36×24=864   (これを基準値100%とする)
APS-Cサイズ: 23.4×15.6=365.04 (42%)
4/3型:    17.3×13=224.9  (26%)
CXフォーマット:13.2×8.8=112.2 (13%)
1/2.3型:   6.2×4.2=26.04  (3%)

CXフォーマットは対角線が1インチなので、1/1型と書くこともできる。なので、ちょうどフォーサーズとPENTAX Qシリーズの中間に位置しているのが分かるだろう。

ミラーレス機には、APS-Cから1/2.3まで幅広い撮像素子が搭載されており、素子の大きさがどのように写真に影響を与えるか知らない人たち(特にその層がメインターゲットなわけで、どいひーな話なのだが)にとっては、困惑する原因になるだろう(それか全く知ることなく、デザインとフィーリングとCMの印象と店員の話術と在庫の状況によって半自動的に決まるかもしれないが)。

もし、真剣に背景をボカした写真を撮りたくて、それでいて小さくまとめたいのであれば、NEXをおすすめする。(これは、本音)

それにしても、フルサイズの素子と比べると、PENTAX Qシリーズは、僅か3%の素子面積で「一眼レフ」を謳っているわけか。。

CXフォーマットも13%なのでかなり小さい印象だが、そもそも随分と売れているフォーサーズ規格であっても僅か26%なのにはちょっと驚いた。

一般の人からすると、フォーサーズ規格でも十分「背景がボケる」と感じるわけで、「コンデジ以上、デジタル一眼未満」の層の人にとっては、CXサイズでも十分なのかもしれない。

ここらへんが、ニコンの読みなのだろう。

一方で、これはカメラ仲間であれば賛成してくれると信じて疑わないのだが、一度一眼レフ、とくに中判までかじってしまった人からすると、CXの撮像素子サイズは「何か物足りなくない?」と首を傾げてしまうのだ。

それはきっと、僕たち(カメラ好き、マイナー集団)が、ミラーレス機を、

「デジタル一眼レフの代替機」

と観ているからだろう。
APS-Cサイズ以上のデジタル一眼に慣れ親しんだ人、さらに、それにも飽き足らず、フルサイズで撮っている人からすると、「撮像素子って大きくないとボケ量が少ないし、高感度ノイズも出やすいよね」と無自覚に思っているので、撮像素子が小さいと食指が伸びないのだ。

逆に考えれば、ニコンがCXフォーマットを作った背景には、

ターゲット層は、「デジタル一眼が重いので、ミラーレス機に戻ってきました」という「出戻り層」ではなく、あくまで「現在コンデジをメインに使っているけど、なんか綺麗な写真も撮りたくなってきた」という「デジタル一眼のエントリーユーザー(デジタル一眼未経験者)」である、

という決断があったという風にも取れる。

ニコンが想定する顧客のパスウェイ(成熟度の方向性)は、恐らく「一方通行」である。

コンデジ→ミラーレス(CXフォーマット)→デジタル一眼(APS-C、DXフォーマット)→フルサイズデジタル一眼(FXフォーマット)

この流れの逆流は、基本的には「無視できる」マイナーニーズと仮定されていると思われる。

このため、僕のようなマイナーニーズの持ち主が、「CXぅ!?小さくない!?」といくら喚いても、恐らくニコンはミラーレスでAPS-Cサイズやフルサイズの素子を搭載したモデルは作らないだろう。

「でかい素子がお好きなら、どうぞこちらへ。」
と、スっとD7000を出してきたり、

「おやおや、もっと大きい素子がお好きなら、どうぞこちらへ。」
と言って、D3SやD3Xを出すつもりなのだろう。


これは、企業のラインナップの作り方として、非常に正しいやり方である。

ライバルCanonでは、APS-CサイズにKissシリーズ、60D(二桁Dシリーズ)、7D(APSサイズの一桁Dシリーズ)と三つもラインを作ってしまい、ターゲット層の区分けに苦しんでいる(ように勝手に思っている)。

ならばいっそのこと、Kissシリーズに当たる部分(エントリーモデル)は、ミラーレス層と重なるのだから、ばっさりとミラーレス機を出して、コンデジからフルサイズに至るまでのベルトコンベアーに自社製品だけで載せてしまった方 がいい。よっぽどいい。と、ぼちぼちCanonの人たちも思っているはずなので、Canonも多分、そう遠くない未来にミラーレス機を出すんだろうなぁ、なんて思ってしまった。

それよりも、マイナー集団としては、そろそろEOS 5D Mark IIIを出してほしい。

DIGIC5の搭載(これは確実)、ISO感度の向上(常用感度で12800まで、実用感度で3200)、AF測距点の増加(せめて20点。30点行けば御の字)、連続撮影速度の向上(3.9→せめて8)、バリアングル液晶の搭載(これは、まぁーできたらで)、HDR撮影(微妙なところ)、プラスチックの質感の向上(これは多分されない)、軽量化(絶対無理だけど)と色々ある。

正常進化を望むばかりである。

だって、コンデジ→ミラーレス(CXフォーマット)→デジタル一眼(APS-C、DXフォーマット)→フルサイズデジタル一眼(FXフォーマット)
の流れが一方通行だとしたら、フルサイズまで行き着いた人は、フルサイズの新型を待つしかないのである。

(中判デジタルに逝く、という手もあるが。100万の投資が必要である。中判フィルムは既に手を出してしまった。もしや・・・大判フィルムか?)

098. 復旧(DNS)

やっと復旧しました、本体サイト。
7 billionth part of the world
http://www.7billionth.com

2週間程前から本体サイトを開こうとしてもつながらず、「サーバーが見つかりません。」とエラーが出ていました。

「ん?」

と思ったけれど、深く考えず、「しばらくしたら復旧するだろう。」と悠長に構えていたら、その後もずーっとつながらず。
先週の土日にようやく「何かがおかしい。」と思い調査してみました。

当初の僕の認識では、このサイトは、以下の二つのサービスから成り立っていると思ってました。(素人丸出しで恥ずかしいですが)

1)Appleが提供するサーバー 「mobile me」
ここに、本体サイトのテキストやら写真やらのデータが収められてます。

2)「名づけてねっと」で取得した独自ドメイン「7billionth.com」

通常は、www.7billionth.comとアドレスバーに打つと、mobile me上のデータにアクセスしてサイトが開くわけなので、1)と2)が関連づけられることで、本体サイトは成り立っている、と思われます。

で、1)の方を調べても、データはきちんと保管されているし、新しくアップロードもできるし、不具合は見つかりません。mobile me側の独自ドメインの設定もきちんと「www.7billionth.com」で行われています。

2)の方を調べても、きちんとドメイン使用料は払われていて、ドメインは継続されてます。

つながらない原因がよく分からないので、名づけてねっとに問い合わせてみると、メールで返信がありました。
曰く、

-----
名づけてねっとのご契約を確認いたしましたところ、
特に問題は見当たりませんでした。


該当ドメインをWHOISにて確認しますと、以下のDNSが登録されておりました。


Name Server: NS1.EVERYDNS.NET
Name Server: NS2.EVERYDNS.NET
Name Server: NS3.EVERYDNS.NET
Name Server: NS4.EVERYDNS.NET


この登録されているDNSに何かしらの問題がある可能性がございますが、
「名づけてねっと」のサービスではございませんので詳細については分かりかねます。
-----

これを読んだ僕がまず思ったのは、

「DNS?・・・ってなんだっけ?」

です。(もうこれ、知ってる人からしたら、すごい恥ずかしいんだろうなぁ。)

つまり、僕は3年前に行った(はず)のDNSサーバーの設定や、それどころか、DNSサーバーというものの存在自体忘れていたのです。

したがって、本体サイトが成り立つためには前述の2つのサービスに追加して、

3)DNSサービス (サーバー側のIPアドレスと、取得した独自ドメイン(7billionth.com)をつなげるサーバー)

が必要だったわけです。


さて、よくよく調べてみると、
NS◯.EVERYDNS.NETを提供している「EveryDNS」というアメリカの会社が「DynDNS」という会社に買収されていたことが判明しました。
おおぅ。

その結果、2011年8月30日をもって無料のDNSサービスを終了していたことも判明。


それかっ!


そして、9月6日にはサーバー自体を閉鎖したらしく、おかげで、「サーバーが見つかりません。」という悲しい表示が出るはめになったのでした。

まさか企業買収に伴うものだとは。

よくよく調べてみると、確かにEveryDNS社からは3回程「閉鎖になるから新しいDNSに引っ越してね」というメールが着ていました。(英語のメールだと、差出人が知っている人でない限り「迷惑メール」と思い込んでいたので、完全に未開封でした。)

じゃあ、引っ越すか。
と調べてみると、今度は買収後の新会社DynDNSは、無料でDNSサービスを提供してくれません。おい。

年間30ドルなので、大した額ではないとも言えなくはないですが、買収して、閉鎖して、はいこちらへどうぞ、ここから年間30ドルです、あ、そうそう引っ越し費用に4.95ドルいただきやす。なんて言われると、DNSを空気のような存在に感じていた(失礼)だけに、そうは問屋が卸さねぇぜ。ってなるわけです。

そこから、無料のDNSサービスを行っている会社を探していると、Dozensという会社が目に入ってきました。

Dozens
http://dozens.jp/

こちら、とても良さそうです。
EveryDNSの閉鎖に伴い、DNS難民が結構出たと思うのですが、その人たちのページでも紹介されています。

ただ、DNSの設定の仕方がよくわからない・・・。
全くのド素人で恥ずかしくなるのですが、ドメインを設定した後に、



Record Name
Type
Priority
Content

を設定しなければいけないのですが、その意味がよく分からない。

困ったときは、問い合わせする。素人としては正しい判断で、問い合わせをしてみると、送ってからわずか5時間程で連絡がありました。
曰く、



---


基本的にはMobileMe様側の設定指示に従って設定していただくべきかと
思いますが、参考情報としてこちらのURLを挙げさせていただきます。
http://lblevery.com/iweb_lab/howto/entries/2008/10/24_howto_038.html


ここの「FC2のドメイン管理画面で設定する」というブロックに
記載されている手順が参考になるかと存じます。


ここで記載されているはそれぞれDozensでは以下に対応します。
Hostname -> Record Name
Record Type -> Type
MX Pref -> Priority
Address -> Content
この対応に従って設定してみていただけますでしょうか。

---


なるほど!
ということで、上記サイトに従い、以下のように設定。

Record Name: www (デフォルトでその後にドメイン名「7billionth.com」が続く)
Type: CNAME
Priority: 0
Content: web.me.com.


できました。
この設定で、5分もしないうちにサイトが復旧しました。

いやーよかった。

ちなみに上記の設定の意味するところは、「www.7billionth.comの別名(CNAME)として、web.me.comを指定します。」ということのようです。

これでwww.7billionth.comとアドレスバーに打つと、web.me.com(mobile me)上でwww.7billionth.comと関連付けられた僕のiDiskを読み込むようになるんですね。

なるほど。

しかし、今回の一件で、いかに自分がPC関係は素人か思い知りました。
この方面は、それほど伸ばす気はないですが、ドメインの知識くらいはしっかりしておきたいものですね。

2011年9月13日火曜日

097. 30歳(というお年頃)

30歳になりました。

っていうわけではなく。(29歳です)

まぁぼちぼち30歳という年頃なわけで、そろそろ仕事のやり方をもう一度考え直したいな、と思っている、という話をしたい。


僕は大学院の修士課程まで学生だったので、今は社会人6年目。

これは会社で言うと、そろそろ「中堅」っていうところだ。

後輩も出来てきて、そうは言っても、上も居て。
実務をやりながらも、マネジメントやチームワークの意識も持ってほしい、という要請も感じる年代だ。
(なーんて客観的だよなぁ。でも、そういうのに気付くのも第一歩かなと思う。)

僕自身、やっぱり新人のときや3年目くらいまでのときとは、「何か」が違う気がする。
その「何か」というのは、短絡的に言えば「経験」だ。
でも、もう少し、自分の感じるニュアンスに迫ってみると、

「ん?この問題、まったくどうしたらいいかわからないぞ。。」

という感覚が減っている、と言える。
裏を返せば、

「ん?この問題、以前にもあったぞ。」

という感覚であったり、そこまで明確でなくても、


「ん?この問題、自分だけでは解決できないけど、あの人に聞いたら答えが出てきそうだな」

という自分の人脈を含めた「総体」として解決できる「気がする」であったりする。

このような、「気がする」のはとても大事なことで、それで変なところで悩まなくてよくなるし、気も楽だ。

この「自分の中に答があるような気がする」という妙な確信は、何度かは裏切られるだろうけど、信じてみたい。その上で、自分がこの問題の本質は何か?効率的な解決策は何か?新しい試みはできないか?をきちんと考えたい。考え抜きたい。

これまでは、「経験が足りない。」「事例を知らない。」「解法のパターンが分からない。」と自分のメモリーに訊いても、答が返ってこないことが多かった。
そのため、「今はデータ収集期間だ。」と割り切って、非効率な方法だと思っても、とりあえず従ってやってきた。

それはそれで意味があったのだと思う。
いずれにせよ、「データは収集できた。」のである。

これからは、その内部データと、外部に散在するデータ(属人的なノウハウや文献上の事例やデータ)を自律的に統合し、最適解を自分の中のプログラムで(それはこれまでの経験や、自分自身の嗜好に多いに依存している)書き出すことが大事なのだと思う。


また、書いてみて思ったのだが、「自分の人脈も含めた総体」という考え方もとても大事だと思う。会社は組織である以上、1人で物事を解決できるようにはできていない。
(自分1人で解決できる問題は些末なことが多い。)
その意味で、その問題が「誰に帰属するか」に気付くのは、組織の中で生きていく上でとても大事なことだ。

それを下手に背負ってしまったりすると、問題の解決が遅れるだけだし、親切心から出た「越権行為」でもある。

そんなわけで、「自分の人脈を含めた総体」をきちんと正しく認識して、それをフルに活用するのが、30代の課題なのだと思う。
また、その人脈を深めたり、広めたりするのも課題だろう。


まだまだ、やりたいことがたくさんある。