2013年3月2日土曜日

155. 特火点のその先(価値観と家族と生活と)

iPS細胞を用いた網膜色素上皮の置換施術について、臨床研究の実施が理化学研究所の倫理審査委員会で承認された。

今後、厚生労働省にて実施が承認されれば、世界初のiPS細胞を用いた臨床研究がスタートすることになる。

僕の友人は、この臨床応用を事業化する仕事をしていて、昨年末から「一緒にやらないか」とリクルートを受けていた。

特に、1月末から2月中旬まで、かなり多くのことをしてもらったと思う。
研究所を見学させてもらい、様々なデータを見せてもらった。また研究を統括する教授とも引き合わせていただき、ハード面からソフト面まで、全てを伝えてもらった。

本当に魅力的な仕事で、医薬品開発に携わってきた人間からすると、これ以上の充実感はないだろうと思われる内容だった。(詳しく書けないのが本当に残念だが、日経新聞の一面記事になるだけあって、大変夢のある技術だ)

同時に、会社の上司にも、会社を移ろうか迷っていることを正直に話した。
恐らく普通は、転職を決めてから会社には報告するのだろう。
しかし、今回の場合、僕は自分自身の会社を気に入っているという状況にある。
このまま、今の会社でキャリアを積むことも、十分魅力的と感じているのだ。

だから正直に話して、この会社で今後自分に任せてもらえそうなこと、今後自分がどのようなキャリアを積める可能性があるのか、今考えてみるとかなり不躾な、ストレートな質問なのだが、そういったことを聞いてみた。

また、人生の先達である、自分の父親と義父にも意見を聞いてみた。
父は、技術屋として、外資系メーカーを渡り歩いており、転職経験者としての意見を話してくれた。また、義父はとある企業の取締役であることから、経営の視点から、考えられるシナリオやリスクを話してくれた。

そして、嫁さんとも何度となく相談した。
転職すれば神戸に拠点を移す可能性があること、どのような生活になりそうか、子育てにはどれくらい参画できそうかということから、この分野の将来性や発展性、また、任される仕事の大きさ、将来の夢。

ちょうどこの相談をしていたとき、子供はまだ2ヶ月半で、子育ての大変さを身に沁みて感じていた。正直言って、不安の真っただ中にいると言っていいと思う。
朝起きると奥さんが泣いていた、ということもあった。

こういう時期に、生活の基盤を丸々変えることは、しんどい。
不安も大きくなる。

しかし、最後には、「それでもやりたいことをやってほしい」と、自分の意志を尊重してくれた。感謝である。

以上のように、
自分の人生において重要な決定を、
自分の人生において重要な人達と相談しながら、考えた。

そして、ようやく出した結論は、
「今の会社に残って頑張る」だった。

最後まで悩み抜いて、考え抜いた結果なので、後悔はしていない。
今は、彼らが無事、臨床での有効性、安全性を確かめ、事業化に成功してほしいと願うばかりだ。

最後にCEOから電話がかかってきた。
月曜日のお昼だ。

考えうるあらゆる論理(夢やロマンに始まり、国家としての戦略上の位置づけや、産業としての発展性、技術としての発展性、必要性と必然性)を駆使して、
またあらゆる話法(譲歩、懐柔、感情の発露、強行、権力行使、想定の置き換え、答のない質問)を駆使して、説得された。

舌戦。

恐らく時間的には20分くらいだったと思う。
僕は驚いてしまったが、と同時に、次に何を言い出すのか少しだけワクワクしながら、その全ての質問や言葉に応戦した。

専守防衛。

そんな会話はなかなかする機会がないが、圧倒的な力を前にして、自分の立場と意見と主張を守り抜くような会話だった。
それはちょっとゾッとするようなものだった。

「20年後の未来を考えてみてください。あなたは今の選択に自信を持てますか?」


こんなクリアな、そして、途方もない質問を繰り出せる人は世の中にそうそういない。

そして、肝心なのは、この質問には「答がない」ということだ。

僕は、こう答えた。

「自信なんかありはしませんよ。ただ、必要なのは自信ではなくて、この「選択」の結果を引き受ける覚悟でしょう。その覚悟はあるつもりです。」


一言で言えば、信長のような人だった。
警戒心を持ちつつも、一方で憧れも感じるような人だった。
こういう人が新しい世界を創るのだろう。

そう思いながら、僕は僕が描いた道を進むことにした。
いつかまた仕事で出会えたらいいと思う。