2012年8月3日金曜日

126. 解像度と視点(世界の捉え方)

僕たちは、生まれたときから、徐々に自己と世界を認識し始める。
その理解がどの程度まで及ぶのか。
自分が理解した世界、認識できた世界、それが広く、深い程に、人生の面白さは際立ってくる。
「分かる」ことは、「愉しい」のだ。

さて、「分かる」とはどんなことだろう?
キーポイントは、「解像度」と「視点」だと思う。

どのくらいの解像度で、世界を認識できているか。
どのような視点で、世界を眺めているか。

世界とは、自分以外の全てである。
例えば、「能」や「写真」であってもいいし、「分子標的薬と併用するためのコンパニオン診断薬の開発」であってもいいし、「中間解析と独立データモニタリング委員会に関するFDAのガイダンス」であってもいいし、「高圧力下における脂質分子の構造」であってもいい。

これら事物には、「原因と結果(因果関係)」や「科学的な性質」や「歴史」や「アナロジー」があり、いずれも考えるに値するテーマとなりうる。つまり、奥行きがある。この奥行きを、どれだけ精彩に認識し、理解できるか。

一つの事物に没頭して、それを高い解像度で見て行くと、やがて自分なりの理解が生まれてくる。一通り、理解が完了したら、顔を上げて辺りを見渡すと、また別の事物が謎を解かれることを待っていることに気付く。その新しい事物に、あなたは取り組む。そしてまた、新しい事物へ、新しい事物へ。

こうして深堀した領域が増えて行くと、点だった理解は線となり、線だった理解は面となり、面だった理解は立体へと連なっていく。

そうすると、やがてあなたは、事物を多面的に理解できるようになる。
この視点からは、こう考えられる。予想される。
一方この視点からは、こう考えられる。予想される。

このようになってくると、考える事自体が、楽しみになってくる。理解できることが、ぐんぐん増えてくる。
こうして、世界を考える「視点」が培われる。

「解像度」と「視点」この両者を育むことが、知性あるヒトの命を楽しむ秘訣なのだろう。


「解像度の高さ」、「視点の多彩さ」
これらがその人の「知性の到達点」を物語るバロメーターとなる。