2020年12月23日水曜日

あとがき(現在の自分と過去の記録の関係について)

本ブログを閉じるに当たって、個人的な記録として書籍化しておこうと思った。

編集作業を今(米国東海岸時間: 2020年12月22日)やりながら、過去の記事を見直している。

記事は、2008年11月1日から始まっていた。二十六歳の頃。

現在三十八歳、二児の父である。

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正直に言うと、過去の記録を見ることは、若干の気恥ずかしさを伴う。当時は得意気に自分の考えを披露していたのかも知れない。しかし、現在の自分からすると、そこに「若さ」もしくは、「若さゆえの浅はかさ」を感じてしまうのだ。

写真も同じで、過去に撮った写真には、若干の気恥ずかしさが伴う。当時の空気、勢い、そういったものから切り離された、「現在の自分」が、客観的に「そう見てしまう」のである。これは反射的に感じてしまう類いのもので、そのような反応が自分の中に生じることに戸惑った。しかし、直観的に「そういうものか」で済ませていたように思う。当時は若かったのだ。浅はかだったのだ。ああ、恥ずかしい、と。

それで済ませることもできる。


しかし、本当にそれだけなのだろうか?

ここでは、もう一歩踏み込んで考えてみよう。

「現在の自分」は、常に過去の自分よりも、年長者であり、「間違いや浅はかさを過去の自分よりも知った状態」にある。したがって、常に過去の自分と比して、「より冷静、より客観的」になっている。その点で、「現在の自分」は常にずるく、シニカルである、とは言えないか(結果論のずるさに通じるものがある)。

したがって、現在の自分が「鑑賞者」になった時点で、この原理は作動し、決着はついているのであろう。過去の記録は、気恥ずかしいものにならざるを得ない。そういった認識上のバイアスがかかっている。

(この原理は、もちろん、この「あとがき」にも当てはまるだろう。数年後、「あの頃は若かった。原理的、という言葉を使い過ぎている」などと思っている自分が思い浮かぶ。)

しかし、だからと言って、過去の記録を「気恥ずかしいもの」として必要以上に貶める必要はないのではないか。

それが、編集作業をしながら、2020年12月22日にようやく思い至ったことだ。過去の記録がたとえ反射的に気恥ずかしく感じるものであっても、受け入れよう。ゆるそう。

それは、過去の自分が悪いのではなく、単に原理的にそういったバイアスがかかりやすいものに過ぎないのだから。

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余談だが、この「過去の記録が気恥ずかしい」問題は、実は写真にも通底している面がある。例えば、20代の頃のデート写真などは、気恥ずかしさ満載の「遅効性の劇薬」のようなもので、冷静沈着な「現在の自分」には耐えられないくらいの破壊力を持つ。

(なお、2020年12月現在、世界はCOVID-19のパンデミック下にあり、米国(現在New Jersery州在住)では1日に25万人の新規感染者が報告されている。このため、外出を控えており、結果として、過去の写真(2010年から)やブログを見直す、という作業に膨大な時間を当てている。恐らく、こういった機会がなければ、一生やらなかったかもしれない(割としんどい)作業である。そして、そういった作業を繰り返す中で、上記のような気づきが生まれつつある。)

写真は、流石に破壊力が強いので、「現在の自分」視点で「将来の(家族の)鑑賞にも耐えられるか」という基準にて選別を行っている。それくらいの権利を「現在の自分」が主張しても許されるだろう(と願いたい)。

これは、むしろ、「未来の自分」への優しさとも言えよう。

(それは気恥ずかしい写真を除外しておく、ということだけでなく、数十万枚という大量の写真から、重要な写真へのアクセスを確保しておく、という意味において。2010年から年間1-5万枚撮っているため、無選別状態の場合、それを見直すだけで数ヶ月はかかる。)

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さて、「過去の記録」問題は、「子供の成長記録」においても示唆に富む。

今、八歳の長男は、既に三歳の頃の記憶をほぼ忘れてしまっている。これは、当たり前のことに思われるかもしれないが、親の視点からすると衝撃的な事実である。

長男が三歳の頃、というのは、つい五年前のことで、それは2015年のことであり、自分にとっては三十三歳の頃のことである。当然、自分の記憶ははっきりしており、それこそ「ついこの間のように」思い出せる。

しかし、当の本人には、もはや、その頃の記憶はないのである。

また、本人の身体的な特徴(背丈、顔つき)も、三歳と八歳では大きく変化していて、「見た目」から三歳の頃のことを想起することは難しくなってきている。この変化は、今後も続いていくのだろう(それこそが成長であり、当然、喜ばしいことである)。

しかし、この一件が自分に告げるのは、「三歳だった長男」は、もはや「写真」や「記憶」の中にしかいないのだ、という切実な事実である。

そして、現時点で間近に見れる、本人も体感している「八歳の長男」もまた、やがて消え去ってしまい、「写真」や「記憶」の中にしか残らなくなる。

子供時代というのは不思議なもので、こうして移ろい、やがて消失してしまう。この子育ての切実さを、最近特に意識するようになった。そして、やはり「過去の記録」は、軽んじてはならないのだ、と再認識している。

下の子は、現在二歳。やはり、同じような変化を感じるようになるのだろう。

また、この現象は、自分にも当てはまる。三十八歳の自分は、やがて消え去り、四十代、五十代、六十代、七十代、八十代と変化を見せていくだろう。中には、「忘れるものか」と信じ切っていることでも、いつの間にか、「それがあったことすら忘れてしまった」という状態になるかもしれない。それは、時間軸上に置かれた人間にとって、抗いようのない摂理なのかもしれない。

「現在の自分」にできることはそれほど多くない。

しっかりと見て、相手をすること。

そして、要所で写真や記録に残すこと。

残された記録を疎かにしないこと。

−−−

COVID-19のパンデミック下にあって、多くの人々に様々な変化が起きたことだろう。自分にとっては、過去、現在、未来の関わりについて、見直す契機となった。

このブログは、主に20代後半から30代前半までの思索をまとめたものになっている。当時は、ブログで自分の考えを言語化すること、それに割く時間の意味が今ひとつ分かっていなかった。もしかしたら、膨大な時間の無駄遣いをしているのでは、と疑うことも多々あった。

しかし、30代後半の自分が言えるのは、ここでの記事があったおかげで、「思考の言語化能力」が磨かれたということだ。結果、30代後半、日本に向けたレポートを量産することができるようになった(米国での業務経験を毎月レポートにして配信していた)。その後、MBAの取得、博士課程への進学へと繋がっている。


「本当にそうだろうか?

 ここでは、もう一歩踏み込んで考えてみよう。」


それが、このブログでの基本スタンスだった。そして、その思考や言語化への努力は、着実に自分の人生や仕事の質を変えていったと思う。

−−−

現在、三十八歳。

妻と八歳、二歳の子供と米国で生活している。

このような中で、最近よく思い浮かべるイメージは、「現在の自分」は、「時間の使い方を任されたファンドマネージャー」のようだ、というものだ。

時間は、「過去」「現在」「未来」のいずれかのbox(これらにつながる活動)にbetできる。

「過去」のboxには、例えば、回想や写真の整理などがある。このブログやSNSへの書き込みもそうかもしれない。

「現在」のboxには、娯楽全般(ゲーム、映画、漫画、You Tubeの動画、行楽など)や、消費(ショッピング)がある。しかし、これらは、現時点の楽しさを極大化するが、基本的に、未来への波及効果が弱い。実は、日々のTransaction的な業務(定型的な業務)もここに当てはまることが多い。現時点で誰かの役には立つが、将来の自分の仕事にはあまり影響を与えないという仕事も多い。

一方、「未来」のboxに入る活動は特殊で、その活動の効果や成果は遅れてやってくる。代表的なものは「教育」であろう。知的な体力をつけていくことは、未来へ(割と)直接的な作用を持つ。子供たちには、受験という試練がやがて平等にやってくるが、そのハードルをいかに超えて、成長していけるか。そのために、今何ができるか。そういったことを考え、動くことが、未来のboxに時間をbetするということである。他にも、「投資」や「身体的なトレーニング」もこのboxに入るだろう。ミクロ経済学では、企業の投資活動を「時間を通じた資源配分」と表現するが、これと同じ理屈である。

基本的には、未来のboxに時間を優先的にbetしていくのがいいのだろう。

不等式で表すなら、


未来 > 現在、過去


である。

しかし、前述の通り、過去の記録を振り返ることの重要性を認めている以上、話はそう単純ではない。

例えば、思考をまとめて言語化することは、その瞬間には「過去を見直すこと」であり、過去に向かってベクトルが伸びているように見える。

しかし、実は、その過程で、未来にも応用可能な「言語化能力」の鍛錬にもなっており、その面で、未来に向かってもベクトルが伸びている、と考えられる。

このように、一見わかりにくい繋がりや原理を読み解きながら、これからも未来へ向けて一歩一歩進んでいこうと思う。


「本当にそうだろうか?

 ここでは、もう一歩踏み込んで考えてみよう。」


これを結びの言葉として、筆を置きたい。

2020年12月11日金曜日

196. とりあえず一区切り(2020年12月)

 早いもので、前回の投稿(2016年3月)から4年9カ月。オリンピック1回分以上の期間が開いてしまった。

そして、おそらくこれがこのブログ上では最後の投稿になると思う。


当初、7 billionth part of the world.comという旅行記をまとめた個人サイトの一部として始めたこのブログ。

振り返ってみると、20代後半から30代前半に考えていた事、関心ごとが現れていて、個人的な記録として価値があったと思う。

一方で、時代の流れ(個人による公開サイトから、Closed なSNSやEvernoteへ)もあり、また自分自身の生活の変化(米国駐在(7年以上継続中)、MBA取得(無事卒業)、博士課程への進学、第二子の誕生(本当に良かった)など)もあり、目まぐるしく変わる日々に押されて、相対的にこのブログから遠のいていたのも事実。


総合すると、おそらく、その役割を終えたのだろうと思う。

ひとまず一区切りとしよう。


2020年12月

2016年3月14日月曜日

195. 再開(1年ぶりの更新の件)

前回が2015年3月9日で、今回は2016年3月13日ということで、実に1年ぶりの更新になる。

このように1年間空いてしまったのは、ひとえにFacebookを使い出したことによる。
自分のメインの媒体がBlogからSNSに移ってしまったのだ。

世の流れ、ということだろう。自分も例外ではなかったようだ。
確かに、顔を知った友人と交流が気軽にできる点や、興味あることをシェアできる点など、FacebookにはBlogよりも進んだ利点がたくさんある(今更)。

特に、今のように(米国NJ州に赴任中)友人と距離がある場合には、Facebookはかなり便利なツールとなる。

さて、この1年で変わったことをさっぱりとまとめると、以下のようになる。


  • 米国生活は2年目となり、大分「日常感」が出てきた。
  • 車の運転にも慣れてきた。既に米国内で5万キロ程走っている。
  • 英語はまだまだだけれど、仕事をする上では安定感が出てきたかんじだ。ただ、相変わらず、すごい人たち(現地採用の日本人)には、足下にも及ばないのが正直なところ。
  • 駐在員として働きつつ、2015年10月より、University of MassachusettsのLowell校にて、MBAコースに参加している。入学してから分かったのだが、アメリカの大学は入学してからが本当にきつい。成績が悪いと結構シビアに退学になってしまう。なるほど、MBAは大変と聞いていたが、こういうことか、と納得した。ということで、真剣に勉強中。恐らく、Facebookへの媒体の移行と、このMBAの勉強とがダブルパンチで1年も更新が開いてしまったのだろう。
  • カメラは相変わらず、EOS 6Dだが、Sigmaの単焦点Art シリーズ(24mm, 35mm, 50mm)が常用レンズとなった。抜けの良さ、開放から使えるシャープさが気に入っている。実は、三本の中で意外なヒットだったのは24mmで、「広角だけどボケる」という不思議な描写に虜になった。中判フィルムで取ったときのように、被写体の背景全体がムッとボケるかんじが、立体感作り出し、とてもよい。

Facebookを頻繁に使うようになって、このBlogをどうしようかしばらく悩んでいたのだが、 SNSに向いていない長めの内容や、真面目な内容を書き込む場所として、今後は使っていこうと思う。

2015年3月9日月曜日

194.進撃のキヤノン

ああ、やっとこのタイトルで書ける。
ようやくキヤノンが反撃の狼煙を上げ、ここ最近気合いの入った製品を連発している。
既にやや古い情報になってしまったが(落ち着いて書く時間がここ数週間作れなかった)、少し振り返ってみたい。

キヤノンは、昨年の9月にAPS-Cフラッグシップ機 7D MarkIIを発売してから、本気度が上がってきているように見える。

出典: http://kakaku.com/item/K0000693649/images/ 


ここ数年待ち望まれてきたAPS-Cサイズ 高速連射機7Dの刷新は、期待が大きいだけに失敗したときのリスクも大きいものだったが、見事に期待を上回る出来だった。10コマ/秒とEOS-1DX並みのAF性能で、鳥や航空写真、スポーツ系の動きものを撮る人々から大歓迎された。

また、同じクラスのニコン機(D300S)が長らく刷新されていないことから、ニコンのDXフォーマット(APS-C)ファンも一部キヤノンに鞍替えしようか、とつぶやく結果となった。(実際にどうなったかはわからないが)

さて、遡ること3年前、2012年2月、ニコンは3630万画素のD800を発表した。この画素数は前機種のD700(その後別ラインとしてD750に分かれるが)が1210万画素だったことを考えると、実に3倍で、如何にインパクトのある高画素化であったか分かると思う。

それより以前は、フルサイズの高画素機と言えばキヤノンの5D MarkIIで、2230万画素だった。ニコンはしばらくキヤノンの高画素フルサイズに嫉妬し、それを大幅に上回る機種を出したのだった。

しかし、高画素と高感度耐性は逆相関すると当時考えられており、発表から発売までは、「そんな高画素はいらない、高感度耐性を高めたバランス機がよい」との論調が多かった(噂サイトで)。

蓋を開けてみると、意外にも高感度耐性もよく(結局プリントするサイズは小さいので、縮小することによってノイズが見た目上キャンセルされ、意外とISO6400でも鑑賞に耐えることが発覚した)、大ヒットとなった。

対してキヤノンは、D800にやや遅れて、2012年3月に5D Mark IIIを発売したが、これは完全にバランス指向型の機種で、画素数は据え置き2230万画素。

5D Mark IIIは、高いAF追従性能と常用ISO25600までの高感度対応で訴求したが、D800よりも約5万円近く高い値段設定で、割高感があった。

肝心の高感度対決でも、ISO6400では同サイズにリサイズしたD800にディテールの保持で敗れ、キヤノンファンは落胆を隠せなかった。(D800はISO6400までしか設定できないため、ここでの対決となった)

さらに追い打ちをかけるのは、DxO mark scoreで、ニコンが採用するソニー製センサーはフルサイズでは90ポイント以上を叩き出す一方で、キヤノン製センサーは83ポイント程度。センサー性能も大きく水をあけられていることは明らかだった。(この点をあげつらうサイトがいくつかあって、キヤノンファンとしては見ていて悲しくなってくる)

さて、こうなると、キヤノンファンが今度は嫉妬する番である。
「キヤノンの高画素機はどうなるのか?このまま水をあけられたままでいいのか?」
ここから長らく、キヤノンの「冬の時代」が始まる。

(なお、5D Mark IIIの名誉のために補足すると、その設計意図通り、バランス指向型の機種として完成度は高く、今となっては扱いやすい名機とされている。キヤノンが真面目な技術開発を行っていることは間違いない。)

さて、話は2015年現在に戻る。
ニコンのD800から遅れること3年、キヤノンも遂に高画素機を発表した。
EOS-5DSと5DSRである。

出典:http://kakaku.com/item/K0000741187/



出典:http://kakaku.com/item/K0000741188/


有効画素数は5060万画素。
ローパスフィルターの効果あり、なしでEOS-5DSと5DSRに分かれる。
これは、ニコンのD800とD800Eの2ラインと全く同じやり方で、またネーミングは、ソニーのRX1とRX1Rと全く同様である。(ローパスフィルターレス(もしくは弱めた方)をRとし、赤字にすることまで一緒)

他社がうまくやってのけた戦略を、そのまま借用するのはキヤノンのお家芸(横綱の後追い相撲)だが、今回もまさにそのような方法で、結果としては「意趣返し」をしたことになる。
(ここまで来ると、嫌みなのか?とも勘ぐりたくなる。)

(余談だが、なぜ5DSはロゴを金色にしてしまったのだろう?以前キヤノンは色を無駄使いせずブランドイメージの演出がうまいという趣旨の記事を書いたが、一部前言撤回しなければならないように思う。この金ロゴは、訳が分からない。これを承認してしまうセンスの持ち主がいるということなのだろう。個人的にはとても残念だ。ただ、5DSRの方は銀と赤で、Lレンズとの相性もいいデザインだ。もしかして、5DSRを買わせようとでもしているのか?などと穿った見方をしてしまう。)

さて、時を同じくして、今年2月20日。
オリンパスのOM-D EM-5 Mark IIに、センサーシフト方式の手ぶれ補正機構を応用し、半画素ずつずらして8枚撮影した画像を合成することで、4000万画素の画像を得るというとんでもない技術が搭載された。
この撮影は、残念ながら静物に限られることになるが、それでも、4000万画素の画像を得る手段がマイクロフォーサーズに搭載されてきたという点は注目に値する。


世はついに、4000万から5000万級の高画素時代に移りつつある。


さて、進撃のキヤノン。
ネックは例によって値段である。5DSが45万、5DSRが48万円。中古車ならば買えてしまうような値段だが、これがどこまで受け入れられるだろうか。

また、5000万画素についてこれるレンズの選択と、巨大ファイルサイズのハンドリング、等倍鑑賞で目立つ手ぶれ(微ぶれ)等、性能が上がったことによるトレードオフもある。
この辺り、キヤノンは十分分かっていて、恐らく生産調整をきちんとしてくるはずだ。

その上で、バランス機を5D MarkIVとするのだろう。
賢い。

技術で勝ることを誇示しつつ、商売でも勝てるよう布陣を敷く。
価格の面で不安要素がありつつも(ただ、それは利益率重視の企業としては、正しい戦略)、まだまだキヤノンは頑張れそうである。

さて、ここにソニーがどのように絡んでくるのだろう。
EVFレスのNEXタイプの廉価フルサイズ機が噂されている。実売10万円未満とも言われており、もし実現すると、フルサイズ=高価という図式が完全に壊れることになる。(既にα7で大分壊れてしまっているが)

これは、フルサイズの市場で値崩れを発生させる「禁断の扉」を開くことになる。

まだまだ、デジカメ市場は面白い。

2015年2月8日日曜日

193.ペンタックスの始動

ペンタックスファンのみなさま、おめでとうございます。
ついに、待望の「フルサイズ機」が正式に開発発表されました。
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出典:デジカメWatch http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20150205_686692.html


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これまで本当に長い間ペンタックスファンは、「フルサイズ機」の登場を待ってきた。

もちろん、キヤノンやニコンといった大手との差別化で、APS-C注力路線を堅持すべきだ、という意見もあったので、全員が全員待っていたという訳ではなかったが、それでもフルサイズはペンタックスファンの一つの夢だったと思う。

しかし、ペンタックスにはフルサイズに踏み出せない足かせがあった。銀塩カメラからデジタルに移行した際、純正レンズのイメージサークルをAPS-Cに最適化しており、結果としてフルサイズをカバーできる最新のレンズが皆無となってしまっていたのだ。このため、「例えフルサイズ機を出してもレンズ資産がほとんどなく、システム構築に莫大なコストがかかり、採算が合わない」と言われていた。

実際、ここ数年何度も「フルサイズ機の開発は行っているが、具体的な発売の目処はたっていない」といった趣旨の発言をペンタックス開発陣は繰り返しており、毎回、「今度もか・・・」とため息をついたものだった。

それがあまりにも長く続いたため、自分は我慢できずペンタックスのKマウントから、キヤノンのEFマウントに鞍替えしてしまった。それが2009年。もう今から5年以上前のことになる。時間が経つのは本当に早いものだ。

しかし、それでも自分の一眼レフの使用歴は、Kマウントから始まったことに間違いはなく、特別な思いを持ってペンタックスの動向を見つめてきた。

考えてみると、ペンタックスは、ここ数年、「激動」と言ってよい経験をしてきた。
親会社のHOYAから不採算事業として扱われ、その後RICOHによって買収されることとなる。
結果、今ではペンタックスは「一眼レフのブランド」ではあるが、「カメラメーカー」としては存在していない。
象徴的なのは、背面液晶の下部で、ここを見ると、PENTAXではなく、RICOH銘がプリントされているのだ(この点が古参のペンタックスファンにはどうしても受け入れられない)。

一眼レフのラインナップもめまぐるしく変化してきた。
K10D、K100D時代(2006年頃)から自分はペンタックスを使用し始めたが、このときは、APS-Cの一眼レフ2機種のみというシンプルなライン構成だった。形状も、カメラしかりとしたもので、どちらかというと保守的なデザインのものだったように思う。

初級機のK100Dと、中級機のK10Dは、それぞれ同じクラスの他社競合品よりも、やや機能的に良く、「中級機までの使用」「高速なAFを必要としない風景写真での使用」として割り切るのであれば、悪くない選択肢だったと記憶している。(しかし、その上のクラスが不在で、ここが他社ではフルサイズ機となる)

それが、やがてデザインを中心として急激に変調を来す。
K-xのカラーバリエーション100色展開や、マークニューソンデザインのミラーレスカメラK-01(ただマウントは、一眼レフと同様のKマウントのままでこん棒のように分厚いミラーレスになってしまった)、小型化を最優先とした結果、撮像素子までコンデジ並みに小型化してしまったQシリーズ(普通は撮像素子の大きさはなるだけ確保して、筐体の大きさを小さくする努力をするのだが、そのような一般通念を度外視し、ある意味銀塩の110カメラのように撮像素子まで小さくしてしまったという賛否両論を巻き起こしたミラーレス)、最近のエントリー機種は若者向けのデザインを重視し、LEDを前面に配置している(K−S1)等、「遊び感」のあるポップな開発路線を展開した。

その一方で、K−7、5、3とK10Dの本格路線を引き継いだと思われる、真面目な中級機カメラも作ってきた。また、645Dに始まる中判デジタルへも踏み出し、結果として、645、APS-C、Qシリーズと撮像素子のラインが3本に分かれることになる。市場シェアで10%に満たない会社にとっては、これらラインの維持、そして対応するレンズ群の構築は相応のきつさを伴っているものと思われる。

そこに今回、フルサイズが新たなラインとして加わることになる。
それもレンズ群の新規構築という大きな課題を伴って。
これは大きな決断だったと思う。
今後、進む道はかなり険しいと思われるが、それでも是非がんばってほしい。

さて長らく、噂され、そして期待されてきたペンタックスのフルサイズ一眼レフ。
自分は、1年程前に以下のような記事を書いていた。
http://7billionth-essay.blogspot.com/2014/01/1702013.html

そこでは、
  • 銀塩時代の名機 PENTAX LXをデジタル版として復活させた機種(LX−D)
  • マウントは新マウントで、かつミラーレスに思い切って変更する
というようなことを、「フルサイズ後発のペンタックス」にとってはいいのではないかと考えていた。


しかし、蓋を開けてみると、全くはずれてしまい、

  • デザインエッセンスは、LXではなく、中判カメラの67IIがモチーフの模様
  • マウントは、Kマウントで、かつミラーありの通常の一眼レフ
であった。
PENTAX 67(出典:パンフレット)

ただ、自分はこれに思った程がっかりしていない。
むしろ、ペンタックスが自身の強みを徹底的に見直し、突き詰めた結果として、こうした回答を用意したのだと理解している。

自分の考えは、オリンパスのOM-Dシリーズのフルサイズ版で、「デジタル技術で過去の名機を現代版に刷新する」という戦略だった。

デジタルカメラになり背面液晶の必要性から大型化したボディと、テレセン性のため巨大化したレンズを、「ミラーレス構造とEVFで、再度フィルム時代のサイズまで小型化する」という発想だ。

しかし、ペンタックスは、EVFではなく、光学ファインダーを選んだ(のだと思う)。
ペンタプリズムを国産メーカーとして一番に導入し、一眼レフの普及を担ってきた、というメーカーの歴史を譲りたくなかったのだろう。

さて、フルサイズ機のデザインの主張は、一言で言えば「よく見えるファインダー」だ。
特徴的なとんがり頭のファインダーは、ソニーの名機α900(デジタルカメラ史上、最も倍率の高い、最も明るくクリアなファインダーを搭載)の面影を感じる。
人によっては、LXの稀少ファインダーFA-2を思い浮かべるかもしれない。

いずれにせよ、光学ファインダーを極めるという方向性は、ソニーがα900を最後に放棄してしまった路線なので、今となっては差別化の訴求点としてあり得るポジションだと思う。(つい先日まで、日本に帰ったら中古でα900を購入しようと思っていたくらいなので、僕自身、そのニーズを持っている。)

明るいファインダーに明るいレンズをつけると、本当に世界が明るく見える。
撮影者と世界をつなぐのは、ファインダーだ。
撮影体験は、ファインダーとシャッター音、そして各部の操作感によって構成されている。このため、光学ファインダーを極めるという方向性は、とても好ましいと思う。

手元には、売却せずにとっておいたKマウントのカールツァイス Planar T* 1.4/50がある。
APS-Cでは75mmの中望遠となってしまい使いどころが難しかったが、フルサイズであれば標準の50mmとなり、開放F1.4によるボケも楽しめる。

明るいファインダーに、明るいレンズの組み合わせ。
これは正に自分にとって最高の提案になる。
続報を楽しみに待つとしよう。 

2015年1月19日月曜日

192. 2014年のカメラ業界を振り返る

今更だが、2014年のカメラ業界を振り返ってみようと思う。
ごく一部のカメラファン(キヤノンユーザー)の戯れ言なので、その点あしからず。

キヤノン
  • 何と言っても7D mark2の発売。これで近年のふにゃふにゃ開発を一掃したかに見えた。が、やはりキヤノン製センサーのDXOスコアは従来通り低調で、スコア至上主義者からは批判を受けることになってしまった。とは言え、AFは最高。位相差AFでの優位性はしばらく続く。しかし、コントラストAFやデュアルピクセルAFでは、まだまだな印象。EVFと像面での処理が依然として課題に見える。
  • 力を入れた高級コンパクトクラスでは、G1XからG7Xまで発売。つまり、マイクロフォーサーズから1インチまで、センサーサイズを揃えてきたことになる。これは、キヤノンが他社のアプローチ(マイクロフォーサーズのオリンパス、パナソニック、1インチのソニー)を認めた年だった、とも言える。つまり後追いなのだが、カメラ業界では横綱相撲とも言われる。さて、このような取り組みはいつまで続くだろうか。
  • G7Xはソニーセンサー。このため、DXOスコア高し。それでいて6万円台。元祖のソニーRX100Mk3がEVF付きとはいえ8万円台なので、やっぱりキヤノンは商売上手に見える。ただ、実際持って見ると、なんとも言えないもっさり感(デザインとして)があるのは、ちょっと残念だった。
  • G1Xは、購入して使っている。手振れ補正が動画撮影時にとてもよく、また家族の写真を他の人に撮ってもらうときにも、顔認識が働くのでピントが合いやすく重宝している。ただ、パナソニックのLX100が登場してしまった今、この機種を積極的に選ぶ必要性はほぼなくなってしまった。ほぼ同サイズのセンサーで、100g近く軽く、EVFまで内蔵されており、デザインもかなりいい。実機をUSで触れられていないのであまり自信を持って言えないが、ひいき目に見てもLX100の圧勝だろう。(G1Xの利点は、70-120mmの望遠域と、ティルト液晶、1日のダイジェストムービーを作れる機能といったところだ)
  • 今後、キヤノンに作ってほしいのは、LレンズのEF-M版。これとEVFを搭載した本気度の高いEOS Mが出たなら、僕は飛びつく。
  • 気になるのは、新しいLレンズは総じてプラスチッキーであること。もっと金属感が欲しい。コスト的にはだめなのかもしれないが。
フジフイルム
  • フジフイルムは、カメラよりも医療分野での活躍の方が目新しかったように思う。買収した富山化学が持っていた抗インフルエンザ薬がエボラ出血熱にも有効であるとして、新薬開発を発表。また、3Dプリンタの技術を応用し、再生医療分野にも進出を発表した。こういった新規参入のエリアで成果を上げることは並大抵のことではないと思う。素直にすごいと思う。
  • デジカメ事業としては、着実にレンズの本数を増やす一年で、ボディに関しては少し立ち止まった一年だったように思う。恐らく、エントリー機が想定より売れず、戸惑い、戦略の練り直しを行っているように思う。またパナソニックと提携し開発を発表している有機センサーにはあまり期待できなそうだ。
  • Xシリーズにはフルサイズセンサー化の噂があったが、今年のメーカーのインタビューを見る限り、APS-Cで腹を括ったようだ。フルサイズは恐らく別ラインにして、レンズ固定式から出してみる、くらいだろう。X100T後継機をフルサイズとし、ソニーのRX1と競わせる、というのもありそうだが、どれだけ事業として魅力的かは疑問である。ビジネスとしては、既存のXマウントのシェア向上が第一だろう。
  • しかし、X100Tをレンズを変えずに出したのは英断だったと思う。これでテレコンやワイコンが、X100シリーズ三世代を通して使えるようになった。開発初期に、開発本部長が「10年使える機種を作るぞ」と号令を出したと記憶しているが、この三世代を合わせればもしかすると10年選手にもなるかもしれない。(少なくとも6年くらいは)

パナソニック
  • 独自路線を明確に打ち出し、突き進む一年だったと思う。GM1の流れから変調し(いい意味で)、GM5へと進化した。LX100も、とてもよく研究された機種と思う。G1Xを買う前なら、完全にこちらだった(もしくはライカ版)。
  • 不思議なのは、ティルト液晶の機種をあまり出さない傾向にあることだ。GM1の後継機には期待していたのだが、見送られてしまった。もちろん小型化を優先ということはあると思うが、RX100Mk3では、あのサイズでできているわけで、やはり選択肢から敢えて外していると見るべきだろう。

オリンパス
  • オリンパスも独自路線を進化させる方向だった。EM-1は確かに持ってみると所有したくなる。EM-10も質感は劣るが、タブルのダイアルが操作性抜群で、キヤノンとはまた違った操作性の極みを見たように思う。パナはこの点に欠けている(が、デザインでは勝っている。ブランド名の女性っぽさを除いて)。
  • 最近リークした、EM-5の2型には心底惚れ込んでしまった。この比率だよ、この比率。と何度も写真を見直しつつ、得心している。初代EM-5のときもそうだったが、CP+で展示されれば、恐らく最も混み合うブースになるだろう。USにいるのが悔しい限りだ。(ちなみに、カメラやレンズの価格では、USの方が日本よりやや高めの価格設定になることが多い)

リコー(ペンタックス)
  • ペンタックスは、ここ3年くらい一人でダンスし続けている。若手が奇抜なデザインを考え、熟練技術者が中身(光学ファインダー、センサーシフト機能、JPEGのチューニング)をがっちり作る。その外と中のギャップが側から見てると楽しいが、やはり自分の好みではないのだな、と思う。相変わらずフルサイズへの参入は噂止まり。来年は出るだろうか。
  • リコーはthetaだけだけど、そろそろGX200の後継機(GXRではなく)を出すというのはどうだろうか。あとはフルサイズのGR?レンズが大きくなりそうで微妙だろうか。
ソニー
  • ソニーは今年も台風の目だった。フルサイズでもボディ多産路線とは恐れ入る。α7, 7R, 7Sのように筐体を共通化した上で、センサーだけ変更するという手法は、なるほどと思う。ただ、共通化するのなら、筐体をきちんと剛性感を持たせて作るべきだった。結果、そういった弱点を潰したα7後継機が出たが、ユーザー的にはどうなんだろう。
  • ソニーセンサーは間違いなくキヤノン以上で、JPEGの絵作りも正直言って好みだ。ただ、どうしても、カメラとして見たときに、デザインが好きになれない。例えば、ペンタ部分にある社名のロゴだが、もう少し下につけるだけで締まって見えるはずだ。また、ペンタ部とボディとの間に一段間が空いているのだが、ここをなくすよう変更した方がいい。オリンパスのEM-5後継機を是非直視してほしい。せっかく提携しているのだから、カメラとしてのデザインセンスもどうにか協力できないのだろうか。。(個人的には、オリンパスの筐体でソニーのフルサイズセンサーが入ったらと願っている。このとき、僕はマウントをキヤノンから乗り換えるかもしれない)
  • デザイン以外で言うと、AFの高速化くらいしか弱点がない。ソニーすごいなぁ。

個人的なこと
  • センサースコア至上主義に一時やられて、ニコンに鞍替えしようかとも思った。しかし、どうしてもデザインで萎えてしまう。結局は、好きになれるかどうかが重要なのだろう。
    • ニコンの一眼レフでは、なぜ、F3のジウジアーロデザインの差し色(赤線)をくちばしのようなデザインとして残した上で、ブランドカラーは黄色でありながら、ハイエンドレンズでは金色のライン(高倍率ズーム、廉価レンズのタムロンにかぶる)をつけてしまうのだろうか。こういった色の不統一について、メーカーは特に気にしていないのだろうか。(同じことがペンタックスにも言える。ブランドカラーは緑なのか、金なのか。)
    • なぜそれほどマッチョなデザインとするのか。
    • Nikonの書体はなぜイタリックにしたのか(スポーツブランドのようだ)。
    • なぜモデル名がD810のように端数を許すのか。またD7000のような四桁を採用するのか(ここはソニーも同じ)。呼称という点で、言いづらく、また愛着も湧きにくく感じる。
  • 上記のようなことは、カメラの本質(どんな写真が取れるのか(センサーと画像エンジン)、その歩留まりはどの程度か(AFとセンサーの高感度耐性能)、携帯性能はよいか(サイズ)、など)とは直接リンクしない。しかし、趣味の範疇では重要な要素だ。好きになれるか。その点には忠実でいたい(でなければ、フイルムカメラなどには手を出せない)。
  • こういった思考を経て、結局自分はスペック至上主義ではないことに気づいた。もちろん、そこそこにスペックは欲しいが、一等賞でなくてもよく、むしろ、レンズとカメラの一体感、シリーズとしての一貫性、デザインのしっくり感を重視してしまう。次に、質感性能。未だに、5DMk2が好きなのは、6Dよりも質感に優れているから。使っていて、いいな、と感じる。持って感じる剛性感。
  • そのように考えると、改めてLレンズの赤線とEOSのボディとの相性は良く、また、5DMk2のように、5Dのラインに連番が付く呼称は、自分にとって好ましいことがわかった。まだしばらくはEOSユーザーなのだろう。
  • あとは、キヤノンがセンサー性能(ダイナミックレンジ)を上げてくれることを祈るのみだ。

2014年12月26日金曜日

191. 最近のお気に入り

ARCTERYXのKhamski 38というモデル。日常でも使いたいため、Shortサイズ(30〜34L)にした。Lレンズと同じ配色で気に入っている。


nobisというカナダの会社のジャケット。Canada gooseと同じか、それより暖かい。普通の部屋で着ると汗が出てくるくらい。


このブランドのいいところは、手首周りが丁寧に造られていて、熱が逃げない構造になっているところ。

画像ではうまく説明できないのだが、左右のポケットにはサイドから手をつっこめるようになっていて、そこがフリースで覆われており、とても暖かい。
Hand warmerと店員が表現していたのだが、自分の体温で暖まったポケットに手を入れると確かに、その名の通りだと思う。

また、ジップがダブルジップで、下方のみ開けることも可能。身の丈が長いコートやジャケットはこの機能が絶対必要だと思う。(が、たまに無いものもある。)

他にも、首まですっぽり隠れること、フードにワイヤーが入っており形をある程度いじれること、前の留め具がマグネット式になっており、ジップを閉めた後はワンタッチで全面を閉められること、など小技が効いている。

普段、服装のことなどほとんど気に止めないのだが、これだけ趣向が凝らされると、いいなぁと思う。

恐らく、近々日本でも販売するはずなので(もしかすると既にしている?)、暖かくて実用的なコートやジャケットを必要とする人にはおすすめである。

190. 散々だったこと

去る12月13日(土)、Pennsylvania州に一泊二日の小旅行に出かけてみた。
初めてのドライブ旅行。
これまで毎日車で通勤し、2ヶ月半でおよそ4800km程走行した。
(毎日片道30miles 、往復で60miles = 96kmで、50日間)
いい加減車の運転も慣れてきて、よしそろそろ旅行かなと。

目的地は、Christmas Villageという村に定める。サンタの家があるとのことで、これはアメリカらしいクリスマスを満喫できるのでは、と期待を込める。

カーナビでは、片道約2時間半、134miles(214km)の距離だったが、2歳児を連れての行程ということで、途中で休憩を挟んだり、ご飯を食べたりで結局、高速を降りる頃には3時間半ほど運転していたことになる。

実は2日前から風邪気味で、少し無理を押して来てしまった。
喉が痛く、しゃべるのがつらい。
あの、水を飲むのも痛い感じである。

その上、高速を降りると残り時間表示が20分から急に45分に。
どうやら通行止めか渋滞が発生したらしく、予定していた道とは別ルートで行くことに。
すると程なくして、右へ左への山道を走ることになった。

子供は泣き出し、気持ちが悪くなってしまったようで、食べたものを吐いてしまった。
こちらも疲れがピークで、暗い山道を走るのもしんどい、
狭く真っ暗な林道を走る。
カーブを左に曲がったところで、

「あっ!!」

いきなり標識が目の前に。
可及的速やかに左にハンドルを切るも敢えなく激突。
右のサイドミラーが派手に音を立てて、窓ガラスに当たった。

ということで、保険会社に連絡し、事故処理 in Englishである。
前述の通り、喉が痛い。
喉が痛いのだが、もう話さない訳にもいかず。しゃがれ声で事故状況を説明する。
けが人の有無、他者の車の被害の有無、警察への連絡、事故を起こした場所の地名、路面の状況、制限時速、自分の車の速度、被害状況、運転ができる状態か、Repair shopの予約、車を運転できない期間のレンタカーの予約、等。

幸いけが人はおらず、また他損事故でもないので(標識は無傷)、大事には至らなかった。

しかし、事故処理で1時間喰ってしまい、再出発したのは、夜8時頃。9時にはChristmas Villageは閉まってしまう。ここから45分、少しでも見れるのなら・・・と向かったが、まさかの大渋滞である。
こんなに人気なのか。。
それでもめげずに列に並ぶ。

カーナビの地図では、この角を曲がって約1 mileでChristmas Villageだ、というところでパトカーが止まっている。
そして手旗信号を降る人。・・・?

【真っすぐ行け】というサインである。
窓を開けて聞いてみる。

「右には行けないの?」
「見りゃわかるだろう。行けないよ。今日はもうおしまいだ。駐車場に車が入らない。」


終 了 。

というわけで、ホテルで一泊し、風邪をこじらせ、僕のUS初ドライブ旅行は終わった。
翌日、家の近くのガソリンスタンドで給油をしていると、奥さんがぼそっと言う。


「なんか、ガソリン減らすために行ったみたいだね。」

Sore iu!?とつっ込んだが、よくよく考えてみると、

ガソリンが減り、サイドミラーが壊れ、信用を失って帰ってきたということになる。
散々である。

事故現場。左カーブ後に、さらに道が左に曲がっていたのに気づかず、直進してしまったため、この標識に激突。見た通り真っ暗な道で、くそ寒い(氷点下)。


被害状況。
右のサイドミラーがとれてしまい、電線でつながっている。この後、ホテルで透明のビニールテープを借りてぐるぐる巻きにし、帰り道を走った。VOLVO XC60という車で結構いい感じの車なのだが、傷つけてしまって申し訳ない限りだ。


さて、明日からNew Mexico州の砂漠地帯をドライブする予定なのだが、今度は気をつけなくては。

2014年11月30日日曜日

189.ニュージャージー州の運転免許取得試験

去る11月26日に、ニュージャージー州の運転免許試験(筆記試験)を受けて、無事免許を取得した。

翌日の木曜日はThanksgivingという祝日で、その翌日も会社が休み。

ということで、11月26日(水)に免許を取得できるのがベスト。

しかも、州の法律で、海外からの移住者は、入国から60日以内に免許を取得するよう定められている(国際免許の有効期限はあと10ヶ月くらいあるので、運転自体は一応許されるが、本来は60日以内に取得しないといけない)。自分は9月26日に入国したので、ぎりぎりのタイミングでもあった。

午前中9時半まで電話会議に出て、出発。

試験会場まで車で40分。

天候は、まさかの雪。

試験会場に着いて、6ポイントのID証明書を提出するのだが、既に30人ほど並んでいた。

20分ほど待った時点で、大声で警備員(?)のような男が話しだした。

「免許登録のためのシステムがダウンしてしまった。あなたたちは帰ってもいいし、残ってシステムの回復を待ってもいい。しかし、先週起こった際は復旧まで丸一日かかった。自分の判断で決めてくれ。」

自分の前に並んでいた男は、「ここはいつもシステムダウンしてばかりだ。先週も同じことがあって、俺は帰ったよ。」と悪態をついていた。

MVC(自動車協会)のオフィスは大体評判が悪い。

無愛想な係官に、手続きの手違い、無礼な対応、大声で文句を言われ、いらだつ受験者達、と相場が決まっている。(試しに Google MapでMVC New Jerseyと検索してみるといい。1点評価ばかりで、最悪の対応だった、これまでで最低の経験だった、というような内容のコメントをどうやって英語で書けばいいか学習できる)

なるほど、確かにそんな感じだ。
とはいえ、自分は冒頭の理由もあり、1時間は待とうと決めた。
オフィスの中とはいえ、コートを着込んでいないと寒い。

(思わぬところに落とし穴があったな。)

仕事と生活基盤の構築に時間を割いてきた結果、運転免許は後回しになってしまった。
しかもこの試験、意外と落ちることで有名なのだ。
また、受かったとしても、本来日本の免許を持っていれば免除されるはずの路上試験が、課されてしまう人もいる。


  • 試験に落ちる
  • 試験に受かったが、路上試験をやらされる


この辺りが嫌なシナリオだなと思っていた(それに加えて、会場に着けない、または会場に着いたが、受付を締め切られて受けられないというリスクもあったが、これらはこの時点で既にクリア)

しかし、まさかのシステムダウン。

前の男は、「天候のせいだ。」と言っていたが、天候に左右されるITシステムに支えられた社会というのは、どうなんだろう。

ただ、アメリカに来てから2ヶ月、こういうことにたまに出くわす。先日は、郵便局がシステムダウンを起こしてCloseしていた。

持参した柿の種をぼりぼり食べながら待つこと50分ほど。
会場の左の方で歓声が上がった。
システムが復旧したらしい!
やった!

なぜか受けられること自体に喜びを感じてしまう。
ある意味でアメリカに慣れてきた証拠かもしれない。

(アメリカでは、社会手続き系の対応が全体的に悪い。いわゆる「お役所仕事の上から目線」というのとはベクトルが異なる悪さで、具体的には「入れ墨を腕一杯にしたおばさんが、ガムをくちゃくちゃやりながら、大声でナンバーを呼び、無愛想に書類を点検した上で、9番窓口へ行け、と言うのだが、9番窓口は間違いで、また30分列に並ばされた挙げ句、途中の手続きが抜けていた、と後になって別の窓口で怒られる」というような、レベルの低いものだ。まずコミュニケーションスキルと言われるものが、ほぼないような人たちが雇われている。ここでは、「お客様は、単なる人」だし、「手続きをしてやっている」という世界だ。それでも誰も怒らないし、むしろ気遣って、「Have a nice day」と言っている受験者すらいる(皮肉かもしれないが)。ただ、なぜか、IDチェックを終えてから入るシステムの登録を行っている人たちはまともで、コミュニケーションもしっかりしていた。採用の段階で入り口が異なるのかもしれない。)

さて、自分は6ポイントのIDを以下のように提出した。

  • パスポートとI-94
  • Social Security Card
  • Union BankのATMカード

さらに、住所確認書類として、
  • Union BankのBalance Statement(現住所宛に郵送されたもの)
を提出した。
これですんなり通ることができた。
(色々な人の体験談を見るに、IDチェックで突き返されてしまう人も多いようだ。)
パスポートでは、L1ビザの確認もされたので、そのつもりでいた方がいい。
(念のためビザ関係の書類も持参したが、それは要求されなかった)
また、
  • 日本の免許証
  • 国際免許証
を持参した。人によっては、日本の免許証の英訳と英訳証明書を提出するよう求められる人もいるようだが、自分の場合は求められず、運が良かったのだと思う。
担当官は、有効期限の「平成XX年」を西暦に直すのに苦労していた。

さて、その後、写真を撮影し、お金を払い、試験会場(別の建物)に移動し、目の検査を受けてからパソコンで試験を受ける。
パソコンでは日本語訳をつけることも可能で、念のため日本語訳付きで受けた。
実際は日本語訳が謎なことも多く7割英語、3割日本語という感じで解いたと思う。
50問出題されるが、分からない問題はどんどんスキップしていい(後になってもう一度出てくるらしい)。
40問正解した時点で合格。
10問不正解の時点で不合格。
一問解くごとに正解かどうか分かるので、分かりやすい。
自分は40問/40問で無事合格。(このためスキップした問題がリピートされるという仕組みは経験していない)

試験勉強をきちんとした甲斐があった。運転教習のテキストはMVCのHPからダウンロードできるのだが、200ページほどあり、試験問題はまんべんなく出題される。このため一通り読むことにしたのだが、大体3日くらいかかってしまった。

Webには練習問題と称するページが沢山あるのだが、いまいち的を射ていないものが多く、変に難しかったり、逆に簡単すぎたりする。また、古いページの場合、模範解答が古く間違っているケースもある(罰金などは頻繁に改訂されるので、古くなりやすい)。
ということで、以下、参考までに思い出せた問題を列記するが、もし参照する人がいたとしたら、これは2014年11月26日時点での問題である点に注意してほしい。

  1. GDLが運転できる時間は?(5:01AM - 11:00PM)
  2. 21歳以上のGDLが運転できる時間は?(時間の制約はない)
  3. GDLは監督下での運転練習が必要だが、この監督を行う人の条件は?(21歳以上、NJ州の運転免許を取得し3年以上の運転経験がある、前の座席に座っている)
  4. Special Learner Permitは何歳からか?(16−17歳)
  5. GDLのProbationary Licenseの有効期限は? (1年)
  6. Basic Driver Licenseは何歳から取得可能か?(18歳)
  7. Probationary License取得の条件は?(6ヶ月のsupervised drivingを行っており、その期間に違反なく、MVCの路上試験を合格し、17歳以上である)
  8. トラック等大型の車両の後ろを走るとき、車間距離を広めるとるべきなのは、なぜか?(トラックの運転手に自分が見えるようにするため)
  9. 路面の状況が悪いとき、普段より車間距離を広めにとるべきなのはなぜか?(can take to react)
  10. 消火栓から何フィート離れて駐車すべきか?(25フィート)
  11. 結婚等で氏名が変更になった場合、何日以内に届け出るか?(2週間以内)
  12. 他の州から引っ越してきた場合、車の届け出をいつまでに出せばいいか?
  13. アルコールの血中濃度(BAC )が0.05%のとき、リスクは何倍になるか(2倍)
  14. 1.5オンスのウィスキーは他のアルコールに換算すると?(12オンスのビール)
  15. 免許を偽造した場合、どのような懲罰を受けるか?
  16. スクールバスが学校の前で乗降をしている際、安全が確認できれば通り過ぎることができる。このとき、時速何マイル以下にしなければならない?(10mph)
  17. 上り坂で駐車するとき、車輪の向きはどちらに向けるべきか?(縁石と反対側 away from the curb)
  18. スケートボーダー、インラインスケーターは、何と同じ権利をもっているか?(動いている乗用車)
  19. 子供を乗せるときには、どこに乗せるべきか?(後部座席。後部座席がない車に限って、前の座席にすることが可能)
  20. 21歳以下のGDLはsupervised drivingを行う前に、何をもらうことになるか?(2枚のDecal(前後のナンバープレートに1枚ずつ貼付するステッカーみたいなもの))
  21. Uncontrolled intersectionで複数の車が来た場合、一般的なルールは?(自分から向かって右側の車に、優先権(RIght of way)を譲る(yield))
  22. 交差点にある横断歩道(Crossswalk)の近くで駐車する場合、何フィート離れるべきか?(25フィート)
  23. 交差点で道路と垂直に引かれている白い線では、どうすべきか?(白い線の手前で止まる)
  24. Turnする場合、何フィート手前でSignalを出すべきか?(100フィート)
  25. Railroad crossing when there flashing lights, ringing bells or flag signals, 運転者はどうすべきか?(15フィート離れて止まる)
  26. 路上で縦列駐車するときは、縁石から何インチまで離れてよいか?(6インチ)
  27. If a motorist is angry or excited, どうすべきか?(落ち着くまで車に乗らない)
  28. アルコールを体外に排出するのに効果的なものは?(時間をかける)
  29. Highway Hypnosisを防止するのによい方法は?(Not looking at one thing for more than a few seconds)
  30. 前の車との車間距離は時間にするとどのくらいが望ましいか?(3秒間)
  31. Skid(横滑り)を起こしたときは、どうするべきか?(gas pedal(アクセル)から足を離す。選択肢にはなかったが、その後、Skidを起こしている方向と同じ方向にハンドルを切る)
  32. Puddle(水たまり)に入ってしまった後、何をすぐにすべきか?(ブレーキのチェック)
  33. タイヤがパンクしてしまったとき(Tire blowout)、どうすべきか?(Gradually slowing down)
  34. NJ州では何年に1回車検をするか?(2年に1回)
  35. トラックの近くを運転する際に気をつけるべき点は何か?(広い死角(no zone)があること)
  36. 赤い逆三角形のマークは?(Yield)
  37. 夜間での走行では、いつでもどの程度の目安で止まれるように運転するか?(時速XXマイルでXXフィート以内)
  38. Signalを使うときはどんなときか?(曲がるとき、レーンを変えるとき、減速するとき、のすべて)
  39. コーナーを曲がるとき、車は自然とどの方向に行こうとするか?(真っすぐ)

ちなみに、MVCオフィスはLodiにあるオフィスである。

North Bergenのオフィスよりはまともである、との評判で、確かにシステムダウン等あったものの、結果として日本の免許で路上試験をパスできたので、相対的にはいい方なのだと思う。
大体滞在時間は4時間ほどだった。
帰る頃には、車に雪が積もっていた。

「免許取得初日から、雪道かー」

考えてみると、この日、人生で初めて雪道を運転したことになる。
無事に帰って来れてよかった。


これからニュージャージーは本格的な冬を迎える。

2014年11月10日月曜日

188. 位置を変えるということ




位置が変われば、視点が変わる。

それは物理的な意味でもそうだし、
人文科学的な意味でもそうだ。

ましてや言語、文化、政治、経済が異なる世界に身を置けば、
それは、そうなる方が自然だろう。

書きたいことが沢山生まれつつある。
(それは、主に、アメリカについてである)

理解したいことが沢山できた。
(これもまた、アメリカについてである。特に歴史と政治と人間について。)

また、新たに考える視点と支点が、次々とちらついている。
(アメリカを地域に分けてきちんと考えたい。モノクロニックとポリクロニックの対比も含めて、日本とアメリカを比較して理解したい。)

日本にいるときには、どうしても徹底できなかったことが、こちらでは自然とできる(というより、強制的にせざるを得なくて)ということもあった。
(車の運転が代表的で、次に酒量の減少と、体重の減少がある。また、当然ながら英語漬けの毎日で、夢を英語で見るようになってきた。)

組織への貢献と、自己研鑽は両立可能だ。
(これは、英語の運用能力という点で。また、自分自身の判断力、洞察力といった言語に属さないレベルの力もそうだ。)

また、異なる文化圏への適応は、一人旅でのノウハウがそのまま通用することも分かった。
(クレーム対応で何度電話をかけたり、店と交渉したりしたか分からない。粘り強さと、積極性は、旅でも海外での生活でも必須だと思う。)

日々がサバイバルで、気を抜けない。
まだ、仕事では確信が得られるような働きをしていない。
作戦を考えよう。ひとつひとつ実行しよう。
休むときには休もう。
旅に出よう。

今はまだEver Noteと頭の中にあるが、ぼちぼちここに出力していきたいなと思う。

2014年10月24日金曜日

187. Breaking News

本日、2014年10月23日―

New York Cityにて、初のEbola感染者が確認された。
ギニアで、「国境なき医師団」の一員としてEbola患者の治療に当たっていた、33歳の医師である。

先ほど、9:45頃よりNYCの公式会見があり、患者のこれまでの経過や他者との接触度合い等について、NYC市長のBill de Blasio、NY州知事のAndrew Mark Cuomo、そして患者が入院している病院の医師から説明があった。

このBreaking Newsを、NYCからハドソン川を挟んで対岸にある、West New Yorkという街で見ている。
それが現在の自分である。

9月26日にアメリカに入国してから、ほどなくしてTexas州のDallasにて米国で1例目となる Ebola感染者が確認された。リベリア人の彼は、その後、不幸にも死亡することになる。

次いで、2例目と3例目が、リベリア人の治療に当たっていた看護師から確認される。
このうち1名は、結婚式の準備中で、感染成立後にウェディングドレスを試着したり、移動が多かったため、連日ニュースではその行動範囲が取沙汰されていた。

その間にも、Kansas cityでEbola疑いの患者が報告されたり、
ペンタゴンの近くで嘔吐した人がEbola疑いで隔離されたり、
New Ark airportで嘔吐した乗客がEbola疑いで隔離されたり、
と各地でEbolaパニックが続いていた。

「やがてくるのだろうか?」
ニュースを見る度に、感じていた予感は、
現実となった。

アメリカに入国してから1ヶ月もたたないうちに、自宅からわずか30分の距離まで、近づかれてしまった。
これが、現代の感染症の怖さだ。人の移動のスピードが速い現代では、潜伏期間の長い感染症は急速に広まってしまう。Ebolaは21日間ほど潜伏するらしい。この間、人は自由に動けてしまう。

以前のような、西アフリカ限定的な「局所的流行」から、今回のような「世界的流行拡大」に至った最大の理由は、このような症状がない状態、もしくは弱い状態が伸びたため、と思われる。ある意味、症状が弱くなった結果として、拡散(=被害)が加速した、と言える。

Ebolaは基本的に接触感染するタイプで、患者の体液、吐瀉物、排泄物、患者本人の体などに触れなければ感染しないとされている。
このため、Ebola患者と接触する医師や看護師が、二次感染者となりやすい。
今回のNYCの感染者も医師である。

この「医療従事者」という一定範囲から、社会的な接触レベルで感染が広まってしまうようになると、非常にまずい状況になる。

NYCの会見では、医師による経過の説明があった。
  • 患者は、10月17日にJFK国際空港に到着した。(実は、僕は前日の16日にJFK空港からDenverへと飛び立っている。1日違い(!)もちろん空港は広いし、ターミナルが違えば接触などありえない。とはいえ、これが現実なのだ)
  • 患者は医師であり、Ebola感染者と接触していたことから、自身がハイリスクにあることを認識していた。このため、一日二回体温を測定し、自らモニタリングしていた。
  • 患者が接触したのは、非常に限られた範囲の人間であり、フィアンセと、友人二人が直接的な接触があった。彼らは、現在隔離されている。
  • 患者のマンションも現在立ち入り禁止となっている。
  • 患者が最初に感じたのは、疲労感であり、Ebola対策センターのある当院に検査入院した。
  • Ebolaは症状が現れてから、他者への感染リスクが高まる。患者が発熱したのは、本日(10月23日)の朝が初めてである。従って、状況は幸運にもよくコントロールされていた、と考えられる。(本日朝、という点を強調していた。つまり、既に病院内に隔離された後に、感染可能状態になったので、公共へのウイルス暴露は事実上ほとんどないですよ、と言いたいのだ。)
会見に かじりつきながら、僕は2011年3月の福島原発事故後の政府会見を思い出す。
あの時も、パニックが起きないことを最優先とした会見が行われた。

「ただちに影響はない。」
繰り返し使われたこの言葉に、「じゃあ、いつかは影響があるのか?」と聞き返したくなったことを思い出す。

政府は、緊急事態に直面した際、混乱を避けるため、まずは「影響が深刻ではない」ことを発表する。次いで、「我々はコントロールできている」という説明をする。アメリカでは、さらに「我々は 自信を持っている」という台詞が加わる。
なるほど、これがアメリカか。

NY市長の Bill de Blasioは、英語での説明の後に、スペイン語で(恐らく同じ内容の)説明を繰り返した。彼の出自を知らないのだが、 ヒスパニックが非常に多い国であることを考えると、このような会見は効果的なのだろうな、などと冷静に思ったりする。

西アフリカでは既に4800人以上がEbola出血熱で死亡している。
事態は決して楽観できない。

富士フイルム(の小会社となった大正富山の)インフルエンザ治療薬が、Ebolaに有効かもしれない、というポジティブなニュースもあった。

しかし、本当に今後、どうなっていくのだろう?事態は無事収束していくのだろうか。
アフリカで恐らく数千人がEbolaに感染しているが、医療従事者が防護服を着ても防ぐことが難しい状況で、この数千人を治療するのに十分な、「勇敢な医師」は存在するのだろうか。

仮に、万が一、不足していた場合、どうなるのだろう?
想像には限界がある。

まずは、患者の医師の回復を祈るばかりだ。
そして、今後の三次感染が確認されないことを祈りたい。

2014年10月6日月曜日

186. New Jerseyにて その2

New Jerseyでは、車がないと生活できない、と言われている。
それは、お店が車でしか行けない距離に点在しているためだが、距離だけの問題であればバスを使えばクリアすることができるのでは、と考えていた。
また、お店に歩いていけるくらいの場所に住めばいいのでは、と考えていた。

しかし、どうやらそれだけではないようだ。
僕たちは、River Road沿いにあるHomewood Suiteというホテルに滞在しているのだが、ここから、日系スーパーとして有名なMitsuwaまで歩いて行ってみた。(ここはその昔、ヤオハンというスーパーだったらしい。ヤオハンは、僕の故郷 静岡県三島市にもあり、今となっては懐かしい存在だ。バブル期に海外展開も含めて過剰出店して、結果倒産してしまったのだ。しかし、NJ州では、その後継店が今でも大人気なのである。NJに住んでいる人でMitsuwaを知らない日系人はいないものと思われる。)

大体、25分かかって到着。
写真を撮りながら、1歳児を連れながら、ということで大人一人であれば15分くらいの距離かと思う。
車道にはところどころ切れているものの、歩道がある。
道沿いの店に入ってくる車に気をつけながら、それでも比較的苦労なく、Mitsuwaに到着。

しかし、そこで問題に気づいた。
お店に入ろうと思っても、歩道がお店まで通じていないのだ。
道路から店に向かって伸びているのは車道のみで、歩行者はどこから入っていいのか分からないような造りになっている。
(歩道が道路から店につながっていないため、一時的に車が出入りする車道を、1歳児をつれて、ベビーカーを引いて入る必要がある。とても危険だ)

なるほど、「NJでは、車がないと生活できない」と聞いていたが、それはもはや建物や敷地の造りにまで反映されていることがわかった。
こうなると、車生活を始める以外に選択はない。

会社の規定で、日本人赴任者は必ず運転講習を受けることになっている。
昨日早速受けてみた。

元々、日本でもペーパードライバーで、運転はうまくない方だ。
駐車では5〜6回切り返すのが平均である、と言えば大体程度は知れるだろう。
奥さんの方は、日本で免許をとりたてで、免許取得後に公道に出たのは1度だけという経験値である。

この二人が、15分ほどの説明後、いきなり公道を走ることになる。
まず、日本と比べて勝手が違うのは、

  • 左ハンドルである。
  • 結果、ワイパーとウィンカーのレバーが逆であり、左折、右折するたびに、ワイパーをまわしてしまう。
  • 右側通行である。
  • 結果、左折が対向車線を跨ぐことになり、日本で言う右折と同じような気の使い方になる。逆に、右折は日本の左折と同じで、最小半径で回るようなイメージである。
  • 危ないのは、左折したときで、このとき気をフッと許すと、日本と同じ左斜線に入ってしまい、対向車と正面衝突をするということだ。これをやった日本人がいた、と会社の先輩には聞いている。
といったところだ。
さらに、アメリカ特有と思われるのが、

  • Yieldというルールがある。これは、大きな道路に小さな道路から入るときに、ちょうど高速の入り口のように、道がカーブして接続しているところがある。ここに逆三角形のYieldという表示が出ている。これは、自分の道の方が優先権が低いため(正確には、yieldとは「優先権を相手の道路に譲れ」という意味であり、結果、この標識を見た側の優先権は相対的に合流する道路より低くなる)、合流する道路にいる車の動きを見て、車がいなければブレーキを踏まずそのまま合流していいが、車がいた場合は、徐行して合流するように、という意味である。このYieldの効用は、信号が不要であり、一時停止も車が少ない限り不要であることから、ガソリンと時間の節約になるというものである。ある種の合理性を感じるルールだが、運転が不慣れな自分にとっては、あまり嬉しくないルールだ。躊躇して一時停止してしまうと、後ろから衝突されるリスクがあるし、逆に合流する相手の道路状況を見間違えて行けると思うと、側面からぶつかるリスクがある。これを動きながら判断しなければならないので、運転の下手な自分としてはYieldサインを見るたびに、またか、と思うのである。
  • No turn on redという標識がある。これを理解するには、まずTurn on redという概念を理解しなければならない。NJでは(もしかすると全米でも?)、赤信号であったとしても、右折は可能なのである(!)前述の通り、米国での右折は日本の左折であり、対向車に邪魔されることなく曲がることができる。このため、交差点で自分から見て左から来る車がおらず、かつ歩行者が横断していないのであれば、例え赤信号であっても右折してよい、ということになっている。Turn on redのTurnとはTurn rightという意味なのだ。これは、運転教習の教官曰く、オイルショック後にガソリン節約のためにできた法律である、とのことだった。つまり、右折しても実質的に危険がない状態であれば、アイドリング(これがガソリンを無駄に喰ってしまう)をさせないで、曲がってしまってよい、というようにルールを変えてしまったのだ。日本では、アイドリングストップ車というように、「技術」でこのガソリンの無駄遣いを防いだわけだが、米国では、「法律」で防ごうとしたわけである。なんというか、こういうのをカルチャーショックというのかな?と思う。Turn on redはあくまで自己責任であり、歩行者を見落としてしまったら事故につながってしまうわけで、日本では、こんな改正法案は、改悪法案としてみなされてしまうだろう。ここらへんが、根本的に日本と異なる。背後には、「個の価値観の優先度」「安全への意識の違い」「合理性」などがあるように思う。さて、話を標識に戻すと、Turn on redという標識は存在しない。この概念は「標識に表示されていなくても、当たり前のこと」なのだ。このため、この常識が禁止されている箇所にだけ、No turn on redという標識を掲げている、ということになる。この標識がある交差点では、たとえ赤信号であっても、右折をしてはならない・・・!というのは、日本人からすると「いつも通りにしていればよい」ということだ。むしろ、この標識がない場所で、赤信号で自分が先頭で右折のウィンカーを出しているときに、歩行者もおらず、左から来る車もいない場合であっても、日本の感覚からすると、右折はしないのだが、そうすると、後続車から非難囂々なのだろうな、と思ったりする。

2014年9月27日土曜日

185. New Jerseyにて

今日から米国である。

9月26日 16:50に成田を出発し、同日の16:30頃にNYCのJFK空港に到着した。
フライトが大体13時間かかる上に、時差が13時間あるため、出発した日時とほぼ同日時に到着することになる。これが、アメリカ東海岸側の特徴だ。

通常家族帯同で赴任する場合、夫が先に出国し、家を決め、一通りの生活基盤を整えてから(1ヶ月後くらいに)妻と子供が出国し、現地で合流するというのが一般的らしい。

しかし、我が家はまだ手のかかる1歳児がいるため、「家族同時に出発」という道を選んだ。

結果、11箱の段ボールと衣装ケースを手荷物として移動させることとなった。かなり大荷物で、カート一つには載りきらない。成田空港でも、JFK空港でも、またホテルでもちょっとした引越作業の様相を呈していた。

ただ、いずれの場所でも、手助けしてくれる人はいて、特にJFKでは6ドルかかる手荷物カートを2台も貸してくれて、かつ、税関まで一緒に通ってゲートまで荷物を運んでくれた人までいた。(全日空所属と思われる白人の方だった。また、同じく全日空所属と思われる韓国人の方も荷物の積み込みに手を貸してくれた。この人たちがいなかったらと思うと、ぞっとする。最後に、Welcome to US! と笑顔で言っていただけたのが印象的であった。本当にありがとうございました。)

僕はL1ビザというもので入国したのだけれど、通常のimmigrationとほとんど変わらないような手続きで入国できた。聞いていた話では、通常のカウンターとは別にimmigrants用のカウンターでビザ関係書類の提出が必要とのことだったのだが、特に書類を提出することもなく通り過ぎてしまった。

担当官には書類の提出は不要かと確認したのだが、全く必要ない、とのことであった。
ルールが変わったのだろうか。謎である。

さて、米国には出張や学会で5回ほど来ている。そのうち、3回は支社のあるNJ州だ。
というわけで、ちょっとは地理や習慣を見知っているつもりになっていたのだが、やはりまだまだ全然であった。

今日学んだこと。

  • レストランでチップを払うときには、レシート(兼 支払い明細書)上にチップ代を明記しないといけない。普通のレストラン(というか、Bear's Burgerというハンバーガー屋)では、チップの相場は、15, 18, または20%であった(レシート上に選択肢と、それぞれの金額が印字されている)。サービスへの満足度に応じて選択する方式だ。僕は、チップ代を含めて多めに渡したのだが、レシートへのチップ代の記載をしなかったため(正確には、20%に丸をしたのだが、それでは通じないらしく)、見事にチップ分のおつりが返ってきてしまった。
  • 1ドル未満のコインの使い方が下手である。コインの種類を覚えた上で、少し練習しないと咄嗟に払えないように思う。これは聞き取りの問題も含まれる(さらりと言われる2桁の数字を正しく捉えないといけない)
  • 大抵、レストランでは食事中にEverything is OK?的なことをスタッフから聞かれる。このとき、つられてOKとかGoodとか言うのだが、アメリカ人を観察していると、Perfetct!とか、割と大きなリアクションでほめていた。なるほど、うまいと思っているときには、あれくらいのリアクションをしてもいいかもしれない。(今日行ったBear's Burgerという店は確かにうまかった。)

小さなこと、些細なことでも、勉強だ。
まずはアメリカ生活ってこんなかんじ、というのを自分の中で咀嚼できるよう、ひとつひとつ意識して理解していこうと思う。

2014年9月23日火曜日

184. Rockstar

A Great Big WorldのRockstarがとてもいい。
写真新世紀の会場でかかっていた曲で、あまりにいいので歌詞を聞き取り、検索して探し当てた。今日、それを聞きながら引越作業をしている。この時間サイクルの短さが、現代らしくて心地いい。

さて、明日には荷物を搬出し、金曜日9月26日には、いよいよ出国だ。

先日、米国支社で上司になるVice Presidentと1 on 1でミーティングをした。
相手のExpectationを確認するために自ら申し込んだものだ。

いろいろと聞いたけれど、何より心に残っているのは、
「Excitingしているか?」
という一言だ。

楽しめよ、ってことだろう。
そうだよなぁ。そういうものだってことだろう。

いろいろと不安はあったり、焦りはあったりするけれど、もうここまで来たら、やるしかない。

興奮と勢いで、あらゆるボタンを押してこよう。
前向きに、真剣に、そして楽しむ。
気分は、Learnerだ。何もかも、先生にしてしまおう。

突き抜けた先に、どんな世界があるのかは分からない。
けれど、踏み出そう。アクセル全開で。

(ただ、事故には気をつけないとなぁ。New Jersey州は事故が多くて有名だ。)

2014年9月13日土曜日

183. Farewell party

大使館面接も無事終わり、後はビザの発給を待つだけだ。
引越の準備はまだまだだが(自作の壁を壊さなければ)、不要品の回収は大体めどがつきつつある。
あとは、郵送の転送設定に、引越の荷造り、そして友人・知人へのお別れの挨拶である。

ここ最近、会社の同僚や同期、写真サークルの友人達とお別れ会を開いてきた。
今日は写真サークル仲間とのお別れ会だった。
このサークルの参加者も、徐々に代替わりしてきて、もう僕の年代はピークアウトしてしまっている。サークル本体に出ても、もう僕にとっての「いつものメンバー」は、あまりいない。

その点、今日の会は、「いつものメンバー」でほっとした。
天気もよくて、清々しい。
出国前に会えてよかったなと思う。

ふと、「人狼ゲーム」をやっていたことを思い出す。
まだ子供が生まれる前で、時間にゆとりがあったとき、
4年くらい前だろうか。最低でも8人程いないと成立しないゲームである。
みんな、時間があったのだ。
そういう人生の余暇の時期だったのだと思う。

やがて、結婚し、子供が生まれ、転勤があり、と大きな転機を迎え、場所を変え、時間の過ごし方も変わっていく。

人狼ゲームは疑心暗鬼になる心理を楽しむ、という緊迫感のあるカードゲームだが、今となっては、「懐かしい」と思う。

懐かしさは、「安心感」を伴う。なるほど、僕も随分と人間らしくなってきたものだ。

2014年9月8日月曜日

182. やってみよう。一生懸命。

10月1日より、米国に赴任することが決まった。
これから約20日後の9月26日には引越で、米国に向かうことになる。

世界的に見て、臨床開発が最も盛んで、進んでいるのは米国だと思う。
これは、9年前、今の会社に入社する前から知っていたことで、「いつかは米国で挑戦したい」と思っていた。
その小さな夢が叶いつつある。


いよいよ仕事人生、第二幕。
勝つか、負けるか。
五分五分といったところ。
不安と緊張で、息が詰まる。

実際に行くことが決まり、具体的にその日が近づくと、
こんな疑問がふと頭をよぎる。


「通用するだろうか?」


海外で活躍するスポーツ選手も、渡航前にはこんなことを思ったかもしれない。
なんて、そんなスター達に比べるにはあまりにも些末なサラリーマンだが、それでも、どうしたって重ねてしまう。別にいいだろう、脳内の話である。

非ネイティブで、留学経験なし。
帰国子女というわけでもない、純国産製の32歳。

英語は、この履歴から考えると、そこそこだと思う。
TOEICで900点は超えている。
しかし、実際のところ、どうだろうか。

冷静に「引き」で見てみると、恐らく、「スタートラインに立てているかどうか」という程度に過ぎないように思う。
英語に不安がない、と言えば嘘になる。
900点という点数はその程度だ。
きっと、例えば米国でMBAを取得した人などからするとよくわかるだろう。
TOEIC 900点は、その程度なのである。

仕事は、あちらでも、臨床開発を担当する。
新薬の開発である。

今と同じ種類の仕事だが、文化的な要因が強い職種でもあり、勝手が違うのは明らかだ。
また、非常に言語に頼った仕事である。
すごくざっくり言うと、20%がサイエンスで80%が言語で出来ている、と言っても過言ではないくらい、言語に頼った職種である。

アメリカ人同士の手加減の一切ない会話の中で、自分はついていけるだろうか?
なにがしかの貢献(つまり、米国人のチームに喜ばれる、よい働き)はできるだろうか?
組織の信頼を得ることはできるだろうか?

電話会議で、「日本人向けに手加減した英語」の中であれば、特段の不都合はない。
しかし、彼らの世界の中で、彼らと同じ土俵に立ったとき、自分はどこまで「通用するのだろうか?」というのは、本音のところではわからない。

恐らく、五分五分だ。

アメリカ人の中で、アメリカ人と比較される競争社会。
恐らく、始めは負けばかりだろう。
それで挫折してしまう人もいる。

うーん。
超微妙。
自分はどうだろうか?
お前はどうなんだ?

一朝一夕で突然成長することなんてない。
だからこそ、ある程度覚悟しておかなければならないのだろう。

答えは簡単だ。
自分の気持ちを、
心構えを整える。
そして、ベストを尽くす。
それだけだ。

なんだかスポーツ選手みたいなことを言っているな、と思う。
だが、しかし、結局根本のところは、スポーツと同じなのだ、とも思う。
(だからこそ、スポーツがこんなにも人の心をつかむのだろう。そういえば、2014年9月6日、錦織圭が、日本人というか、アジア人初のUSオーブン決勝進出を果たした(!)実はベスト16に進む試合は、アメリカで観ていた。と言っても、テレビだけれど。それでもリアルタイムだった。世界4大大会におけるベスト16進出は日本人としては96年ぶり、ベスト8進出は92年ぶりらしい。そして、決勝進出は、アジア勢初。なんという素晴らしさ。彼の「粘りのテニス」は、心を打つものがある。決してサーブが速いわけではない。「Marathon man」と言われるように、彼は長期戦に強い。なるほど、そういった点でも見習いたいなと思う。また、ボクシング、フライ級の八重樫の試合。こちらは負けてしまったが、それでも心を打つものがあった。彼は王者で、挑戦者を迎え打つ立場だったが、相手は、3階級制覇を狙う天才ローマン ゴンザレス。素人目に見ても、明らかに次元の異なる相手に、八重樫は、戦いに戦い抜いた。テクニックで勝てないと判断すると、打ち合いを選び、本当にふらふらになるまで戦い抜いた。その姿勢は、闘志そのもので、がんばれ、がんばれ!と応援せずにはいられなかった。八重樫は負けた。しかし、観客は惜しみない拍手を送った。僕は、別にボクシングのことは詳しくないけれど、これが特別な試合であることは理解できた。そして、八重樫という選手を覚えることになる。一つ下の彼に、心から敬意を表したい。)

気持ちがあって、
心があって、
努力をする。

このシンプルな連鎖を、丁寧に、本気でやる。
これは、スポーツでも、仕事でも、人生でも、全部に言えることなんじゃないか?
そんな風に思っている。


最近、自分の中で、「グローバルに通用するもの」は何だろうか?と考えている。

例えば、アメリカには日本人の美容師が少ない。
その現状を知り、「もし日本人の美容師がいれば、間違いなく通うのだが」と思ったとき、なるほど「美容師の技術は、国を超えるグローバルなものなのだな」と思った。
もちろん、顧客はアジア人が多くなるのかもしれない(その意味でどこまでグローバルかという議論はあるにせよ)が、少なくとも「髪を切る」その動作は、どんな国であっても再現可能であり、その点でグローバルなのだ。

また、経済から見ても、少なくとも、日本人コミュニティーがある地域においては、日本人美容師は確実に生き延びることができる。

例え言葉に問題があっても(英語が片言であったとしても)、日本人コミュニティー、韓国人コミュニティーなどに知られれば、安定的な顧客を見込むことができるからだ。
(なんせ、アメリカの美容師には、直毛をカットする技術がない。変な角刈りになる。そのことを分かっている日本人駐在員は、日本人に切ってもらいたいし、その人数は一つのマーケットを形成する。日本人美容師のみなさん、Come on!)

さて、上記のようなことを考えたとき、美容師の仕事の大半は、「非言語の技術」で構成されていることに気づく。
この点でスポーツや音楽に近いと言えるだろう。
そして、スポーツや音楽に国境がないように、美容師の技術にも国境はないのだ。
従って、彼らの職能は、グローバルに通用する、ということになる。


さて、翻って、自分はどうだろうか?
英語は、通用すると胸を張って言えるほど大したレベルではない。
(入り口に手をかける資格くらいはあると思うが)

臨床試験の知識も、国が変われば、規制も変わり、ビジネス習慣も異なる。
(もちろんベースの部分では、共通であるが)

そうなってくると、後は、「一生懸命さ」「勤勉さ」「仮説思考」という、本当に根本の部分しか残っていないことに気づく。

これは大変なことである(!)
まるで、一回生まれ変わるような、そんな変化と言ってもいいかもしれない。

しかし、だ。
言わせてもらおう。
これこそ、自分が望んでいたことなのだ。

繰り返す毎日、
刺激の少ない日々、
退屈な時間。
そんな時間を吹き飛ばすような刺激を!

安寧の日々から、
激動の毎日へ。
やってやろうじゃないか。

まずは、できることを一生懸命しよう。
初めはバカにされるかもしれない。
恥ずかしいことなんてたくさんあるんだろう。

・・・ちくしょう。
今に見てろよ。

僕は、いつだって、負け犬からのスタートだ。
そう思ってきた。
静岡の片田舎で、ちくしょう、とつぶやいていた頃から、
僕は変わっていないことに気づいた。
そうだ、そうだ、そうだった。
これこそが、自分のスタイルだ。
負け犬であり、挑戦者だ。

負け戦、最後には絶対勝つ。
これが、僕本来の信条である。


のんだ

2014年8月13日水曜日

181. 今更ながらEvernote

世の中の流れについていっていない証拠のようで恥ずかしいのだが、今更ながらEvernoteにはまっている。
既に利用している人にとってはつまらない情報だが、以下が概要。


  • Evernoteは、クラウドベースのメモアプリ
  • iPhoneでも、iPadでも、iMacからでもアクセスでき、入力も閲覧もシームレスにできる
  • メモをとる(テキストを入力する)だけでなく、メモに写真を挿入することが容易にできる
    • アプリ上でできるのがミソ。このため、例えばラーメンの写真を撮るときに、ラーメン店の名前を入力し→写真を撮って→食うというワークフローが実現する。これまでは、写真を撮って→食って→後日ラーメン店の写真を見ながら店名を思い出して、しかるべき場所にUpするという行程だった。当然完結まで時間がかかるし、めんどうで、やり忘れて、写真だけがたまっていく。
  • チェックリストがすごい便利。日々、手帳で管理していたaction itemがすべてiPhoneでできるようになった。
  • いつでも持ち歩ける安心感。ID関連の備忘録にも威力を発揮。(ただしセキュリティ面でやや不安なので、暗号で記録している)
  • 写真とテキストの組み合わせで、デジタルスクラップが容易にできる
    • 雑誌で気になったページだけ撮っておき、捨てることができる
  • 英語の勉強でも効力を発揮。手書きでメモったノートを写真で撮っておく。要点はテキスト入力でまとめておく。見返しやすいし、なくさない。まだやっていないけど、音声メモも添付可能。
  • 専用のメールアドレスにメールを送るだけで、Evernoteにノートを作れる。どこからでも、「とりあえずEvernoteに入れとくか」のような使い方が可能。
  • 結果、Evernoteは第二の海馬として、機能する。


これぞクラウドサービスというアプリだなとつくづく思う。
これに、スケジュール管理のアプリ「SnapCal」を組み合わせることで、紙の手帳が完全に不要になってしまった。

結果、これまで8年以上愛用してきた、フランクリン手帳と決別することとなった。
最近は、紙媒体の書籍も極力買わないようにしている。
iPadで電子書籍を読み始めると、紙より快適であることに気づいたからだ。
また、クラウドベースで利用できるので、いつでもどこでも身近にある、という感覚がある。

ここ数ヶ月で急速に身の回りが電子化されてきた。
こうして、少しずつ、身の回りのモノを減らしていきたいと思う。
目指すは、現代のノマドのような、ミニマルな生活だ。

(しかし、他方で、デジタルデータへの依存度が高まれば、その分だけ、デジタルデータのバックアップが問題になる。今は写真については、外付けHDD 2TB ×3台体制で、ある意味力づくでバックアップしている。また、Mac自体はタイムマシーンで常にバックアップしている。これに加えて、クラウドストレージを利用すればさらにリスクは抑制されるだろう。結局、根本的な思想として、ノマド的な発想までには至っていないのが実情だ。
それにしても、もっとスマートな方法はないのだろうか。。)

2014年6月29日日曜日

180. レンズが欲しい。

7月に山形の実家に帰省する。
こういった機会(旅行)にかこつけて、レンズが欲しくなってしまうのは、もう持病みたいなものだ。

今、メイン機種はCanon EOS 6Dで、以下のような布陣をとっている。

標準ズームレンズ(24-70mm F2.8L USM)
広角ズームレンズ(17-40mm F4.0L USM)
望遠ズームレンズ(70-200mm F4.0L USM)

旧型の大三元と、小三元の組み合わせ。
単焦点は、

ULTRON 40mm F2.0
EF 40mm F2.8
EF 50mm F1.8
EF 50mm F1.4

と標準域に偏ってしまっている。

さて、焦点距離としては、17mm - 200mmまで一応カバーできているので、大抵のものには対応できるのだが、複数のLレンズを1歳7ヶ月の子供を抱っこしながら持つのは正直しんどい。

かと言って、フォーマットをフルサイズから下げるつもりもない。

最近、Lightroomで管理する上で、「カメラは一つ」にすることが大事だと思っている。
複数のカメラからばらばらに写真を読み込むと、一度セレクトを終えたはずのフォルダにまた新しい写真が入り込んできてしまい、三途の河原状態になってしまうのだ(何度も何度も写真の選別を繰り返すことに)。

ということで、「One Camera」を優先するとすると、カメラを使い分けるという選択肢がなくなってくる。例えば、最近流行の大型撮像素子(1型以上)のコンデジでズームをまかない(つまりズームで撮るものは、そこそこ品質で我慢する)、フルサイズ機にはコンパクトな単焦点をつける(メイン機種は画質重視)、という戦略は取りづらい。

カメラを一つにしなさい、と言われたらやっぱりフルサイズのデジタルカメラとなってしまうのだ。
(撮像素子が大きいほど画質としては望ましいが、中判は価格的にフイルム機以外は手を出せない(60万円〜)。しかし、フイルム機をメインにするのは、今のワークフローから考えるとかなり難しい。となると、デジタルで手を出せる最大サイズのフルサイズがメインとなる)

となると、EOS 6Dにつける「レンズ」を工夫するという方向になる。
これが、レンズ交換式カメラのビジネス原理であり、かつマウントによる制約を受けた購買行動となる(と分かっていてもやめられないのが・・・)。


さて、最近タムロンから、28-300mmのフルサイズ対応レンズが発売された。
いわゆる高倍率ズームで、画質を重視すると最も選択されないレンズなのだが、上記のようなニーズには完璧に合致している。

先日ヨドバシカメラでニコン用ではあったが、触る事ができた。
実は過去、タムロンの高倍率ズームレンズを使用していたことがある。まだ、PENTAXのK200Dをメインで使用していた時期だ。
(余談だが、今はタムロンがPENTAXのOEMとして高倍率ズームレンズを出しているので、「PENTAX機でタムロンの高倍率ズームレンズ」という組み合わせ自体が今となっては昔の話である)。

店頭で久しぶりにタムロンのレンズを触ると、そのときの感覚がよみがえってきた。

「そうだった、そうだった。こんな感じで軽くて、伸びて。」

似ている部分もあるのだが、当然進化も感じられた。
昔(2008年頃)のように、下を向けるとレンズがだらしなくズルズルと伸びてしまう、というようなことはなくなっていた。簡易防滴とあるように、鏡筒の組み込みはきっちりしている印象だ。また、トレードマークの金の輪っか(これが如何ともしがたかった・・・これが嫌で手を出さなくなってしまった)が、やや黒っぽいグレーとなり、全体としてシックな印象になった。

つまり、確実に質感性能・デザイン性能はアップしているということだ。
AFも悪くないし、手振れ補正も効いていると思った。

ただ、欲を言うと、なんというか「高揚感」のようなものがないのだ。
軽いレンズを求めておきながら、矛盾しているのだが、レンズが軽いとどうしても「いいレンズ感」が下がってしまうのだな、となんとなく思ってしまった。

(なお誤解を避けるために書くと、タムロンのこのレンズは大ヒット中である。ヨドバシカメラでは6/26入荷〜6/28の三日間で全店で完売になってしまったとのことだ。特にキヤノン向けは、純正の28-300mmが1.6kgを超える巨漢レンズであり、値段も25万を超えるという「一般市民にとっては事実上存在しない」という状況であることから、フルサイズ機のライトユーザー(自分も含む)には待望のレンズとなっている。この焦点距離をカバーして、かつ、フルサイズのイメージサークルもカバーして、その上540gと計量で、6万円台というのはやはりすごいCPだ。従って、総じて「いいレンズ」なのである。)

と、そこで、手に取ったのがSigmaの35mm F1.4 DG HSMである。
新生SigmaのArt line(芸術作品での使用を意図した光学性能重視ライン)の一番頭として登場したレンズだ。フラッグシップと言われ、「最高」の概念を覆すとまで喧伝された。

現在Art lineには標準域の50mm F1.4 DG HSMもラインナップされている。こちらも光学性能ではカールツァイスのOtus(40万円超のMF専用レンズ。標準域のレンズではほぼ世界トップクラスのレンズ)と、光学性能で、そこそこいい勝負をすると評判だ。

自分は50mmの方が、主題を明らかにしやすいという意味で、好きだ。
50mmには詩的なものを感じる。
しかし、家族との写真となると「やや狭いな」と感じてしまう。

(なお、広角になるほど、多くの景色が画面に入り込み、結果状況説明的となり、記録的となってくる。もちろん、建築や室内空間など広い対象を主題にした写真であれば問題ない。一方、より望遠になると、メインの被写体以外が入り込む余地がなくなり、主題を際立たせることができるが、一方で、状況が分かりづらくなり、家族写真としては微妙になる。標準域(40〜50mmくらい)はその間を取り持ち、状況と主題の双方に手を出せるが、結果、中途半端になりやすいという面も持つ。)


例えば、テーブルを挟んで家族を撮ることを考えると、50mmの場合はまずテーブルが入らない。どこにいるのかあまり分からない写真になってしまう。一方、35mmの画角の場合、テーブルの上が入り、料理と一緒に撮る事ができる。
撮る被写体が変わってきたということか。

また、既に50mmは2本持っているということもある。
これらを考え合わせると、自然と、35mmが気になってくる。

触れてみると、鏡筒の造りが非常にいいことに気づく。
高級感がある、滑らかな表面処理。
また、フォントも含めて、プロダクトとして美しいと感じるデザイン。
そして、開放から安定して使える芯のあるピント面。
なるほど、確かにDxO mark scoreでも高評価を得るだけあるなぁなどと思う。
やや彩度の低い写りをする、渋みのある絵作り。
華やかさよりも、透明感を重視している印象だ。
30cmまで寄れる最短撮影距離。これならテーブルフォトにも十分使えるだろう。

総じて「使ってみたいと思わせる何かがある」と言える。
Sigmaは現在の山木社長になってからか、随分と変わったなと思う。
何か一つ吹っ切れたような印象がある。

Productへのこだわりや誇りに溢れ、
また、それが思想として立ち現れているような。

Foveonセンサーを搭載した、DPシリーズもそうだ。
最新機種のQuattroは、現代彫刻のような造形をしており、未来のカメラのようで好感を持てる。(ただし、エルゴノミクス的に握りやすい形状かと言うと、そうでもない)

このQuattroとSigmaの新シリーズのレンズ群は、確かに並べてみると、「ある一つの設計思想に基づいた作品群」という気がしてくる。
端的に言えば、Apple製品に近い。

一つ一つの形状は異なっても、共通する何かがある。
それは、Sigmaが提唱するGlobal Visionというものなのだろう。
いやはや変わった。改めて思う。

さて、35mm F1.4 DGは665gである。
35mmでおおよそのことは撮れるとしても、やはり広角と望遠を用意したくなる。
羽黒山の杉林に五重塔がそびえ立つ様子は、35mmではやや狭いだろうし、日本海に沈む夕日は150mm以上で撮りたいだろう。それが人間というものである。

となると、
広角ズームレンズ(17-40mm F4.0L USM)475g
望遠ズームレンズ(70-200mm F4.0L USM) 705g
と併用することになるだろう。
総重量、1.84kgか。6Dが電池込みで755gなので、約2.6kgか。
これに計量の三脚など諸々をつけると、4kgは超えてしまう。

あれ、なんで新しいレンズを買おうとしていたのだっけ?(→ 一行目に戻る)

2014年6月2日月曜日

179. 嵐が去って

怒濤の1ヶ月だった。
突発的な出来事と、それに引き続く事後対応に追われ、追われ、追われに追われた。
そして、ようやくここに来て普通の土日を過ごせるようになった。
とりあえず、お疲れさま。>自分とチームのみなさん

それにしても、自分の仕事人生(と言っても、まだ8年と少しに過ぎないが)で一番集中していたように思う。朝4時まで仕事・・・というのも初めての経験だった。

こうしたピークをなんとかしのぎ切って、一段落すると、
まるで「受験生の受験後」のように、精神にぽっかりと空白が生まれる。
それは、心身ともに疲れ切った証でもあるし、一種の「集中の反作用」でもある。

「集中と弛緩」の弛緩だ。
これはこれで、必要なのだろう。

さて、そんなときには、いろいろな事が大脳新皮質に去来し、支離滅裂に「〜って、〜なんだよな。」としみじみ思ったり、納得したりする。おそらく、自分の記憶のハードディスクをデフラグ(領域整理)しているのだと思う。
今日は、そんな心に去来した話を、アトランダムにつらつらと書こう思う。


  • 今日は、1歳半になった息子と、児童館に行ってきた。

子供の遊具で、三角や四角のブロックを、その形に合った穴に入れる、というものがあるが、これがようやく出来るようになってきた。
ただし、3つの穴があったとして、それぞれに対して全部入るか試してようやく入れられる、という状況ではある。(頭を使うというより、試してガッテンというかんじ)


とは言え、少なくとも、この遊具のコンセプト(形合わせ)は理解しているようだ。
そして、それは、「形」(トポロジー)という概念が既に備わっているということを暗示している。成長したもんだ。


  • ここ最近の怒濤の業務で、2週間で3kg痩せた。

しかし、その後、2kg太って、結果としてあんまり変わっていない。
(基本、ストレスがあると食べてしまう方なので。ただ、昼飯を食べ忘れて気づいたら夜10時だった・・・というようなアホみたいな忙しさは初めてだった。)

しかし、今日は暑いな。
今年一番の夏日らしく、地域によっては35℃を記録したらしい。
東京は29℃くらい。
ビールがうまい。こんな日は、ベトナム式に氷を入れて飲むといい。
グラスは薄はりのものが最近のお気に入りだ。
ビールは、よなよなエール。もしくは、麒麟一番搾り。


  • 仕事は彫刻のようなもの
仕事は、いい。
最近しみじみ思う。
もちろん、死ぬほど忙しいのが続くのはしんどいが、やればやるほど、結果、わかる事が増えてくる。

「ここは、もっとこうすべきだ。」
「ここは、こうして。」
「そこは、こうだ。」

仕事は立体的なもので、集合的なもので、そして、「あるべき姿」があるはずのものだ。
それは、喩えるなら、彫刻家が大理石の塊に相対しているような、そんな状況に似ている。

彫刻家には、彫るべきラインが見えている。
完成形が見えている。
それは彼の頭の中にあって、彼の手足は、それを実現するための道具だ。

しかし、腕のよくない彫刻家は、すばらしい完成形を具現化することができない。
想像の世界では、あんなにすばらしいものだったのに!
しかし、研鑽を積む事で、彼の手足はより理想に近づいていく。
完成形を実現する精度が増してくる。

「ここは、もっとこうすべきだ。」
「ここは、こうして。」
「そこは、こうだ。」

そうやって、彫刻刀を入れるべきラインを正確に見いだし、あるべき角度で、あるべき溝を作る。その溝の集合が、表面の凹凸を成し、形を成し、全体は完成形に近づいていく。

(なお、頭にそもそも完成形を描けないというのが最も悪いパターン。次に、頭には完成形が描けているのに、それを具現化できないというパターンが来る(上記の例はこちら)。また、具現化はできるけど、そもそも完成形が凡庸な場合もあり、別の悩ましさがある。ここら辺は、写真の作品作りにも通じる部分があるなぁ。)

ちなみに、僕の仕事は、医薬品の臨床開発で、科学的思考、論理的思考、規制要件への理解、チームワーク、コミュニケーション能力、そして言語運用能力(英語、日本語両方)が必要とされる。「スーツを着て、チームで行う科学」が、臨床開発だと思う。彫刻とは一見すると、かけ離れた職業だ。

しかし、それでも「あるべき姿」があるという1点において、両者はつながっている。
(と、なんとなく確信している)

さて、その性質に着目すると、「スーツを着て、チームで行う科学」なのだが、一方で、量的側面に注目して振り返ってみると、この仕事は、大半が「言語」で行われているということに気づく。
90%が言語である、と言ってもいい。

チームでの情報共有、上司への説得、当局への説明、医師とのディスカッション、海外支社とのミーティング、他部署との打ち合わせ、プレゼン、報告書の作成、外注会社への指示、すべては言語で成立している。(もちろん、その内容は、科学(医学と統計学がメイン)に立脚し、規制要件を踏またものでなければならない。)


そのように考えると、言語(書き言葉、話言葉)は、彫刻家の一刀一刀に相当するものに思えてくる。
そうであるなら、言語運用能力というのは、鍛えても鍛えても足りないのだろう。
そういった意識が重要なのだと思う。

また、言語を運用する以前に、「何を書くか」の方がさらに重要と言える。
それを決めるのは、内容に直結する、科学と規制に関する知識だ。それにさらに、テクノロジー(臨床開発であれば、Risk Based ApproachやQuality by Designといった新しい概念に根ざした手法など)が加わる。

こういった専門分野の各領域には広がりがあり、ある程度散策し、知識を収集する必要がある。こういったことを怠ると、前提としている知識が古びてしまい、結果として、アウトプットの精度が落ちてしまう。

そうやって彫刻刀の原料を仕入れて、言語で成形し使用する、ということが繰り返される。
その繰り返しに、一種の面白さがある。
よく切れる彫刻刀もあれば、そうでもないものもある。
さて、また異常なくらいの数の刀をこさえよう。

  • 生活の中心に写真を据えてみる
4月初旬にiMacを初期化するという事態に遭遇し、「所有物の価値」について考え直すことになった。
購入したアプリケーションは、比較的簡単に復旧できた。シリアル番号さえわかっていれば、手間ではあるが、再度インストールすれば元どおりだ。
また、音楽ファイルも、iTunesから購入したものは、iCouldから再度落としてくればすぐに元通りになる。

つまり、既製品、商品といったものは一旦失われてしまっても、復元可能であると言える。
また、それは例えば机や椅子といった家具であってもそうだろう。それそのものが仮に修復できなくても、代替品を別途購入する事はできる。
さらに拡張すると、住居であってもそう言える。特に、賃貸の場合、地震で大破してしまったとしても、代替品を用意できる。一旦失われても、再生可能なものは案外多い。

しかし、写真データの場合、そうはいかない。

オリジナルは、自分の手によって生成される。
このオリジナルデータが失われた場合、それはもう、本当にそこまでなのだ。
そういった意味で、写真やそのデータを私生活の中心軸に置いてもいいように思う。

幸いにも、今回は、写真データはほぼすべて外付けHDDに入れていたので大事には至らなかったが、一部、加工した写真のオリジナルデータをiMacに入れていたため、失われてしまったものもあった。

さしあたっては、バックアップをきちんと取ることだろう。
既に2台体制でバックアップしているのだが、頻度を多くする必要があると思う。
また、大事な、これといった写真は、プリントしておきたい。

  • 萬馬軒のはなし
約4年ほど前まで、目黒駅のすぐ近くで一人暮らしをしていた。
そのとき、萬馬軒というラーメン屋が近くにあって、ものすごく旨いというわけではない(食べログで3.1〜3.3くらい)のだが、それでも、「町の中華ラーメン屋さん」という気楽なかんじが好きでよく行っていた。
特にネギ味噌ラーメンと、ごまの担々麺が旨かった。

昔を思い出しつつ、先日、会社から目黒のその店まで歩いて行ってみた。
すると、全然違うラーメン屋になっているではないか。

「つぶれたのか・・・」

ショックを感じながら、そのラーメン店に入ってみる。

麺屋 航(わたる)

という店で、つけ麺や煮干し系のラーメンが揃えられていた。
濃厚つけ麺を選ぶ。
「六厘舎」や「中華蕎麦とみ田」といった魚介+動物系の濃厚ダブルスープを指向したスープで、六厘舎のようにほぐれた豚肉が入っており、また、もみじの軟骨成分のようなトロミもあった。臭みもなく、うまく処理されているなと思う。麺の風味は「津気屋」のような小麦の風味を感じるつるつるとした中太麺だった。
丁寧に仕事しています、という感があり、とても好ましい。

「これは、萬馬軒よりうまいわ・・・」

という別のショックを感じながら、スープ割りを頼む。
出汁で薄めるだけでなく、ゆずの皮を少し入れるのは、六厘舎ライク。でも、もはやこれは伝統的・正統派と言ってもいいのかもしれない。
それくらい広まったし、実際に合うのだ。
さて、食べログを見てみると、確かに高評価で3.51をマークしている。なるほど、確かに旨いわけだ。

しかし、店舗の移り変わりは激しい。
人の行う営みこそ、移ろいやすいもので、こういった「久しぶりの来訪でショックを受ける」現象を「ウラシマ現象」と呼んでいるのだが、今回もウラシマ現象を感じてしまった。それは、決して嬉しいことではなく、なんとなく、寂しいものだ。

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後日談。

実は萬馬軒はつぶれたわけではなかった!
今は桜上水に移転しているらしい。2012年2月に移転したそうだ。

しかも今見てみたら、食べログで3.5をキープしている。(3.5以上で星の色が変わり、高評価であることがわかる。経験的に3.5以上なら万人に勧められるレベル)

今では、「桜上水の名店」として知られているらしい。

目黒のときから味がさらにブラッシュアップされたのか?(目黒時代は3.1~3.3だった)
それとも、場所が変わって相対的に当該地域の他店より高く評価されているのか?

今度確かめに行こうと思う。
いや、違うな。

どちらにせよ、結局問題じゃない。

「萬馬軒が今もある」という事実が嬉しいのだ。
また、ネギ味噌ラーメンや担々麺を食べられる、ということが素直に嬉しい。
またお邪魔させてもらいたい。
」ようy

2014年5月10日土曜日

178.  うなずけるが、少々かなしい

このブログは、もともと旅行記をまとめていたWebサイト(7billionth.com)の一部として始まった。
しかし、本体の方のサイトは2011年が最終更新で、今はこのブログの更新がRSSで表示されるだけになってしまっている。

最近、このページを作ったときにリンクを張った、同じく旅行記を主題としていたページに行ってみた。いや、正確には行ってみようとしたら、行けなかった。

「サーバーが見つかりません。」

とのことだ。どうやら、サイトを閉鎖してしまったらしい。
残念なことだ。

同じように、お気に入りに入っていた写真系のサイトでも、結構な割合で閉鎖が見受けられる。3割くらいはなくなってしまっている印象だ。

中には、保存しておけば良かったと思えるサイトもあり、残念で仕方ない。

無料のブログサービスと違って、個人のWebサイト運営には、ドメインを取って、サーバーにスペースを借りる必要がある(もちろん、独自ドメインを取らない方法もあるが、アドレスを自由に決められない、サイトの構成に制約がある、などの条件がついてしまう)。これらには、大体年間数千円〜1万円くらいかかってしまう。

以前も同じようなことを書いたように思うが、

個人がHTMLでサイトを運営(1999年くらいから2006年くらいまで全盛)
→ブログサイトで日記を書く(2004年くらいから)
→SNS(2005年くらいからmixiに始まり、2008年頃からFacebookへ)
→Twitter(2009年頃から)

のように、個人でWeb siteを運営するというのは、完全に流行から外れてしまった。
コストもかかるし、手間もかかる。リアルタイム感がないし、大体、HTML編集用のアプリケーションが売られなくなってしまった(AppleだとiWebはもう更新されていない)。

考えてみると、どんどん「リアルタイム感」のある形態が選択されて行っているように思える。また、クライアントPCからサーバーへ、システムの中心が移動してしまった。
腰を落ち着けて、サイトを構築する、というのは(商売でやる以外では)受けないのだろう。

そして、旅サイトというのも、継続が難しい理由の一つだろう。
旅を自由にできるのは、多くは、大学生〜社会人(20代)〜社会人(30代結婚・出産前まで)といった時期に限られるのだろう。
自分の場合も、「結婚しても、子供ができても、海外旅行に年1回は行きたい」と思っていたが、実際に、そういった状況になってみると、かなり夢を見ていたなぁと思う(まだ完全に諦めたわけではないが)。

仕事で求められる役割も、20代からは確実に一段上がってくる(それはもちろんいいことだ)。
プライベートで求められる役割も、変わってくる。今は父親としての役割がある。(それももちろんいいことだ)。

アドラーの言う「人生のタスク」にまともに取り組んで、歩みを止めなければ、経験することになるはずの、何の変哲もない、この変化。

これらと旅の両立は、なかなかできない。
それは、それでいいことだ。
そして、新しい楽しみを見つけていく。状況に応じて、柔軟に、自分を変えていく。

休日の公園、シートの上に寝転んで、子供がハイハイする様子を眺める。
天気がいいなぁと、写真を写す。日常に根ざした楽しみ。
そういった新しい時間の過ごし方をするようになる。
僕は、「家族連れ」になったのだ。

こういった変化は、他の旅サイトを運営していた人たち(おそらく運営当時は20代後半だったはず)にも訪れているのだろう。

そして、多くの人生の選択の中で、「自分の軌跡を記す」という行為そのものが、優先順位の低いタスクになったのだろう。主語は、「自分」から徐々に「自分たち」になっていくものだ。

それはとても自然な成長である。賞賛されるべき、成長だと思う。


僕は、7billionth.comをいつまで続けるだろう?

サイトを始めた2008年には世界人口は68億人くらいだった。先を見越して「70億分の1の世界」という名称にしたわけだが、現実は想定を簡単に追い越して、今や世界人口は71億8千万人らしい。

名前が時代に追い越されても、まだしばらくは続けていたいと思う。第二章、みたいになったらいいのにな。