2012年1月4日水曜日

108. 2011年〜2012年(結婚式と北京旅行)

>みなさま
 あけましておめでとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2012年1月4日 管理人カジ
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さて、2012年もいつのまにやら4日目である。というのも、昨日まで北京に旅行していたためだろう。旅行は、インプットの情報量が多いので、そっちにメモリを使ってしまい、時の移り変わりにはその分鈍感になりがちだ。
北京では、奇妙なことに、新年になっても「メリークリスマス色」が抜けていなかった。どうやら、「新年」と「クリスマス」がほとんど区別なく「なんとなく楽しいイベント」という位置づけのようである。
これは、恐らく、旧暦に基づいて新年を祝う習慣があるからだろう。旧暦だと、1月末〜2月にかけて新年を祝うことになる。もちろん、カレンダーでは西暦を採用しているから、1月1日が2012年の始まりであることは中国でも間違いないのだが、いわゆる「年末年始」のイベントは旧暦に従って行われる。
これは、同じく旧暦を採用するタイでも同じで、タイではもう少し12月の年末と1月1日の新年を祝う雰囲気はあるのだが、やはり12月25日を過ぎてもクリスマスムードは抜け ず、1月になってもちらほらとサンタ姿を見かけることができる。

さて、北京旅行の所感をざっと振り返っておきたい。北京に訪れるのは今回が初めてで、これまで中国は、香港と桂林には行っていたのだが、首都である北京では、その経済の発展振りを多いに感じることができた。
・まず、ビルが、道が、超でかい。12車線の道路があったり、何気ない道路でも8車線は当たり前だ。また、ビルのサイズが日本とは比べ物にならない。大陸の文化(見栄の文化とも言われる)なのだろうが、六本木ヒルズライクなビルがぼんぼん立っている。「国貿」という駅の周辺には富裕層と外国人向けの大きなショッピングモールがたくさんあるが、その雰囲気は六本木ヒルズやミッドタウンのようなハイセンスなもの(欧米チックなもの)で、グッチやシャネルやディオール、D&Gやモンブラン、その他一般的に高級と言われるブランドが一通り揃っている。また、その店舗のサイズも、ビルが大きい分だけ立派で、日本ではちょっとお目にかかれない規模だ。(万年筆で有名なモンブランだが、それ専用の展示ブースが常設されていたり、日本では小規模な展開の欧米ブランドが、大きな店舗を構えていたりと、高級品の充実振りは目を見張るものがある。日本で三越が中国富裕層向けに、接客対応を充実させる理由がよく分かった。こんな所でショッピングを楽しむ人であれば、三越のような百貨店でなければ満足しないだろう。というよりも、銀座や日本橋の三越でさえ、「Too small」な印象さえ持たれてしまうのではないか。)
・そのような経済発展の華がきらびやかに咲くすぐ傍で、昔ながらの胡同(フートンと読む。言ってみれば「下町の細い道/区域」のようなもの)がそこかしこに点在し、今も昭和の街並のような雰囲気が漂っている。超高層ビルのエリアから2駅でも離れると、平屋作りの家が並び、夜1人で歩くにはちょっと怖いくらいだ。僕たちは、地上80階にある「The Lounge」というカフェで中国茶を飲んだその日の夜に、今度は夜の北京の下町を散策し、その落差(貧富の差)に唖然とした。こういう落差が一つの街に隣り合わせで存在しているのが特徴と言えるかもしれない(と言っても北京市だけで、16800キロ平方メートルもあり、日本で言えば、大体「四国」と同じくらい(正確には四国は18806キロ平方メートルで少しでかいが)ということを考えれば、不思議ではないのかもしれない)。
・冬の北京は寒い。毎日、-7℃〜+1℃くらいの間である。しかし、きっちりとした防寒をすれば、観光することは可能だし、秋の行楽シーズンには中国人観光客でごった返すことで有名な万里の長城も、閑散とした雰囲気で(まぁ雪が降っていたくらいなので)、長城をきっちりと写真に収められる。
・今回のアクティビティーは以下の通り。
万里の長城(慕田峪長城の方。世界遺産)頤和園(いわえん、北京最大の庭園。西太后が愛した庭で世界遺産)川底下村(せんていかそん、昔ながらの四合院造りの建物が並ぶ山間の村)雑技観覧(朝陽劇場)京劇観覧(梨園劇場)天壇(明清時代の皇帝が祭祀を行った祭壇。世界遺産)現地中国人から世界一うまいと太鼓判を押された小龍包屋(大望路の新光天地ビル内にある「鼎秦豊」という店)現地中国人おすすめの北京ダックの店「鴨王」
・今回は、ANAの溜まったマイルで飛行機を取ったので、行き帰りの往復はほとんどかかっていない。特に帰りの便では、エコノミーの座席が満席になってしまったことを受け、追加料金なくビジネスクラスにアップグレードしてもらえた。これはラッキーである。日本酒は、栃木の地酒「開花」の純米酒だった。うまし。
・体重は65キロから67キロにアップグレード。結婚式に向けて落とした体重を見事に取り戻しつつある。もともとリバウンド前提でダイエットに取り組んできたのだが、こうも見事に跳ね返ってくると我ながら呆れてしまう。

・体重の増加が物語るように、中華料理はおいしい。もちろん、オイリーであるが、その多彩さには毎回、敬意を感ぜずにはいられない。
・日本が今現在、中国に勝っていると誇れるものは、
「ラーメン」
(中国では、麺がゆるく、また出汁のレベルもまだまだだ。「李先生」という牛肉麺のチェーン店がかなり出店しているが、この麺もいまいちだった。一方、現地中国人がすすめるジャージャー麺の店「京味麺大王」では、もちもちした程よい中太麺だった。つまり、もちもちした食感の麺が喜ばれるのは北京でも同じだが、それが十分には浸透していない様子。日本の有力店にはチャンスではないだろうか。既に熊本の「味千ラーメン」は出店しているようだが(少なくとも空港にはあったし、香港では多数見られる)、もっともっと進出していいと思う)
「ウォシュレット付きの便器」
(是非、TOTOとINAXには、どんどん進出して、中国のトイレ事情を改革してほしい。ウォシュレットそのものでなくても、温かい便座だけでもOKである。北京は寒いし、需要は必ずある。)
「接客サービス」
(富裕層向けの中国のサービスが悪いとは思わないが、逆に共通する部分が多いので、日本式の接客サービスは喜ばれるのは間違いない。その徹底振りを中国人で再現できれば、必ず受け入れられるはずだ。)

・一方で、確実に負けているのが、
「テレビ番組の豪華さ」
(宿泊したHoward Johnson Paragon Hotel では、運良くNHKが映った。このため、紅白歌合戦を見れたのだが、ちょうど時差が1時間あるため、NHKで紅白がフィナーレを迎えた後、1時間ほど遅れて中国の紅白に相当する番組も見ることができた。日本では、紅白は豪華な番組だと思う。特に今年は、バックに大型のディスプレイを配置して、松任谷由美の「(みんなの)春よ来い」では、桜の花びらがCGで舞っていた。それでも十分美しいとは思うのだが、中国の紅白ではそのディスプレイが大体2倍くらいのサイズで、形も円形というか螺旋形というか、不思議な形をしている。ステージの奥行きもすごい。NHKホールのサイズが大きくないという制約があるにしても、豪華さが半端じゃなく違う。日本では、花吹雪が舞うという演出があるが、中国では、美しい衣装を着たダンサーがステージから観客席にかけて宙吊りになって舞っている。AKB48は確かに多いが、中国ではソロの歌手が謳うときでも、何故か50人くらいのバックダンサーが常に踊っている。とにかく、ショーの演出にかける費用に差があるように感じた。言ってみれば、北京五輪のオープニングのような壮大さをテレビでもやっているかんじだ。)
「部屋のでかさ」
(北京は分譲マンションが高騰し、広くは住めないと言っていたが、「最低でも80平米」だそうだ。おいおい、東京や神奈川や埼玉で、「80平米」だったら、「ゆとりの間取り」と宣伝されるレベルだ。)
「人口」
(当たり前だが、それだけの人が働くので、巨大なものも作れるし(つまり巨大な労働力)、それだけの人が消費するので、巨大な市場となる。)

・北京散歩という会社に車のチャーターをお願いした。ここが「当たり」で、万里の長城、頤和園、川底下村と快適に旅行できた。頼んだチャーターのプランは、「日本語が話せない中国人ドライバーだが、意志疎通をしたいときは携帯で日本語通訳と話すことができる」というプランだったのだが、オフシーズンだったこともあり、その一つの上の「日本語ができるドライバー」によるチャ—ターだった。2日間で、キョウさんとリュウさんという二人のドライバーと話したのだが、いずれも日本語が堪能で、運転も丁寧で、日本人の好みがよく分かっている人だった。北京のことも彼らから日本語で教えてもらうことが出来た。
・北京市内の人々の1ヶ月の平均賃金は日本円で4万〜5万円らしい(2800〜3500元)。そのうち、狭い家に住むとしても1000元くらいが住宅費に当てられる。
・こう聞いてしまうと、中国はGDPで日本を抜いたけれども、購買力としてはまだまだだなと思うかもしれない。しかし、中国を見る場合は、「平均値」で語ってはいけないと思う。むしろ、「区分」と「実数」で語るべきだ。例えば、「日本円で年収550万円以上の世帯は何件か?」という「区分」と「実数」で見るべきだ。正確な統計は知らないが、恐らく、日本を既にかなり上回っているはずだ。もしかすると、数倍の数がいるかもしれない。巨大な国なので、そういった「平均のマジック」にかからないように注意すべきだろう。

・中国では、タクシーの運転手や、街にいる人、店員に、英語が通じない。日本並みだと思う。また、マクドナルドというものにも、中国流の漢字名が付いている。スターバックスもそう。Howard Johnson Hotelは北京宝辰飯店である。ベンツにも漢字名がある。ここは中国。中国語で表記せよ、ということだろう。中国語をやる意味はここにある。

・ビールは総じて、薄い。実際アルコール度数も3〜4%のようだ。青島ビールは少し高い方で、ヤンジンビアというさらに安い銘柄がある。ただ、いずれにせよ、満足度は低い。強い酒となると、紹興酒(Chinese Yellow Wineと表記されていて、何かと思ったら紹興酒だった)があるが、瓶で出てくることが多く、飲みきれない。
・北京は総じて平和。天安門近くには常に公安がぞろぞろいるし、地下鉄は入り口に必ずセキュリティーチェックがあり、手荷物のX線検査をしなければならない。おかげで、地下鉄は落書きもされておらず、また照明も明るいので、イタリアのような薄く暗く怖いかんじは全くしない。むしろ、日本と同じ感覚。
・北京のタクシーはぼってくることもある。特に夜の天安門では10元ほどの距離で、1人目は80元と言ってきて、二人目は100元と言ってきた。頭に来て、タクシーはやめて、地下鉄で帰った。地下鉄は1人2元で二人で4元。こんなものである。

冬の北京はとにかく、寒い。ただ、オフシーズンなので、写真的にはよいし、交通も十分機能しているので、案外良い旅先と思った。

さて、順番は前後してしまうが、2011年の12月23日に結婚式を無事終えることができた。
来てくれた友人には本当に感謝である。
籍を入れてから約1年かけてゆっくりと準備してきたのだが、その準備も報われた気がした。というのも、僕たちが気を配ったところを、「誰かが必ず見ていてくれた」ことが分かったからだ。
会場の綱町三井倶楽部、大正時代から続くこの洋館はとても素敵だと思う。外装も内装も、僕たち二人はとても気に入っていた。同じように、この場所をいい場所だと言ってくれる人が何人もいた。
また、料理とワインも二人とも気に入っていた(ワインセラーが有名なところらしい)。当日は、ほとんど食べず、飲めずだったのだけれど、何人かから料理もワインも良かったと嬉しい感想を聞くことが出来た。
給仕の人もしっかりしていると思っていた。というのも、ここは平日は三井系企業の迎賓館として使用されており、相応の対応を常に求められている。このため、接客の対応も安心できる。友人の何人かから給仕さんがとても良かったと教えてもらった。
新婦は、もともと服飾デザイナーだったこともあり、自身のウエディングドレスと、カラードレスを手作りしていた。その製作期間は7ヶ月。パターンから起こし、刺繍のデザインまで自分で考えていた。縫い付けたビーズは1000個を越える。ミシンは稼働させ続けた結果、15年間故障していなかったのにも関わらず、12月になって故障。基盤交換に出し、最後の仕上げはレンタルのミシンで行った。花のコサージュを、友人に協力してもらい、手作りし、それらをドレスにちりばめた。協力してくれた友人は、19人に及ぶ。部屋は7ヶ月間、工房の様相を呈していた。この努力を、きちんと感じ取ってくれる人達がいた。
謝辞の挨拶も、ちょっと涙ぐんでしまったのだが、最終的にはきちんと自分の言葉で自分の気持ちを伝えることができて、よかったと思っている。
そして、写真。友人に頼んだ写真を今見返している。自分の大切な瞬間を、信頼できる友人に撮ってもらえたことは、素直にとても嬉しい。
思えば、私たち二人の出会いも、写真サークル「ニーチ」のおかげであり、写真を通じて人生が豊かになってきたように思う。
私たちは、12月23日から、1日1日と遠のいて行くけれど、写真は、深々とそこに根を下ろし、とどまっていてくれる。
これから、写真を見直すことで、私たちの12月23日を、違った視点からリフレインさせてみようと思う。

小説家の北村薫は、優れた小説の読み手でもある。彼は、「小説を読む、ということは、一度しかない自らの人生への反抗である」と言った。これに倣って言うなれば、「写真を読む、ということは、一度しかない自らの人生への反抗である」

今年も、人と写真とつながっていたい。

2011年12月21日水曜日

107. 薮原十区(7年越しの来訪)

明後日、結婚式を挙げる。
そのための準備として、今日、麻布十番にある「綱町三井倶楽部」に行って来た。
一通り、送ったドレスを広げると、昼食だ。

ここ1年程、外食と言えば、「食べログ」を見てしまう。
この口コミサイトは、下手なガイドブックより、よっぽど信頼ができる。
「麻布十番」でランキングを表示すると、「薮原十区」という店が3.9点という高得点を獲得していることに気付く。

「・・・?」

僕は、何かにひっかかった。
「薮原十区」という店名、どこかで聞いたことがあるような。

記憶を丹念に辿ると、学生時代、東京大学の駒場キャンパスに通っているときのことを思い出した。確か当時、「食」というものに徐々に目覚め始めていて、「駒場東大駅」周辺の「美味い店」というのを、今はなき「東京グルメ」というサイトで検索していたのだった。

「東京グルメ」というサイトは、後に、ライブドアにより買収され、今はライブドアグルメというサイトに変更されたが、結局、「食べログ」の人気に押されてしまい、今となっては存在感が薄くなってしまった。


それは、さておき、「薮原十区」である。
駒場にあった「薮原十区」は当時でも、非常に高い評価を得ている魚料理を出す店だった。ただ、ディナーで1万5千円は学生には高すぎた。
そのため、行ってみたいけれど行けない、という状態のまま、やがて、研究室が大阪大学に移転し、自分も大坂に引っ越し、その後、東京に就職して、、という流れの中で、その存在を忘れてしまっていた。

その淡い思い出の「薮原十区」と麻布十番の「薮原十区」とはどんな関係なのか。
たまたま、名前が同じなのか。
それとも、系列店なのか。

ネットで調べてみると、すぐに分かった。
正解は、
「同じ店」ということだった。

つまり、駒場にあった「薮原十区」が麻布十番に移転した、ということなのだ。

なんという偶然。
駒場東大にいたときは、僕側に、この店に行けるだけの準備が整っていなかった。
しかし、今は違う。
昼は安いというのもあるが、今であれば、当時よりもこの店に行きやすくなっている。
それは、「準備が整った」ということなのだろう。

僕個人からすると、しかるべき準備が整ったら、そこに店が現れたような、不思議な感覚を抱いた。

そんなわけで、薮原十区に7年越しでようやく訪れることができたのである。
大体、麻布十番という場所は、結婚式や仕事など、何らかの「訪れる理由」がない限り、行かない場所だろう。だからこそ、その場所が、自分にとって「行く必要がある場所になった」ことと、「その場所に薮原十区が現れた」ことが、偶然にしても奇遇に思えてならなかった。


また、この店が看板もなく、カーテンも閉まっていて、一見さんお断りな風情を漂わせていることも、この不思議な感覚を抱かせる一因となっている。

店内に入っても、メニューがない。
口頭で、今日のメニューを伝えられるだけだ。
広いキッチンには主人が1人で、腕を振るっている。

席と席が離れた、すこしガランとした店内。
シンプルな内装。
オーダーをすると、「時間がかかるけど、いいですか?」と聞かれる。
全てが、「味第一優先」であることを示している。

果たして、僕の頼んだ「鰆の醤油焼き」はふっくらとした焼き上がりで、水分が多い、旨味を閉じ込めた仕上がりだった。
奥さんが頼んだ「カジキ」は、濃厚な脂が載っていて、まるで肉のような焼き魚だった。
どちらも美味。

薮原十区に限らないが、
自分に準備ができると、自然と、それが現れてくる。
今回の再会を通して、人生とはそういうものなのだな、と思った。

2011年12月7日水曜日

106. 70億分の一の世界(2011年10月31日〜2012年3月12日)


サイト名「7 billionth part of the world」の意味は、「70億分の1の世界」です。
このサイトを作り始めた2008年6月16日23時55分、世界人口は66億8209万0721人でした。一人一人にそれぞれの「世界」があるとすると、僕がここに残す全てのことは1/66億8209万0721の世界にすぎないんだなぁ、と思い、そのまま名前に拝借しました。
(正確に書くと「6.68 billionth」となるのですが、あまりに長くなるので・・・「7 billionth」としました^^;)
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このブログの本体である、「7billionth.com」を作成した2008年時点では、世界人口はおよそ66億8千万人。それからわずか3年半で、世界人口は70億人を突破したようだ。

ようだ、というのは統計の取り方によって、70億人に到達するタイミングが2011年10月31日から2012年3月12日まで幅があるためだ。まぁ、一介のサラリーマンには、正確な統計が必要なわけではなく、「大体70億人を越えたらしい」という情報でも、大きな問題はない。
正確な時期がどうであれ、当初の、「6.68 billionthだと長くなるので7billionthとしました」というのは、わずか3年半〜4年で現実のものとなった、ということだ。そして、すぐに「過去のもの」になるのだろう。
おびただしい人の命が生まれ、ざわめき、ついえていく。
その繰り返しのなかに、僕はいる。それが、ときどき、不思議に思えてしまう。
70億分の一の世界を抱いて、明日も生きられることを感謝しよう。

2011年11月27日日曜日

105. 最高の一日

最高の一日の出来事は、最高の一日のうちに書くべきだろう。

今日、宮崎駿監督に会った。
両親が住む町の喫茶店で、結婚式の打合せをしていたのだが、
フラッと監督が入って来たのだ。

実は7〜8年前に、僕はこの町で宮崎駿監督を見かけたことがある。
そのときは、「なんでここに?っていうか、本物?」と
存在自体を疑ったのだが、その容姿は100%宮崎駿監督で、そっくりさんにしては出来過ぎているなぁと思ったものだった。
(すれ違ったのは、畑のすぐ傍の一本道で、決して有名人とすれ違うようなオシャレな(?)環境ではない。そのことも相まって、この記憶は少し現実離れした、夢のような記憶になっていた)

それが、今日は喫茶店で、2m程先の席で、ノートを開き、万年筆でモレスキンのノートに何かの構想を書き綴っているのである。
すれ違う、のとは訳が違う。
すぐそこに、宮崎監督はいるのである。

ここで、僕は一瞬躊躇した。
「今話しかけたら、仕事の邪魔をすることになるんだろうな。
嫌な顔されちゃうかもな。
そしたら、こっちも若干嫌な感じになってしまって、
これから宮崎駿作品をニュートラルな気持ちで観れなくなってしまうのかな。」
そんな一抹の不安がよぎったのだが、
もう、こんなチャンスは二度と訪れない。
意を決して話しかけた。

「宮崎駿さんですよね?」

僕の声は緊張で小さく、監督は

「え?」

と聞き返した。
そこで、もう一度聞く。

「宮崎駿さんですよね?」

「そうですよ。」と。

「いつも観てきました!握手をしていただいてもいいですか!?」

もう直球である。
「いつも観てきました」というのも日本語的に訳が分からないのだが、(例えば、毎週やっているテレビ番組の司会者に対してなら成り立つが、映画監督に「いつも」というのは正確には不正確だ)それでも勢いで言ってしまった。

すると、監督はちょっと笑いながら、スッと手を差し伸べてくれた。
がっしりと、握手した。
無骨な、温かい手だった。
この手から、ナウシカの絵が生み出され、
この手から、トトロやキキやシータやパズーやポルコロッソが生み出されたと思うと、
感激だった。

宮崎監督は隣にいた僕の奥さんをみて、
「奥さんですか?」
と聞いてくる。

すかさず、嫁さんも

「小さい頃から大好きで、ずっと観てました!」
と、握手をしてもらう。

いい人だ。
仕事をお邪魔してしまって恐縮だったし、
正直、話しかけるのは勇気がいったけど、
しっかり話をしてもらえた。
それが感激過ぎて、その後、結婚式の打合せは上の空。
ずっと「宮崎監督と握手できてよかったなぁ〜」と何度も何度も振り返ってしまった。

それにしても、ノートにはびっしりと構想が描かれていた。
それは絵ではなく、文字だった。

宮崎監督は今も現役で創作活動をしているということだ。
午後の喫茶店で、ノート一冊と万年筆一本で構想を練る。
そんな「創作者」の姿を目に焼き付けて、その場を去った。

監督、ありがとうございました。


さて、その4時間後に、嫁さんのお父さんと会食をした。
お義父さんは、とあるカメラメーカーのカメラ部門のトップで、
毎回、色々なことを教えてくれる。

僕は、実はあまり知られていないのだけれど、カメラ好きだ。
デジカメウォッチ(新製品の発表等、正式情報がいち早く載るサイト)とデジカメinfo(アングラな新製品情報、新製品の噂がいち早く載るサイト)を観ることが、日課になっている。
(お義父さんはたまにデジカメウォッチに出てくるので、その度に「うおっ」となる。)
そんなわけで、お義父さんとは、新製品に関してかなりフレッシュな状況で議論ができて、とても、とても、極めて愉しい。

特に今回は、お義父さんが前回話していた新機種を一通り触って、自分の中で意見がまとまっていたので、話が弾んだ。
デジカメウォッチで見た、あのインタビューのことや、デジカメinfoで見た、あの新製品のことも、かなり本気で議論できた。

今回印象的だったのは、とある機種の問題点を問われて、
答えた問題点が、プロのカメラマンから寄せられた問題点の1位と2位にまんま合致していたことだ。
プロカメラマンと同じ意見だったというのが素直に嬉しかった。

また、これから始まる新シリーズの設計思想に関しても、周辺情報から予想していたロジックを正直に話してみた。

この製品の市場での立ち位置から考えて、◯◯には制約がある。
その制約を考えると、××はありえない。
とすると、△△は、□□にならざるをえない。
しかし、一方で、デジカメウォッチのインタビューでは、このように答えている。
そのギャップを埋めるのは・・・

この内容はここでは明かせないが(まぁ実際はここで明かしても世の中的には全然問題ないかもしれないけど)それがそっくりそのまま、開発チームの思考過程と一致していたというのは、僕にとっては非常に嬉しいことだった。
やっぱりそうか、と。

これからの新製品は、ある分野でかなりの風雲児になりそうだ。
2012年も、カメラから目が離せない。

2011年11月26日土曜日

104. 3.11のその後(Blind)

3.11は日本人にとって「カイロス」である。
と、書いたのは今年の4月5日。
(カイロスとは、その前後で世界観が変わってしまうような「節目」という意味。古代ギリシャ人の時間観念は、「連綿と続く時間」=「クロノス」と「連綿と続く時間を分断する節目」=「カイロス」から成り立っていた。分かりやすい例は、9.11はアメリカ人にとって「カイロス」である。)

東日本大震災。
その後の福島原子力発電所の破綻と、まき散らされた恐怖。

恐怖、というものを直接的に脳内に届けられた経験は、
そう多くない。(幸いにも)

それも、多くの人が、比較的長い期間、そのような感情に曝露された、ということが非常に重要だ。

その結果、日本という国の、いろいろな部分が変容していくだろう、というのはズブの素人の占い師であっても、寝起きの馬鹿であっても、容易に想像がつく。

特に、幻想と共同意識の産物である、映画、小説、漫画では、半年程度のラグを経て、変容を見せるのだろうな、というのが僕の密かな読みだった。

それは、寝起きの馬鹿であっても、ズブの素人の占い師であっても簡単に予想できる程度の低次元な話なわけだけど、それがそっくりそのまま現実になってみると、

「ああ、やっぱりか。」

と妙に愉快になってくるもんだ。
人は、まずショックを受け、立ち尽くし、咀嚼し、人に言いふらす。
その期間は、ショックの大きさに応じて変化するわけだが、今回の大震災では大体半年くらいのラグがそれに見合っていたということだろう。
今、漫画にせよ映画にせよ、「3.11その後」というものが、ある程度冷静に、またある程度、皮肉って表現されだしている。

そんなわけで、今日紹介したいのは、短篇映画「Blind」である。

ガスマスクすら、デコってしまう感性が、「ああ、日本人」って思えてくる。
それが、リアルだし、同時に、デコって日常のものにしてしまう逞しさと、アホっぽさが、「ああ、日本人」って思えてくる。

世界一、我慢強く、
世界一、お人好しな、
世界一、他人行儀で、
世界一、日本的な日本人

っていう印象。
実は、今回の地震で、日本人は世界でも類い稀なる特質を持っていることを世界に示したのではないか、と思っている。
パニックを案外起こさない。
デモもすぐにはやらない。
静か。
逃げ出さない。

それは我慢強さ、という度を超している、と外国人のみなさんには映っただろうし、日本人としては、他にやりようがなかったという感覚もある。
いずれにせよ、日本人は静かにその日を迎え、耐えて、耐えて、徐々に復興が始まっている。これは、外国人のみなさんには不思議な現象かもしれないが、事実、そういう民族なんだ日本人って。

この過程そのものが、日本人のアイデンティティを示しているのだろう。
良かれ悪かれ、事実が証明している。
我々は我々である。

原発が危なくなっても、生命の危険が近づいて来ても、やっぱり日本人は日本人。
いい、とか、悪い、とかではなく、どうしようもない現実として厳然としてある。
そして、その特質は希有なものだと言っても、僕はいいと思う。

2011年10月23日日曜日

103. みらいのカメラ(画素→光線へ)

以前、ペンギンカメラの店主と世間話をしているときに、

「最近、すごいカメラがアメリカの方で出て来た。」

という噂を聴いた。
何やらとにかく画期的で、これまでの写真の概念をひっくり返すくらいアレらしい。
確か、今年の2〜3月くらいの話だったと思う。

そのときは、気にも留めていなかったのだが、先日、例によってデジカメWatchを見ていると、気になる記事を発見した。

【Lytro、撮影後にフォーカス自在の「ライトフィールドカメラ」を2012年に米国発売】



記事によると、
「通常の撮像素子に特殊なマイクロレンズを配したという「Lytro Light Field Sensor」により、色と輝度に加え光線の方向も記録。再生時にフォーカスを自由に変更したり、表示を2Dと3Dでシームレスに切り替えられるとしている。」
らしい。

焦点が合ってる所が、撮影後に変えられる?
どういうことだ?
と思った方、ぜひ以下のLytroの公式サイトに行っていただきたい。


確かに変えられてしまうのである。
しかも、思ったより全然自然で、こう近くの物を見た後で、遠くの物を見る感覚を味わうことができる。画像上で。

一眼レフ、もしくはミラーレスカメラを持っている人は、絞りを開けて、被写体のバックをボカした写真を良く撮るが、思ったところにピントが来ていないと「ああ!」となってしまい、ガッカリしたり、やるせなかったりする。
ところが、このカメラのシステムでは、「ピントは後から自由に変えられます。」というわけだ。

恐らく、ペンギンカメラの店主が「概念が変わる」と言ったのはこのことなのだ。
なるほど、撮影で最も気を遣うもののひとつ「ピント」が、
このシステムでは撮影時には気にも留めなくていい存在に成り下がるわけだ。
それが写真をやる人にとってどういう意味を持つのか、いいのか、悪いのか、は今の段階ではよく分からないが、とはいえ、概念が変わってくるのは間違いない。

しかも、出来上がった画は、意外にも現行の3D写真のように、チラチラと見にくい画ではなく、普通の写真(デジカメ写真)と遜色がない。
本当に、ピント面をずらせるデジカメ写真です、というかんじだ。
これなら、マーケットも反応すると思う。

さて、そんな奥行き方向の情報すら記録するこのカメラでは、「解像度」を表す単位も従来とは異なっている。
「画素」ではなく、「光線」。
うーん未来だ。「光線」。

1100万光線、とのこと。

画素数(ピクセル数)に対応させるとどのくらいになるのかな?
(恐らく結構少ないとは思うけれど)

それにしても、重量は214gで全然普通のコンデジと変わらない。
形状が筒状で独特なのだが、シンプルな外観はアップルに通じるものがあり、好感が持てる。
とりあえず、米国のみの販売のようだが、2013年には日本にも入ってきているだろう。

今から楽しみである。

2011年10月19日水曜日

102. 204800(動き出した)

兼ねてより噂のあったキヤノンファンにとってのX Day 2011年10月18日。
新型iPhone並の期待感で待っていたのだが、果たしてその期待は裏切られなかった。

プロ向けハイエンドフルサイズ機「EOS -1D X」が発表された。

兼ねてより噂のあったとおり、EOS-1D系(小振りなAPS-Hサイズのセンサーで10コマ/秒の高速連射に重点を置いたプロ向け機)とEOS-1Ds系(35mmフルサイズのセンサーで5コマ/秒の普通の連射速度のプロ向け機)を統合したスペックで、

・センサーは35mmフルサイズ
・連射速度は、12コマ/秒

を達成している。
というところまでは、「うん、知ってた。」と思う所だが、ISO感度がすさまじいことになっている。


拡張感度=ISO 204800 (!)


初め目にした時、誤植かと思った。
20万って・・・。
ドラゴンボールかよ、と思わずつっこまずにはいられない。
セル編のドラゴンボールかよ、と。

もちろん拡張感度は、かなりゲインを上げた無理した感度なので、実際には通常感度であるISO 100-51200までで使用することになると思うが、それでも51200である。

経験的に、通常感度の最大値の半分までは許容できるので、ISO25600までは恐らく実用感度となるだろう。(希望的観測)

これなら、夕暮れ時に羽田に降り立つジャンボジェット機を被写体ブレなく撮影するのも夢じゃなくなるわけだ。(やらないけど)


画素数は、1800万画素。
むやみな高画素化は避けて、むしろ1画素当たりの面積を大きくすることで、高感度特性を上げる方向にシフトしたわけだ。
正しい、選択だと思う。
(ちなみに、1Ds系は2110万画素だったので、画素数は減っているわけだ。一方1D系は元々1610万画素なので、こちらをベースにすると画素数は上がったわけで、本当に両系統の間の子的なスペックである。)

僕は5D MkIIユーザーなので、1D系や1Ds系の操作感等は正直分からない。従って、今回の1DXが「正常進化している」と実感を伴って断言はできないのだが、少なくとも、「キヤノンが動き出した。」ということだけははっきりとわかった。

2010年は寂しい年だったので、2011-12年では多いに盛り上げてほしい。
硬派なフルサイズ機で。

さて、5D MkIIIはどんなスペックになるだろう?
とりあえず、感度の進化は間違いなさそうだ。