2012年9月7日金曜日

133. 故郷の抜け殻(夢の跡)

10年振りに、地元に帰った。
ショックだった。

緊張しながら入った初めてのレストランや、
バイト代を手にして通った服屋さん、
セガのゲームギアが欲しくて何度も通ったおもちゃ屋さん、
個性を探してCDやビデオを物色したツタヤ、
漫画を立ち読みするために何度も通った本屋さん、
初めて携帯を買ったJ-Phone(現ソフトバンク)ショップ、
箱を見るだけで買えなかった中古ゲーム屋(ソフトはスーパーファミコンの三国志シリーズ)、
地下のスガキヤ(東海圏に多いチェーンのラーメン屋)で昼飯を食べ、6階のゲームコーナーで100円だけ使って遊んでいたデパート(ユニー)、
当時は高級品だったマクドナルド、
初めて眼鏡を買った眼鏡屋、
中学生の頃、塾からの帰りに楽しみにしていたロールケーキを売る洋菓子店、
小学校の頃にお小遣いを使い果たした骨董品屋、
小学校6年間通った柔道場、


全て、無くなっていた。


あのときの、あの「憧れ」やあの「緊張」は、一体どこに行ってしまったのか。
懐かしがる隙すら与えずに、10年という歳月は全てこの街から思い出を消し去ってしまった。


「街に行ってくる。」


と行って、向かったあの場所は、もはやない。
シャッターの向こう側で、暗い伽藍堂と化している。


小学生から高校生までは、「街」に慣れるのに精一杯だった。
お店に入るのにいちいち緊張したし、
買えないものも多かった。
ただ、ディスプレイを眺める日々。

それが、僕にとっての青春だったように思う。

この10年で、この街は一体どうしてしまったんだ?
街行く人が、ひどく他人に感じられて、
まるで自分の故郷が見知らぬ人に乗っ取られてしまったかのような錯覚を憶えた。

ことごとく、「跡地」が続く。

いいか!ここは、もともとマクドナルドだったんだぞ!(今は仏具店だ)
ここは、携帯屋で!(今は、鍵屋)
ここは、ツタヤで!(今は、魚民)
ここは、ユニクロで!(今は、ダイソー)
ここは、おもちゃ屋で!(今は、空き家)
ここは、眼鏡屋で!(今は、空き家)
ここは、服屋で!(今は、レストラン)
ここは、ゲーム屋で!(今はダスキンの事務所)
ここは、本屋で!(今は空き家)
ここは、デパートで!(今はマンション)
ここは、柔道会館だったんだ!(今は、大きな家が立っている・・・)

叫び出したいような、目眩で倒れそうな、そんな心持ち。

変わらないのは、街を流れる水(富士山からの湧き水が源平川となって流れている)と、その中に生息する水草、神社。

僕は10年、故郷に帰らなかったおかげで、
10年前の様子をはっきりと心の中に描くことができる。
10年分の変化をいっぺんに感じることができる。
これは、この街に住む人には分からないと思う。
日々の変化はわずかでも、それが集積すると、跡形もないのだ。

その跡形の無さが、あまりに強烈で、街を歩いて写真を撮りながら、
何度も立ち止って、当時の様子をなぞった。
あのおもちゃ屋には、まず入り口近くに、ゴジラやウルトラマンのフィギアがあって、真ん中にミニ四駆のコースが置かれていた。少し奥に行くと、レジがあって、その回りにテレビゲームの本体やソフトが置かれている。柔道会館の畳の感触、デパートの屋上の人工芝の日に焼けた感じ、Popcorn! Popcorn! This is a popcorn!としゃべるカウボーイ型をしたポップコーンの自動販売機、ツタヤのCDの配置、ここにJ-Popで、左奥にB'z、こっちに小室ファミリーで、右側に行くと洋楽、二列目がジャズ、その奥はイージーリスニングで、そのさらに奥からビデオが続く。当時はまだVHSがメジャーで、DVDはマイナーだったな。

そんな、当時のクオリア(質感)が、脳内で再生される。
しかし、それらはもう既に、脳内にしかあり得ない、幻想の一部となってしまった。


自然よりも、人の経済活動の方が、よっぽど儚くて、移ろいやすく、消えて行く。

あれだけ、
「変わらない日々」
に嫌気がさしていたのに。

それも今や夢のようだ。
こうして、僕は精神的な故郷を失った。

唯一の救いは、地元の友人と少しの躊躇も無く話せたことだ。