2011年3月26日土曜日

082. 中国桂林(覚書)






3月18日から22日までの5日間、中国桂林へ行ってきた。
以前から計画していた旅行とは言え、地震の混乱が冷めやらぬうちの旅行となり、なんとも複雑な心境だったが、ここでは覚書を淡々と書いておこうと思う。

【印象】
  • 成田空港は平日の午前中にも関わらず、長蛇の列だった。外国人が多く、恐らく「国外退避」が目的。空席待ちのカウンターがあれだけ込み合っているのは初めて見た。
  • 中国でも、日本の大震災とそれに伴う福島原子力発電所の事故と復旧作業は注目されるニュースとなっていた。同じく、大きな扱いで報道されていたのは、リビアへの空爆だ。
  • 旅先、という意味で桂林は魅力的。風光明媚な場所である。
  • 食事は案の定、うまい。安くてもうまい(2人で3皿を頼んでビールを飲んでも、85元程度=85×13=1105円)。
  • 人は、日本で持たれている印象よりも、ずっと優しかった。特に若い人はおせっかいとも言えるくらい親切。
  • 桂林市(Guillin)から陽朔(Yang shuo)という街まで、灕江(Li river)という河を下って行くツアーに参加した。このツアー、外国人用(英語ガイド)と中国人用(中国語ガイド)があり、地球の歩き方などでは外国人は外国人用のツアーしか参加できない、とされている。しかし、実際は、どちらでもよい。外国人用が520元に対し、中国人用は260元だったため、中国人ツアーに参加してみた。要は景色が見れて、写真が撮れれば僕としては満足なのである。参加してみると、中国人30人程に対し、外国人は僕たち日本人2人とイタリア人1人だけだった。中国語を全く理解できないし、中国人も英語をほとんど解さないので、身振り手ぶりのコミュニケーションだけだったが、川下りの間中、ずっと「あっちが見所だ。ほら!」とか、「写真撮ってあげるよ!」とか、とにかく親切にされる。他国と比べても、いや、日本と比べても、結構いい人率が高いように思った。
【情報】
  • 円高が進んでおり、1米ドルおよそ80円だった(1日前の3/17には、一時期77円台と史上最高値)。同じく元に対しても円高となっており、1元はおよそ13円(3/16にはおよそ12円まで円高になっていた)。
  • 宿泊費は季節によって激しく変動するようである。3月はオフシーズンで、大体、公称価格の半額。三つ星ホテル(と言っても海外の三つ星と意味が異なる。中国は国家観光局が☆をつけており、1つ星から5つ星まである。三つ星ホテルは、普通の中級ホテルである。)で、大体、230元程度だった。(通常、500元程度)
  • ホテルの作りは、広い。欧米なら欧米人自体の体格が大きいため、必然、部屋も大きいのは理解できるが、中国の広さは、体格が日本人と同程度なのに、部屋は広いのである。結構、贅沢。大陸だからかもしれない。
  • 3月の桂林は、手元のデータでは最低気温10.4℃、最高気温16.7℃だが、実際はそれよりも少し寒いくらいだった。日本と同じ恰好で行く方がよさそう。
  • 3月は雨期の手前くらいのはずだが、実際は毎日どんより曇っていて、結局現地3日間のうち、晴れたのは真ん中の1日だけ。とはいえ、「小雨の桂林が最も美しい」と言われるように、桂林に関しては、小雨もある程度OKだと思う(特に写真としては)。また、一日だけだが、晴れてくれて本当に良かった。晴れの桂林もまた美しいのである。
  • 今まで、ざっくりと「桂林」という言葉を使ってきたが、実際に、日本人がイメージする「山水画のような山が、河の両岸ににょきにょき生えている風景」は、桂林よりも南側から本格的に始まり、陽朔という街の付近まで続いている。(より正確には、陽朔より南、というか下流の福利までも続いているらしい。)
  • 旅程は、1日目:成田(午前9時半発)→広州→桂林(夜18時着)、2日目:桂林→灕江→陽朔、3日目:陽朔→興坪(Xing Ping)→陽朔、4日目:陽朔→世外桃源(Shang Ri La)→桂林、5日目:桂林→広州→成田
  • 桂林らしい風景を存分に楽しみたければ、是非、興坪へ訪れてほしい。まず、陽朔から興坪へ行く途中の山々の景観が素晴らしい。あの山々は、灕江沿いだけにあるわけではなく、かなりの広範囲にボコボコと存在しているのだ、と理解できる。興坪では、きちんと値切って竹の筏(いかだ)に乗ろう。と言うのも、桂林からの船の川下りだと、ある程度スピードが出た状態で風景を眺めることになるが、筏であればゆっくりと楽しめるし、落ち着いて写真も撮れる。陽朔から興坪へは、バスで7元=91円。竹の筏は1時間くらい乗っていたと思うが、1人40元=520円。(60元から軽く値切って40元となったが、もっと頑張れば安くなるはずである。)
  • 興坪では、ラオジャイ山という山に登った。桂林のあのとんがった山の一つと思ってもらえればよいが、最後、まさかの「はしご」で登る区間があり、登頂は断念した。あと、10mくらいだったのだが、完璧な崖を、1眼レフ二台を持って、はしごで登る気にはなれなかった。
  • ご飯はうまい。とにかく色々な炒め物や食材があり、しかも安く、どの店に入ってもほとんどはずれがない。台湾と同じだ。
  • 興坪で「土鶏」というメニューがあり、なんとなく頼んでみたのだが、注文を受けた店主のおばちゃんがおもむろに店の外に出ていった。しばらくすると、茶色い鶏を鷲掴みにして帰ってくるではないか。「・・・まさか。」大抵の品は、10分も待てば出てくる。しかし、この品だけは中々出て来ない。30分は経過しただろうか。この待ち時間がリアルなのである。おばちゃんが持ってきたのは、優しい味のする白湯スープ。案の定、鶏鍋であった。ハーフで注文していたのだが、35元である。つまり、455円。マックのバリューセットより安く、締めたての鶏が食べられる国、中国。なんともすごい食文化だ。
  • 新鮮、安い、旨いの三拍子が揃った中華料理(広東+四川+桂林料理)だが、日本食の方がいいなと思った点もいくつかある。まず、麺文化。日本のラーメンは、米麺を中心とするコシの弱い中国の麺料理とは一線を画したものだ。スープのバリエーションや風味の深みをとっても、日本のラーメンは奥が深いと思う。
  • 次に、米。中国の米は、蒸して作っているということもあるだろうが、結構、弾力に乏しく、またちょっとパサパサしている。日本の米のようなモチモチした弾力感はないのである。最近、中国の富裕層を中心に日本のコシヒカリが人気らしいのだが、それも頷ける話だ。
  • 次に、ビール。青島ビールや他の中国産ビールも飲んだのだが、全体的に、「薄い」印象だ。ラベルを見ると、アルコール度数が3.6%以上、となっている。日本のビールは大体、5.5%程度。もちろん、「3.6%以上」なので、実際に何%なのかは分からないが、恐らく、日本のビールより実際に「薄い」のだろう。このため、ソフトドリンクのようにどんどん飲めてしまうが、料理が毎回多いために、飲みきれないことも多い。(瓶で出てくることが多いので、2人で二本頼むと結構きつい)
  • 最終日、お金が割と余っていたので、シェラトンホテルの中華料理店に行ってみた。日本では到底ディナーに行く気にはなれないような高級店だが、これだけ物価が安ければ何とかなるのではないか?と目論んだわけだ。案の定、安い。メイン2つ、スープ2つ、ビール3本、ココナッツジュース1杯で、459元=5967円。日本の半額〜1/3くらいかと思う。しかも、中国の琴の生演奏が行われていた。その上、客は僕たち2人だけなのである。なんだか贅沢なような、奇妙なような空気だったが、拍手を繰り返していると奏者の女性は笑顔で応えてくれる。最後の一曲では、日本の曲(「北国の春」昭和52年に発売された遠藤実の曲で、アジア全体でヒットしたらしい)までやってくれるというサービス精神。驚いてしまった。そして、感謝である。
  • 英語は、中級ホテルには一人くらい通じる人がいる。その人以外は、ほとんど通じない。
  • 桂林市内では、是非、芦笛岩(ルーディーイエン)という鍾乳洞に行ってみてほしい。これだけスケールの大きな鍾乳洞は日本では見たことがない。高さ19m(3階建ての建物より高い)、幅40mの巨大なドームが岩山の中にあり、凄まじいスケールの奇岩が見られる。ライトアップの仕方があまりに色とりどり過ぎて残念な感じなのだが(ある意味こういうところにも異文化を感じるが)、鍾乳洞自体の自然の造形美は間違いなく圧倒的だ。日本のように鍾乳洞の中が狭くないので、三脚も立てられるし、危なくもない。現地で何となく目について行ってみたのだが、思わぬ収穫だった。
  • 中国はスケールの大きさが半端ではない。陽朔では、水上劇『劉三姐』を見た。これは、映画「HERO」や「LOVERS」で有名なチャン・イーモウという監督が演出した劇で、出演者は、総勢600人を超え、かつ、夜の桂林の山々をライトアップし、さながら「北京五輪のオープニング」と言える程の巨大なスケールのものだった。奥行きの距離感が半端ではなく、極端な表現かもしれないが、「水平線の向こうから人々がやってくる」ような場面もある。スペクタクルという言葉は、このような状況のためにあるのではないか、と思ってしまった。ちなみに、北京五輪のようだ、と意図的に書いてみたが、実は北京五輪のオープニング自体もチャン・イーモウ監督が指揮していたので、同じテイストで当然といえば当然である。ちなみに、最も安いC席が150元、B席が190元、屋根付きのA席が400元だった。(中間マージン含む)僕はB席を選んだが、大体、焦点距離24mm程度で全景が撮れる感覚だ。実は、一番高いA席が最も舞台から遠いのだが、それは舞台を俯瞰するためのようである。劇をやる方がスペクタクルであれば、観客の数もスペクタクルで、目算で1500人は上回っていたと思う。これが毎日やられているのだから、すごいとしか言いようがない。
  • 中国のスケールの大きさは、音楽番組でも存分に発揮されていた。日本のミュージックステーションのような番組でも、50人を超えるような人数で歌うのである。それも一回限りではなく、何組も何組も、それが続く。舞台の大きさも、アリーナクラスで、スタジオなのか巨大ライブなのか判断がつかない。舞台の後ろには、2階建てくらいの大きさの液晶モニターが4つ程配置されており、幻想的なCGが歌に合わせて映されている。イメージは日本の紅白歌合戦をもっと豪華にしてしまった感じだ。こういう所に、「ああ、国力の片鱗を感じるな」と思ってしまう。なんだかんだ言って、GDPでも追い抜かされて、日本は徐々に「アジアの小国」になりつつある。そして、中国は名実ともに、「中華」(世界の中心)になりつつある。もちろん、貧富の差が激しい、一党独裁、などの部分はあるが、総体として考えて、もはや中国は「大国」である。
  • とは言え、一個人としては、中国を旅行先として見ることの方が多いだろう。その観点で言えば、まだまだ物価は安く、また、大陸らしい壮大な風景を見ることができる。さらに、食事もうまい。また、たまたまかもしれないが、人も結構良かったのである。これは魅力的な旅先と考えていいのではないだろうか。
  • これから中国のメインランドで行きたいところは、最低でも3つある。1)九寨溝(きゅうさいこう)、2)万里の長城、3)元陽の棚田だ。

日本に帰ってくると、まだ余震は続いており、福島原発の復旧作業は予断を許さない状況であり、首都圏の電車は7割程度の運行で、計画停電は継続して行われており、会社では節電のため空調が切られ、徐々に被災地応援歌のJ-POPが出始めていて、首都圏の浄水場から放射性物質が検出されたことを受けてペットボトルの水が完全に店頭から消えて、福島県を中心として野菜の摂取制限が行われ、チェルノブイリの時と同じように牛乳の摂取制限も行われ、スーパーの陳列棚はスカスカな状態が続いており、テレビCMは企業が自粛した結果、AC(公共広告機構)のCMが繰り返されることとなり、地震と福島原発の特番が続いており、といった現実に引き戻されることとなった。
電力が不足している中、このような文章をPCで書く事自体、不謹慎かもしれない。そんな薄らとした罪悪感を感じながら、今日は筆を置くことにしよう。

, listening to radio FM