2012年4月17日火曜日

113. 物語性(プロットを仕掛けてみる)

年明けから3月一杯まで、結構働いた。
しかし、働いた分だけ必ずしも報われないことが、この仕事(臨床開発)にはある。
その様子はさながら「三途の河原での石積み」のようなもので、一生懸命積み上げたものも鬼の一振りで無に帰してしまう。

3月にそのようなことがあり、これまで積み重ねてきた思考が一瞬にしてバラバラになってしまった。
呆気にとられたまま、いつの間にか2週間程経ってしまったというのが実情だ。
この間、仕事のことを考えてみたものの、獏として焦点が定まらない。自分が進むべきベクトルを見いだせずにいた。僕は自律回復を待ちつづけていた。

しかし、そんな期間も実は重要なようで、
「暇になるなぁ」
「つまらないなぁ」
と徐々に精神が「密度の薄さ」に飽きてくる。

それでも最初は疲れているので、単にやり過ごすだけなのだが、徐々に
「なんか面白いことないかな」
「面白いことをしたいな」
と思えてくる。だって、つまらないのだから。「つまらない」というのは僕にとって大きな原動力の一つだ。つまらない状態から抜け出すために、僕はがんばれる。


「どうせ暇になるのなら、その間隙をできるだけ面白くしたい。面白いことやりましょうよ。」


こう言葉にできたのが、4月も中旬を過ぎた今日である。

仕事のことなので詳細は書けないが、

マキアヴェッリ、プロット、報道記者、トランスレーショナルリサーチ、初期臨床、組織横断、マイルドな効果予測因子、金/人/システム/認識の等価性

これら断片的なイメージがジャキジャキとつながって、一つのアイデアとなっている。実現できるかはわからないけれど、少なくとも、試してみる価値はあると思う。

目の前で起こってきた数々の事柄を元にして、小説を書いてみたいと思う。
もちろん、小説というのはいわゆる小説のことではない(喩えである)。
この小説は、この仕事をドラマ仕立てで解説する作用と、未来に起こりうる事柄の予言という作用(平たく言えば仮説)を持つ。
もちろんフィクションなので、当たるも八卦当たらぬも八卦なのだが、考える道具にくらいにはなりそうだ。また、逆に当たった場合には、これは一つの「プロット」となる。

仕掛けたプロットが現実に作動したら、小説家冥利に尽きることこの上ないだろうな。
そんなことを思っている。