2011年4月4日月曜日

084. 理想主義(自己分析)

僕は理想主義者である。
それは歴史家を羨んだり、
神のような完璧さが、自分には手に入らないことを嘆いてみたり、
そうでなくても、あらゆる才能に嫉妬したりすることに、
如実に現れている。

理想を語る。
理想と比較する。
理想の世界に生きる。

それが理想主義者であるのなら、僕は間違いなく理想主義者だろう。

ただ、真の理想主義者と異なるのは、
理想主義者であることに自覚的である、という一点だけである。

風呂に入りながら考えてみた。
なぜ、僕は理想的であることを基準に物事を考えたがるのだろう。

しばらくして、分かったことは、
白状すれば、こんな単純なロジックだ。

「できることは、できる。
できないことは、できない。
それを是とするのが、僕だ。
しかし、僕が最も恐れるのは、
『本当はできること』を、
『できない』と勘違いしてしまうことだ。
本当は(=頑張れば、練習すれば、成長すれば)できるのに、
できないと思い込んでいること。
その誤解の1枚、1枚をはがしていくことが、
僕が生涯にわたってやるべきことなのだろう。」

換言すれば、
『本当は(頑張れば+練習すれば+成長すれば=理想的であれば)できることを、
できないと思い込んでいないか?』

それが、根源的な問いだ。
僕は常に、「本当はできること」を「できない」と過誤してしまう「リスク」を背負っている。
そのリスクを最小化する精神状態が、
「理想」を優先する「理想主義者」である。

ロマンや理想とやらを捨てて、
冷静に考えれば、ただそれだけのことである。

つまり、僕は「理想主義者」を装うことで、
現実的に、極めて現実的に、歩を進めていく。

振り返って、
正確を期して言うのなら、
僕は「理想主義者を装った現実主義者」だ。




そして、29歳になってようやくわかったのは、
『それでいい』ということだ。

誰から否定されようとも。


, listening to 揶揄/RADWIMPS.