2009年8月9日日曜日

029. 音楽シーンについて。(個の時代。)


昨日、久しぶりに音楽番組を見た。
もともとランキングや流行に興味の薄い方だから、あんまり詳しいことは分からないけれど、それでも、ランキングの「雑多感」を感じずにはいられなかった。
どういうことかと言うと、「今流行っているジャンル」というのがまるで特定できないのだ。

例えば、僕が中学生の頃、「小室ファミリー」というのが大流行していて、ランキングを観れば一目瞭然、「TRF」や「globe」といった「小室的な音楽」というのが、時代の中心にあるということが嫌というくらい分かった。

その後、「ビジュアル系」と称されるロックバンドが数多く出たり、「ゆず」や「19」に代表されるようなフォーク系の音楽が流行ったり、「ハイスタンダード」や「ブラフマン」等のインディーズロックが流行ったり、「浜崎あゆみ」が絶世を極めたり、「倖田來未」が出て来たり、「ジブラ」のような和製HIPHOPが流行ったり、、とまぁ色々あったと思うけれど、くだんの音楽番組を見ていても「今の時代」を乗っ取るような「これだ!」という音がどれなのか?全くわからなかったのだ。
ランキングに出て来る音楽の種類は、多種多様で、おもちゃ箱をひっくり返したような状況になっていた。

なぜか?
きっと、それぞれがそれぞれの好きな音楽を聴く、という「個の時代」が音楽業界にもやってきたということなのだろう。(こんなことは、もうとっくの昔に言われていたことなのかもしれないが。僕のような一般市民にも「体感レベル」でわかるようになってきた、ということで、敢えて書かせてもらう)

「世代全体」が共感するミュージックより、「僕」/「私」が共感できるミュージックの方がいい。

そんな選択を、今の若い世代はしているのだと思う。
無意識的にしろ、意識的にしろ、それは僕にとっては好ましいもののように思える。

ただ、「個」が強くなった今、「あの時代」という「共通の思い出」というのは作りにくくなったかもしれない。
けれど、それとは引き換えに、様々な、雑多な種類のアーティストが食っていける時代になった、とも言える。

これまでは、波が分かりやすく、一様だったため、その時代のその波に乗った者は大もうけするけれど、その波が去ると、そのジャンル自体が「過去の産物化」してしまい、もうその分野では食っていけなくなる、という現象があった。

そのジャンルが好きで好きでしょうがない優れたアーティストがいたとしても、時代の波が去った静かな水面では盛り上がりようがなかった。

しかし、今の音楽業界は違うようだ。
例えるなら、小さな渦がたくさん渦巻いているようなイメージだ。
各ジャンルがそれぞれ盛り上がっていて、その渦は終わることを知らない。渦の中には、常に波が発生していて、みんなその中で盛り上がっている。

これは、やもすると各ジャンルの独立性が助長され過ぎて「たこ壷化」してしまい、渋谷陽一が「様式化」と比喩して批判するような「ジャンルの中だけの自慰的な音楽」が多数発生する可能性もあるけれど、僕は「様式化」をそれほど「悪」や「退化」や「停滞」だとは思っていないので、OKである。(僕はわりと「様式美」にも惹かれるからだ)

このまま各ジャンルがどんどん成熟化していけばいい。

もう一つ、驚いたことがある。
それは、上記の「渦の発生」にも関係しているのだが、アーティストが非常に長命になっているのだ。

例えば、僕が見たランキングでは、「堂本光一」の曲が一位だった。
12年前のランキングもたまたまカウントダウンTVでやっていたのだが、そのときの一位は、KinKi Kidsの「硝子の少年」。

つまり、12年以上もの間、堂本光一はシーンに残り続けている。
これはすごいな、と思う。

堂本光一の歌がすごい、というのとは少し違って(別に批判しているわけではなく)、むしろ、堂本光一を好きな人が「好きでい続けている」ということがすごい、と思うのだ。

もちろん、堂本光一は新しいファンを獲得しながら、同時に一部のファンは離れていきながら、と「ファンの入れ替え」はあるものと思われるが、恐らく、ファンの大部分は昔からのファンなのではないか。(全く持って推測だけれど)

すると、この大部分の「ずっと堂本光一が好き」な人々は、堂本光一が作る「渦」の中で「盛り上がり続けて12年!」というわけである。

なんとも、たいしたものだ。

音楽シーンというのは、どこかファッション的で、移り変わりが激しい世界だと思っていたが、どうやら現実は違うらしい。
ある一定以上の人気と実力(それはもちろんプロダクションの力も含めてだが)を兼ねそろえたアーティストは、10年や20年を軽く超えてしまうのだ。

それも、これまでと違って、そういったアーティストはごく稀な存在ではない。今後も、増えていきそうだ。
「個の時代」はそれを可能にする。

さて、この現象はこのまま延々と続いて行くのだろうか?
僕は、恐らく、続いて行くと思う。
その理由は、インターネットの存在だ。インターネットの基本的な性質として、「検索で目的の情報を探す」というものがある。つまり、自分の興味の動線上の情報には、これまでの世界より、速く、確実に行き着くことができる。さらに、iTunesのGeniusの機能でも明らかなように、インターネット上の情報は、ジャンル毎に整理され関連づけられている。このような「情報のクラスター化(かたまり化)」が「渦」の発生を助長する作用を持つだろうと推測できるのだ。
さらに、口コミや掲示板等も「渦」の発生には一役買ってくれるだろう。ブラウザを立ち上げれば、同じものを好きな仲間達が集まっているのである。これなら「常に好き」でいることは容易だろう。

さて、この現象で困ってしまう人達がいる。
それは、アーティスト、と言いたい所だが、そうではない(長命化は間違いなくアーティストにとってプラスだ)。
恐らく、困ってしまうのはレコード会社だろう。これまでのような「大大ヒット!」というのは、もはや飛ばせない。日本国民全員が手を出すような曲を作ることは、不可能のレベルに近い。すると、規模の小さな会社は潰れるかもしれないし、合併等もしなければならないだろう。また、音楽というのは多くの場合、「歌」の善し悪しが評価に影響を与えるが、困ったこと「日本語」は英語のように汎用性が高くない。つまり、日本市場が成熟してしまったから、海外に打って出る、という戦略は取れないのだ。

というわけで、音楽業界、とりわけレコード会社は厳しい局面に立たされるだろう。また、これまでと違って、音楽がCDという媒体に依存しないで取引されるようになった。それはiTunesに代表されるようなPCベースの取引に限らず、レコチョクのような携帯電話ベースの取引にまで拡大している。さまざまな種類の「音楽配信」が乱立することで、ますますレコード会社は売り上げを出しにくくなった。

音楽を取り巻く、「国民の成熟度」や「流通の変革」が、大きな壁となってレコード会社に立ちはだかっている(だろう)。

とか思ったりして。
ここまで色々知ったように書いてきましたが、ほとんどが僕の推測に基づいているのであまり真に受けないでくださいね(笑)あくまで音楽番組を見た僕の勝手な感想(妄想)なんで。)

それはそうと、最近、「阿部真央」がものすごく気に入っている。
パッと聴きは「椎名林檎」的な声質だな、くらいにしか思わなかったのだけれど、この人の声にはかなりの幅がある。「矢井田瞳」の切ない感じもあるし、一瞬「Cocco」のような狂気も感じることができる。
そして、何より若い。(って(笑)、こんなこと書いていると、本当におっさんですね。)
まだ、発進したて、ということもあるのだろうけれど、真っすぐで、真剣で、正直で、実にいいなぁと思う。
歌い方もすごく工夫しているし、それが出来てしまう器用さも兼ねそろえている。久しぶりにいいルーキーがやってきたなあ!と。
これからも、ガンガン突っ走っていってほしい限りだ。


Various artist / Jazz thing