2010年1月26日火曜日

046. ヒーロー(磋牙司-さがつかさ-)


千秋楽の前日、2010年1月23日。
僕は国技館で、大相撲を観戦していた。
生まれて初めての国技館。
正直、相撲に詳しい方ではなく、「朝青龍が優勝しそうだ。」ということくらいしか知らない「ど素人」である。

テレビではめったに見ない「十両」(幕内力士をサッカーで言うJ1だとすると、十両はJ2に相当する)の試合を見ていると、
自分と同じ「静岡県三島市」出身の力士がいることに気付いた。

「おお!同郷とは。あそこから力士が出て来るとはなぁ。これは頑張ってほしいなぁー」
と、なんとなく肩を持って観戦していた。



その力士は小柄だった。
相手力士は一回り近く大きく、体格的には素人目に見ても明らかに不利である。

後頭部をはたき込まれ、


力ずくで押さえ込まれそうになるが、


一瞬の隙を突き、懐へ入ると、


鮮やかに相手を投げ飛ばした。



「すごい・・・!!」

これぞまさに「小が大を技でやっつける」という相撲や柔道の「ロマン」の体現ではないか。

僕はちょっとうれしくなって、唐突に昔のことを思い出した。

(そういえば、小学生の頃、柔道やってたなぁ。
 てんで弱かったし、「小が大をやっつける」なんてことは一度もなかったけど。
 ・・・そういえば、磯部くんってどうしてるかな?)


磯部くんというのは、小学校の同級生で、「全国わんぱく相撲大会」で優勝したことがある強者だった。
当時、「めざましテレビ」が中継に来てしまう程の人気ぶりで、僕たちはひたすら「磯ちゃんすげぇーなぁー」と鼻息を荒くしていた。

僕はと言うと、小学校1年生から6年生までの6年間、柔道をやっていた。
しかし、試合では毎回一回戦負け。
この「毎回」というのは伊達じゃなく、本当にほぼ全ての試合で負けていたと思う。
二回戦に行った記憶が一度としてないのだ(笑)

大抵、僕にとって「大会」というのは一回戦で終了する「小会」であって、二回戦からはヤクルトでも飲みながら、友達の快進撃を見守るという「ベンチの味をなめつくす6年間」を過ごしていた。

(ちなみに、僕が所属していた柔道館は非常に強く、県大会で常に1位をキープしていた。このため、補欠扱いで全国大会に出場するという「棚ぼた的経験」を何度かさせていただいた。たまに僕は見栄を張って、「柔道で全国大会に出たことがある」などと言うことがあるが、その語尾では、人間の聴力の限界を超えた速さで「でも団体戦の補欠員で、かつ一回戦負けだけど。」と言っているので注意していただきたい。)

そんな柔道館に、磯ちゃんが入門したことがある。
と言っても、磯ちゃんにとっては「相撲の稽古としての柔道」という位置づけだったようで、半年程しか一緒にならなかったが、それでも記憶に残っているということは同級生としてそれなりに意識していたんだろう。

どういうくだりだったか、磯ちゃんにこんなことを言われた思い出がある。

「相撲やってみたら?」

僕はとても驚いて、また全く自信がなくてこう答えた。

「柔道でも弱いのに、相撲なんて絶対無理だよ。僕はひょろひょろだし。」

磯ちゃんはものともしない様子で、

「でも、バネがあるから大丈夫だよ。石は。」

と励ましてくれた。
「バネがある」なんて柔道をやっていて一度も思ったことはなかったけれど、しかし、僕にとって辛い柔道時代を通じて数少ない「ほめられた経験」のうちのひとつであったことは間違いなかった。
正直に言えば、今でも憶えているくらい、よほど嬉しかったのだ。

あのとき、磯ちゃんと一緒に相撲をやってたら・・・と思うが、
実際は、中学校から「ちょっとかっこよさそう(=モテそう)」と思いテニス部に入り、
そこでも結局最下位を取り(運動オンチなんで)、
その後、高校から美術部へと(順調に文科系の道を)進み、
やがて大学から(引きこもりがちな)研究生活を送ることになる。
つまり、どんどん運動から遠ざかる方向へと歩んできたのだった。


数年前、風の噂で、磯ちゃんはプロの力士にはなれなかったと聞いた。
もともと小柄だった磯ちゃんは、その後も身長が伸びることはなく、徐々に周囲の力士との体格差が開いていったそうだ。

小学生の頃優勝した「全国わんぱく相撲大会」も、同学年で争う大会だ。
ある意味、ボクシングの重量級のように、体格差がそれほどない者同士が戦うことになる。
しかし、プロの世界は違う。
体格の差が考慮されて、階級が分かれるなんてことはない。
203cm、233kgの曙と、170cm、100kgの舞の海が同じ土俵で戦わないといけない。
大相撲の世界とは実に厳しいものである。


やがて、磯ちゃんの噂は聞かなくなった。
勝ち上がることができず、人知れず引退したのかもしれない。


その日、朝青龍は気迫の乗った相撲を見せ、一敗を守った結果、千秋楽を待たずして優勝を決した。
3敗で追う白鵬も危なげなく一勝を上げたが、朝青龍には一歩及ばず、優勝を逃した。


「迫力あったなぁー!」


僕は初めて生で観る相撲に感動を憶えていた。



翌朝。
国技館でもらった相撲のパンフレットを何気なく開いていた。
そこには力士達の簡単なプロフィールが載っている。

「そうだ、あの三島出身の力士はどんな人なんだろう?」

その力士は、「磋牙司(さがのつかさ)」と言うらしい。

僕は、その力士の写真を見た瞬間、
言葉を失ってしまった。
そして瞬時に直感した。


(・・・磯ちゃんだ!!)


間違いない。
本名を確認すると、直感が確信へと変わった。

磯ちゃんは、プロへの道を諦めていなかったのである。
それどころではない。

2009年1月24日付の新聞(つまり、僕が観戦した翌日の新聞)によると、

「磋牙司の新入幕が確実に」なったというのだ(!)

「新入幕」とは、十両から、初めて幕内(「中入り」とも言われる)に昇格することである。
そして、「中入り後の勝敗です。」とテレビでよくアナウンスされるように、幕内力士からはテレビでもよく放映される。

さらに、上記リンクから記事を見てもらえれば分かるが、磯ちゃんは歴代幕内力士の中で、最も身長が低い力士なのだそうだ。

167cm、というと、僕より10cmも小さいことになる。小柄で有名だった舞の海よりも3cm低い。
一方、上の写真で戦った相手は、188cmの境沢。
実に21cmも身長差があったのだ。

それをよく投げ飛ばしたものだ。

「小が大に技で勝つ。」

このロマンを体現する磋牙司。
僕にとって、「ヒーロー」である。

それにしても、初めて観に行った大相撲で、まさか同級生の昇格の瞬間に出会えるとは!
磋牙司の歴史の一ページを、その場で確認できたことは何よりの幸運だったと思う。

僕は、心から磋牙司を応援していきたいと思う。

listening to 「ワールド ワールド ワールド / ASIAN KUNG-FU GENERATION