2009年10月10日土曜日

036. 物質化(外部記憶と内部記憶)


僕がこのエッセイコーナーで色々なことに関して、自分の考えを述べているのは、詰まる所、「世界ってどうなってんの?」という疑問に自分なりに「答え」を見いだしたいからだ。

「世界ってどうなってんの?」

という問いは、恐らく僕が生まれてからずっと持ち続けている疑問だと思う。幸いにも、大学、大学院と理系の道を歩んで来た結果、「科学」というツールが僕には実装された。

「世界の姿」への迫り方は色々あるけれど(例えば宗教的な迫り方もあるだろう)、僕は「科学性」をキーワードに自分の考えを推し進めていきたい。

ここで言う「科学性」というのは、実験データに基づいた帰納法的な真理の探究や、ある規則性/法則からの演繹的推論といういわゆる純粋な「科学」そのもののロジックを指すのではなく、むしろ「科学」で一般的に用いられる言葉(例えば、結合や反応性、相互作用、力、エネルギー、ポテンシャル、パルスや装置といった科学で頻繁に用いられる概念)を拡張的に、ときにはレトリックとして使用することを言う。

要は、「世界に対する僕なりの記述」を科学的な言葉に換言して、整理してみましょう。ということだ。

さて、僕の命題に対するアティチュードを示したところで、今回は、外部記憶について考えてみたい。
ここで言う外部とは、僕たち人間の脳の「外」を指す。当然、「内部」とは脳の中だ。



台風開けの快晴の朝、僕は音楽を聴きながら会社へと歩いていた。
イヤホンから流れる曲は、クラムボンの1stアルバム「JP」だった。

「このアルバム、もう10年くらい前のものだな。」

僕はふとそう思った。(後で調べてみて、本当に1999年にリリースされていたことを知る。)

そのアルバムは未だに僕にとって名盤であり、今聴いても感動できる。リズミカルで、少しジャジーで、ボーカルは凛として張りがあり、10年の歳月を全く感じさせない。クラムボンはそれからも13枚程アルバムをリリースしているが、1stの良さを覆すことはなく、僕はiPod miniのホイールを何度もこのアルバムで止めては、再生を繰り返している。


「しかし、よくよく考えてみると、この原田郁子さんの声は、10年前に発せられたものなんだよなぁ。」


僕は今日やろうと思っている仕事を頭で整理しながら、そんなことを考えていた。

10年。

10年一昔、というのなら、この声は一昔を超えて、僕の今の耳に飛び込んで来ている。
その当たり前の事実に、今更ながら感嘆してしまった。

僕たち人間は、自分が経験したあらゆる事象、感覚、感情、考え、予想、結論、哲学を全て記憶することはできない。その瞬間、瞬間で強烈に感じたり、思ったり、気付いたりしたとしても、やがていつかは忘れてしまう。

僕はうまいラーメンを食べるのが好きだ。
そのラーメンの味を忘れたくないし、そのラーメンが運ばれて目の前のカウンターに置かれたときの「さぁ食べよう。」「どんな味がするんだろう?」という感覚的な思いを忘れたくはない。
しかし、その味や匂いは、食べ終わるとともに徐々に薄れて行き、やがて白い霧の中に隠れてしまう。

僕は考えることが好きだ。何かを知ることも好きだ。それがより正確に世界を記述するための道具になるのなら、それは僕にとって非常に重要なものになる。僕はその考えや知識を忘れたくはない。
しかし、忙しい仕事をこなす日々の中で、そういった考えや知識はやがて消え去ってしまう。あのとき考えついた真理(のようなもの)や知恵(のようなもの)は、僕の脳のどこかに潜んでいるのかもしれないが、そのうち引っ張り出すことも、それどころか、そんな考えがあったことすら忘れてしまう。

脳は全てを憶えているのかもしれないが、引っぱり出すことができなければ、それは「無い」のと同じだ。
つまり、僕たちは、

感じ、考え、そして忘れる生き物

なのだ。
それが嫌だから、少しでも長く、正確な記憶として残しておきたいから、僕たちは「外部記憶」を作る。

それは、音声や楽曲を収録したCDであり、ラーメンを撮影した写真であり、そしてこのような言葉で書き留められたエッセイでもある。

僕は、クラムボンのJPを、今=2009年=発声から10年後の未来に、聴いている。この声は、原田郁子さんのものだ。原田郁子さんの声のはずだ。

しかし、・・・本当にそうだろうか?

厳密に考えてみよう。
原田郁子さんの「本当の声」は1999年のスタジオで発せられ、その瞬間に空間を揺らし、そして消えてしまったのではないか?

それが現実に起こったことであり、このiPodを経由して再生されている原田郁子さんの声は、文字通り「再生」された(再び構築された)音データに過ぎない。
そんな冷酷な見方を、人は好まないかもしれないし、僕も本当は好きではないが、しかし、事実として、この僕を10年間ワクワクさせている音源は、「音データ」なのだ。

原田郁子さんの素晴らしい歌声は、人を感動させるものであった。
それを残しておきたいと思った。
色々な人に伝えたいと願った。
その切なる願いは、結果として、録音されたCD-ROMへと結実した。

その外部記憶は、10年経っても変わらず、忘れないでいてくれる。そして、そのスタジオに居合わせることができなかった大多数の人々にも、そのときの感動を渡してくれる。これは素晴らしいことだ。

しかし、その感動を運ぶベクターそのものは、原田郁子さんそのものではなく、原田郁子さんの音声を忠実に記録した「データ」であり、CD-ROMであり、それは間違いなく、生身ではない「物質」なのだ。

外部記憶を作ること、それをここでは「物質化」と呼ぼう。

僕はラーメンの写真を撮る。ラーメンを食べたときの味を匂いを感動を、忘れないようにシンボルにして、取っておこうと考えているからだ。写真撮影という行為には、美しさを追求しようとする「作品づくり(芸術としての写真)」の側面と、忘れないようにしておこうとする「外部記憶づくり(記録としての写真)」の二つの側面があるが、後者にのみ焦点を当てるなら、これは間違いなく「物質化」に相当する。

ラーメンを見た自分の視覚情報を、jpegという画像データに変換し、それをSDカードという磁気ディスク上に書き込む。パソコンのディスプレイで再現された画像を見て、「やっぱり六厘舎の太麺はうまそうだなぁ。」と後日再び感動を催したとして、それは「本物の六厘舎のラーメン」に対するものではなく、物質化された「六厘舎のラーメンの様子」に対するものであることに意識的でありたい。

僕は夜の五反田を歩いているとき、ふと、通っていた小学校の風景を思い出した。既にその小学校は移転しており、その場所に小学校はない。

しかし、僕は頭の中で、驚く程正確に小学校の全体像を再現できた。

鉄棒やジャングルジム、地中に半分埋まったタイヤの遊具、その色が黄色いこと、その黄色のペンキがはがれて黒いタイヤの表面がむき出しになっていたこと、その表面が子供達に何度も踏まれたためにテラテラと黒光りしていたこと、校庭の硬い土の感覚、その土をうっすらと覆う砂の感覚、校舎の位置、階段の様子、水道の位置、ワックスが塗られた廊下のつるつるとした感触、その廊下をハイソックスの靴下を履いて全速力で走るとスライディングが容易にできたこと、体育館とプールとアスレチックの位置関係、階段の高さ、渡り廊下の屋根が幅10cm程の台形が繰り返し続く形状であったこと、その色は褪せた水色であったこと、非常階段の下が乾いた土になっていてその土を使うと硬い泥の団子を作れること、その土の近くに鶏小屋を作ったこと、校長室の前が池になっていて鯉がたくさんいたこと、その池には1m程の高さから水が流れ込んでおり渓流を思わせる景観になっていたこと、その渓流の上はなだらかな坂になっておりツツジが植えられていたこと、そのツツジとツツジの間には子供1人がようやく通れる道が迷路のように続いておりかくれんぼにはうってつけだったこと、その道を上までいくとアスレチックのエリアに出ること、そこには丸太の木が飛び石状にいくつも刺さっており、そこをジャンプして遊んでいたこと、アスレチックの一番上には鉄製の球体のようなジャングルジムが付いており、その一番上から長い長い滑り台が伸びていたこと、アスレチックを抜けて校舎の裏手をぐるりと回るとプールへと行き着き、そこには更衣室があったこと、その更衣室は埃っぽく照明がなかったが、夏の強い光が粗末な木の壁の隙間から漏れ出してうっすらと内部を明るくしていたこと、プールの裏手には木が何本か植わっており、フェンスの向こうに小さな神社があったこと、生け垣の高さや手の折れた石膏像の姿、そのすぐ傍に生えているザクロの木の表面のつるつるした感じ、そういったものが、僕の頭には全て入っている。

これは内部記憶である。
そして、現実にはもうない世界だ。
僕はある意味で、記憶装置であり、小学校の様子を脳内に格納している。
しかし、この僕が持っている記憶は、もはや正確に人に伝えることは難しい。上の長い記述は、言語というツールで僕の内部記憶の伝達を試みたものだが、この文章を読んだ人が僕の持っている小学校の様子を正確に把握することは難しい、というより不可能だろう。恐らく、自身の小学校の記憶を参照しながら、「こんな感じだろうか?」とイメージを作り上げることはできても、やはりそれは、僕の持つイメージと正確には合致しないはずだ。

つまり、外部記憶と比較して、内部記憶は共有化が難しい、と言える。

また、こうも思う。
もし、この瞬間に、この五反田の街から人が全て消えてしまったとしても、このビルの垂直に切り立った壁は、少なくとも数十年くらいはそのまま垂直だろう、ということだ。

つまり、生身の人間が消え去っても、物質は存続しつづける。

もちろん、風雨による浸食はあるし、窓ガラスは汚れるし、植物ははびこるし、景観はゆっくりと変化して行くに違いない。
しかし、その垂直な壁は、大型の地震が起きない限り、今のまま健在なんじゃないだろうか?

街はめまぐるしく変化している、とは人間が経済活動をする過程で、ビルを建てたり壊したり、店舗をかまえたり、たたんだりとする結果、生じている現象に過ぎない。
ある日突然、人間がいなくなったら、その街は自然の法則に従って、ゆっくりとデグラデート(劣化、分解)していくだけだ。そして、そのデグラデートするスピードは、人間の経済活動がドリブンするスピードに比較して、極めて遅い。

つまり、だ。
生身の人間が生起させる変化、に比較して、物質が固有値としてもっている変化は極めて遅いと言える。

これは外部記憶の意味を理解する手助けになる。
外部記憶の実体が、「物質」であることは先に述べた通りである。
内部記憶が生身の人間の脳が保有するクローズドかつ消失しやすいものであることも、先に述べた通りである。

生身の人間、というのは変化が激しい。
端的に言えば、人間は「ナマモノ」なのだ。
ナマモノの変化は非常に早い。
ナマモノには死がつきまとう。
ナマモノの寿命はせいぜい100年だ。
だからこそ、愛おしい。

その壊れやすい存在を、もろく儚い存在を、それでも尊いと感じるのなら、壊れにくいものに変換すればよい。
これが、外部記憶を人々が希求する心理的動機だと思う。

僕たちは、記憶がなくなってしまうことを、経験的に知っている。
僕たちは、すばらしい経験をいつか忘れてしまうことを、恐れている。
僕たちは、やがて僕たち自身がこの世から消え去ってしまうことを、知っている。

それを僅かながらでも先延ばしにしたくて、「外部記憶装置」を発明した。
外部記憶を元に、僕たちは脳内の内部記憶を増強することや、また改築することも、またはねつ造することできる。さらに、他者へとその記憶を(内部記憶よりは)正確に伝達することも可能だ。また、例え僕や私が、世界から消失してしまっても、その外部記憶は物質としての終焉を迎えるまで他者が閲覧することが可能だ(正確にはその外部記憶を再生する装置が正常に動作するまでだが)。

そうやって、僕たちはある瞬間、ある空間の情報を、社会の中で共有化することができている。

高度情報化社会、という言葉に、あまりピンと来ていなかったが、今になって思うと確かに高度に情報が集積した社会になりつつあると思う。それは単純に「インターネットで世界のPCがつながった世界」という意味だけではなく、また「情報のやりとりが迅速に行われるようになった世界」という意味だけでもなく、もっと根本的には、「物質化された個人の記憶」が世界の至る所で急速に山積されていく世界という意味でである。

僕がこうしている間にも世界中で、「記憶の物質化」が同時多発的に起こっているだろう。そして何を隠そう、このように文章を書くこと自体、今生成されつつある個人の記憶を「物質化」していることに他ならない。

物質化進行中、である。


,listening to 「はなればなれ/クラムボン」