2009年9月25日金曜日

034. Sudden


以下の文章には、過激な表現が含まれています。気分を害されたくない方は、是非戻るボタンを押してお戻りください。
そして、この文章を最後まで読んでしまったあなた。このような文章を書かざるを得ない弱い僕をどうかお許しください。

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その日、僕には朝から任された仕事があった。
連休明けの木曜日。
連日、AM3:00まで起きていた僕は、結局仕事の前日も眠ることができず、4時間程の睡眠で家を出ることになる。
僕は毎日、会社まで歩いて通っている。僕はこの習慣が好きだった。朝の光の中で、硬いコンクリートを踏みしめて歩くうちに、心拍数も上がり、頭がだんだん冴えて来る。街を足早に歩く通勤者を横目に見ながら、

「今日も街が動き出したな。」

といつも思う。これが、普段の生活、つまりは「日常」である。会社に向かう途中に、僕は今日やっておきたい仕事を頭の中で整理した。35分の通勤時間は、その整理に十分だった。8:22に会社に到着。すぐさま作業へと取りかかった。そのままの勢いで、僕はあの日、非常に濃密な業務時間を保てたと思う。頭で描いた設計図をひとつひとつ実現していくように、メールでチーム員に指示を出し、取引先に電話を5〜6本かけ、関連部署との調整を行い、下請け業者とのミーティングを行い、書類のひな形をいくつか完成させ、上司からの指示をこなし、取引先の失態を指摘し、その改善の要望を出し、いくつかの正式書類をリリースした。

その中に、無駄があったとは思わない。
その一つ一つが、今のプロジェクトの推進に必要なことで、1日の遅れも許さないものだったと今でも思う。

今、僕が担当しているプロジェクトは動き出しているのだ。その動きを止めることは、僕が最も望んでいないことの一つだ。チームが一つとなり、その共同作業の歯車を、誰かが回す必要がある。僕はその歯車の取っ手をしっかりと握り、呼吸を止めながら思い切り回している。

気付くと、既に夜の9時だった。
ディスプレイを見過ぎた僕の目はとても疲れていて、視力が悪くなっていることに気付かされた。辺りを見渡すと、数人を残すのみ。まだやるべき仕事は残っていたが、今日やるべき仕事か?これ以上残業してまで急ぐ仕事か?を考えた結果、僕は帰宅することを選んだ。

「明日もがんばるか。」

僕は夜の街に出た。帰りも当然、徒歩である。朝来た道を逆走する形で、僕は目黒川を横目に見ながら、次はどのような写真を撮ってみようかと構想を練っていた。大崎から五反田までの間、目黒川沿いには高層マンションが建ち並び、現代的な街並を形成していた。そこは人影が極端に少なく、街路樹が設計されたとおりに等間隔に植わっており、間接照明で照らされている。

「まるでCGみたいだな。」

僕は、その風景をいつもそんな風に思っていた。夜の間接照明が、建物の質感、テクスチャーをそのように見せるのは、写真を撮る者であればおおよそ想像できるだろう。その建築物が現代的で、巨大で、美しければ美しい程、「CG感」は強くなる。

分譲マンションが売り出される前に、完成予想図としてCGが使用されることがある。そのイメージ図では、空は透明な程に青く、建物の壁面に汚れはなく、人はまばらで、街路樹は計算し尽くされたようにその枝葉を真っすぐと伸ばしている。高級感や重厚感を感じさせるそのCGは見事に、ここ五反田にダウンロードされていた。

「現実感が希薄だな。」

僕は恐らく一生かかっても買えない高級マンションを横目に、人の匂いが極端に少ないその場所を通り過ぎた。

東急池上線の高架を通り過ぎると、賑やかな街の光に包まれた。僕は最近、腹の調子が悪い。消化が十分にできていないらしく、腹部に膨満感を感じていた。しかし、そういった身体の反応とは裏腹に、昼食から9時間以上経過した脳は、食欲のパルスを大量発生させていた。

「脳と身体がちぐはぐだな。」

そう思いながらも、食欲は今晩のささやかな晩餐を想起させ、「何を食べてやろうか?」という思考で僕を一杯にする。昨日新宿で食べたインドカレーはなかなかだった。そうだ今日も少しスパイシーなものにしようか。しかし、タイ料理屋は少し遠いし、あのスープカレー屋も遠い。四川料理屋もいいが、遠い上に1人では入りにくい雰囲気だったな。ああいう店は少なくとも3〜4人で行きたい。そんなことを考えながら、僕は中原街道を五反田駅から離れる方向へと歩いて行く。ふと見上げると、「三田製麺所」という看板が出ていた。どこかで見たことがあるラーメン屋だ。店先に「辛つけ麺」と看板が出ており、少しスパイシーとは異なるが、ここにすることにした。

中に入ると、ラーメン屋とは思えない程、二人席が多く、また活況であった。店員に1人と告げると、右奥のカウンター席に通された。カウンター席の一番右に座り、辛つけ麺の並盛り200mgを注文した。普段は、つけ麺であれば300mgを選ぶ。しかし、今日は調子が悪い。消化への負荷を考慮した上での200mgだ。しばらくすると、「辛つけ麺」が運ばれて来た。一目見て、

「そうか、恵比寿にあったあの店か。」

と気付いた。極太麺が特徴的で、魚介豚骨とおぼしきスープは、とろりとしていて流行の六厘舎を彷彿とさせる。恵比寿店は昔、「味噌丸」と名乗っており、味噌ラーメン専門店だった。それがいつしか屋号を変え(オーナーが変わったのかもしれないが)魚介豚骨+極太麺の流行に乗った店に変わっていた。ただし、僕が注文した「辛つけ麺」は、真っ赤である。その鮮やかな赤が明らかに通常のつけ麺と異なっていた。極太麺を丁寧に箸ですくい、真っ赤なスープに浸す。口に含むと、想像していたよりも辛くはなく、麺の食感も「製麺所」と名付けるだけあって十分に弾力あるものだった。

僕は辛つけ麺を完食し、三田製麺所を後にした。五反田の繁華街を抜け、五反田駅から北西にある桜の並木道を行くと、街のにぎやかさは次第に遠ざかり、店も減り、人も少なくなる。もうしばらく、そう、あと10分もしないうちに、我が家だ。

首都高の高架の下で、僕は信号を待った。
道の向こうの信号を眺めると、赤いランプが上下にフレア(逆光の写真に写る光のにじみのような現象)を起こしている。先日、僕は不覚にも眼鏡をつけたままサウナに入ってしまった。サウナ程度の熱さでは特に支障はないものと思い込んでいたが、どうやらレンズのコーティングが少し溶けてしまったらしい。レンズ自体の膨張率とコーティング素材との膨張率は当然異なり、結果として、室温に戻った時にコーティングが波打ち、微細なひび割れを起こしてしまった。
そんな微妙に壊れた眼鏡を通してみると、強い光源を中心にフレアが発生してしまう。光源が均一な明るいオフィスや、パソコンの画面を見ているときには気にならないが、一度夜の街に出ると、街灯や信号、店の看板等、強い点光源が嫌でも目に入り、街中がフレアで満たされることになる。その様子は一種ロマンチックでもあり、また同時に、現実とは異なる世界のようにも映る。

「僕は今、現実をまともに見れていないのかもしれないな。」

と思った。しかし同時に、

「いや、現実なんてまともに見えるもんじゃないか。」

とも思った。僕が見ている「現実」だって、地球という天体のごくごく限られた領域に限定された、局所的な世界に過ぎない。その局所かつ限定された空間を持って、「まとも」や「まともでない」という判断を下すことは、一体誰ができるんだろう?やけに冷静に、また同時に少しペッシミスティックに、僕はそんなことを考えていた。

信号が変わった。
僕はゆったりと横断歩道を歩く。そのまま道沿いに右へと進むと、山手線の高架が僕を待ち構えていた。僕はこの高架の下を通る時、いつも洞窟を思い出す。薄暗くて、ひんやりしていて、少しだけ、怖い。
高架を抜けた先には、サンクスがある。今日は何の酒を買って帰ろうかな?ビールは腹が膨らんでしまうし、日本酒にしようか。いや、日本酒なら家に浦霞が残っていたからそれでいいか。今日は何も買わず































その瞬間、僕は一瞬、何が起こっているのか分からなかった。
横断歩道の真ん中に、人が2人立っていた。
信号は青だ。
それなのに、2人は一向に渡る気配を見せず、その場に立っている。
まるで、車をせき止めるかのように。
横断歩道の向こうには、小さな人だかりが出来ていた。
何かがおかしい。

1人は携帯を握って何かを話していた。
中年の男だった。
その横を通り過ぎようとした瞬間、僕は横目ですべてを悟った。

人が倒れている。
顔がぐしゃぐしゃで、鼻があるのかないのかも分からない。
目が開いているのかも分からない。

頭蓋を中心に、水たまりのようなものができていた。
血だった。
頭がパックリと割れている。
間違いなく、「壊れてはいけない部分」が壊れてしまっていた。

「自転車の人が倒れているんです。」

中年の男が話す声。その声はやけに冷静で、その場に全くそぐわなかったが、救急車を呼んでいるのは間違いなかった。


「これは、・・・ひどいな。」


人だかりの中の誰かが言っていた。
僕は振り向くこともできず、歩く速度も全く緩めず、そのまま現場を通り過ぎた。

あんな状態になった人を見たことはなかった。
擦り傷や切り傷ではおよそ見ることはない、大量の血。
どこをどんな風に傷つけたらあんなにも大量の血が出るのか。
一瞬考えそうになって、すぐさま思考のスイッチを切った。
恐ろしかった。

あんな状態になった人を、蘇生できるのだろうか。
助かってほしい。
助かってほしい。
僕はそう願えば願うだけ、それとは裏腹に、




という言葉、その概念、その質感、その重量が頭の中に充満していくのを感じた。

数秒のはずだった。
僕がその現場、空間、時間に居合わせたのは、横断歩道を渡るほんの数秒だった。
その日は、僕にとって、普段の忙しい、日常の1コマになるはずだった。
その1コマが、ある人にとっては生死を決する壮絶な時間になっていた。




僕は毎日、会社まで歩いて通っている。僕はこの習慣が好きだった。朝の光の中で、硬いコンクリートを踏みしめて歩くうちに、心拍数も上がり、頭がだんだん冴えて来る。街を足早に歩く通勤者を横目に見ながら、

「今日も街が動き出したな。」

といつも思う。そんな平和な路上で、壮絶な瞬間が突然発生する。僕の頭をゆっくりと冴えさせてくれた街のコンクリートは、時に人の頭を割ってしまう程の凶暴さを隠し持っている。


僕は今日、8:22に会社に到着した。すぐさま作業へと取りかかった。そのままの勢いで、「頭」で描いた設計図をひとつひとつ実現していくように、メールでチーム員に指示を出し、取引先に電話を5〜6本かけ、関連部署との調整を行い、下請け業者とのミーティングを行い、書類のひな形をいくつか完成させ、上司からの指示をこなし、取引先の失態を指摘し、その改善の要望を出し、いくつかの正式書類をリリースした。

その中に、無駄があったとは思わない。しかし、その全ての連なりが、今日、僕をこの現場に引き合わせたと言っても過言ではない。


気付くと、既に夜の9時だった。
ディスプレイを見過ぎた僕の目はとても疲れていて、視力が悪くなっていることに気付かされた。辺りを見渡すと、数人を残すのみ。まだやるべき仕事は残っていたが、今日やるべき仕事か?これ以上残業してまで急ぐ仕事か?を考えた結果、僕は帰宅することを選んだ。

「明日もがんばるか。」

この判断が間違っていたとは思えない。しかし、その判断がこの現場へと向かう第一歩だったのかもしれない。


大崎から五反田までの間、目黒川沿いには高層マンションが建ち並び、現代的な街並を形成していた。そこは人影が極端に少なく、街路樹が設計されたとおりに等間隔に植わっており、間接照明で照らされている。

「まるでCGみたいだな。」

この日常化した感覚に、僕は微塵も噓がないと断言できる。しかし、そんなCGのような世界はれっきとした現実で、この現実に入場してくる者もいれば、退場させられてしまう者もいる。

分譲マンションが売り出される前に、完成予想図としてCGが使用されることがある。そのイメージ図では、空は透明な程に青く、建物の壁面に汚れはなく、人はまばらで、街路樹は計算し尽くされたようにその枝葉を真っすぐと伸ばしている。高級感や重厚感を感じさせるそのCGは見事に、ここ五反田にダウンロードされていた。

「現実感が希薄だな。」

僕が感じる「現実感」は、僕が平和に、穏やかに生活した上で感じたものに過ぎない。その「現実」では、実は同時進行で人の力ではどうすることもできない巨大な不幸が発生している。

東急池上線の高架を通り過ぎると、賑やかな街の光に包まれた。僕は最近、腹の調子が悪く、消化が十分にできていないらしい。腹部に膨満感を感じる。しかし、そういった身体の反応とは裏腹に、昼食から9時間以上経過した脳は、食欲のパルスを大量発生させていた。

「脳と身体がちぐはぐだな。」

脳と身体がつながった状態。円滑に十分に有機的に、脳と身体がつながっている状態。そんな当たり前の状態は、実は、あらゆる全ての強大な不幸から幸運にも免れた奇跡の賜物なのかもしれない。


中に入ると、ラーメン屋とは思えない程、二人席が多く、また活況であった。店員に1人と告げると、右奥のカウンター席に通された。カウンター席の一番右に座り、辛つけ麺の並盛り200mgを注文した。普段は、つけ麺であれば300mgを選ぶ。しかし、今日は調子が悪い。消化への負荷を考慮した上での200mgだ。しばらくすると、「辛つけ麺」が運ばれて来た。一目見て、

「そうか、恵比寿にあったあの店か。」

と気付いた。そんな小さな気付きに注意を向けられる世界は、幸せそのものだ。そんな世界を享受できる幸せに、僕はもっと真摯に感謝しなければならない。


そんな微妙に壊れた眼鏡を通してみると、強い光源を中心にフレアが発生してしまう。光源が均一な明るいオフィスや、パソコンの画面を見ているときには気にならないが、一度夜の街に出ると、街灯や信号、店の看板等、強い点光源が嫌でも目に入り、街中がフレアで満たされることになる。その様子は一種ロマンチックでもあり、また同時に、現実とは異なる世界のようにも映る。

「僕は今、現実をまともに見れていないのかもしれないな。」

と思った。しかし同時に、

「いや、現実なんてまともに見えるもんじゃないか。」

とも思った。
その通りだった。
僕は、その数十秒後に、痛い程それを思い知った。

僕には、何もできなかった。

僕は、僕が考えていた「現実」が、僕が「非現実」と考えていた世界と不意につながることを知ってしまった。
その恐ろしさに、ただただ怯えていた。

僕に出来た唯一のことは、「助かってほしい」と願うことだけだった。

,listening to  my  breath sound