2010年5月5日水曜日

052. 帰国(ギリシャのこと。37458のこと。)


昨日の午前中、無事ギリシャから帰国した。

今回は、久しぶりに「こりゃやべー!」と心底思える程、
本当に楽しい、幸せな旅行になった。

Special Thanks to
>大規模な火山活動を再開しなかったエイヤフィヤトラヨークトル付近の地球
>旅行期間中は一部のストライキだけにとどめてくれたギリシャ人の皆さん

しかし、今回の旅は本当に幸運に恵まれたものだったと思う。
というのも、

4/15:エイヤフィヤトラヨークトルの噴火により欧州の航空網が完全に停止。
   使用予定のルフトハンザ航空も完全に運休。
4/21:出発3日前にしてようやく運行再開。「やれやれだぜ。」
4/24:旅行開始。
   くしくもこの日の日経一面の見出しは
    「EUとIMF ギリシャに金融支援へ」
    であった。
    「いよいよストライキが強まりそうであるな」と思ったものだ(機内で)。
5/1:パリ時事によると、
   「ギリシャ メーデーデモ、暴徒化:財政再建策に反発」
   この記事を引用すると、
   
現地報道によると、首都アテネでは推定1万5000人が数カ所で抗議行動を展開。数十人の若者が財務省庁舎に近づこうとして警官隊ともみ合いになった。別の場所では公営テレビの車に火が放たれた
 北部のテッサロニキでは約5000人がデモに参加。若者グループが
鉄の棒などで銀行の現金自動預払機や商店の窓ガラスを破壊し、駆け付けた警官隊が催涙ガスを発射した

というわけで、かなり物騒な感じなのだが、このとき僕はアテネやテッサロニキから離れたロードス島にいて「聖ヨハネ騎士団の城壁」を興味深く観察している最中で、全くと言って影響がなかった(ただし、城壁の向こう側でストライキのデモ隊の声は聞こえていた。高い城壁は僕たちも守ってくれたようだ)。
実はこの日、夕方にはアテネに飛行機で向かっていたのだが、街は静けさを取り戻していて(ホテル探しには苦労したけれど)、報道が伝えるようなストライキの爪痕を感じることはなかった。
実に、幸運である。

さて、時系列に戻ろう。

5/3:旅行終了。ギリシャを出国し、日本へ。
5/4:無事帰国。
  「あーよかった!」
  と帰国の喜びとともに成田空港で記念撮影に興じていたのだが、
  この日のロイター通信によると、
  「ギリシャ公務員が48時間ストを開始」
  とのことで、記事を一部抜粋すると、

ギリシャでは4日、欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)による融資と引き換えに求められている歳出削減計画に抗議し、公務員が48時間の全国ストに入った。歳出削減に向けた政府の実行力があらためて問われている。スト突入により、官公庁、税務署、学校、病院などが閉鎖され、公共サービスが停止している デモへの参加者はいまのところ数万人にとどまっているが、5日にはゼネストが予定されている


「ゼネスト」
これは僕が最も恐れていた事態だ。
ゼネスト=ゼネラル・ストライキに入ってしまうと、全ての交通機関がストップするので旅行は完全に不可能になってしまう。
しかも、5日のゼネストは「官民の主要労組が行う」ことになっているので、当然、民営の航空会社もストップしてしまう。つまり、「帰ってこれない!」わけだ。

「あぶね。」

と思っていたら、今日(まさに5/5)の午前中のニュースで、

「財政危機のギリシャ、公務員がゼネスト」
 ギリシャでは5日、公務員の労働組合がゼネストに入り、空港の機能がストップ、未明から空の便が全てキャンセルされた。今後、鉄道や船の便なども運航が中止される。
(出典:http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4420294.html


というわけで、恐れていた事態がまさにそっくりそのまま現出してしまっている。
よくもまぁ、避けられたものだ。
帰国した翌日にゼネスト、って。
ミッションインポッシブルかよ。
とツッコミたくなるくらい「ぎりぎり感」がある。
実に、幸運である。


Special Thanks to 
>神さま


というわけで、「火山活動とゼネストの間隙を縫って行ってきたギリシャ」について、これから写真の整理と旅行記の作成に取りかかろうと思う。

本格的に開始する前に、ハイライトをちょっとだけ書いておこう。

1)メテオラ(奇岩群と天空の修道院)
一言で言えば、マチュピチュに匹敵するレベル。
マチュピチュが「天空都市」と形容されるなら、こちらは「天空の砦」。
ひとつひとつの修道院が、切り立った奇岩群の頂上に作られている。
その石造りの建物は、「砦」と形容するに相応しい重厚さを備えている。
メテオラのいいところは、奇岩群の上を渡り歩きながら(びっくりするくらい「天空 感」がある)、中世の趣のある6つの修道院を徒歩で巡れるところにある。

「一体自分は、どこにいるんだろう?」

時代も、場所も、強烈に現実離れしている。
また、4月は花々が咲き乱れる時期でもあり、歩いていて実に幸せな場所だった。
勝手な話だが、

「みんなも来ればいいのになぁ。」

としきりに思っていた。
それだけの価値がある場所だと思う。


2)サントリーニ島(白亜の街並とエーゲ海)
これぞ、ギリシャ。
これぞ、エーゲ海。
と思わず頷いてしまう美しい島。
「宝石のような」という形容を使ってもいい。
白亜で統一された街並とエーゲ海の深みのある青が、シャッターを押す回数を飛躍的に増加させてくれた。
その結果、撮影データは80GBにも達してしまい、我が家のiMacが悲鳴を上げることが確定的になってしまった。
どうでもいい話だが、先日から、増え続ける写真のデータをどうにかしようと、1.5TB(テラバイト)のHDDを2機揃えてマニュアルでミラーリングしながらバックアップを取っている。
当初、

1.5TBなんてなかなか一杯にならないだろう。」

とたかをくくっていたのだが、1回の旅行で80GBも撮ってしまうと、以外と底が見えてきてしまうものだ。案外早く新しいデータ移転先を探すことになるかもしれない。

増え続ける「情報」を、どのように取り扱っていくか。

これは何も写真の整理だけにとどまる話ではない。
例えば、「今、人類が理解している【世界】ってやつは、一体どんな姿をしているの?どんな風に解釈すれば、正しく【世界】ってやつを理解したことになるの?」という根源的な欲求を本気で満たそうと思うと、一個体の人間が処理しきれない程膨大な論文や本、ネット上の情報、データを閲覧しなければならないだろう。しかし、そもそも、その量は「一個体の人間が処理できない」量なのだ。
さて、これとどう向き合うか。
無視して通り過ぎればいいのかもしれない。
しかし、それでは根源的な「世界を知りたい。世界を記述してみたい。」という欲求は満たされない。
この「不可能性」と「世界への渇望」が表裏一体となって僕たち現代人(の特に科学者)を悩ませている。

それにしても僕たちは、
まるで「世界に関して説明責任を負っている」ように思える程、
【世界】を解釈しようと日々努めている。

また話は逸れるが、僕はRADWIMPSというバンドが好きなのだが、その理由は単純で「世界を記述しよう」という欲求がもろに表出しているからだ。

自己中心的な香りがする歌詞もたまにあるけれど、例えば「おしゃかしゃま」(お釈迦様のもじりと思われる)や「バグッバイ」(ってタイトルだけ書くとすごくお馬鹿な感じなのだが、歌詞が取り扱っている内容はとてつもなく深い)等は、「世界の解釈の仕方」に光るセンスを感じて、本当に「いいなぁ」と思っている。

ここで、センスが光る歌詞を一部抜粋して紹介したい、ところなのだが、「歌詞の引用」はJASRACが著作権法上の「引用の要件」をかなり厳しく捉えているようなので(特に引用の成立要件の4番「必然性」の箇所をかなり厳し目に見積もっている。引用側がいくら主張したって、「必然性」なんて曖昧なもん被引用側が認めなければ成立するわけないやんかーと判断して)、やめておこうと思う。

気になる人がいたら、是非上の二曲を聞いてみてほしい。そして、最後に「37458」(「みなしごはっち」と読む。)を聞いてみると、「不可能性」と「世界への渇望」のねじれが一個体の知性を苦しめる様子がよく分かる(ただし、不可能性の質が上述のものと多少異なるが。)と同時に、「なんか頭いい人って大変なのねー」と「厭世的な賢人」の憂鬱が擬似的に体験できる。

それにしても、以上のような思索は、一般的な社会人が見たら、「どーでもいいよそんなこと」的なことであろう。しかし、そんなことを、こんな風に考える頭(の余裕?)が生まれることそのものが、きっと「日常」から強烈に自分を奪い去ることができる「旅」の効能なんだろう。



・・・ああ、とてつもなく脱線しちゃった(笑)


さて、そんなわけでサントリーニ島はおすすめである。(無理矢理)

3)ロードス島(聖ヨハネ騎士団の城壁)
この場所は、

塩野七生著 「ロードス島攻防記」

を読んだことがある人であれば、直球ど真ん中でメロメロになってしまうこと請け合いである。(メロメロって(笑))

勢いを増すオスマントルコ帝国と、
キリスト教世界の最前線に孤立する聖ヨハネ騎士団。
20万のトルコ軍に対峙したのは、わずか600人の騎士と3千人余りの傭兵と民間兵。
単純に数の原理で考えれば、
戦闘力200,000 対 戦闘力3,600
一見すると、フリーザ 対 チャオズ 並の戦い(「ボ、ボクの超能力が効かないっ!!」ってナッパに対して言ってましたね・・・)なのだが、4ヶ月の闘争の末、
トルコ軍の死者は4万4千人に上ったという。
実に、自軍の10倍以上の数である。

このような凄まじい戦果は、「騎士団の勇猛な戦い振り」によるところも多いけれど、見逃せない大きな要因として、「防衛戦に特化した当時最高の技術で築かれた城壁」が挙げられる。

実際に、城壁を前にして立ってみる。

心地よい春の風。

照りつける南欧の日差し。

それを受けて咲き乱れる草花。

犬の散歩をする人々。

全ての視覚情報、聴覚情報、皮膚感覚が、

「ここは平和だ。」

と教えている。

ここがかつての戦場であったとは全く信じられない。

城壁を見上げる。

想像よりも遥かに高い。

「よく、こんなものを造ったな。」

という思いと、

「よく、こんな城を攻め落としたな。」

という思いの双方を、どちらに偏ることなく、平等に感じることができた。

真上からこの城塞都市を眺めると、城壁は多角形(少なくとも6角形)をしていることがわかる。その張り出した角の部分が「砦」となっており、左右に伸びる2辺の城壁を横から守る仕組みなっている。(この当たりは図解しないと分かりにくいかもしれない)

「ここから、矢を放ったのか。」

斜めに開けられた「攻撃用の窓」をしげしげと見ながら、僕は、

「ああ、この窓は人を殺すために造られたんだな。」

とも思った。
もちろん、こうも言える。

「そうじゃない。街を守るために造られたんだ。」

僕は、聖ヨハネ騎士団に敬意を表すとともに、無心に生を全うしようとする草花と、城壁の向こう側から聞こえるストライキの声に、「無常感」を感ぜずにはいられなかった。

「夏草や兵どもが夢の跡」

きっと芭蕉さんがこの場所に来ても、同じ句を詠んだことだろう。

さて、今日はここらへんにしておこうかな。

しかし、考えてみると、旅行記としては、

2009年
3月韓国
8月インドネシア
12月タイ

2010年
5月ギリシャ

と、4つも溜まってしまっている・・・!
一体いつになったら現実に追いつくのだろう?

冷蔵庫を開けると、パルメザンチーズとリバーサルフィルムのVelviaが仲良くならんで棚に収まっている。

「ああ、我が家だなぁ。」

とホッとしつつ、僕はPhotoshop Lightroomを起動する。

listening to 「37458/RADWIMPS」