「僕が旅に出る理由は、大体100個くらいあって。」
とは、くるりの名曲「High way」の出だしだけれど、僕にとって「旅に出る理由」ってなんだろう?
僕は最近、こんな風に思うようになった。
「僕は今も、世界一周旅行中。」
これは比喩でもあり、本気でもある。
僕は社会人で、幸いにも仕事があって、日常生活の糧を得ながら、たまの休みに海外に遊びに行く。
いつかは「世界三周旅行に出かけよう!」と思っているけれど、
実態としては、「休みになったら旅に出る」というごくノーマルな社会人バックパッカーだ。だから、
日常→旅→日常→旅→日常
といった具合に、日常と旅とを順繰りに繰り返している。
今年は、
3月に韓国に行った。
5月にペルーとボリビアに行った。
そして、8月に、インドネシアに行く予定だ。
「今年は暇」というわけではない。
仕事は、正直、正念場。それは肝に銘じている。
でも、旅に出ない理由にまではなっていない(幸いにも)。
できれば、今年12月には、中国の元陽か、アラスカに行きたいとまで思っている。
旅には「始まり」があって、「終わり」がある。
でも、長い目で見たら、
韓国から戻って、
東京で原資をこさえて、
ペルーとボリビアに向かい、
東京に戻ってまた原資を養って、
インドネシアに向かう、
そしてまた、東京へと戻り・・・
という過程の中の「東京での日常」ってやつも、僕の「長い長い世界一周旅行」の一部だと思えるんじゃないか?
そんな思いが、
「僕は今も、世界一周旅行中」
という言葉に凝結していると考えている。
さて、そんな「巨視的な旅」を前提に、
『それでは、お前さんは何故、旅に出るのだ?」
と問われたら、きっと答えは一つ。
『世界を見ることができる身体を持って、生まれて来たからだ。』
ということだろう。
そんな根源的な階層まで、「理由」は根ざしている。
飽きっぽい僕は、心底「人間」で良かったなと思う。
もしも植物だったら、鬱病になって死んでしまうかもしれない。
動体となれる者として生まれて来たことを感謝しなければ。
僕には、何はなくとも、僕の視線で世界を眺めることができる。
東京での滞在時間は長いから、仕事に精を出して、日本という国に少しでも貢献しよう。日本以外の国は滞在時間が短いから、そのときの息づかいまで克明に思い出せるくらい、精一杯目を凝らし、音を聞き、匂いを嗅いで、触り、味わおう。
うん。これって幸せなことなんだろうな。
これだけでも、「僕は幸せだ」と言ってもいいんじゃないか?
さて、僕はインドネシアに向けて、また明日から仕事に精を出していこうと思う。
集中しよう。