2012年4月28日土曜日

114. 好きが高じて(ラーメン作り&巡り)

学生時代からラーメンが好きで「麺ラー」を自称していたのだが、ついに自作ラーメンにまで手を出すようになってしまった。
好きが高じて、というやつである。


やってみると中々奥が深く、思ったような味には到達できない。
とはいえ、スープに必要な要素や、小麦粉の種類/銘柄とその属性、加水率の概念は自作してみないと分からないもので、ラーメンの味わい方も変わったと思う。


というわけで、趣味のラーメン巡りにも「考察」という楽しみが加わった。せっかくなので、所感くらい残しておきたいと思い、食べログに書き込むことにした。


半分作り手側からの目線で、厳し目に点数をつけようと思う。


☆4つ以上が、他人に自信を持っておすすめできるレベルとして、
☆3つが、近所にあったら行くレベル。


手始めに関西の二軒について書いてみた。


北野坂 奥 @神戸 三宮
☆3つ


金久右衛門 本店 @大阪 東梅田
☆3つ

2012年4月17日火曜日

113. 物語性(プロットを仕掛けてみる)

年明けから3月一杯まで、結構働いた。
しかし、働いた分だけ必ずしも報われないことが、この仕事(臨床開発)にはある。
その様子はさながら「三途の河原での石積み」のようなもので、一生懸命積み上げたものも鬼の一振りで無に帰してしまう。

3月にそのようなことがあり、これまで積み重ねてきた思考が一瞬にしてバラバラになってしまった。
呆気にとられたまま、いつの間にか2週間程経ってしまったというのが実情だ。
この間、仕事のことを考えてみたものの、獏として焦点が定まらない。自分が進むべきベクトルを見いだせずにいた。僕は自律回復を待ちつづけていた。

しかし、そんな期間も実は重要なようで、
「暇になるなぁ」
「つまらないなぁ」
と徐々に精神が「密度の薄さ」に飽きてくる。

それでも最初は疲れているので、単にやり過ごすだけなのだが、徐々に
「なんか面白いことないかな」
「面白いことをしたいな」
と思えてくる。だって、つまらないのだから。「つまらない」というのは僕にとって大きな原動力の一つだ。つまらない状態から抜け出すために、僕はがんばれる。


「どうせ暇になるのなら、その間隙をできるだけ面白くしたい。面白いことやりましょうよ。」


こう言葉にできたのが、4月も中旬を過ぎた今日である。

仕事のことなので詳細は書けないが、

マキアヴェッリ、プロット、報道記者、トランスレーショナルリサーチ、初期臨床、組織横断、マイルドな効果予測因子、金/人/システム/認識の等価性

これら断片的なイメージがジャキジャキとつながって、一つのアイデアとなっている。実現できるかはわからないけれど、少なくとも、試してみる価値はあると思う。

目の前で起こってきた数々の事柄を元にして、小説を書いてみたいと思う。
もちろん、小説というのはいわゆる小説のことではない(喩えである)。
この小説は、この仕事をドラマ仕立てで解説する作用と、未来に起こりうる事柄の予言という作用(平たく言えば仮説)を持つ。
もちろんフィクションなので、当たるも八卦当たらぬも八卦なのだが、考える道具にくらいにはなりそうだ。また、逆に当たった場合には、これは一つの「プロット」となる。

仕掛けたプロットが現実に作動したら、小説家冥利に尽きることこの上ないだろうな。
そんなことを思っている。

2012年3月24日土曜日

112. 自分の意志をなくしたとき(処方箋)

楽しいことばかりやりすぎると、案外、つまらなくなってしまう。
自分のやりたいことが分からなくなったり、
楽しいはずのことが、思ったよりもそうでなくなったりすることがある。
自分が長期的には、こっちに行きたいと思っているのに、
短期的には、それに結びつくことから目を背けてしまうときがある。
もっとたくさん、深く、物事を考えたいのに、それに伴う負荷を嫌って、考えることを簡略化してしまったり、情報の収集を途中でやめてしまったり、読むべき資料を寝かせてしまうことがある。

なんか、疲れている。

そんな風に、「精神の体力」が落ちてしまった時、一体どうすることがよい「処方箋」となるのだろう?

ぐっすり眠ることだろうか?
それも一つだ。
身体の体力は、精神の体力にもつながっている。

とりあえず、リフレッシュすることだろうか?
好きなことをやって、過ごす。
それも一つだ。
ただ、楽しいことに耽溺してしまうと、それはそれでなかなか帰ってこれなくなる。

僕が今、思う一つの処方箋は、「ストレスが適度にかかる、本来はあまりやりたくないことを一度腰を落ち着けてやってみる。」ということだ。
「ストレスが適度にかかる」ことが重要だ。
焦らず、「腰を落ち着けてやる」ことも重要だ。
そして何より、「本来やりたくないこと」を「我慢して」やることが何より重要だ。

好例は、TOEICの勉強。
これは、正直、やりたくない。
もう、こんなことで休日を使うなんて、バカバカしくてやってられない。
普通はそうだし、普段はそうだ。
しかも、分からない問題に出くわす(大抵の人は必ずそうなる)と、「自分が知らないことを思い知らされる」ことになり、これはそんなに気分のいいことじゃない。
しかも、時間がかかる。
だんだん、イライラしてくる。


それが、実は、とてもいいことだと気がついた。
イライラしてくると、脳は勝手に色々なことを自発的に考え出すのだ。

「こんなことやってるより、あんなことをしたい。」
「部屋の掃除もやんなきゃな。」
「こんなつまらないことをチマチマやっているより、海外に出たいな。」
「しかし、こんな問題すら分からないとは。知らないことが多すぎるな。」

ぶつぶつぶつぶつ、頭の中では一人言が始まる。
学生時代のテスト勉強を思い出せば、よく分かるだろう。
テスト勉強を始めようとした途端、普段は放っておいたとっ散らかった部屋が急に気になり出し、掃除を始めた、という経験は誰にだってあるはずだ。
この作用を、利用する。

勉強というストレスフルなことを行うことで、
チョロQのように、ギリギリと音を立てて、脳にエネルギーがたまっていく。

この精神作用そのものは、TOEICの勉強には直結しないものだ。
むしろ、TOEICの勉強からすると「雑念」に過ぎず、本番のテストでは邪魔者以外の何ものでもないのだが、緩んでしまった精神を叩き直すのにはちょうどいいのである。

TOEICのスコアを上げるために勉強するのではなく、むしろ、TOEICの勉強を通して、精神の体力を取り戻すことが目的。
変なことかもしれないが、今、TOEICに求めるのはそんなことだ。

TOEICの問題はバカバカしいものから、頭のひねったものまで種々雑多に混ざっているが、少なくとも、「知性」を使うことは間違いない。このことも、精神の巻き直しには重要だと思う。だらけすぎず、適度な緊張が強いられる。その不自由さや真剣さが、きっと精神にはいい。

さて、そう思って、勉強を続けるとしようか。

2012年3月18日日曜日

111. 通説がうそになるとき(5DMkIIIとD800)

一般に、デジカメの撮像素子は「高画素数になると、高感度時のノイズが高くなる」と言われている。

この通説に則って、Canonという会社は数年前から「高画素数を競うのはやめて、高感度性能を高める方向に梶を切りましょう。」と言って、画素数は控えめ(2200万とか1880万とか)で、常用感度をISO25600くらいまで引き上げるという方針で新機種を設計してきた。
先頃発表されたEOS 5D MarkIIIという機種はその思想を体現したハイアマチュア向けのフルサイズ機だ。
MarkIIから3年以上経過し、待ちに待った新機種、と言える。

一方、ライバルのNikonは、高画素路線をそのまま突き進み、3600万画素という高画素機D800を出してきている。5D MkIIIと同じくフルサイズ機で、ハイアマチュアがターゲット。価格帯も35万円前後なので、思いっきりライバル機種である。


さて、冒頭の通説によると、「1400万画素も高画素であるD800は、高感度性能では5D MkIIIには負ける(一方、解像力では画素数分勝る)」ということになるが、なるはずだが、なるはずだったのだが、、

そうはならなかったようだ。


参考サイト
http://www.fotoactualidad.com/2012/03/hora-de-la-verdad-nikon-d800-vs-canon.html


ズコーっ!とずっこけているCanon ファンとCanonの開発陣が目に浮かぶ。

さて、高感度性能は同等、解像力が高く(細かなものがきちんとそのまま映る)、トリミング耐性も当然高く、それでいて同じ値段なら、あなたはどっちを買うだろうか?

レンズ資産がなければ、迷わずD800だろう。

実は、No.108.の記事では、


「ライバル機種となるD800(E)では3600万画素なので、トリミング耐性で考えた場合、同じ価格帯でこの画素差はいかがなものか、と見る向きもいるかもしれないが、高感度時のノイズ耐性も含めて比較した場合、どのような差異が見られるかを考慮すべきだろう。結論はまだ出せない。」

と書いていたのだが、真相は「高感度性能でもそれほどD800は見劣ることはなかった。結論は、D800の勝利である。」ということだ。

(僕は、高感度耐性として3段以上の差がなければ、トリミングのことも考えて、1400万画素多い方に軍配を上げる人間だ。縮小はいつだってできるし、HDDは増設すればいい。そういう考えの持ち主(若干バブリー)なので、「3600万なんて、畳一畳とかそんなサイズに引き伸すことのない人にとっては不要でしょう?2200万くらいで十分なんじゃない?身の丈にあったちょうどいいサイズってものがあるんじゃない?」論者にとっては、相容れない結論と思うが、もうここは根本的な認識の違いなのでご容赦願いたい。大体、そんなこと言う人が一番多くプリントしているのが2Lだったりするので、だったら500万画素のデジカメにしたら?とか思ってしまうわけである。500万画素でも2Lならいける。)


さて、Canonはどうするのだろうか?

デジタル一眼レフの牌が全体的にミラーレスに浸食されつつあり、
D60ではAPS中級クラスを確立できず、
待ちに待たれた5D MkIIIでは肝心の高感度性能で(すら)遅れを取り、
ミラーレスを喰う!と宣言したPower shot G1Xでは最短撮影距離を酷評され使い物にならないとされてしまった。

おかしいくらいにうまく行っていない。
Cinema EOSに本当に開発資源を投入すべきか、もう少し考えなおした方がいいのではないだろうか?

Canonのレンズは間違いなくいい。
また、トータルで見た時に、価格に対してバランスのいい実直なカメラを出していると思う(もちろん、そう思わない人もいるにはいるが)。
映像エンジンGigic の吐き出す絵も、記憶色と言われれば記憶色かもしれないが(現実より鮮やかに映る)、ある意味、現実に魔法をかけるような色乗りの良さを持っている(それはポジフィルムでも同じだし、逆に、ネガカラーは「思い出色」をしている。現実を射影するフィルムなり、CMOSセンサーなりは、そこに一意的な関数を持って対応を取っている以上、魔法がかからないなんてことはない。要はその傾向と、度合い、そして個人の趣向との一致性である)。
AFの早さ、精度は伝統的に、最高だ。
Canonには、実力がある。そう思っているからこそ、きちんと開発戦略を練ってもらいたいと切望する。

2012年3月7日水曜日

110. タイムカプセル(30歳のとき)

30歳になった。
自分に30代という年代がやってくることを、それほど意識していなかったけれど、迎えてみると、なんとなく感慨が湧いてくる。

20代をざっと振り返ってみると、

20歳:静岡県沼津市にある沼津高専から、東京工業大学へ編入。大学3年生。単位を取りきるのに精一杯。大岡山とすずかけ台の往復の日々。

21歳:大学4年生。東大の研究室へ入る。回転するタンパク質を顕微鏡で観察する日々。勉強の甲斐あって、主席で卒業。「一番」にこだわっていたのはこの時期が一番かもなぁ。

22歳:大学院1年生。就職活動。製薬企業の開発職で内定が決まる。内定者サークル結成。サークルと言っても、花見やスノボや遊園地、温泉を巡る、という只管に楽しいサークルだった。

23歳:大学院2年生。阪大へ研究室が移転し大阪へ移り住む。夏、初の海外旅行で台湾へ。海外旅行の魅力に気付く(何よりも、連続する日常から浮遊した自由感)。その後、学会でボストンへ。卒業旅行で、モロッコ、トルコ、スペインへ。写真にも凝り出し、RICOHのGR-Digitalを使い始める。

24歳:製薬企業への入社で、東京へ戻る。社宅のある大崎で一人暮らし。感染症分野でモニター(一担当者。一プレーヤー)として臨床試験を実施。この年、香港へ一人旅。

25歳:入社2年目。社宅を引き払い、目黒に引っ越した。完全な一人暮らしが始まった。感染症分野で2つ目の試験をモニターとして実施。この年、カンボジアとベトナムへ一人旅。このとき、初めて一眼レフを持っていく。絞りだとか、シャッタースピードだとかをようやく理解し始めた。

26歳:入社3年目。感染症分野で3つ目の試験をスタディーアシスタント兼モニターとして実施。徐々に試験のシステム作りに関与し始める。ジンバブエ、ザンビア、ボツワナ、南アフリカ共和国へ。

27歳:入社4年目。感染症分野で4つ目の試験をスタディーアシスタントとして実施。5〜6人のモニターに指示を出す立場に。この頃から仕事に慣れ始め、休暇もうまく取れるようになってきた。ペルー、ボリビア、インドネシア、タイ、ミャンマー、ラオスへ。恐らく、人生史上、最大限、自由な日々。撮った写真を見返す余裕もない程、テンポよく海外へ出ていた。

28歳:入社5年目。感染症領域での最後の試験をスタディーアシスタントとして完了。この年、今の奥さんとギリシアへ。花が咲き乱れるメテオラの風景やロードス島の何とも言えないリゾート感、日差し、街並、サントリーニ島の急斜面に張り付くように立ち並んだ白壁の街並、そこで昼間から飲んだビール、タコのマリネや青い手すりや乗りこなせなかったバギーや食べきれなかったカバブ、そんなものをちょっとした隙に思い出している。この年、恐らく最後と思われる一人旅として、エジプトへ。この年の終わり頃、今の奥さんと結婚し、二人暮らしが始まった。

29歳:入社6年目。慣れ親しんだ感染症分野から癌領域へ。分野の変化は大きいが、時代を反映した人事とも言える。抗がん剤は未完成であるからこそ、情報の更新が他分野より早く、こんがらかっている。その分、開発しがいのある分野だと思う。3月、東日本大震災が起こった。日本の、それまでの漠然とした地震への不安が顕在化し、色々な面で常識が変わってしまったと思う。自分は、地震の1週間後には中国桂林へ行っていた。中国の地方都市のホテルで、中国語のテレビを介して見る日本の状況。複雑な気持ちだったのを憶えている。言葉は分からないけれど、福島の原発が大きく取り上げられていたのはよく分かった。
このような、日本の大きな流れとはパラレルに、新婚旅行としてドバイとイタリアへ。ドバイの人工的で圧倒的なスケール感の街並もよかったけれど、やはりイタリアの、特にベネツィアとフィレンツェ、それからカプリ島には忘れられない良さがあった。美しい。燦々と降り注ぐ太陽、美味いピッツァ。美味いワイン。石造りの街並も、オリーブの木も、何気ない路面店も、どれも美しく映った。行けて良かったなぁと思う。

30歳。今日からはじまる30代。

最近は、忙しい。
大規模な試験の準備で、2月の残業時間は自分史上最多だった。平日は帰宅するのが11時〜12時過ぎ。自己研鑽に時間を取れない(取る心の余裕がない)日々。行き帰りの電車では、疲れて寝てるか、バナナマンのバナナムーンゴールドを聴いているか(ポッドキャストをiPhoneに落とし、初回から今ままで4年分くらいをぶっ通しで聴いている)。音楽もあまり聴いていない。聴くとしても、すでに持っているものばかり。英語の勉強らしいことは、ほとんどしていない。業務上、他国も絡むため、英語で文書を書く機会が多くなったこともあるけれど、どちらかと言うと、「業務でも疲れるくらい見ているのに、空き時間にまで見ていたくない」というのが本音。ポジティブに言うならば、その空き時間を休んで、業務時間中に集中して、英語もやっつけている、という感覚。とはいえ、やっぱり仕事には相当なエネルギーを注ぐ必要がある。それだけの必要性があるし、それだけの価値もある。仕事は、全体的には面白い。個別の事案で辟易することもあるけれど、それは、どこだってそうだろう。受けとめられない程のストレスではないし、状況は徐々に好転しつつあると思っている。あとは、自分次第。そうやって集中して仕事仕事していると、一週間が「アッ」という言う間に過ぎて行く。
それは、仕事の能率としては非常にいい状態である証拠で、「暇で暇でしょうがない」といった状況よりは断然いいのだけれど、あまりに「アッ」という間過ぎて、「時間を感じる能力が欠如してしまったのではないか」と疑いたくなるほど。特に夜7時から10時までが異常に早い。一仕事を終えると、いつの間にか10時になっている。そこから、もう一仕事、と思っているとそろそろ終電や寝る時間を考え始める時間帯になってくる。

ようやく、仕事で「判断ができる」経験が積めてきて、そのような「立場」になってきて、周りも自分なりに見えてきて、やるべきことも分かってきて、という立ち位置。
過大でも過小でもなく、それが現実の自分と思う。

仕事は、自分が決められる範囲が広ければ広いほど、面白いと思う。
それは僕が「決めたい人」だからだろう。

ようやく、各ファンクションの役割や考えやテンポや置かれている状況が分かってきて、それでもなお、組織の中でどのように協調(恊働)すべきか、問われる日々。思ったよりもリーダーシップを要求されることが多いように思う。こちらがリーダーシップを張らないと、なかなか動き出さないこともよく分かった(年齢とか役職とかそういうのは思ったより関係ない)。餅は餅屋かもしれないが、餅屋の集まりだけでは仕事(プロジェクト)は動き出さない。誰かが旗を振る必要がある。一方で、旗ふり役が餅を作り始めてはいけない。餅はやはり餅屋の仕事だ。餅屋には餅屋のプライドがある。その一方で、そのプライドばかりを優先してしまうと、仕事が進まないこともある。プライドを守りつつ、餅屋に協力してもらう。餅屋に気持ちよく協力してもらう。そういう微妙なラインを、うまくやっていく。そういうことが、人が集まる組織では重要だと思う。僕もある意味、餅屋側なので、それはお互い様なのだろう。

新入社員が、若く思えるようになってきた。
がんばっているなぁ。と思う。
それが段々、角が取れてくる。肩肘張っていたのが、段々とすんなりしてくる。一生懸命想像で話をしているのが分かる。
僕もそうだったのだろう。

逆に、今出された問題が、いつか見たことのある問題のような気がしてくる。自分の過去に参照するデータがあるように思える。きっとどうにかなるはずだ、とやる前から確信できる。これからやるべきことを、ブレイクダウンすることができる。どうチームが動くべきか、おぼろげながら、見えてくる。
僕は入社6年目が終わる今、ようやくそうなってきた。

中堅社員、ということなのだろう。
これからも仕事はきちんとやっていきたい。
と同時に、家族との時間も、きちんともっていきたい。
写真やカメラのことも、きちんときわめたい。
英語だって、まだまだのばしていきたい。

こうした意欲が、まだ自分の中にあることを感じている。
ただ、その意欲は、やはりちょっと10代の頃よりも、静かなものになってきているのも事実だ。無鉄砲な熱量ではなく、静かなる歩み。そういう変化が、自分の中にある。

東日本大震災を経て、また、首都直下型地震への警鐘が鳴らされる中、「日常が続くこと」への願いは増すばかりだ。
「日常」を望む人は、「大人」だと思っていた。
僕はその「大人」になってしまったんだと気付いた。
また、同時に、それをすんなり受け入れている。

この忙しくも愛おしい日常が続きますように。

2012年3月4日日曜日

109. 最近のこと(EOS 5D Mark IIIとブロニカS2)

年が明けてから仕事のテンポが上がり、2ヶ月程このブログにも記事を書けない状態が続いてしまった。
ようやく一段落(それがいいことか悪いことかは置いておいて)したので、久しぶりにこの画面に向かっている。

何から話そうか?

まず、比較的タイムリーな話題として、待望の新機種「EOS 5D Mark III」が3/2(金)に発表されたことからいこうか。
全般的に見て、EOS 5D MarkIIIは Mark IIから「正常進化」した機種と言えると思う。

画素数的には控えめな変更で、2110万画素 → 2230万画素。
これは、キヤノンが以前から言っている「2年程前から、高画素化から、高感度化へ梶を切った」という開発方針通りだ。

ライバル機種となるD800(E)では3600万画素なので、トリミング耐性で考えた場合、同じ価格帯でこの画素差はいかがなものか、と見る向きもいるかもしれないが、高感度時のノイズ耐性も含めて比較した場合、どのような差異が見られるかを考慮すべきだろう。
結論はまだ出せない。

キヤノンとしては、使い勝手のいい画素数(プロが撮って、雑誌に載せる際に求められる写真のサイズはせいぜいA3くらいなので、無駄に大きい画素数だと持て余してしまう)として2200万画素を選んだということだと理解している。

さて、5D MkIIは2008年11月下旬に発売されたが、MkIIIは2012年3月下旬発売予定。この3年と4ヶ月で進化した主な点としては、

・AFの測距点が9点から61点になったこと
・連続撮影枚数が3.9コマ/秒から6コマ/秒になったこと
・常用ISO感度が100〜6400が、100〜25600になったこと
・映像エンジンがDIGIC 4からDIGIC 5になったこと
・動画撮影機能の強化(16:9のHD動画撮影、録音機能の向上)
・HDR合成など画像処理機能の追加

といったところだろうか。
これを自分の使い方に当てはめてみると、

・AFの測距点が9点から61点になったこと
(もともと中央1点のAFしか使わないのであまり影響ない)
・連続撮影枚数が3.9コマ/秒から6コマ/秒になったこと
(そもそも連続撮影を使うことがない)
・常用ISO感度が100〜6400が、100〜25600になったこと
(これはありがたい。巷の噂では、MkIIより2段分の改善があるらしい。僕はMkIIではISO1600まで作品撮りに使用できると思っているので、MkIIIではISO6400まで使えそうということになる。これはありがたい。)
・映像エンジンがDIGIC 4からDIGIC 5になったこと
(これは恐らく、ISO感度のところに最も効いてくるのだろう。なので、ISOのところと同じ感想。ちなみに、同じくDIGIC5を使用したPower shot S100という機種を最近使っているのだが、こちらも撮像素子の小さなコンデジとしては高感度時でもノイズがかなり少なく、室内でも安心して使えるレベルだ。)
・動画撮影機能の強化(16:9のHD動画撮影、録音機能の向上)
(動画は容量を喰うのであまりやらない)
・HDR合成など画像処理機能の追加
(これは、RAW撮りしていれば、後日Photoshopで如何様にも再現できるので自分の環境としてはあんまり必要性を感じない)

というわけで、キヤノンには申し訳ないが、正常進化した部分ではISO感度の部分のみ、「自分の使い方では」目を引く進化である、ということになってしまう。
(世の常で、キヤノンは新製品を出す度に、まずは批評(酷評)され、のちに大ヒットする。地味ながら性能の良さはいずれ評価されるので、今回も同じような経路を辿ると思われる)

ただ、5D MkIIとMkIIIは併売されるとのことなので、約16万円のMkIIと約35万円のMkIIIでは価格差と機能差で考えた場合、MkIIIの分が悪いように感じてしまう。
「廉価なフルサイズ機が欲しい」という声には、MkIIを用意している、ということなのかもしれない。

廉価なフルサイズ機、というのはSONYが恐らく出すはずで、そういう意味ではMkIIを残しておいて、SONYの廉価版フルサイズ機対策を張っておくというのも一つの戦略だろう。

当初、EOS 5D の新機種はMarkIIIではなく、EOS 5D Xという新しい名前のものになるとの噂もあった。「X」というのは1D Xと同様に、二つのラインを統合する意味があり、7D と5Dがクロスするような機種が出る、との噂だった。
しかし、結果としてMark IIIで出てきたため、恐らく、7D系は残るということだろう。

5D Mark IIIは期待通りの性能を備えていた。
しかし、期待を大きく上回るものではなかった。
今のところ、Mark IIをやめてまで、かつ35万近く出してまで欲しいと思う機種ではないように思う。
実機を触ってから、考えよう。

とここまで威勢良く書いてきたのだが、昔の記事(2011年9月)で以下のような記述を行っていたことを思い出してしまった。

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それよりも、マイナー集団としては、そろそろEOS 5D Mark IIIを出してほしい。
DIGIC5の搭載(これは確実)、ISO感度の向上(常用感度で12800まで、実用感度で3200)、AF測距点の増加(せめて20点。30点行けば御の字)、連続撮影速度の向上(3.9→せめて8)、バリアングル液晶の搭載(これは、まぁーできたらで)、HDR撮影(微妙なところ)、プラスチックの質感の向上(これは多分されない)、軽量化(絶対無理だけど)と色々ある。
正常進化を望むばかりである。

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なるほど。
半年程前の僕の予想は、以下のように当たっていたりはずれていたりしたわけだ。

・DIGIC5の搭載(これは確実)→おっしゃるとおり。当たってました。
・ISO感度の向上(常用感度で12800まで、実用感度で3200)→これはキヤノンの勝利。常用感度で25600で、実用感度で恐らく6400であり、僕の予想の一段上を行っている。
・AF測距点の増加(せめて20点。30点行けば御の字)→これもキヤノン勝利。61点は想定の範囲外。
・連続撮影速度の向上(3.9→せめて8)→これは予想以下となる。とはいえ、僕にはあまり関係ないスペックだけど。
・バリアングル液晶の搭載(これは、まぁーできたらで)→やっぱり見送られました。プロ向けならそうか。
・HDR撮影(微妙なところ)→これは取り入れてきました。ここらへんが意外かも。まぁ取り入れやすいテクニックではあるけども。
・プラスチックの質感の向上(これは多分されない)→実機触ってないから何とも言えないけど、多分悪い。写真からそう思う。間違ってたらすまん>キヤノンの人
・軽量化(絶対無理だけど)→やっぱり無理だった。45g程重くなっている。まぁそりゃそうか。キヤノンは伝統的に、重さと大きさには寛容だ。本体もそうだけど、レンズをどうにかしてほしい。いい加減35mmF2を新しくしてほしい。

半年前に自分が思ったことと、現実の変化を照らし合わせてみると、なるほど未来とはやってくるものなのだな、と思ったり。
これだから、デジカメウォッチはやめられないと思ったり。

とか何とか言いつつも、ブロニカS2で、息を殺しながら(激しいシャッターショックによる手ぶれを押さえるため)、勘露出で撮ることの方が、「何でも確実に撮れるデジカメ」より、えも言われぬ満足感があるよなぁとも思っている自分がいる。
1人の人間には、かくも多様な価値観が混在しうるのか。我ながら一貫性の無さに驚いてしまう。

ブロニカS2は、1965年に発売された電池も不要な「カラクリ」カメラ(機械式カメラ)だが、未だに現役。その老体に似合わず、甲高いシャッター音を響かせている。ハッセルの模倣品として揶揄されがちだが、例えばフィルム送りのレバーと撮り終わった後の巻き上げレバーが同一で、ハッセルでやりがちな「巻き上げ忘れてフィルムを取り出してしまう」というミスは起きえない構造になっているといった利点もある。(先日、このミスをまたやってしまった。痛恨の極みである。ああ、恥ずかしい。)

明らかにスタイルではスマートなハッセルに三歩程遅れをとっているが、実はブロニカS(初代ブロニカ)はよりハッセルに酷似しており、スマートだった。しかし、あまりに酷似していたため、ハッセル側から訴えられ、デザインを改変することとなった。その結果、S2のような無骨なデザインに落ち着いたのは興味深い。元々のハッセルは「スマート」であるのに対して、模倣した結末が「無骨」なのである。レバー一つとっても、実に線が太く、「鎧」を思わせる存在感だ。ハッセルを真似て、ハッセルとは対極に位置してしまったブロニカ。
しかしその奇妙な経緯のおかげで、今の新製品とは一線を画する存在感を放っている。1965年から数えると、今年で47歳である。僕は1982年生まれなので17歳も先輩ということになる。

そんなブロニカに詰めるフィルムは、ISO 400 のT-MAX。ISO25600とか、そんなんなくても撮れるものは多い。スローな気分で撮りたい時、ブロニカS2はそれに応えてくれるような気がしている。(しかし、話は脱線するが、つくづくISO400というのは優れた感度だと思う。何が優れているかと言うと、シャッタースピードとのバランスである。日中の、屋外の撮影においては、大抵のカメラが用意するシャッタースピードで対応できる。このバランスの良さは、ISO100では実現されず、ISO400で初めて実現される。一方、ISO800だとF2.8のレンズでは開放だとシャッタースピード的に厳しくなってしまい、また値段も高く、バランスが悪くなる。ISO100ではより滑らかなトーンが得られるけれど、曇りで日陰や屋内だと途端に厳しくなる。やはり、バランスとしてはISO400が最も良い。僕はカラーではポジフィルムの方が「生々しさ」があって好きなのだが、ポジフィルムはISO100がほとんどで(一応プロビアにISO400のものはあるが)、前述の通りちょっと曇りの日にはもう対応が難しくなるという欠点がある。だからと言って、すぐにISO400のネガカラーに移れるかと言うとそうでもなく(ネガカラーは「思い出色」過ぎる)、結果として、ISO400の白黒フィルムT-MAXに落ち着いている、といった次第だ。KODAKは潰れてしまったし、今後どうなるかわからない不安も含めて「T-MAX最高」なのである。)

とか何とかノスタルジックに語ってみたが、それもこれも、実はPowershot S100という頼れるコンデジができたからという見方もある。
ブロニカS2で室内撮りというのは光量の問題からかなりきついし、例えば、食べ物を撮るという気軽な撮影には全く向いていない(甲高いシャッター音が店中に響き渡ってしまうし、中盤フィルムは枚数が撮れない分、結構高くつく)。そういった被写体は、S100でほとんどがカバーできる。こういうオールマイティーなコンデジがあると、安心して趣味カメラを持ち出せるというものだ。特にS100は胸ポケットに入るくらい小さいので、大きな中判カメラとも併用できる。「苦にならないサイズで、頼れるカメラ」というのは思ったよりもいいものだ。

フィルムカメラの良さを発見する上で、良いデジカメが必要だった、というのは何とも不思議な話である。両者が(かろうじて)オーバーラップしている今だからこそ、成り立つことなのかもしれない。ブロニカにせよ、S100にせよ大事に使っていこう。

2012年1月4日水曜日

108. 2011年〜2012年(結婚式と北京旅行)

>みなさま
 あけましておめでとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2012年1月4日 管理人カジ
---
さて、2012年もいつのまにやら4日目である。というのも、昨日まで北京に旅行していたためだろう。旅行は、インプットの情報量が多いので、そっちにメモリを使ってしまい、時の移り変わりにはその分鈍感になりがちだ。
北京では、奇妙なことに、新年になっても「メリークリスマス色」が抜けていなかった。どうやら、「新年」と「クリスマス」がほとんど区別なく「なんとなく楽しいイベント」という位置づけのようである。
これは、恐らく、旧暦に基づいて新年を祝う習慣があるからだろう。旧暦だと、1月末〜2月にかけて新年を祝うことになる。もちろん、カレンダーでは西暦を採用しているから、1月1日が2012年の始まりであることは中国でも間違いないのだが、いわゆる「年末年始」のイベントは旧暦に従って行われる。
これは、同じく旧暦を採用するタイでも同じで、タイではもう少し12月の年末と1月1日の新年を祝う雰囲気はあるのだが、やはり12月25日を過ぎてもクリスマスムードは抜け ず、1月になってもちらほらとサンタ姿を見かけることができる。

さて、北京旅行の所感をざっと振り返っておきたい。北京に訪れるのは今回が初めてで、これまで中国は、香港と桂林には行っていたのだが、首都である北京では、その経済の発展振りを多いに感じることができた。
・まず、ビルが、道が、超でかい。12車線の道路があったり、何気ない道路でも8車線は当たり前だ。また、ビルのサイズが日本とは比べ物にならない。大陸の文化(見栄の文化とも言われる)なのだろうが、六本木ヒルズライクなビルがぼんぼん立っている。「国貿」という駅の周辺には富裕層と外国人向けの大きなショッピングモールがたくさんあるが、その雰囲気は六本木ヒルズやミッドタウンのようなハイセンスなもの(欧米チックなもの)で、グッチやシャネルやディオール、D&Gやモンブラン、その他一般的に高級と言われるブランドが一通り揃っている。また、その店舗のサイズも、ビルが大きい分だけ立派で、日本ではちょっとお目にかかれない規模だ。(万年筆で有名なモンブランだが、それ専用の展示ブースが常設されていたり、日本では小規模な展開の欧米ブランドが、大きな店舗を構えていたりと、高級品の充実振りは目を見張るものがある。日本で三越が中国富裕層向けに、接客対応を充実させる理由がよく分かった。こんな所でショッピングを楽しむ人であれば、三越のような百貨店でなければ満足しないだろう。というよりも、銀座や日本橋の三越でさえ、「Too small」な印象さえ持たれてしまうのではないか。)
・そのような経済発展の華がきらびやかに咲くすぐ傍で、昔ながらの胡同(フートンと読む。言ってみれば「下町の細い道/区域」のようなもの)がそこかしこに点在し、今も昭和の街並のような雰囲気が漂っている。超高層ビルのエリアから2駅でも離れると、平屋作りの家が並び、夜1人で歩くにはちょっと怖いくらいだ。僕たちは、地上80階にある「The Lounge」というカフェで中国茶を飲んだその日の夜に、今度は夜の北京の下町を散策し、その落差(貧富の差)に唖然とした。こういう落差が一つの街に隣り合わせで存在しているのが特徴と言えるかもしれない(と言っても北京市だけで、16800キロ平方メートルもあり、日本で言えば、大体「四国」と同じくらい(正確には四国は18806キロ平方メートルで少しでかいが)ということを考えれば、不思議ではないのかもしれない)。
・冬の北京は寒い。毎日、-7℃〜+1℃くらいの間である。しかし、きっちりとした防寒をすれば、観光することは可能だし、秋の行楽シーズンには中国人観光客でごった返すことで有名な万里の長城も、閑散とした雰囲気で(まぁ雪が降っていたくらいなので)、長城をきっちりと写真に収められる。
・今回のアクティビティーは以下の通り。
万里の長城(慕田峪長城の方。世界遺産)頤和園(いわえん、北京最大の庭園。西太后が愛した庭で世界遺産)川底下村(せんていかそん、昔ながらの四合院造りの建物が並ぶ山間の村)雑技観覧(朝陽劇場)京劇観覧(梨園劇場)天壇(明清時代の皇帝が祭祀を行った祭壇。世界遺産)現地中国人から世界一うまいと太鼓判を押された小龍包屋(大望路の新光天地ビル内にある「鼎秦豊」という店)現地中国人おすすめの北京ダックの店「鴨王」
・今回は、ANAの溜まったマイルで飛行機を取ったので、行き帰りの往復はほとんどかかっていない。特に帰りの便では、エコノミーの座席が満席になってしまったことを受け、追加料金なくビジネスクラスにアップグレードしてもらえた。これはラッキーである。日本酒は、栃木の地酒「開花」の純米酒だった。うまし。
・体重は65キロから67キロにアップグレード。結婚式に向けて落とした体重を見事に取り戻しつつある。もともとリバウンド前提でダイエットに取り組んできたのだが、こうも見事に跳ね返ってくると我ながら呆れてしまう。

・体重の増加が物語るように、中華料理はおいしい。もちろん、オイリーであるが、その多彩さには毎回、敬意を感ぜずにはいられない。
・日本が今現在、中国に勝っていると誇れるものは、
「ラーメン」
(中国では、麺がゆるく、また出汁のレベルもまだまだだ。「李先生」という牛肉麺のチェーン店がかなり出店しているが、この麺もいまいちだった。一方、現地中国人がすすめるジャージャー麺の店「京味麺大王」では、もちもちした程よい中太麺だった。つまり、もちもちした食感の麺が喜ばれるのは北京でも同じだが、それが十分には浸透していない様子。日本の有力店にはチャンスではないだろうか。既に熊本の「味千ラーメン」は出店しているようだが(少なくとも空港にはあったし、香港では多数見られる)、もっともっと進出していいと思う)
「ウォシュレット付きの便器」
(是非、TOTOとINAXには、どんどん進出して、中国のトイレ事情を改革してほしい。ウォシュレットそのものでなくても、温かい便座だけでもOKである。北京は寒いし、需要は必ずある。)
「接客サービス」
(富裕層向けの中国のサービスが悪いとは思わないが、逆に共通する部分が多いので、日本式の接客サービスは喜ばれるのは間違いない。その徹底振りを中国人で再現できれば、必ず受け入れられるはずだ。)

・一方で、確実に負けているのが、
「テレビ番組の豪華さ」
(宿泊したHoward Johnson Paragon Hotel では、運良くNHKが映った。このため、紅白歌合戦を見れたのだが、ちょうど時差が1時間あるため、NHKで紅白がフィナーレを迎えた後、1時間ほど遅れて中国の紅白に相当する番組も見ることができた。日本では、紅白は豪華な番組だと思う。特に今年は、バックに大型のディスプレイを配置して、松任谷由美の「(みんなの)春よ来い」では、桜の花びらがCGで舞っていた。それでも十分美しいとは思うのだが、中国の紅白ではそのディスプレイが大体2倍くらいのサイズで、形も円形というか螺旋形というか、不思議な形をしている。ステージの奥行きもすごい。NHKホールのサイズが大きくないという制約があるにしても、豪華さが半端じゃなく違う。日本では、花吹雪が舞うという演出があるが、中国では、美しい衣装を着たダンサーがステージから観客席にかけて宙吊りになって舞っている。AKB48は確かに多いが、中国ではソロの歌手が謳うときでも、何故か50人くらいのバックダンサーが常に踊っている。とにかく、ショーの演出にかける費用に差があるように感じた。言ってみれば、北京五輪のオープニングのような壮大さをテレビでもやっているかんじだ。)
「部屋のでかさ」
(北京は分譲マンションが高騰し、広くは住めないと言っていたが、「最低でも80平米」だそうだ。おいおい、東京や神奈川や埼玉で、「80平米」だったら、「ゆとりの間取り」と宣伝されるレベルだ。)
「人口」
(当たり前だが、それだけの人が働くので、巨大なものも作れるし(つまり巨大な労働力)、それだけの人が消費するので、巨大な市場となる。)

・北京散歩という会社に車のチャーターをお願いした。ここが「当たり」で、万里の長城、頤和園、川底下村と快適に旅行できた。頼んだチャーターのプランは、「日本語が話せない中国人ドライバーだが、意志疎通をしたいときは携帯で日本語通訳と話すことができる」というプランだったのだが、オフシーズンだったこともあり、その一つの上の「日本語ができるドライバー」によるチャ—ターだった。2日間で、キョウさんとリュウさんという二人のドライバーと話したのだが、いずれも日本語が堪能で、運転も丁寧で、日本人の好みがよく分かっている人だった。北京のことも彼らから日本語で教えてもらうことが出来た。
・北京市内の人々の1ヶ月の平均賃金は日本円で4万〜5万円らしい(2800〜3500元)。そのうち、狭い家に住むとしても1000元くらいが住宅費に当てられる。
・こう聞いてしまうと、中国はGDPで日本を抜いたけれども、購買力としてはまだまだだなと思うかもしれない。しかし、中国を見る場合は、「平均値」で語ってはいけないと思う。むしろ、「区分」と「実数」で語るべきだ。例えば、「日本円で年収550万円以上の世帯は何件か?」という「区分」と「実数」で見るべきだ。正確な統計は知らないが、恐らく、日本を既にかなり上回っているはずだ。もしかすると、数倍の数がいるかもしれない。巨大な国なので、そういった「平均のマジック」にかからないように注意すべきだろう。

・中国では、タクシーの運転手や、街にいる人、店員に、英語が通じない。日本並みだと思う。また、マクドナルドというものにも、中国流の漢字名が付いている。スターバックスもそう。Howard Johnson Hotelは北京宝辰飯店である。ベンツにも漢字名がある。ここは中国。中国語で表記せよ、ということだろう。中国語をやる意味はここにある。

・ビールは総じて、薄い。実際アルコール度数も3〜4%のようだ。青島ビールは少し高い方で、ヤンジンビアというさらに安い銘柄がある。ただ、いずれにせよ、満足度は低い。強い酒となると、紹興酒(Chinese Yellow Wineと表記されていて、何かと思ったら紹興酒だった)があるが、瓶で出てくることが多く、飲みきれない。
・北京は総じて平和。天安門近くには常に公安がぞろぞろいるし、地下鉄は入り口に必ずセキュリティーチェックがあり、手荷物のX線検査をしなければならない。おかげで、地下鉄は落書きもされておらず、また照明も明るいので、イタリアのような薄く暗く怖いかんじは全くしない。むしろ、日本と同じ感覚。
・北京のタクシーはぼってくることもある。特に夜の天安門では10元ほどの距離で、1人目は80元と言ってきて、二人目は100元と言ってきた。頭に来て、タクシーはやめて、地下鉄で帰った。地下鉄は1人2元で二人で4元。こんなものである。

冬の北京はとにかく、寒い。ただ、オフシーズンなので、写真的にはよいし、交通も十分機能しているので、案外良い旅先と思った。

さて、順番は前後してしまうが、2011年の12月23日に結婚式を無事終えることができた。
来てくれた友人には本当に感謝である。
籍を入れてから約1年かけてゆっくりと準備してきたのだが、その準備も報われた気がした。というのも、僕たちが気を配ったところを、「誰かが必ず見ていてくれた」ことが分かったからだ。
会場の綱町三井倶楽部、大正時代から続くこの洋館はとても素敵だと思う。外装も内装も、僕たち二人はとても気に入っていた。同じように、この場所をいい場所だと言ってくれる人が何人もいた。
また、料理とワインも二人とも気に入っていた(ワインセラーが有名なところらしい)。当日は、ほとんど食べず、飲めずだったのだけれど、何人かから料理もワインも良かったと嬉しい感想を聞くことが出来た。
給仕の人もしっかりしていると思っていた。というのも、ここは平日は三井系企業の迎賓館として使用されており、相応の対応を常に求められている。このため、接客の対応も安心できる。友人の何人かから給仕さんがとても良かったと教えてもらった。
新婦は、もともと服飾デザイナーだったこともあり、自身のウエディングドレスと、カラードレスを手作りしていた。その製作期間は7ヶ月。パターンから起こし、刺繍のデザインまで自分で考えていた。縫い付けたビーズは1000個を越える。ミシンは稼働させ続けた結果、15年間故障していなかったのにも関わらず、12月になって故障。基盤交換に出し、最後の仕上げはレンタルのミシンで行った。花のコサージュを、友人に協力してもらい、手作りし、それらをドレスにちりばめた。協力してくれた友人は、19人に及ぶ。部屋は7ヶ月間、工房の様相を呈していた。この努力を、きちんと感じ取ってくれる人達がいた。
謝辞の挨拶も、ちょっと涙ぐんでしまったのだが、最終的にはきちんと自分の言葉で自分の気持ちを伝えることができて、よかったと思っている。
そして、写真。友人に頼んだ写真を今見返している。自分の大切な瞬間を、信頼できる友人に撮ってもらえたことは、素直にとても嬉しい。
思えば、私たち二人の出会いも、写真サークル「ニーチ」のおかげであり、写真を通じて人生が豊かになってきたように思う。
私たちは、12月23日から、1日1日と遠のいて行くけれど、写真は、深々とそこに根を下ろし、とどまっていてくれる。
これから、写真を見直すことで、私たちの12月23日を、違った視点からリフレインさせてみようと思う。

小説家の北村薫は、優れた小説の読み手でもある。彼は、「小説を読む、ということは、一度しかない自らの人生への反抗である」と言った。これに倣って言うなれば、「写真を読む、ということは、一度しかない自らの人生への反抗である」

今年も、人と写真とつながっていたい。