2012年3月24日土曜日

112. 自分の意志をなくしたとき(処方箋)

楽しいことばかりやりすぎると、案外、つまらなくなってしまう。
自分のやりたいことが分からなくなったり、
楽しいはずのことが、思ったよりもそうでなくなったりすることがある。
自分が長期的には、こっちに行きたいと思っているのに、
短期的には、それに結びつくことから目を背けてしまうときがある。
もっとたくさん、深く、物事を考えたいのに、それに伴う負荷を嫌って、考えることを簡略化してしまったり、情報の収集を途中でやめてしまったり、読むべき資料を寝かせてしまうことがある。

なんか、疲れている。

そんな風に、「精神の体力」が落ちてしまった時、一体どうすることがよい「処方箋」となるのだろう?

ぐっすり眠ることだろうか?
それも一つだ。
身体の体力は、精神の体力にもつながっている。

とりあえず、リフレッシュすることだろうか?
好きなことをやって、過ごす。
それも一つだ。
ただ、楽しいことに耽溺してしまうと、それはそれでなかなか帰ってこれなくなる。

僕が今、思う一つの処方箋は、「ストレスが適度にかかる、本来はあまりやりたくないことを一度腰を落ち着けてやってみる。」ということだ。
「ストレスが適度にかかる」ことが重要だ。
焦らず、「腰を落ち着けてやる」ことも重要だ。
そして何より、「本来やりたくないこと」を「我慢して」やることが何より重要だ。

好例は、TOEICの勉強。
これは、正直、やりたくない。
もう、こんなことで休日を使うなんて、バカバカしくてやってられない。
普通はそうだし、普段はそうだ。
しかも、分からない問題に出くわす(大抵の人は必ずそうなる)と、「自分が知らないことを思い知らされる」ことになり、これはそんなに気分のいいことじゃない。
しかも、時間がかかる。
だんだん、イライラしてくる。


それが、実は、とてもいいことだと気がついた。
イライラしてくると、脳は勝手に色々なことを自発的に考え出すのだ。

「こんなことやってるより、あんなことをしたい。」
「部屋の掃除もやんなきゃな。」
「こんなつまらないことをチマチマやっているより、海外に出たいな。」
「しかし、こんな問題すら分からないとは。知らないことが多すぎるな。」

ぶつぶつぶつぶつ、頭の中では一人言が始まる。
学生時代のテスト勉強を思い出せば、よく分かるだろう。
テスト勉強を始めようとした途端、普段は放っておいたとっ散らかった部屋が急に気になり出し、掃除を始めた、という経験は誰にだってあるはずだ。
この作用を、利用する。

勉強というストレスフルなことを行うことで、
チョロQのように、ギリギリと音を立てて、脳にエネルギーがたまっていく。

この精神作用そのものは、TOEICの勉強には直結しないものだ。
むしろ、TOEICの勉強からすると「雑念」に過ぎず、本番のテストでは邪魔者以外の何ものでもないのだが、緩んでしまった精神を叩き直すのにはちょうどいいのである。

TOEICのスコアを上げるために勉強するのではなく、むしろ、TOEICの勉強を通して、精神の体力を取り戻すことが目的。
変なことかもしれないが、今、TOEICに求めるのはそんなことだ。

TOEICの問題はバカバカしいものから、頭のひねったものまで種々雑多に混ざっているが、少なくとも、「知性」を使うことは間違いない。このことも、精神の巻き直しには重要だと思う。だらけすぎず、適度な緊張が強いられる。その不自由さや真剣さが、きっと精神にはいい。

さて、そう思って、勉強を続けるとしようか。