仕事や勉強で成果が出たり、高く評価されたりすると、僕は至って安易に「全能感」を感じてしまう。
何でもできる!天才か!
そんな勘違い。
一方、何かひとつでも躓いたり、思い通りにならないことが続くと、僕は至って安易に「無力感」を感じてしまう。
何にもできやしない。失敗作か。
そんな勘違い。
この振れ幅が大きければ大きい程、「成長体質」なんだと思う。
もちろん大きすぎると人格という器自体を壊してしまうので、結果としては良くないのだが、人格が保たれる範囲内であれば、両者の振れ幅が大きい程、その間にエネルギーが蓄積する。
そんな風に思う。
全能感を味わっているときは、それが続くまで突っ走ればいい。
どこまでも、どこまでも、息が続く限りどんどん突き進んで連戦連勝すればいい。
ハイになって、乗りに乗っているときは、確かにうまくいくものだ。
それは、ある意味で、秋の豊穣のようなもので、刈り取れるうちに刈り取った方がいいのだ。
しかし、やがて確実に冬はやってくる。
なぜかうまくいかないことが出て来てしまう。
それは、慢心してしまったためなのか、それとも、以前よりもレベルがアップした結果、負荷の大きなことに挑戦してくじけてしまったのか、それは時と場合によって異なるが、いずれにせよ、人生ずぅーっと連戦連勝とはいかないのだ。
そんなときは、無力感を感じればいい。
自己点検をするいい機会だ。
謙虚になろう。
周りにも気を配ろう。
自分の欠点や、獲得すれば成長につながる知識、情報源を丁寧にマーキングして、3ヶ月かけて制覇しよう。
今日が駄目でも、明日やろう。
明日がだめでも、今週やろう。
根気強く、粘り強く、食い下がってやろう。
どんなに意見が通らなくても、意見の質が低いかなと不安になっても、言い続けよう。
馬鹿にされても、しょうがない。
ただ、ファイティングポーズだけは保っていよう。
そして、遠き日の「全能感」をかすかに思い出して、そこに至るための道を探すんだ。
やがて冬は終わる。
寒暖差がある地方の方が、うまい米ができるのだそうだ。
全能感と無力感の落差がある方が、うまい成長ができるような気がする。
そんなことを頭の一部で思う一方で、「全能感」も「無力感」も、実は一種の「勘違い」で、
自分自身をアジテートするためのギミックに過ぎないことも、薄々気付いている。
けれど、それに醒めて、冷め切ってしまったらおしまいだ。
馬鹿っぽいかもしれないけれど、この「偉大なる勘違い」こそが、僕の成長の原動力であり続けている。