2011年10月23日日曜日

103. みらいのカメラ(画素→光線へ)

以前、ペンギンカメラの店主と世間話をしているときに、

「最近、すごいカメラがアメリカの方で出て来た。」

という噂を聴いた。
何やらとにかく画期的で、これまでの写真の概念をひっくり返すくらいアレらしい。
確か、今年の2〜3月くらいの話だったと思う。

そのときは、気にも留めていなかったのだが、先日、例によってデジカメWatchを見ていると、気になる記事を発見した。

【Lytro、撮影後にフォーカス自在の「ライトフィールドカメラ」を2012年に米国発売】



記事によると、
「通常の撮像素子に特殊なマイクロレンズを配したという「Lytro Light Field Sensor」により、色と輝度に加え光線の方向も記録。再生時にフォーカスを自由に変更したり、表示を2Dと3Dでシームレスに切り替えられるとしている。」
らしい。

焦点が合ってる所が、撮影後に変えられる?
どういうことだ?
と思った方、ぜひ以下のLytroの公式サイトに行っていただきたい。


確かに変えられてしまうのである。
しかも、思ったより全然自然で、こう近くの物を見た後で、遠くの物を見る感覚を味わうことができる。画像上で。

一眼レフ、もしくはミラーレスカメラを持っている人は、絞りを開けて、被写体のバックをボカした写真を良く撮るが、思ったところにピントが来ていないと「ああ!」となってしまい、ガッカリしたり、やるせなかったりする。
ところが、このカメラのシステムでは、「ピントは後から自由に変えられます。」というわけだ。

恐らく、ペンギンカメラの店主が「概念が変わる」と言ったのはこのことなのだ。
なるほど、撮影で最も気を遣うもののひとつ「ピント」が、
このシステムでは撮影時には気にも留めなくていい存在に成り下がるわけだ。
それが写真をやる人にとってどういう意味を持つのか、いいのか、悪いのか、は今の段階ではよく分からないが、とはいえ、概念が変わってくるのは間違いない。

しかも、出来上がった画は、意外にも現行の3D写真のように、チラチラと見にくい画ではなく、普通の写真(デジカメ写真)と遜色がない。
本当に、ピント面をずらせるデジカメ写真です、というかんじだ。
これなら、マーケットも反応すると思う。

さて、そんな奥行き方向の情報すら記録するこのカメラでは、「解像度」を表す単位も従来とは異なっている。
「画素」ではなく、「光線」。
うーん未来だ。「光線」。

1100万光線、とのこと。

画素数(ピクセル数)に対応させるとどのくらいになるのかな?
(恐らく結構少ないとは思うけれど)

それにしても、重量は214gで全然普通のコンデジと変わらない。
形状が筒状で独特なのだが、シンプルな外観はアップルに通じるものがあり、好感が持てる。
とりあえず、米国のみの販売のようだが、2013年には日本にも入ってきているだろう。

今から楽しみである。

2011年10月19日水曜日

102. 204800(動き出した)

兼ねてより噂のあったキヤノンファンにとってのX Day 2011年10月18日。
新型iPhone並の期待感で待っていたのだが、果たしてその期待は裏切られなかった。

プロ向けハイエンドフルサイズ機「EOS -1D X」が発表された。

兼ねてより噂のあったとおり、EOS-1D系(小振りなAPS-Hサイズのセンサーで10コマ/秒の高速連射に重点を置いたプロ向け機)とEOS-1Ds系(35mmフルサイズのセンサーで5コマ/秒の普通の連射速度のプロ向け機)を統合したスペックで、

・センサーは35mmフルサイズ
・連射速度は、12コマ/秒

を達成している。
というところまでは、「うん、知ってた。」と思う所だが、ISO感度がすさまじいことになっている。


拡張感度=ISO 204800 (!)


初め目にした時、誤植かと思った。
20万って・・・。
ドラゴンボールかよ、と思わずつっこまずにはいられない。
セル編のドラゴンボールかよ、と。

もちろん拡張感度は、かなりゲインを上げた無理した感度なので、実際には通常感度であるISO 100-51200までで使用することになると思うが、それでも51200である。

経験的に、通常感度の最大値の半分までは許容できるので、ISO25600までは恐らく実用感度となるだろう。(希望的観測)

これなら、夕暮れ時に羽田に降り立つジャンボジェット機を被写体ブレなく撮影するのも夢じゃなくなるわけだ。(やらないけど)


画素数は、1800万画素。
むやみな高画素化は避けて、むしろ1画素当たりの面積を大きくすることで、高感度特性を上げる方向にシフトしたわけだ。
正しい、選択だと思う。
(ちなみに、1Ds系は2110万画素だったので、画素数は減っているわけだ。一方1D系は元々1610万画素なので、こちらをベースにすると画素数は上がったわけで、本当に両系統の間の子的なスペックである。)

僕は5D MkIIユーザーなので、1D系や1Ds系の操作感等は正直分からない。従って、今回の1DXが「正常進化している」と実感を伴って断言はできないのだが、少なくとも、「キヤノンが動き出した。」ということだけははっきりとわかった。

2010年は寂しい年だったので、2011-12年では多いに盛り上げてほしい。
硬派なフルサイズ機で。

さて、5D MkIIIはどんなスペックになるだろう?
とりあえず、感度の進化は間違いなさそうだ。

2011年10月11日火曜日

101. 成長の2条件(全能感と無力感)

仕事や勉強で成果が出たり、高く評価されたりすると、僕は至って安易に「全能感」を感じてしまう。

何でもできる!天才か!
そんな勘違い。

一方、何かひとつでも躓いたり、思い通りにならないことが続くと、僕は至って安易に「無力感」を感じてしまう。

何にもできやしない。失敗作か。
そんな勘違い。

この振れ幅が大きければ大きい程、「成長体質」なんだと思う。
もちろん大きすぎると人格という器自体を壊してしまうので、結果としては良くないのだが、人格が保たれる範囲内であれば、両者の振れ幅が大きい程、その間にエネルギーが蓄積する。
そんな風に思う。

全能感を味わっているときは、それが続くまで突っ走ればいい。
どこまでも、どこまでも、息が続く限りどんどん突き進んで連戦連勝すればいい。
ハイになって、乗りに乗っているときは、確かにうまくいくものだ。
それは、ある意味で、秋の豊穣のようなもので、刈り取れるうちに刈り取った方がいいのだ。

しかし、やがて確実に冬はやってくる。
なぜかうまくいかないことが出て来てしまう。
それは、慢心してしまったためなのか、それとも、以前よりもレベルがアップした結果、負荷の大きなことに挑戦してくじけてしまったのか、それは時と場合によって異なるが、いずれにせよ、人生ずぅーっと連戦連勝とはいかないのだ。

そんなときは、無力感を感じればいい。
自己点検をするいい機会だ。
謙虚になろう。
周りにも気を配ろう。
自分の欠点や、獲得すれば成長につながる知識、情報源を丁寧にマーキングして、3ヶ月かけて制覇しよう。
今日が駄目でも、明日やろう。
明日がだめでも、今週やろう。
根気強く、粘り強く、食い下がってやろう。
どんなに意見が通らなくても、意見の質が低いかなと不安になっても、言い続けよう。
馬鹿にされても、しょうがない。
ただ、ファイティングポーズだけは保っていよう。

そして、遠き日の「全能感」をかすかに思い出して、そこに至るための道を探すんだ。

やがて冬は終わる。

寒暖差がある地方の方が、うまい米ができるのだそうだ。
全能感と無力感の落差がある方が、うまい成長ができるような気がする。


そんなことを頭の一部で思う一方で、「全能感」も「無力感」も、実は一種の「勘違い」で、
自分自身をアジテートするためのギミックに過ぎないことも、薄々気付いている。

けれど、それに醒めて、冷め切ってしまったらおしまいだ。
馬鹿っぽいかもしれないけれど、この「偉大なる勘違い」こそが、僕の成長の原動力であり続けている。

2011年10月7日金曜日

100. Steve Jobs 1955-2011


アップル社の前CEO、Steve Jobs氏が2011年10月5日逝去した。

アップル社の創始者の1人であり、
Macintoshを生み出した。

アイコンをクリックすることでアプリケーションやフォルダを操作する、という現在では一般的となったPCの操作概念を生み出した(そしてWindowsにも採用された)。その結果、一般人には敷居が高い「コマンド入力による操作」から人々は解放され、PCを直感的に操作できるようになった。

iMacを生み出し、
それまでの「PCのデザインは事務用品の延長線でも構わない」という概念を壊し、「PCもインテリアの一部であり、デザイン性があるべきだ」という感性を人々に気付かせた。

iPodとiTunesを生み出し、
それまで「音楽はCDを買って聴くもの」もしくは「CDを借りてMDやテープにダビングして聴くもの」という概念を壊し(その結果、アメリカではタワーレコードが潰れ、一世を風靡していた日本の電機メーカーのMDコンポは駆逐された)、「音楽はダウンロードして購入し、PCで管理し、気軽に大量に持ち歩くことができるもの」という新しいスタイルを定着させた。

iPhoneを生み出し、
「携帯電話は、キーと画面が別々であるべき」、「インターネットと携帯用ネットワークは別でも問題ない」という概念を壊し、「携帯電話は、電話機能だけでなく、PCと同レベルでメールやWebを利用でき、大画面で操作できるべき」という感性を人々に与えた。

アプリの概念を生み出し、
「携帯やPCの機能は発売当初から固定されている」という概念を壊し、「アプリを追加することで、機能の拡張は気軽に、頻繁に、大幅に行える」という概念を生み出した。


そして重要なこととして、
Steve Jobs氏が生み出した製品は、どれも美しかった、という点も見逃せない。

僕は「アップル信者」という程、アップルに傾倒はしていないが、それでも、アップルの製品には美しさを感じてしまう。

最近、iPhone 4のケースが欠けてしまい、ケースを付けずに剥き身のまま使用していた。実際そのようにしてみて分かったのは、「この製品はケースなど付けるべきではなかったな」ということだ。

ケースで覆われてしまう背面に触れてみると、ディスプレイの面と同様の滑らかな触感を感じる。表と裏で感覚が近く、その結果、触感上に一体感が生まれている。
ケースの分だけ厚みがあったが、それが無くなることでよりその薄さが際立ってくる。

表面の硬質感、剛性感を頼りに目を閉じて想像すると、磨き上げた1枚の大理石のような感覚を抱く。この小型で美しい石盤には、様々な情報が流れ込んで来て、僕に多くのことを語ってくれる。

今日一日のWeb閲覧の履歴だけ見ても、
  • 食べログで立川周辺のお店をチェック→パスタの名店が閉店予定であることを知る
  • 昨日久しぶりにテレビで見た相川七瀬の半生をWikipediaで確認
  • 相川七瀬とPUFFYの吉村由美が似ていることを知る。言われてみればそうだ。
  • デジカメウォッチで昨日から大きな変化がないことを確認
  • 富士フィルムの新作Xシリーズ X10の外観を確認。
  • 富士フィルムの新作Xリシーズ X-S1の外観を確認。ペンタ部には何が入っているのか?
  • デジカメinfoで富士フィルムのミラーレス一眼に関する情報を確認(4/3ではない)
  • 今週末の天気を確認
  • グランドハイアット東京のお店を確認。→鉄板焼きの「けやき坂」でランチ
  • 4×5カメラの種類を調べる
  • 埼玉スーパーアリーナのイベント情報をチェック→SIAM SHADEがまだ活動していることを知る。
  • 4×5カメラのトヨフィールドについて仕様をチェック
  • 食べログで 浦和の店のランキングを確認

と言うように、ちょっとでも気になったことは片っ端から検索し、情報を得ているというのが事実だ。

普通の携帯電話を使用していた時、僕はここまで気軽にネット検索を行わなかった。ネット検索は、家か会社でPCの前に座って、というのが当たり前だった。
しかし、今では電車の待ち時間でも、電車の中でつり革に掴まりながらでも、トイレの中でも、テレビを見ている最中でも、食後のまったりとした時間でも、歩きながらでも、寝る直前でも、「調べることができる」。

このため、僕に流れてくる情報の「流速」が明らかに上がったと思う。

これも、元を辿れば、「Steve Jobs氏のおかげ」ということになる。
この遠く離れた日本の、見ず知らずの一会社員の生活が、彼の仕事によって変わった、ということになる。


Steve Jobs氏の仕事、
それは多くの変革を生み出した。
それは美しかった。

ソフトバンクの孫正義社長は、Steve Jobs氏を現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと喩えた。その心は、「芸術と技術を融合させた天才」だそうである。
的を射ている。

また、米国の新聞 The Miami Heraldでは、
Jobs, who founded and ran Apple, told us what we needed before we wanted it.
(アップル社を創始し率いたジョブズ氏は、「私たちが望んでいるもの」を私たちに教えてきた—私たちがそれを欲しがる前に。)
と表現している。
これは、彼が成し遂げた偉業をよく表した表現だと思う。

彼は、人類のその他大勢よりも、「未来の自分たちが何を欲しがるのか」に早く気付けた。
そのニーズを、テクノロジーと自身の美学を持って、製品に結実させた。
そういうことなんだと思う。

アップル社の公式サイトでは、今、Steve Jobs氏の顔写真がトップに載せられている。この写真をダウンロードしてみると、ファイル名はこうだった。


t_hero


その通り。
彼は、英雄である。