2010年11月8日月曜日

061. 告知(ニーチ写真展2010)


今日はエッセイというよりお知らせです。
僕が所属している写真サークル「ニーチ」(ロシア語で「糸」の意味)が、11月16日〜21日まで渋谷のギャラリーLE DECOさんで写真展をやることになりました。
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第七回 ニーチ写真展
「糸」
メンバー50人による50のニーチ -糸-
2010.11.16 tue. - 11.21 sun
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ニーチ公式ホームページ
http://www.photo-ito.com/
すでにニーチとしては、第七回となる写真展ですが、僕としては初めての写真展です(ニーチには去年の6月から参加しました)。今回は海外で撮った人物写真を展示するつもりです。副題にあるように、「メンバー50人」が展示していますので、様々な人の作品にいっぺんに触れることができるかと思います。
ちなみに、今月号の雑誌「一個人」とファッション雑誌の「MEN’s JOKER」にも広告が掲載されていますので、定期購読されている方(?)は見てみてください。
無料ですし、かたっ苦しくない若手中心の作品展ですので、ぜひお気軽にどうぞ。
ちなみに、僕は20日のパーティーには出席する予定です。ではでは。
listening to nothing  

2010年10月30日土曜日

060. 告別式(受け入れるということ)


僕は水曜日から学会で京都に滞在していた。
自分にとっては新しい領域の学会で、講演を理解するのにもそれなりに根気と集中力を要するものだった。
昨日も一日中講演を聴き続けて、少し疲れながらPCメールをチェックしていると、ある先輩の名前が件名になったメールが上司から届いていた。
「 ◯◯ ◯◯さんの件」
なんだろう?と無防備に、
なんの心の準備もなく、
いつも通りにメールを開くと、そこにはこうあった。
「 ◯◯ ◯◯ さんが昨夜亡くなられました。」
え?
・・・どういうこと?
僕はその簡単な日本語の意味を即座に理解することができなかった。
亡くなった?
それって、・・・死んだってこと?
身体はこわばり、
汗が吹き出た。
突然、落とし穴に落とされたような、そんな感覚だった。
僕がその次の瞬間に思ったことは、
そんな・・・
そんなことはないよ。
だった。
まだ先輩は35歳前後のはずだ。
死ぬには早すぎる。
お子さんだって(あの携帯の待ち受け画面になっていたお子さんだって!)、
4〜5歳くらいじゃないか。
つい2週間前には、仕事のことで相談に乗ってもらっていたばかりだ。
声だって、顔だって、その存在感や雰囲気まで、僕は克明に想像できる。
想像できるのに。
学会は土曜日までで、東京に戻るのは土曜の夜のつもりだったが、
急遽予定を変更して舞い戻ってきた。
「告別式」に出るためだ。
僕は、「告別式」というものに出たことがない。
身内での葬儀は略式のものが多く、自分にとっては初めての告別式だった。
朝6時50分の新幹線で京都を出て、池袋についたのは10時。
香典の準備を急いで行って、
会場に着いたのは告別式が開始するちょうど5分前だった。
「告別式」
別れを告げるための式。
僕は先輩に別れを告げるために、この場にいるのか?
先輩と、同じチームで働いたことはない。
しかし、ある大学で生物統計学のセミナーに通う機会があり、その参加者は自分の会社からは先輩と僕の二人だけだった。セミナーは1年間続き、ほぼ毎月顔を合わせていたことになる。
行き帰りには、とりとめのない話をよくしていた。
先輩から質問されることが多かったように思う。
「最近、あのプロジェクトはどうなの?」
「へぇー、そうなんだ。」
そうだった。納得したときは、
「へぇー。」
とよく口にしていっけ。
そんなことを思い出したら、泣けてきてしまった。
そうだった、そうだった。
「へぇー」
と言いながら、先輩は生物統計学を勉強していた。
その先輩が理解した内容は、
今はもうこの世のどこにも存在していないことになる。
ある時、臨床試験の非劣性試験の組み方(帰無仮説の立て方)について、先輩が先生に質問したことがあった。あいにく、というか運悪くというか、その統計専門家は(驚くべきことに)非劣性試験自体を理解しておらず、結局明確な回答は得られなかった。
そのとき、僕も同じ疑問を持っていて、しばらく考えてみると、講義の内容を応用すればその回答らしきものが得られることにはたと気がついた。
これは、帰無仮説を知っている人にしか意味不明と思うが、そのときに僕が先輩に伝えた内容は以下の通りだ。
「非劣性限界値を例えば既存薬の-10%の効果とするとしますよね。そうした場合、帰無仮説は恐らく、【新薬の有効性の分布が、既存薬より10%以上負けた場合の分布と重なる】とすれば理解できると思うんですよ。つまり、「10%以上負けた姿」を仮定して、その分布と新薬が示す分布とが重なるかどうか?を検定するイメージです。対立仮説は、当然【新薬の有効性の分布は、既存薬より10%以上負けない】ということになります。そうすると、例数設計は通常の優越性試験と同様に、αと1-βを規定してやれば、算出できますよね?」
そのときの先輩の顔を思い出す。
「あ!・・・そうか。そうだね!それで説明つくね。
 へぇー、そういうことか。」
僕はとてもうれしかった。
納得してもらえた、という感覚を強く感じたんだと思う。
しかし、このときの先輩の納得感は、もはやこの世の中に存在しない。このエピソード自体、証言できるのはもはや僕だけだ。先輩が先輩の脳で理解していた生物統計学は、どこに行ってしまったんだろう?
いやそんな感傷的な表現でごまかすのはやめよう。
ただ、ただ、もう今はない。
それが突きつけられた現実だ。
「もう、ない」
これが、死の本質であり、もっとも受け入れがたいことである。
もうあの非劣性試験の話や、頭を使って理解した生物統計学の概念、とりとめのない会話は全て、無くなってしまった。
それがただただ悲しくて、涙が止まらなかった。
100人以上いたと思う。
ここにいる人々は、全員、先輩が死ぬなんて思ってみたこともなかったはずだ。
それが突然、唐突に奪いさられてしまった。
嗚咽、泣き声、鼻をすする音、100人が泣いている。
僕はようやく「告別式」がいかなる式なのか?理解した。
告別式とは、故人と親しかった人たちが「故人が本当に亡くなってしまったことを、全身で認める」ための儀式なのだ。
「親しい人の死」は頭で理解したつもりでも、感情では拒絶してしまう。
形而上学的には「死」とはありふれた概念で、映画やテレビでは連日のように「死」が氾濫しており、論理的には「死」というものを理解したつもりでいた。
しかし、違っていた。
僕は泣き、震え、噛みしめて、ようやく先輩の死に顔を見ることが出来た。
あああああああ、死んでいる。
もういない。もういない。
全身で死を受け入れることは、とても痛い。
しかし、それは厳然として否応なく、強制される。
だから、僕たちに選択の余地はない。
ただただ、泣いて耐えるのみだ。
その痛い痛い過程を経ることで、
ようやく僕たちは故人の死を受け入れ始める。
だから、告別式は、故人のためであるようでいて、実際には、僕たち弔う側の人間のためでもある。
「死」とは「故人の中」だけでなく、「遺された者達の中」にも在ると、初めて気がついた。
霊柩車に棺が運ばれ、最後の見送りがやってきた。
そのとき、霊柩車の助手席には1人しか座れず、係の人が息子さんに「ちょっとの間だけ、お母さんと別々で・・・」と話すと、
息子さんは「いやだ、いやだぁ!」と泣き出してしまった。
まだ、幼い子供である。
「ちょっとの間」離れるだけでもこんなに嫌なのに、
「これからずっと」離れなければならないのなんて、辛すぎるよな。
僕は、ただ合掌して震えるだけだった。
どうか幸せな将来が訪れますように。
どうか安らかな眠りにつけますように。
祈ることしか許されない。
listening to nothing  

2010年8月29日日曜日

059. キヤノンが最近つまらない(早計)


前回の日記(8/25で4日前か)で、「ソニーが最近面白い」と題して、α55とα33というデジタル一眼レフの新製品を色々と褒めていたのだが、そのときに、以下のような件があった。
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またハード面でも、当たり前のようにバリアングル液晶を搭載してくるところが、ソニーらしい。いちいち導入に踏み切れないキヤノンと比べると、このような従来の「カメラ像」から少し離れた技術(ある意味、古参のカメラ好きからすると邪道的な技術)については、家電メーカーのソニーに分があるのかもしれない(逆に言えば、そこしか活路はないかもしれない。さすがに、カールツァイスレンズだけでは勝負できないだろう。MFと割り切れば、他社のカメラでも使えるし)。
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この時点では、キヤノンから発表がなかったのだが、翌日の8/26に兼ねてから噂の出ていた「EOS 60D」が発表となった。
(参考)価格.com新製品ニュース
「キヤノン、バリアングル液晶を搭載した「EOS 60D」」
この新製品で、ようやくキヤノンはバリアングル液晶(背面の液晶を様々な角度に傾けることができる。このため、床すれすれのローアングルや、やじうまの上から撮影するようなハイアングルまで対応できる)を一眼レフに導入したことになる。
キヤノン製品としては、コンパクトデジカメであるG11で既にバリアングル液晶を搭載はしていたが、一眼レフへの導入はオリンパス、ニコン、パナソニック、ソニーなどから遅れての導入となった。
さて、新製品の60Dだが、その目玉となる機能というものがほとんどない。
これにはびっくりしてしまった。
先の記事からそのスペックを挙げてみると、
・バリアングル液晶 (←他社で導入されまくり)
・撮影画像に処理を加えてさまざまなフィルター効果を楽しめる「アートフィルター機能」(←ペンタックスK-7やK-xで既にやられている。オリンパス製品でも。)
・APS-Cサイズの約1800万画素CMOSセンサー(←下位機種に当たるEOS Kiss X4と同じセンサー。とはいえ、60Dの上位機種に当たるEOS 7Dでも同じセンサーなので、キヤノンのAPS-Cサイズは共通基盤として同センサーを使い回すのは当然と言えば当然か。しかし、とりあえず、新しい感はない。)
・映像エンジン「DIGIC 4」(←これまでの映像エンジンをそのまま使っている。50Dと同じ。)
・中央F2.8対応のオールクロス仕様の9点AFセンサー(←これも前の機種50Dと全く同じ。既に売られている7Dより低い性能。この辺りに、60Dに与えようとしているポジションが見え隠れする。つまり、エントリーモデルのKiss X4 < 中級エントリーモデルの60D < 中級機の7D といったポジショニングだ。これら3機種は全て1800万画素のAPS-CサイズのCMOSを採用していることから、光さえ同じように撮像素子に届けば、ほぼ同じようなRAWは得られるはずなので、あとはそれぞれの機種で、「どれだけ機能を出し惜しみするか」&「どれだけの価格を付けるか」でクラス分けするしかない。今回60Dに搭載された機能が全体的に、「それどっかで聞いたことあるやん・・・」とツッコミ所が多いのは、上記のような序列を創り出すためにキヤノンが恣意的に(ある意味で企業努力して)スペックを調整したためだろう。)
・記録メディアにはSD/SDHC/SDXCカードを採用(←そうか、そうか。これまで二桁D (50Dなど)より上の中級機モデルではCFが記録メディアとして採用されていたが、ついに60Dから二桁D機も世の趨勢に倣ってSDカードを使用することとなったか。これはEOS Kissなどのエントリーモデルを使用していた人からすると、新しくCFカードを購入する必要がなくなるので、中級機(60Dは中級機)への参入障壁が低くなるだろう。とはいえ、5DMkIIと50Dの体制(つまり、CFのみ使用)の自分としては、微妙といえば微妙。でも、世の中的にはいいことかな。)
といった感じで、目新しいことが無さ過ぎて笑ってしまった(笑)
それでも敢えて良いところを挙げるなら、
・軽い。(675gである。エントリーモデルのKiss X4は530g、前機種の50Dは730gで、上位機種の7Dは820g、ちなみにその上のクラスの5DMkIIは810gとむしろ7Dより軽い。というわけで、中級機の性能を持ちながらも700gに達しないのは「軽い」方なのである。
また蛇足だが、ミラーレス一眼のオリンパス ペンLite E-PL1は296gで、ソニー NEX-5Aは229gである。こう並べてみると、ミラーレス一眼が驚異的に軽いことがわかる。ちなみに、60Dでは軽さを優先する結果、ボディーはプラスチック製となっている。マグネシウム合金の堅牢性、剛性感が好きないわゆる「中級機好き」には、この点がむしろマイナスかもしれない。ちなみに、僕はそっち・・・(笑))
・フルハイビジョン解像度での動画撮影が可能(7Dでもあったなぁ。しかも、僕は動画やらないしなぁー・・・)
・マルチアスペクト撮影(撮影時に、縦横比を1:1や16:9等に変えられる。1:1なら、中判の6×6っぽい感じに、16:9なら液晶テレビに出力する際に便利だ。とはいえ、、通常は基本的にフルサイズやAPSの比率で撮っていることに不満はないし、必要になれば、いくらでもPhotoshopでトリミングできるしなぁー。結局この機能も小手先感が・・・)
と、「いい所を敢えて挙げる」つもりが、結局、「・・・」で終わってしまうのは、やはり60Dに過剰な期待をしていた証拠なのだろう。
「7Dよりも後に出るのだから、機能はそれよりも高いに違いない」という思い込みがあり、結果的に、7Dより劣る(もしくは一部同等の)機能の機種が出てきたのだから、そう思ってしまうのだろう。
しかし、キヤノン側から言わせれば、
「60Dはあくまでも、7Dより下位機種なの!でも、一応中級機なの!そういうポジショニングにするって決めたんだから!」
ってことだろう。
実際、このクラスの機種が欲しい人(イメージとしては、Kissで一眼レフに慣れた男性で、「ぼちぼち、この赤いKissのロゴも恥ずかしいし、中級機に行こうかな」と思っている人。ただ、そういう人って、さらに上位に7Dがいて、その上、価格が7Dと60Dで発売時点ではそれぞれ最安値で大体11万という状況だと、機能面で優れる7Dに行ってしまう気がするんだけどなあ。7Dより60Dがいい点というのは、せいぜい、バリアングル液晶と軽いことくらい。やはりポジショニングが難しい・・・。もし60Dの値崩れが激しくなって、価格も7Dと差がつけばいいのかもしれないけど。例えば、8万円くらいだったら、すごく競争力のあるカメラになると思う。しかし、それって「値崩れ」具合に依存しているわけで戦略としてどうなんだろう?)もいるだろうし、他社のミラーレス一眼で画質に満足できなくなった人も食指を伸ばすかもしれないし、それなりには売れるのだろう(多分)。
恐らく、この機種はこれまで培ってきた技術の延長で作っているので、開発費は安いはず。ここで利益を上げておいて、今後の大幅なモデルチェンジに転換して行く・・・なーんて言うストラテジーが組まれていたら素敵だ。
特に、これから見込まれるイベントとして、
5D Mark IIIの発表
1D系新機種の発表
7D Mark IIの発表
映像エンジンの刷新「DIGIC 5」の発表
ミラーレス機の発表
等が巷では噂されているが、この中でも、特に映像エンジンの刷新にはおおいに期待したい。ひょっとすると、今回の60DがDIGIC 4時代の最後の一眼レフになる可能性がある。
流れとしては、「5D Mark III」に「DIGIC 5」を搭載し、AFは7D並みの19点測距かそれ以上、連続撮影枚数は10コマ/秒(きついか?)、ISO感度はノイズが気にならないレベルとして6400まで(現在5D MarkIIを使用していて、ISO 2000が見れるレベルとしては限界と感じている)、くらいの王道的進化は期待できそうだ。それを上回るのであれば、大変喜ばしい。(そして悩ましくもある(笑))。
さて、そんなわけで、前回と今回で一眼レフへの開発に急速にアクセルをかけ始めたソニーと、アップルのごとき絨毯爆撃方式のラインナップを展開する東の横綱キヤノンとを比較してみたわけだが、同じような比較をしている(その上、より分かりやすい!)ブログを発見してしまった。
エンゾーの物欲まみれ
「キヤノンの王道、ソニーの新道」
このブログの作者「エンゾーさん」は可処分所得のほとんどをカメラに費やす程のカメラ好きで、あまりに好きすぎて結果としてカメラのアクセサリー会社を立ち上げてしまったくらいだ(しかも、その製品がどれもいいかんじなのである)。ペンタックスファンでもあり、以前からこのサイトではカメラの勉強をさせていただいていた。新製品の情報にもいち早く反応しているので、カメラ好き(厳密には写真好きとカメラ好きは一致しない。僕は半々くらいのつもりだが、たまにカメラ好きの方が強いのかも?と思うときもある(笑))には、一見の価値あるサイトだ。
さて、上記のリンクを辿っていただければわかることだが、やはりソニーのα55のインパクトは相当なものなのだと再認識してしまった。
技術革新(イノベーション)というものが、既存の価値観や序列や市場を一旦破壊して、新たな市場や価値観や序列を提示することをクレイトン・M・クリステンセンは「破壊的イノベーション」と呼んだが、そういったことが今、まさにデジタル一眼レフカメラの世界で起きようとしようとしているのかもしれない。
僕自身はまだ体感していないが、聞く所よると富士フィルムの3Dカメラもかなり実用に耐えるレベルになってきているらしい。もし3Dカメラが一定の市民権を得るとすると、これまでの「写真はプリントして見るもの」という既成概念すら壊れ始める可能性もある。「持ち歩くには重い」と言われてしまっているが、iPadのような形状をした3D再生の可能なフォトビューワーが当たり前になってくるのかもしれない。(もちろん、それでもフィルムカメラをやる人や、自宅で現像する人や、プリントして楽しむ人が一定数いることは間違いないし、僕自身もプリントで楽しみたい方だ)
以前(2009年11月頃)、ニッシンカメラの店員さんと雑談をしていたときに、以下のような話があったのを思い出す。
「今、デジタル一眼ってAPS-Cの撮像素子が一般的で、上級機になると35mmフルサイズになりますよね。このフルサイズってそのうち安くなって一般的になるんですかね?」
店員さん
「ある程度は中級機に普及してくるかもしれませんねぇ。でもまだまだ時間かかりそうですけど。」
「そうなると、上級機はもはやフルサイズってだけじゃ中級機以下と差別化できませんよね。フルサイズの次の技術ってどうなるんですかね?もしかして中判とか?」
店員さん
「いやー、中判はレンズ径自体から見直さないといけなくなるから、おいそれと出ないと思いますよ。むしろ、・・・デジタルカメラは、フィルムとは全く違う方向に進化すると思うんですよね。」
「・・・? 全く違う方向って?」
店員さんは冗談っぽく、こう言った。
「3Dとか、ですね(笑)」
このときは、「3D?なんだそりゃ。」と心の中で思ったものだが、たかだか9ヶ月の間で、
映画アバターをIMAXシアターで観賞し、「3Dってマジで三次元的に見える」ことを実感(2月頃)、3Dテレビの相次ぐ発売(とはいえ、眼鏡が必要な現段階では市場の数%くらいしか売れていないらしい。だが、先日、東芝が眼鏡無しで3Dを見れるテレビを発表しており、今後市場は動くものと予想される)、ニンテンドー3DSが眼鏡無しで3Dを見られるパネルを採用し話題になり、富士フィルムが3Dデジカメを発表、・・・といった形で、「3D写真」というものがにわかに現実味を帯びてきた。
確かに、3D写真は既存の写真の概念を崩すイノベーションだ。
そして、こういったイノベーションにいち早く取り組むのは、富士フィルム(基盤がある)か、ソニーのような家電メーカーのように思う。なんとなくなのだが・・・この技術についてもキヤノンは後塵を拝するように思えてしまう。
キヤノンはいつまで横綱であり続けられるだろうか?
DIGIC 5以降のキヤノンの舵取りが楽しみである。
listening to Gorillaz / Gorillaz  

2010年8月25日水曜日

058. ソニーが最近面白い(エジプトからの帰国)


さて、いつの間にやら前回の日記から1ヶ月も経ってしまった。
その間、8月8日から18日まで、エジプトに旅行し、
帰国後は新居探しに奔走し、ようやく日記を書ける状態になったというのがここ最近のあらましである。
さて、エジプトのことを簡単に書くと、
1)遺跡はマジ最高。
2)サハラ砂漠もマジ最高。
3)人はマジ最低。
という感じだ。
「人が最低」というのは、おおかた予想できたことだし、その最低っぷりも、まぁ大体予想の範囲内だった。(5年前のモロッコとそう大して変わらないレベル)
「観光客=金を持ってきたカモ」という前提のもと、客引き&詐欺師がわらわらとやってくる。
無視する、断る、等の適切な対応を取った場合、

Fuck you! 
I don’t like you!
You’re not good man!
Monkey!!


等の素敵な捨て台詞を吐かれた上に(もちろん理解不能なアラビア語でも一通りののしられる)、蹴りを入れようとしてきたり、手でシッシッ!と追い払う仕草をされたりと、実に素晴らしい不愉快体験のできる貴重な国である。
なお、 彼らには「観光客=だまされて当然」という認識があるようだ。上記のように断る/無視するといった「旅行者側として適切な対応」を取り、「だまされなかった場合」、これは彼らにしてみたら「カモとして不適切な対応を取った場合」に相当する。その結果、逆ギレし上記のようなののしり言葉が繰り出されるのである。
(「てめぇはもういらねぇからどっか行け!」という感じなのだろう。実に分かりやすい下衆っぷりである。)


おかげさまで、現地9日間のうち、3回ほど激切れし、本気で怒鳴りつけてしまった。
実に3日に1回は切れていたわけである。
中指を立てながら、


「っの糞野郎!!ふざけんじゃねぇ!死ねぇー!!!死ね!死ね!死ねぇー!」


と怒鳴り散らしたのは初めての経験であった。


大体、「死ね!」という言葉を、心(怒り)を込めて大声で叫ぶ機会など、人生においてあまりない。恐らくほとんどの日本人にとっても同様だと思う。少なくとも、僕としては「初めて使った日本語」に近かった。
しかし、エジプト人も負けず劣らずののしりまくってくるので、お互い睨みつけながら激しく言い合うことは実に自然な流れとなる。
(と言うと変に思うかもしれないが(笑)しかし、振り返ってみて、「自然な流れで怒る」という表現が現実に一番近いと思う)
少なくとも言えるのは、日本人よりエジプト人は「感情を隠さない」。街を一日歩くと、必ず1回はエジプト人同士の口喧嘩を見ることができる。それも大体、7〜8人が取り囲んでおり、盛大にお互いの非を責め合っている。
そんなわけで、「郷に入れば郷に従え」、というか、むしろ、自然な感情の行き着く先として怒りや口喧嘩があったように思う。全く無理なく、自然体で怒鳴り散らしていた。
もちろん、日本にいるときはそんなことはしない。というか、「日本の空気自体がそれをさせない」というのが正確なところか。(宮台真司の「権力の予期理論」を想像してもらえると分かりやすい。もしくは、山本七平の「空気の研究」。)
もし日本で、「死ね!死ね!死ねぇー!」等と叫んでいたら、どんなに相手が悪かったとしても、「大声でそんなことを言っているおたくの方が迷惑だ。」「なんて非常識な」「みっともない。」とひんしゅくを買うことは目に見えているし、実際、僕自身もそんなリアクションを取るように思う。


つまり、日本に根付いている風土/雰囲気は実に穏やかで、和をもって尊しとなすであり、それ故に、負の感情は閉じ込められやすく、人によってはストレスが溜まりやすい環境でもあるのかもしれない。
(ただし、エジプト人並にムカつく下衆野郎が日本人には圧倒的に少ないため、結果的にははるかに居心地のいい国になっている。日本って素敵だなと思う次第である。)
僕自身、現地9日間のうち、半分くらいの時間は、エジプト人に対する怒りで煮えたぎっていたが、3回爆発させることで、結果的にはスッキリした(笑)
カイロでは有名な日本人宿に泊まっていたので随分多くの日本人バックパッカーと出会った。
中には、「カイロ3日目なんですけど、もうこの国から出たいです。」
「話しかけて来る人が、ナンパか客引き。1日目でもう疲れました。」
「アフリカを旅してきたけど、こんなに人が悪い国はなかったですよ。よっぽどスーダンの方がマシ。」
という感想を口にする人もいた。


少なくとも旅行者(特に、1人旅行者)が体感するエジプト人は、これが現実なのだろう。
(いくら文章で書いてもなかなか伝わらないと思う。しかし、どれだけムカつくかは、一度、ギザのピラミッドをたった1人で2〜3時間回ってみればすぐ分かる。団体ツアーや3〜4人くらいのグループでは恐らく実感できないので、ぜひ「1人で」回ってみてほしい。そして、炎天下40℃超の中、ひっきりなしに客引きの相手をしていれば、人間というものがどれだけイライラできるかをかなりの高確率で知ることができる。それは、恐らく、とても貴重な経験だ。ちなみに僕はここでも一回爆発し、怒鳴り合いをやっている。)
そんなわけで、エジプト人にムカつく輩が多いのは事実なのだが、ある程度安全が確保される状態(町中等)であれば、おおいに反論/口論/ののしり合いをすればいいと思う。
変な話かもしれないが、やられっぱなしが精神衛生上一番悪いことだと思う。
せっかくエジプトまで来ておいて、だまされ、ぼられ、文句を言われて、ただただイライラして黙ってすごすごと帰るのは、実に虚しいことだと思う。


むしろ徹底的にやり返した方が、健全だ。
なにより、スッキリする。
そんなわけで、エジプトに今度行かれる方には、


「最低な奴とは徹底的に口論すること」


をお勧めする。
それが何より、大きな経験なので。


(それにしても、「みっともない」という台詞。なんと日本人的な概念であろうか。こういう発想は実にユニークだ。他にも、「世間様」という概念もそうだ。単一民族にして、宗教色が著しく弱い、島国で、気候が比較的穏やかな、この国であるからこそ、必要とされる概念なのだろう。日本の公衆衛生がまともなのは、近代化に伴う啓蒙活動だけに依拠するわけではなく、むしろ、「みっともない」「世間様が見ている」という「公を前提(上位概念)とした価値観」に根ざしているように感じる。)

ところで、一応、エジプト人の名誉のために言っておくと、エジプト人にも当然「いい人」はいる。
また、イスラム教には「旅行者を大切にしなさい」という教えがあり(前述のエジプト人像と大きく乖離するのだが)、実際、昼間の断食後の施し(ちょうどエジプトに着いてから3日目にラマダン=断食月に突入。ラマダンの1ヶ月間では、太陽が出ている間は、食べもの、飲み物一切禁止。水も禁止(なお、毎日35〜45℃)。たばこも禁止となる。その代わり、日没頃の18:40には一斉に食事/飲み物が解禁となり、人々は大きな喜びとともに飲み食いを開始する。通常、この時間の前には自宅に戻り、家族とともにこの歓喜の食事を味わうわけだが、カイロ等の大都市では自宅に戻ることができない人も多く(めちゃくちゃな渋滞になる)、また貧しい人に金持ちが「喜捨」することも当然とされているため、ラマダン中には通りにテーブルと椅子が設置され、そういった人たちにお金持ちの人が無料でご馳走を振る舞うということが行われている。この「ただ飯」は、実は旅行者でももらえる)では、現地人に行き渡らない程限られた食料を、優先的に旅行者である僕を含めた4人の日本人に与えてくれた。このときは、食料を手にできなかった現地人(20人近く)が抗議を始め、怒鳴り合い、残された食料が奪い取られ、一時暴動に近い状態になったが(リアルに怖かった。今回の旅で一番怖かったシーン)、それでも、決して旅行者から食料を奪い取ろうとはしなかった。むしろ「暴動になっちまってごめんよ。でもまぁ、食ってくれよ。」「Welcome to Cairo!」「うまいか?そうだろう?」と、気遣ってくれる程の優しさ。(ちなみにその人は、ついさっきまで椅子を持ち上げて抗議する人々を殴りつけようとしていた。)
この、人の良さと、悪さのギャップは、すさまじい。


あるときは、「人間なんて誰一人信用できない」という気になるし、またあるときは「いや、でもまぁいいとこあるじゃん?」となり、またあるときは「絶対、こいつは死んだ方がいい!」となる。
なので、エジプト人は一概に悪いとは言えないし、また逆に一概にいいとも言えない。
ただ、他の国に比べると、不愉快なことに当たりやすい国ではあると思う。
それでいて、不思議なように思えるが、治安はとてもいい方だと思う。
夜中まで外を歩いていても全く危険ではないし、
南米のように「首締め強盗」がいるわけでもない。(ボリビアのラパスでは3回首締め強盗にあったという日本人バックパッカーがいた。なお、首締め強盗というのは、背後からいきなり首を絞められ、気絶させられた後に、財布/パスポート等を全て盗られてしまうというもの。やる前に言ってくれよ!と言いたい。)
いきなり、銃で脅されることもないし、ナイフで斬りつけられることもない。
また、例え口論になっても、蹴るマネや殴るマネや足のすぐ傍をダンッ!と踏みつけられることはあっても、集団でボコボコにされたりすることはまずない。


2回に1回の割合で、おつりがごまかされて少なく(1〜5エジプシャンポンド=15〜75円程度少なく)返って来るが、速攻で「おい!おっさん!おつりが少ないだろ!」と怒れば、大抵返してくれる。返してくれない場合は、「ふざけんじゃねぇぞ!てめぇ!さっさと5ポンド出せ!」とさらに大声を出せばほぼ100%返って来る。おおむね、問題ないレベルだ。
(つまり、不愉快ではあっても、治安が悪いわけではないのである。)
というわけで、たった9日間でもそれなりに感情のアップダウンから、異国情緒まで存分に堪能できるエジプト。
「旅」がしたい、と憧れるバックパッカー予備軍にはお勧めである。
(一方、「観光」がしたい、という社会人、「わざわざ休暇に不愉快な思いはしたくない」という常識的な人には、パックツアーでの渡航をお勧めする。正直、エジプト人の一切をスキップしても、ピラミッドとカルナック神殿とアブシンベル神殿と白砂漠と黒砂漠とモスク・ムハンマド・アリは見る価値がある。)



さて、全然話が変わってしまうが、ソニーのデジカメが最近やたらと気合いが入っていて、とてもよろしい。
ミラーレス一眼として、驚異的なボディーサイズを実現したNEX−5から、昨日(8/24)発表のあったα55とα33まで、矢継ぎ早にソニーらしい(家電メーカーらしい)個性的な機種が発表されている。


NEXは既に店頭に並んでいるので、手に取った人も多いかと思うが、ミラーレス一眼の先駆者オリンパスが真っ青になる程の小型ボディーで、この分野で急激に存在感を強めている。(なお、世界的にはこの分野(ミラーレス一眼などの新種の小型一眼)の覇者は、恐らくサムスンだ(ミラーレス一眼NX10の出来は、NEX-5よりかなり良いらしい)。日本では今のところはオリンパスが覇者だが、そのうちソニーが逆転するかもしれない。GF-1を出しているパナソニックの立ち位置はいまいち不明になりつつある。あと、リコーのGXRも次の一手をどうするのか?ミラーレス一眼という設計思想とGXRが提唱する「最適な撮像素子とレンズの組み合わせを1つの単位とする」というユニット設計思想は真っ向から対立するが、はっきり言って、ユニットの方が分が悪そうだ。また、地味にシグマのDPシリーズもミラーレス一眼にその地位(APS-Cサイズの撮像素子を持ちながら、コンパクトデジカメに近いコンパクトさが売りだった) を脅かされつつある 。DPシリーズに残されているのは、Foveonという垂直方向にRGB値を取込むユニークな撮像素子のみくらいか。レンズ交換も出来ないし。。その上、GXRにしても、DPシリーズにしてもAFによる合焦速度が遅すぎて、コンデジ上がりのユーザーでも「イラッ」としてしまうことがある。一方、NEXはそれなりに速度が保たれているし、これら競合機種より本体サイズとしては一回り小さい。レンズを入れるとちょっとでかいが。現在、パンケーキレンズは24mm(フルサイズ換算で36mm)と広角よりのレンズしか出ていないが、35mm(フルサイズ換算で50mm前後)の標準域パンケーキが出たら、ちょっと欲情してしまうかもしれない(笑)しかし、キヤノンの新作ラインナップ(PowerShot S95など)にはいささかがっかりしてしまった。既存機種の機能増強にとどまり、結局、APS-Cサイズのミラーレス一眼等は発表しなかった。一部報道で「キヤノンもミラーレス一眼の流れは無視しない」というインタビューが掲載されていたので、コンデジラインナップでの撮像素子の大型化に対して期待はあったが、今回のタイミングではなかったようだ。「ミラーレス一眼」に市場を侵食されつつある「デジタル一眼レフ」の雄、キヤノンとニコンはどのようにこの変化を考えているのだろうか?フルサイズ機や7D等の中級〜上級モデルでは、ミラーレス一眼との棲み分けは十分可能だが、EOS Kissシリーズ等はガチンコでユーザーの奪い合いになると思う。Kissは僕の手には小さいが、女性には少し大きい気がする。同じような写りをするのであれば、ミラーレス一眼を選ぶ気持ちも分かる。そういったエントリーユーザー層をうまく取込むことが、重要・・・?うーん、一概には重要とも言えないか? よくよく考えてみると、ミラーレス一眼は基本的にマウント径がデジタル一眼とは異なるので、いわゆる「マウント縛り」の作用は少ない。その証拠に、オリンパスのPENシリーズで一眼の魅力を知った層が、さらなる画質向上を目指して、ニコンやキヤノンにシフトしてしまう現象が報告されている。普通、オリンパスからしてみたら、PENで「一眼レフの魅力」を知ってもらって、その後のステップアップとして、オリンパスの「デジタル一眼」に進んでもらいたい!という流れを期待していたのだろうが、実際は、一眼レフとしてはレンズのラインナップを含めると、キヤノンやニコンの方が性能的に優れていることが多く、また、ミラーレス一眼でそれなりに鍛えられてしまった目にはその性能の違いが理解されるが故に、オリンパスの一眼ではなく、キヤノン/ニコンへとシフトしてしまっているという状況だ。このため、オリンパスは恐らくフォーサーズを捨てて、マイクロフォーサーズに注力するはずだ。と、いう流れで考えると、・・・いや、とはいえ、キヤノンやニコンだって、その後のマウント縛りを繰り出せないにしても、エントリーユーザー層は欲しいはずだ。やはり、ミラーレスへの進出は時間の問題か。)
さて、そんな業界の変化を巻き起こし中のNEXに続き、「透過型ミラー」を搭載したα55とα33である。透過型ミラーを搭載することで、撮像素子に光を当てながらも(つまり、ライブビューを行いながら)、オートフォーカスセンサーにも光を同時に当てることができる(つまり、ライブビュー中に高速オートフォーカスを実現できる)のである。
(※透過型ミラーを使うことで、光路が二つに分岐する、とイメージすれば分かりやすい。)


結果として、ソニーは大胆にも光学ファインダーを捨てて、すべてEVF(電子ビューファインダー。オリンパスのPEN-2で使用できる「液晶画像をファインダー中で見れる」という代物)に切り替えてしまった。このEVFの出来次第のところはあるのだが、数値上は115万ドット、60fpsと非常に滑らかな像が期待できそうである(と褒めつつも、僕は完全に、完璧に、光学ファインダー信望者なので、結局買わないけど(笑)ただ、技術の進歩としてチェックはしておきたい。視野率は100%だしね。なんとなく、EVFってプレデターの視野(あれは温度センサーだったけど)を思い出させる。外界の光を電気信号に変換してから画像エンジンで再生し、それを人の網膜が認識することで、初めて外界を知覚する・・・なんて、その回りくどさにSFを感じてしまうのは僕だけだろうか?例えば、画像エンジンが狂ったら、EVF上の「外界」は狂ったホワイトバランスになるだろう。もしEVFからしか世界を見なかったら、僕は本当に外界とコンタクトを取れているのだろうか?知覚する世界は、実にバーチャルなものと言わざるを得ない)。


さて、このEVF化は今後のNEXの布石として見ても面白い。現在、NEXはライブビュー(いわゆるコンデジと同じで、液晶画面を見て撮影する。ファインダーを覗き込まない)のみで稼働するが、今後のミラーレス一眼の進化として、「高精細なEVFを標準装備」という展開は多いにあり得ると思う。今回発表になったα55とα33では、EVF化による小型化のメリットはそれほどなさそうに見えるが、このような本体備え付け型のEVFが当たり前になってくると、ミラーレス一眼への反映も技術的なハードルが下がってくるだろう。そうなると、小型ボディーに大型のレンズを搭載した際に、「ライブビュー撮影だと手ぶれがきっつい」というミラーレス一眼の宿命的問題を解決することが容易になる。(その上、撮影している姿も一眼レフらしくてさまになる)


また、α55と33には、これまでソニーがコンデジで試してきた「スイングパノラマ機能」(シャッターを押しながらカメラを動かすことで、180度程度のパノラマ撮影が可能になる)や、6枚のショットを合成しノイズをキャンセルすることで結果的にノイズリダクション効果を得られる「マルチショットNR」等のソフト面の充実も見られる。また、明暗差が激しい場面(例えば、山の稜線に沈んでいく夕日。夕日を撮ろうとすると、山は黒潰れし、山を撮ろうとすると、夕日は白とびする)では、通常の一眼レフでは「ハーフNDフィルター」を使用するとこで明暗差を光学的にキャンセルして両者を融和させるが、この機種では「オートHDR(ハイダイナミックレンジ)」機能によって人が見た印象に近くなるように画像処理によって明暗差をキャンセルするらしい(これまでのHDR合成では、なんとなく「絵画」っぽいうさんくささがあったが、このモデルでは「人が見た印象に近くなる」ことを謳っている。これがどれくらいの出来なのか気になるところだ)。
こういったソフトウェアサイドでの機能増強は、家電総合メーカーたるソニーであるからこそ、という感じがして実に好感が持てる。もっともっと、ソフトの方を充実させていってほしい。


またハード面でも、当たり前のようにバリアングル液晶を搭載してくるところが、ソニーらしい。いちいち導入に踏み切れないキヤノンと比べると、このような従来の「カメラ像」から少し離れた技術(ある意味、古参のカメラ好きからすると邪道的な技術)については、家電メーカーのソニーに分があるのかもしれない(逆に言えば、そこしか活路はないかもしれない。さすがに、カールツァイスレンズだけでは勝負できないだろう。MFと割り切れば、他社のカメラでも使えるし)。
さらに気になるのが、地味に「3D静止画が撮影できる3Dスイングパノラマ」という目新しい機能まで搭載させてしまっていることだ。
これは価格.comの記事でも最後にちょこっと触れられているだけで、あまり注目されていないようだが、「1眼レフで3D」というのはちょっと面白い。


3D静止画は、富士フィルムが先鞭を取って開発しているが、その技術は基本的には「2つの撮像素子で被写体を異なる角度から撮り、その画像を合成し、右目と左目でそれぞれ見るべき画像を交互に高速に表示する」ことで3D静止画を実現している。
しかし、このα55や33は、当然「一眼」であり、撮像素子は1つしかないはずだ。とすると、スイングによって撮像素子の位置を変えることで、擬似的に「2つの撮像素子による撮影」をデータ上で実現する、ということだろうか?
実に、気になる機能だ。
ソニーの予想外の動きに目が離せない。



listening to My blood is Your blood / THE NOVELS

2010年7月24日土曜日

057. むんむんエジプト(また「旅行前」がやって来た)


さて、8月8日から18日まで、エジプト旅行である。
前回のギリシャ旅行を旅行記にまとめる暇もなく、
その前のタイ旅行もほっぽり出し、
その前のインドネシア旅行もペンディングで、
その前の韓国に至っては脳内デフラグで記憶が消えかけている、
という状態で、灼熱のエジプト。
ここらでひとつ、本サイトのテコ入れも必要かなと思うが、差し当たっては、差し迫ったエジプト旅行の準備/計画にスイッチを入れている。
エジプトの3大見所は、1)ギザのピラミッド群、2)アブシンベル神殿、3)ルクソールの巨大神殿群、らしい。
現地滞在期間は実質8.5日間なので、正直この3つを回るだけできつきつなのだが、
ここに来て、
「白砂漠、黒砂漠」
という魅力的な候補地が突如浮上してきた。
荒野好きの自分としては、見逃せないポイントなのだが、、現在、日程表を作りながらむんむん唸っているところである。
ここで、エジプトで気になる点をいくつか上げておこう。
・灼熱地獄。
今年は日本も暑く35℃を記録する日もあるが、エジプトの南方に位置するアブシンベル付近では、既に現在42℃を記録している(ほぼ連日。)。さらに、今年はモスクワでも30℃を超えるような猛暑が世界各地で起こっており(一方、冬の南米では壮絶な寒波が来ていたりして、どうなってんだ地球?っていうかんじである)、8月の気温ピーク時に行く自分としては、初の50℃台も経験できるのではないか?と期待(というか心配)しているわけである。
最近、目に見えて肥ってきて、暑さ耐性が著しく低下しており(デブは暑がり説は正しかったことを実証)、夜中寝てる間中もクーラーつけっぱなしの自分が、40〜50℃の暑さに耐えられるのか?ちょっと気になるところである。
あと、カメラとレンズ達。
やはりモンゴル写真家清水氏のアドバイスに従って、クーラーバックにカメラを入れていくべきなのだろうか?(できれば携帯性に優れたカメラバックで持って行きたいが、、)
・人にうんざりしそう。
行く前からこんなこと言っていては「偏見の目で現地の人を見る」ことになり、世界人類みな兄弟!、目指そう世界平和!、ヒトはみな性善!という幸せで立派な思想をお持ちの方から、ご批判をくらいそうだが。
だが、しかし。
経験上、アラブ人のしつこさは天下一品なのである。
モロッコでは、結構な目にあった。あのときは、初の海外一人旅で旅慣れていなかったというのもあろうが、そうとは言っても、あの「ほぼ全ての人がだましてくる、ふっかけてくる」「道を聞いただけで金を要求される」(喜捨の精神がある、っていうのもあるが、それにしても、むしり取ろうとしすぎ)「客引きが異常にしつこい」(ベトナムの客引きが笑えてくるレベル)「表示の値段の半値に値切っても、地元価格の5倍だった」という旅行者価格のハードルの高さ・・・というような状況は、やはりストレスフルである。
ま、とりあえずは「性悪説」に立った上で、自分のできる範囲マックスで交渉しよう。あとは、強く自分を持つのみだ。(こんな決意なんて、日本にいると笑ってしまうようなものだけど、案外、見知らぬ海外で1人でぽつーんといると、その上、道が分からなかったり、来るはずのバスが2時間待っても来なかったりすると、結構簡単にだまされてしまうものなのだ。その上、灼熱地獄では判断力や精神力が目に見えて落ちる。というわけで、気をつけて気をつけすぎることはないのだ)
・砂漠の砂がカメラに毒
モロッコでもサハラ砂漠に入ったのだが、砂漠では当然砂が風に巻き上げられている。この砂がデジカメのレンズ部分(伸び縮みする部分)に入ってしまい、壊れている人が何人かいた。当時は、GR-Dというコンデジに、ワイドコンバージョンレンズを装着し、筒状のカバーをかけることでデジカメを砂から守っていたが、今回はレンズ交換式の一眼レフである。しかも、僕の持っているレンズは24-70mmと70mm-200mmの二本でようやく広角から望遠までをカバーできる、という体制。このため、1台のカメラでは必然的にレンズ交換が発生してしまう。これでは、交換時に砂が入ってきてしまう。
しかもレンズ自体も伸縮部分があることから、砂が入ってしまう可能性もある。(一応、両方Lレンズなので、それなりの防塵機構はあるけれど)
ということで、理想は
2台の一眼レフ体制。
レンズを含めてすっぽりと覆うカバー。
が必要になって来る。
最近、自分の機材が高額化しており、上記レンズ二本と一眼一台だけでも軽く50万を超えてしまうので、砂が入って動かなくなったときのショックは、マリアナ海溝よりも深くはないが、高尾山くらいの大きさはありそうだ。その上、エジプト人がうざくて、気温が50℃を超えていたら、もう、自分が人の姿を保てるか自信がない(笑)ひとり覚醒してサードインパクトを引き起こしかねないのである。
さて、実はキヤノンの一眼レフとしては、EOS-5DMarkIIというデジイチとEOS-1Vというフィルム一眼があるのだが、この2台体制だと、一方がデジタルで一方がフィルムで、といった具合でレンズの違い以上にフォーマットの違いが大きすぎて、一つの旅でテイストが異なる写真が混じってしまうという問題がある。
(実は、タイとギリシャで経験済み。ギリシャでは結局、レンズを付け換えてほぼ5DMarkIIを使っていた)
もちろん、EOS-1Vはキヤノンのフィルムカメラ史上、最後のフラッグシップ機でその性能に申し分はないのだが、このフォーマットの違いは他にも、
・大量のフィルムを持ち歩く必要がある
・ISO感度が実用感度で800がせいぜいで、お気に入りのフィルムはISO100もしくは400なので、暗い条件に非常に弱い
・フィルムの交換が頻繁で、そもそも砂漠の真ん中でフィルム交換なんてしたくない
・液晶で確認ができないので、どうしても撮り逃したくないシーンでは、結局5DMarkIIにレンズを付け替えて撮ることになる
というような問題がある。
というわけで、もう一台、キヤノンのデジイチが必要なのである。
(一体、何台カメラを持ったら気が済むんだ!というツッコミは、もう自分でも散々しているので、今回は寛大な心でどうか勘弁してやってください)
というわけで急遽、デジイチを物色中なのである。
とりあえず、撮像素子サイズはAPS-Cで構わない。
今更、20万以上するフルサイズ機を買うだけの気合いと余裕はない。
(プロでもないのにフルサイズ機二台持ちとか、ちょっとおかしいはず。一般的には。)
APS-Cで評判がいいのは、当然7Dだが、予算的にパス。(現状、10万以上はきつい)
次にいいのが、EOS-Kiss X4だが、、記録媒体がSDカードなのである。。
そう、キヤノンは初級向けのKissシリーズはSDカードベースにしておいて、中級機以降、つまり50D(二桁Dシリーズ)や7Dから、はCFベースにしているのである。
おいおい、CF使い回せないのかよ。
というわけで、KissシリーズとしてはX4のスペックは異常にいいのだが、見送ろうと思っている。
そうすると、残るのは、50Dである。
50Dというのは決して評判のいいモデルではない。
優秀すぎるX4と7Dの間に挟まれて、ひたすら影の薄い中級入門機である。
さらに、発売も2008年と一世代前の機体。(5D MarkIIだってそうだが)
しかも、ちょっと前までやっていた2万円キャッシュバックキャンペーンも終了してしまい、もはや売れ残りしか残っていない。
その上、新型機60Dの噂も現実味を帯びてきている。
というわけで50Dを取り巻く情報に、いいことというのは非常に少ない。
しかし、自分にとっては、CFは使い回せるという利点と価格が現在、66000円台とこなれている点、が魅力である。
また、Kissのプラスチックボディーと比べると、本体はマグネシウムボディーなので、金属ボディー好きの自分としてはうれしい。
というわけで、50Dに気持ちが傾きつつ在る今日この頃。
あと3日ほど、新型の発表を待って、(発表があればさらに値下がりするので)、発表がなければポチッとしてしまおう。
それにしても、Kissシリーズにせよ、50Dにせよ、7Dにせよ、電池パックが異なるのだなぁ。これでは、2台持ちする場合に、電池を使い回せず、充電器も電池も二個持たなければならなくなる・・・。
このあたり、乾電池を使用可能なペンタックスは良かったなぁと思う次第である。
(ま、結局、2台持ちする人なんてマイナーな存在だろうから、こういう部分は置き去りにされてしまうんだろうけど。。)
それにしても、旅がやってくる度に、カメラを買い足していくこの癖をどうにかしなきゃなぁ。。リアルにカメラ貧乏になってしまう。
listening to ABOT KINNEY / LOVE PSYCHEDELICO  

2010年7月17日土曜日

056. 90年代とは何であったか?(極私的な近歴史観)


ミスチルが世を儚んで歌い、
村上龍が時代の閉塞感を小説にしていた。
あのとき。
クーラーの効いた書店で、
僕はミスチルを聴きながら村上龍を立ち読みしていた。
バブルの余韻は冷めきって、
失われた10年が経過し、
大人は自信をなくし、
女子高生は援助交際し、
オウム真理教がテロを行い、
小説や漫画では二重人格や猟奇性が流行り、
強いヒーローはいなくなり、
替わって弱いヒーローや等身大のヒーローがもてはやされ、
アニメではエヴァンゲリオンが流行った。
オタクという概念や、
ヒキコモリという概念が登場し、
甘えやモラルの低下が注目されていた時代。
受験を控えた漠然とした不安を背後に感じながら、
「とりあえず、期末テストでは数学を強化しよう。」
という直近の勉強の計画と、
「ノストラダムスの大予言は当たるんだろうか?」
というアホな不安と、
「童貞で死ぬのはやだな」
という青春特有の悩みを抱えながら(笑)
限られた時間を、限られた情報の中で、必死に「認識」しようとしていた。
「時代の音が鳴らされた」という触れ込みで買ったRage Against the Machineの「The battle of Los Angels」を意味も分からず聴きながら、
新井英樹の「The world is mine」を意味も分からず読んでいた。
当時流行っていたミニシアター系の映画「Buffalo ’66」を、これまた意味も分からず観ては、 それが「うん、カッコいい」と思っていた。
「トレインスポッティング」のポスターを部屋に貼って、意味もなく金髪にして、「やっぱハードコアだよな」と呟いていた。
黒い革パンを履いて、友人と連れ立って、道路に寝そべりながらタバコを吸っていた。
青空に消えて行く煙を見つめながら、
「自由になりたいな」などと思っていた(笑)
でも長期的に考えたとき、
別にやりたいことなんてなくて、
どんな人間になりたいかなんて決まっていなくて、
これからどんなハードルを何回越えれば楽になるのか、
全く分からなかったあのとき。
はっきり言えば、人付き合いもどうしていいか分からなくて、
どうしたら女の子と緊張せずに話せるのか皆目見当がつかなかった、あのとき。
自分はポケベルを持っていないにも関わらず、
公衆電話から当時好きだった子のポケベルにメッセージを送ったあのとき。
(相手にしてみたら返信しようがないメッセージを送られて相当困惑したと思う(笑)超一方通行なコミュニケーション。ストレートなアホっぷりに感心すらする。)
当時好きだった子の家に電話する前に、
母親が出た時→
父親が出た時→
弟が出た時→
本人が出た時→
という台詞のフローチャート(笑)を1時間かけて作っていたあのとき。
(今は携帯電話があるから、こんな努力はする必要がない。ある意味、「時代に強要された努力」である。)
つまり、90年代というのは、10代をそのときに過ごした僕にとって、
気恥ずかしくって、(内的要因)
自信がなくって、(内的要因)
社会も閉塞感で満たされていて、(外的要因)
常に不安感がつきまとっていた時代だったと思う。
気付いてみれば、2010年も後半である。
2000年代(2000年〜2009年)も終わってしまった。
確かに、「あのとき」から、時代は変わったと思う。
確かに、今だって日本経済はそれほど好転していない。
社会にも閉塞感があるだろう。
つまり、外的要因としては、それほど大きな変化はないかもしれない。
ただ、内的要因については、大きく変わってきたと思う。
こうでありたい自分。
やりたいこと。
それが射程距離にあるという密かな自信。
ようやく、整った。
例えこれらが、明日崩壊したとしても、
きっと僕はその瓦礫から、
また明後日の目標を再構築するだろう。
さて、今日も密度を上げていこう。
listening to BOLERO / Mr.Children