2010年10月30日土曜日

060. 告別式(受け入れるということ)


僕は水曜日から学会で京都に滞在していた。
自分にとっては新しい領域の学会で、講演を理解するのにもそれなりに根気と集中力を要するものだった。
昨日も一日中講演を聴き続けて、少し疲れながらPCメールをチェックしていると、ある先輩の名前が件名になったメールが上司から届いていた。
「 ◯◯ ◯◯さんの件」
なんだろう?と無防備に、
なんの心の準備もなく、
いつも通りにメールを開くと、そこにはこうあった。
「 ◯◯ ◯◯ さんが昨夜亡くなられました。」
え?
・・・どういうこと?
僕はその簡単な日本語の意味を即座に理解することができなかった。
亡くなった?
それって、・・・死んだってこと?
身体はこわばり、
汗が吹き出た。
突然、落とし穴に落とされたような、そんな感覚だった。
僕がその次の瞬間に思ったことは、
そんな・・・
そんなことはないよ。
だった。
まだ先輩は35歳前後のはずだ。
死ぬには早すぎる。
お子さんだって(あの携帯の待ち受け画面になっていたお子さんだって!)、
4〜5歳くらいじゃないか。
つい2週間前には、仕事のことで相談に乗ってもらっていたばかりだ。
声だって、顔だって、その存在感や雰囲気まで、僕は克明に想像できる。
想像できるのに。
学会は土曜日までで、東京に戻るのは土曜の夜のつもりだったが、
急遽予定を変更して舞い戻ってきた。
「告別式」に出るためだ。
僕は、「告別式」というものに出たことがない。
身内での葬儀は略式のものが多く、自分にとっては初めての告別式だった。
朝6時50分の新幹線で京都を出て、池袋についたのは10時。
香典の準備を急いで行って、
会場に着いたのは告別式が開始するちょうど5分前だった。
「告別式」
別れを告げるための式。
僕は先輩に別れを告げるために、この場にいるのか?
先輩と、同じチームで働いたことはない。
しかし、ある大学で生物統計学のセミナーに通う機会があり、その参加者は自分の会社からは先輩と僕の二人だけだった。セミナーは1年間続き、ほぼ毎月顔を合わせていたことになる。
行き帰りには、とりとめのない話をよくしていた。
先輩から質問されることが多かったように思う。
「最近、あのプロジェクトはどうなの?」
「へぇー、そうなんだ。」
そうだった。納得したときは、
「へぇー。」
とよく口にしていっけ。
そんなことを思い出したら、泣けてきてしまった。
そうだった、そうだった。
「へぇー」
と言いながら、先輩は生物統計学を勉強していた。
その先輩が理解した内容は、
今はもうこの世のどこにも存在していないことになる。
ある時、臨床試験の非劣性試験の組み方(帰無仮説の立て方)について、先輩が先生に質問したことがあった。あいにく、というか運悪くというか、その統計専門家は(驚くべきことに)非劣性試験自体を理解しておらず、結局明確な回答は得られなかった。
そのとき、僕も同じ疑問を持っていて、しばらく考えてみると、講義の内容を応用すればその回答らしきものが得られることにはたと気がついた。
これは、帰無仮説を知っている人にしか意味不明と思うが、そのときに僕が先輩に伝えた内容は以下の通りだ。
「非劣性限界値を例えば既存薬の-10%の効果とするとしますよね。そうした場合、帰無仮説は恐らく、【新薬の有効性の分布が、既存薬より10%以上負けた場合の分布と重なる】とすれば理解できると思うんですよ。つまり、「10%以上負けた姿」を仮定して、その分布と新薬が示す分布とが重なるかどうか?を検定するイメージです。対立仮説は、当然【新薬の有効性の分布は、既存薬より10%以上負けない】ということになります。そうすると、例数設計は通常の優越性試験と同様に、αと1-βを規定してやれば、算出できますよね?」
そのときの先輩の顔を思い出す。
「あ!・・・そうか。そうだね!それで説明つくね。
 へぇー、そういうことか。」
僕はとてもうれしかった。
納得してもらえた、という感覚を強く感じたんだと思う。
しかし、このときの先輩の納得感は、もはやこの世の中に存在しない。このエピソード自体、証言できるのはもはや僕だけだ。先輩が先輩の脳で理解していた生物統計学は、どこに行ってしまったんだろう?
いやそんな感傷的な表現でごまかすのはやめよう。
ただ、ただ、もう今はない。
それが突きつけられた現実だ。
「もう、ない」
これが、死の本質であり、もっとも受け入れがたいことである。
もうあの非劣性試験の話や、頭を使って理解した生物統計学の概念、とりとめのない会話は全て、無くなってしまった。
それがただただ悲しくて、涙が止まらなかった。
100人以上いたと思う。
ここにいる人々は、全員、先輩が死ぬなんて思ってみたこともなかったはずだ。
それが突然、唐突に奪いさられてしまった。
嗚咽、泣き声、鼻をすする音、100人が泣いている。
僕はようやく「告別式」がいかなる式なのか?理解した。
告別式とは、故人と親しかった人たちが「故人が本当に亡くなってしまったことを、全身で認める」ための儀式なのだ。
「親しい人の死」は頭で理解したつもりでも、感情では拒絶してしまう。
形而上学的には「死」とはありふれた概念で、映画やテレビでは連日のように「死」が氾濫しており、論理的には「死」というものを理解したつもりでいた。
しかし、違っていた。
僕は泣き、震え、噛みしめて、ようやく先輩の死に顔を見ることが出来た。
あああああああ、死んでいる。
もういない。もういない。
全身で死を受け入れることは、とても痛い。
しかし、それは厳然として否応なく、強制される。
だから、僕たちに選択の余地はない。
ただただ、泣いて耐えるのみだ。
その痛い痛い過程を経ることで、
ようやく僕たちは故人の死を受け入れ始める。
だから、告別式は、故人のためであるようでいて、実際には、僕たち弔う側の人間のためでもある。
「死」とは「故人の中」だけでなく、「遺された者達の中」にも在ると、初めて気がついた。
霊柩車に棺が運ばれ、最後の見送りがやってきた。
そのとき、霊柩車の助手席には1人しか座れず、係の人が息子さんに「ちょっとの間だけ、お母さんと別々で・・・」と話すと、
息子さんは「いやだ、いやだぁ!」と泣き出してしまった。
まだ、幼い子供である。
「ちょっとの間」離れるだけでもこんなに嫌なのに、
「これからずっと」離れなければならないのなんて、辛すぎるよな。
僕は、ただ合掌して震えるだけだった。
どうか幸せな将来が訪れますように。
どうか安らかな眠りにつけますように。
祈ることしか許されない。
listening to nothing