僕は、
どっかのだれかが作った服を着て、
どっかのだれかが作った道を歩き、
どっかのだれかが穫った魚を、
どっかのだれかが作った店で食べる。
このガードレールは、どんな成分で出来ているのだろう?
鉄とニッケルの合金だろうか。
この白い塗装は、酸化チタンだろうか。
仮にそうだとして、
この鉄とニッケルと酸化チタンは、どっからやってきたのだろうか?
オーストラリアだろうか。
ロシアだろうか。
ボツワナだろうか。
ボリビアだろうか。
いずれにしても、
はるばるとこの国までやってきて、
ガードレールの形に変えられて、
アスファルトの大地に埋め込まれて、
今は、ガードレールとして、歩道と車道を分ける働きを、この街で行っている。
僕が着ているこの服は、
きっと中国で作られた繊維を、ベトナムで縫製したものだろう。
この繊維を染め上げているカーキ色、その染色の作業は、中国在住のだれかがやったことになる。
僕たちの生活は、「どっかのだれか」の仕事によって構成されている。
「どっかのだれか」の存在は、僕たちの日常から物理的には遠く離れていても、
確実に僕たちの日常を支える支柱となっている。
そんな無数の支柱が張り巡らされた世界が、
今の社会だ。
僕はそんなことを思いながら、外勤先の街を眺めている。
さて、仕事をしよう。
いずれこの仕事の後先が、どっかのだれかの日常の「支柱」」になることを信じて。
listening to 「PADDLE/ Mr.Children」