山手線のホームで、僕は扉が閉まろうとする電車を見送った。
そのわずかな瞬間に、僕の視力の悪い眼球は、少なくとも20数名の乗客を捕捉していた。
「たくさんの人がいるなぁ。」
振り向くと、ホームには電車を待つ人で一杯になっている。
ここは、新宿駅。
恐らく、日本で最もヒトが集まる場所の一つだ。
その中に身を置いて気付くことは、
「この中で、僕が知っている人間は0.001%もいないだろう。」
ということだ。
今、ここ、にいるヒトの中で、99.999%の人間は、「他人」である。
その当たり前の事実に、なんだか突然、空恐ろしくなった。
ヒトの群れにいながらにして、僕はとてつもなく「孤独」なのだ。
人口密度が示すのは、「今、ここ」にいるヒトの「数」がいくらか?ということに過ぎない。その数は、決して、ヒトとヒトとの「交流の密度」を示すものではないのだ。
見ず知らずのヒト(個体)が、「今、ここ」を偶然にも共有している。
それが現代の「都市」というものである。
この「ごく当たり前」のことが、「ごく自然」であるかというと、そうではないような気がしてしまう。
300年程前だっただろうか?
まだ、東京が「江戸」と呼ばれていた時代。
人々は、多くの場合、生まれた土地で育ち、結婚し、子供を産み、老い、死んでいった。自分たちの居住区(多くの場合、それは村単位)のメンバーは、ほぼ固定されていて、その全てのメンバーは互いに見知った仲であった。
知っている者しかいない世界。
眼球に写る100%のヒトが、知り合いである世界。
そんな安住の世界が、確かにあった。
俗にいう、「村社会」というものだ。
この村社会は、明治以降の近代化で解体されることになる。
工場をベースとした雇用の形態が発展し、人々は、村から都市へと出稼ぎに出ることになる。企業が発展し、人々が働く場所は日本全国、そして世界へと広がって行くことになる。
この結果、人々が生まれ育った地から、見知らぬ土地へと移り住むことが常態となる。もはや「何何村の何兵衛」では、自己を説明することができなくなってしまった。土地に起因したアイデンティティーの喪失である。
近代化を経ることで、日本は豊かになった。
中産階級も誕生した。
それはそれで、素晴らしいことだったと思う。
第二次世界大戦を経て、東京大空襲で焼け野原になった東京は、その後、驚異的なスピードで再生した。米国との契約の下、国民の全精力を経済発展につぎ込み、それはやがて「高度経済成長」へと結実する。GDP世界第二位、「Japan as No.1」とまで言われるようになった。
その結果、都市には何が起きたか?
それは、さらなる人口の移動である。
職のある土地には、労働者と家族を受け入れるべく、多摩ニュータウンに代表されるような、新興の住宅地がぞくぞくと形成されて行き、人口の局所集積がさらに進んで行った。
そこには、食料品店やドラッグストア、衣料品店、クリニック等、都市に実装されるべき機能が配置され、快適な住空間が実現された。
そして、僕たちは、機能的な都市の中で、経済の歯車を一生懸命回している。
それはそれで素晴らしいことだと思う。
しかし、ここではたと気付くのは、「今、ここ」にいる人々は、「仕事場から近い」という理由のみで同じ空間、時間を共有しているに過ぎない、ということである。
つまり、現代の都市に住む人々は、前近代の村社会のように、「自分の先祖が住み続けたこの場所に、自分もいる。(なぜなら、自分のルーツがここにあるからだ)」「自分には、はるか昔から続く起源があり、また、自分の次の世代もその起源を共有して行く。(自分は、歴史的にも、空間的にも、人間的にも、「つながっている」と思う)」という、「ルーツ感覚(自分の生まれ育った土地やその場所の人々、文化との感情的な結びつき、所属感)」が極めて希薄にならざるを得ない。
これは、社会構造の変化が引き起こした一種の副作用だと思う。
(脱線するが、この社会構造の変化は、文学にも多いに影響している。例えば、ミステリー小説が発生したのは、イギリスの産業革命によって村社会が解体され都市社会が発生したため、と言われている。ミステリー小説というのは、「隣人を疑う(俗にいう「この中に真犯人がいます!である)」ことがストーリーのバックボーンになるが、そもそも登場人物全員が旧知の仲であっては疑いようがない。一方、都市社会では、「隣人は見知らぬ人、何をしでかすか分からない人」という想像の余地がある。このような「都市ゆえの不安」がミステリー小説を発生させる原動力となったと言われている。)
さて、1980年代生まれの僕もまた、そのような現代の人々の一部である。
僕のルーツというものを考えると、実に薄弱で、まるで「根無し草」のような頼りない存在と言わざるを得ない。生まれは東京(らしい)、その後、仕事の関係で、埼玉、千葉を経由して(いたらしい)、最終的に静岡県は三島市に落ち着いた。記憶があるのは三島からで、その後、大学2年に当たる歳までを過ごす。しかし、その後は、家族は山形へ、自分は大学のある東京へと移り住み、もはや三島には家すらなくなってしまった。
もともと、三島に親戚がいた訳ではなく、結局は「親の仕事場が近いから」住んでいたに過ぎなかったのだ。
この結果、僕の感覚としては、「故郷」は「三島」であるが、そこに自分の「血縁」は存在せず、さらには「帰る家」もない、ということになってしまった。また、家族がいる山形には、自分自身は縁も所縁もなく、行ったところで家族以外に知り合いは1人もいない。
この「浮遊感」は、ある意味で「自由」そのものでもあるが、一方で、「生涯を通じて、所在無さげに佇まざるを得ない」という宿命を暗示している。
こんなことを書くと、多くの人は、こんな風に思うかもしれない。
「何、たいしたことは無い。
自分が選んだ土地に住めば良い。
そこで新しく、「つながり」を作って行けばいいじゃないか。」
そう、その通りなのだ。
僕は「根無し草」であり、どこも所属しない「浮遊した存在」であり、ひょっとすると「寂しい存在」なのかもしれない。
しかし、そこでいくら感傷に浸っていても、どこにも行き着かないだろう。
人は産まれた瞬間から、「自分の人生を引き受ける」という大きな大きな仕事を任される。この仕事は、生きている限り、投げ出すことは出来ない。その大きさに、ときに怯んでしまったり、ときに嫌になってしまったりすることはあっても、しかし、少し深呼吸して考えてみれば、投げ出すには惜しい魅力的な仕事でもある。
その前提に立って考えるなら、後は、「どういう風にその仕事を、どれだけ楽しくやり遂げられるか?」ということに尽きると思う。
さて、これまでの記述で、僕は「都市が内包する孤独」から「ルーツを失った現代人の浮遊感」について話してきた。思うに、この「孤独感」や「浮遊感」が、僕が「人生という仕事」をやるに当たって、ひとつのキーワードになるんじゃないかな?と感じている。
まだ、構想は獏としていて、ここに書ける程にはなっていないが、これからしばらく、「孤独感」や「浮遊感」を解決する仕組みづくりについて考えていきたい。
それは、都市が必然的に失ってしまった「ルーツ感」を取り戻す「力」を見つけることに他ならない。
僕は直感的に、その「力」の起点には、ヒトとヒトとの「結びつき(bond)」があるように思っている。そのbondというものは、家族内の結びつきではなく、また、友人間の結びつきでもない、もう少しメタ的なもの(既存のカテゴリーを飛び越え、それを集約するようなもの)になるだろう。得たい結果を考慮する限り、必然的に、世代や職種を超える必要があるからだ。
僕は夢想の中で、そのbondを生み出す条件にも気付きかけている気がする
実現できるかは分からないけれど、久しぶりに楽しい空想が始まっている。
,listening to 「天国と白いピエロ/EGO-WRAPPIN'」