2014年11月10日月曜日

188. 位置を変えるということ




位置が変われば、視点が変わる。

それは物理的な意味でもそうだし、
人文科学的な意味でもそうだ。

ましてや言語、文化、政治、経済が異なる世界に身を置けば、
それは、そうなる方が自然だろう。

書きたいことが沢山生まれつつある。
(それは、主に、アメリカについてである)

理解したいことが沢山できた。
(これもまた、アメリカについてである。特に歴史と政治と人間について。)

また、新たに考える視点と支点が、次々とちらついている。
(アメリカを地域に分けてきちんと考えたい。モノクロニックとポリクロニックの対比も含めて、日本とアメリカを比較して理解したい。)

日本にいるときには、どうしても徹底できなかったことが、こちらでは自然とできる(というより、強制的にせざるを得なくて)ということもあった。
(車の運転が代表的で、次に酒量の減少と、体重の減少がある。また、当然ながら英語漬けの毎日で、夢を英語で見るようになってきた。)

組織への貢献と、自己研鑽は両立可能だ。
(これは、英語の運用能力という点で。また、自分自身の判断力、洞察力といった言語に属さないレベルの力もそうだ。)

また、異なる文化圏への適応は、一人旅でのノウハウがそのまま通用することも分かった。
(クレーム対応で何度電話をかけたり、店と交渉したりしたか分からない。粘り強さと、積極性は、旅でも海外での生活でも必須だと思う。)

日々がサバイバルで、気を抜けない。
まだ、仕事では確信が得られるような働きをしていない。
作戦を考えよう。ひとつひとつ実行しよう。
休むときには休もう。
旅に出よう。

今はまだEver Noteと頭の中にあるが、ぼちぼちここに出力していきたいなと思う。

2014年10月24日金曜日

187. Breaking News

本日、2014年10月23日―

New York Cityにて、初のEbola感染者が確認された。
ギニアで、「国境なき医師団」の一員としてEbola患者の治療に当たっていた、33歳の医師である。

先ほど、9:45頃よりNYCの公式会見があり、患者のこれまでの経過や他者との接触度合い等について、NYC市長のBill de Blasio、NY州知事のAndrew Mark Cuomo、そして患者が入院している病院の医師から説明があった。

このBreaking Newsを、NYCからハドソン川を挟んで対岸にある、West New Yorkという街で見ている。
それが現在の自分である。

9月26日にアメリカに入国してから、ほどなくしてTexas州のDallasにて米国で1例目となる Ebola感染者が確認された。リベリア人の彼は、その後、不幸にも死亡することになる。

次いで、2例目と3例目が、リベリア人の治療に当たっていた看護師から確認される。
このうち1名は、結婚式の準備中で、感染成立後にウェディングドレスを試着したり、移動が多かったため、連日ニュースではその行動範囲が取沙汰されていた。

その間にも、Kansas cityでEbola疑いの患者が報告されたり、
ペンタゴンの近くで嘔吐した人がEbola疑いで隔離されたり、
New Ark airportで嘔吐した乗客がEbola疑いで隔離されたり、
と各地でEbolaパニックが続いていた。

「やがてくるのだろうか?」
ニュースを見る度に、感じていた予感は、
現実となった。

アメリカに入国してから1ヶ月もたたないうちに、自宅からわずか30分の距離まで、近づかれてしまった。
これが、現代の感染症の怖さだ。人の移動のスピードが速い現代では、潜伏期間の長い感染症は急速に広まってしまう。Ebolaは21日間ほど潜伏するらしい。この間、人は自由に動けてしまう。

以前のような、西アフリカ限定的な「局所的流行」から、今回のような「世界的流行拡大」に至った最大の理由は、このような症状がない状態、もしくは弱い状態が伸びたため、と思われる。ある意味、症状が弱くなった結果として、拡散(=被害)が加速した、と言える。

Ebolaは基本的に接触感染するタイプで、患者の体液、吐瀉物、排泄物、患者本人の体などに触れなければ感染しないとされている。
このため、Ebola患者と接触する医師や看護師が、二次感染者となりやすい。
今回のNYCの感染者も医師である。

この「医療従事者」という一定範囲から、社会的な接触レベルで感染が広まってしまうようになると、非常にまずい状況になる。

NYCの会見では、医師による経過の説明があった。
  • 患者は、10月17日にJFK国際空港に到着した。(実は、僕は前日の16日にJFK空港からDenverへと飛び立っている。1日違い(!)もちろん空港は広いし、ターミナルが違えば接触などありえない。とはいえ、これが現実なのだ)
  • 患者は医師であり、Ebola感染者と接触していたことから、自身がハイリスクにあることを認識していた。このため、一日二回体温を測定し、自らモニタリングしていた。
  • 患者が接触したのは、非常に限られた範囲の人間であり、フィアンセと、友人二人が直接的な接触があった。彼らは、現在隔離されている。
  • 患者のマンションも現在立ち入り禁止となっている。
  • 患者が最初に感じたのは、疲労感であり、Ebola対策センターのある当院に検査入院した。
  • Ebolaは症状が現れてから、他者への感染リスクが高まる。患者が発熱したのは、本日(10月23日)の朝が初めてである。従って、状況は幸運にもよくコントロールされていた、と考えられる。(本日朝、という点を強調していた。つまり、既に病院内に隔離された後に、感染可能状態になったので、公共へのウイルス暴露は事実上ほとんどないですよ、と言いたいのだ。)
会見に かじりつきながら、僕は2011年3月の福島原発事故後の政府会見を思い出す。
あの時も、パニックが起きないことを最優先とした会見が行われた。

「ただちに影響はない。」
繰り返し使われたこの言葉に、「じゃあ、いつかは影響があるのか?」と聞き返したくなったことを思い出す。

政府は、緊急事態に直面した際、混乱を避けるため、まずは「影響が深刻ではない」ことを発表する。次いで、「我々はコントロールできている」という説明をする。アメリカでは、さらに「我々は 自信を持っている」という台詞が加わる。
なるほど、これがアメリカか。

NY市長の Bill de Blasioは、英語での説明の後に、スペイン語で(恐らく同じ内容の)説明を繰り返した。彼の出自を知らないのだが、 ヒスパニックが非常に多い国であることを考えると、このような会見は効果的なのだろうな、などと冷静に思ったりする。

西アフリカでは既に4800人以上がEbola出血熱で死亡している。
事態は決して楽観できない。

富士フイルム(の小会社となった大正富山の)インフルエンザ治療薬が、Ebolaに有効かもしれない、というポジティブなニュースもあった。

しかし、本当に今後、どうなっていくのだろう?事態は無事収束していくのだろうか。
アフリカで恐らく数千人がEbolaに感染しているが、医療従事者が防護服を着ても防ぐことが難しい状況で、この数千人を治療するのに十分な、「勇敢な医師」は存在するのだろうか。

仮に、万が一、不足していた場合、どうなるのだろう?
想像には限界がある。

まずは、患者の医師の回復を祈るばかりだ。
そして、今後の三次感染が確認されないことを祈りたい。

2014年10月6日月曜日

186. New Jerseyにて その2

New Jerseyでは、車がないと生活できない、と言われている。
それは、お店が車でしか行けない距離に点在しているためだが、距離だけの問題であればバスを使えばクリアすることができるのでは、と考えていた。
また、お店に歩いていけるくらいの場所に住めばいいのでは、と考えていた。

しかし、どうやらそれだけではないようだ。
僕たちは、River Road沿いにあるHomewood Suiteというホテルに滞在しているのだが、ここから、日系スーパーとして有名なMitsuwaまで歩いて行ってみた。(ここはその昔、ヤオハンというスーパーだったらしい。ヤオハンは、僕の故郷 静岡県三島市にもあり、今となっては懐かしい存在だ。バブル期に海外展開も含めて過剰出店して、結果倒産してしまったのだ。しかし、NJ州では、その後継店が今でも大人気なのである。NJに住んでいる人でMitsuwaを知らない日系人はいないものと思われる。)

大体、25分かかって到着。
写真を撮りながら、1歳児を連れながら、ということで大人一人であれば15分くらいの距離かと思う。
車道にはところどころ切れているものの、歩道がある。
道沿いの店に入ってくる車に気をつけながら、それでも比較的苦労なく、Mitsuwaに到着。

しかし、そこで問題に気づいた。
お店に入ろうと思っても、歩道がお店まで通じていないのだ。
道路から店に向かって伸びているのは車道のみで、歩行者はどこから入っていいのか分からないような造りになっている。
(歩道が道路から店につながっていないため、一時的に車が出入りする車道を、1歳児をつれて、ベビーカーを引いて入る必要がある。とても危険だ)

なるほど、「NJでは、車がないと生活できない」と聞いていたが、それはもはや建物や敷地の造りにまで反映されていることがわかった。
こうなると、車生活を始める以外に選択はない。

会社の規定で、日本人赴任者は必ず運転講習を受けることになっている。
昨日早速受けてみた。

元々、日本でもペーパードライバーで、運転はうまくない方だ。
駐車では5〜6回切り返すのが平均である、と言えば大体程度は知れるだろう。
奥さんの方は、日本で免許をとりたてで、免許取得後に公道に出たのは1度だけという経験値である。

この二人が、15分ほどの説明後、いきなり公道を走ることになる。
まず、日本と比べて勝手が違うのは、

  • 左ハンドルである。
  • 結果、ワイパーとウィンカーのレバーが逆であり、左折、右折するたびに、ワイパーをまわしてしまう。
  • 右側通行である。
  • 結果、左折が対向車線を跨ぐことになり、日本で言う右折と同じような気の使い方になる。逆に、右折は日本の左折と同じで、最小半径で回るようなイメージである。
  • 危ないのは、左折したときで、このとき気をフッと許すと、日本と同じ左斜線に入ってしまい、対向車と正面衝突をするということだ。これをやった日本人がいた、と会社の先輩には聞いている。
といったところだ。
さらに、アメリカ特有と思われるのが、

  • Yieldというルールがある。これは、大きな道路に小さな道路から入るときに、ちょうど高速の入り口のように、道がカーブして接続しているところがある。ここに逆三角形のYieldという表示が出ている。これは、自分の道の方が優先権が低いため(正確には、yieldとは「優先権を相手の道路に譲れ」という意味であり、結果、この標識を見た側の優先権は相対的に合流する道路より低くなる)、合流する道路にいる車の動きを見て、車がいなければブレーキを踏まずそのまま合流していいが、車がいた場合は、徐行して合流するように、という意味である。このYieldの効用は、信号が不要であり、一時停止も車が少ない限り不要であることから、ガソリンと時間の節約になるというものである。ある種の合理性を感じるルールだが、運転が不慣れな自分にとっては、あまり嬉しくないルールだ。躊躇して一時停止してしまうと、後ろから衝突されるリスクがあるし、逆に合流する相手の道路状況を見間違えて行けると思うと、側面からぶつかるリスクがある。これを動きながら判断しなければならないので、運転の下手な自分としてはYieldサインを見るたびに、またか、と思うのである。
  • No turn on redという標識がある。これを理解するには、まずTurn on redという概念を理解しなければならない。NJでは(もしかすると全米でも?)、赤信号であったとしても、右折は可能なのである(!)前述の通り、米国での右折は日本の左折であり、対向車に邪魔されることなく曲がることができる。このため、交差点で自分から見て左から来る車がおらず、かつ歩行者が横断していないのであれば、例え赤信号であっても右折してよい、ということになっている。Turn on redのTurnとはTurn rightという意味なのだ。これは、運転教習の教官曰く、オイルショック後にガソリン節約のためにできた法律である、とのことだった。つまり、右折しても実質的に危険がない状態であれば、アイドリング(これがガソリンを無駄に喰ってしまう)をさせないで、曲がってしまってよい、というようにルールを変えてしまったのだ。日本では、アイドリングストップ車というように、「技術」でこのガソリンの無駄遣いを防いだわけだが、米国では、「法律」で防ごうとしたわけである。なんというか、こういうのをカルチャーショックというのかな?と思う。Turn on redはあくまで自己責任であり、歩行者を見落としてしまったら事故につながってしまうわけで、日本では、こんな改正法案は、改悪法案としてみなされてしまうだろう。ここらへんが、根本的に日本と異なる。背後には、「個の価値観の優先度」「安全への意識の違い」「合理性」などがあるように思う。さて、話を標識に戻すと、Turn on redという標識は存在しない。この概念は「標識に表示されていなくても、当たり前のこと」なのだ。このため、この常識が禁止されている箇所にだけ、No turn on redという標識を掲げている、ということになる。この標識がある交差点では、たとえ赤信号であっても、右折をしてはならない・・・!というのは、日本人からすると「いつも通りにしていればよい」ということだ。むしろ、この標識がない場所で、赤信号で自分が先頭で右折のウィンカーを出しているときに、歩行者もおらず、左から来る車もいない場合であっても、日本の感覚からすると、右折はしないのだが、そうすると、後続車から非難囂々なのだろうな、と思ったりする。

2014年9月27日土曜日

185. New Jerseyにて

今日から米国である。

9月26日 16:50に成田を出発し、同日の16:30頃にNYCのJFK空港に到着した。
フライトが大体13時間かかる上に、時差が13時間あるため、出発した日時とほぼ同日時に到着することになる。これが、アメリカ東海岸側の特徴だ。

通常家族帯同で赴任する場合、夫が先に出国し、家を決め、一通りの生活基盤を整えてから(1ヶ月後くらいに)妻と子供が出国し、現地で合流するというのが一般的らしい。

しかし、我が家はまだ手のかかる1歳児がいるため、「家族同時に出発」という道を選んだ。

結果、11箱の段ボールと衣装ケースを手荷物として移動させることとなった。かなり大荷物で、カート一つには載りきらない。成田空港でも、JFK空港でも、またホテルでもちょっとした引越作業の様相を呈していた。

ただ、いずれの場所でも、手助けしてくれる人はいて、特にJFKでは6ドルかかる手荷物カートを2台も貸してくれて、かつ、税関まで一緒に通ってゲートまで荷物を運んでくれた人までいた。(全日空所属と思われる白人の方だった。また、同じく全日空所属と思われる韓国人の方も荷物の積み込みに手を貸してくれた。この人たちがいなかったらと思うと、ぞっとする。最後に、Welcome to US! と笑顔で言っていただけたのが印象的であった。本当にありがとうございました。)

僕はL1ビザというもので入国したのだけれど、通常のimmigrationとほとんど変わらないような手続きで入国できた。聞いていた話では、通常のカウンターとは別にimmigrants用のカウンターでビザ関係書類の提出が必要とのことだったのだが、特に書類を提出することもなく通り過ぎてしまった。

担当官には書類の提出は不要かと確認したのだが、全く必要ない、とのことであった。
ルールが変わったのだろうか。謎である。

さて、米国には出張や学会で5回ほど来ている。そのうち、3回は支社のあるNJ州だ。
というわけで、ちょっとは地理や習慣を見知っているつもりになっていたのだが、やはりまだまだ全然であった。

今日学んだこと。

  • レストランでチップを払うときには、レシート(兼 支払い明細書)上にチップ代を明記しないといけない。普通のレストラン(というか、Bear's Burgerというハンバーガー屋)では、チップの相場は、15, 18, または20%であった(レシート上に選択肢と、それぞれの金額が印字されている)。サービスへの満足度に応じて選択する方式だ。僕は、チップ代を含めて多めに渡したのだが、レシートへのチップ代の記載をしなかったため(正確には、20%に丸をしたのだが、それでは通じないらしく)、見事にチップ分のおつりが返ってきてしまった。
  • 1ドル未満のコインの使い方が下手である。コインの種類を覚えた上で、少し練習しないと咄嗟に払えないように思う。これは聞き取りの問題も含まれる(さらりと言われる2桁の数字を正しく捉えないといけない)
  • 大抵、レストランでは食事中にEverything is OK?的なことをスタッフから聞かれる。このとき、つられてOKとかGoodとか言うのだが、アメリカ人を観察していると、Perfetct!とか、割と大きなリアクションでほめていた。なるほど、うまいと思っているときには、あれくらいのリアクションをしてもいいかもしれない。(今日行ったBear's Burgerという店は確かにうまかった。)

小さなこと、些細なことでも、勉強だ。
まずはアメリカ生活ってこんなかんじ、というのを自分の中で咀嚼できるよう、ひとつひとつ意識して理解していこうと思う。

2014年9月23日火曜日

184. Rockstar

A Great Big WorldのRockstarがとてもいい。
写真新世紀の会場でかかっていた曲で、あまりにいいので歌詞を聞き取り、検索して探し当てた。今日、それを聞きながら引越作業をしている。この時間サイクルの短さが、現代らしくて心地いい。

さて、明日には荷物を搬出し、金曜日9月26日には、いよいよ出国だ。

先日、米国支社で上司になるVice Presidentと1 on 1でミーティングをした。
相手のExpectationを確認するために自ら申し込んだものだ。

いろいろと聞いたけれど、何より心に残っているのは、
「Excitingしているか?」
という一言だ。

楽しめよ、ってことだろう。
そうだよなぁ。そういうものだってことだろう。

いろいろと不安はあったり、焦りはあったりするけれど、もうここまで来たら、やるしかない。

興奮と勢いで、あらゆるボタンを押してこよう。
前向きに、真剣に、そして楽しむ。
気分は、Learnerだ。何もかも、先生にしてしまおう。

突き抜けた先に、どんな世界があるのかは分からない。
けれど、踏み出そう。アクセル全開で。

(ただ、事故には気をつけないとなぁ。New Jersey州は事故が多くて有名だ。)

2014年9月13日土曜日

183. Farewell party

大使館面接も無事終わり、後はビザの発給を待つだけだ。
引越の準備はまだまだだが(自作の壁を壊さなければ)、不要品の回収は大体めどがつきつつある。
あとは、郵送の転送設定に、引越の荷造り、そして友人・知人へのお別れの挨拶である。

ここ最近、会社の同僚や同期、写真サークルの友人達とお別れ会を開いてきた。
今日は写真サークル仲間とのお別れ会だった。
このサークルの参加者も、徐々に代替わりしてきて、もう僕の年代はピークアウトしてしまっている。サークル本体に出ても、もう僕にとっての「いつものメンバー」は、あまりいない。

その点、今日の会は、「いつものメンバー」でほっとした。
天気もよくて、清々しい。
出国前に会えてよかったなと思う。

ふと、「人狼ゲーム」をやっていたことを思い出す。
まだ子供が生まれる前で、時間にゆとりがあったとき、
4年くらい前だろうか。最低でも8人程いないと成立しないゲームである。
みんな、時間があったのだ。
そういう人生の余暇の時期だったのだと思う。

やがて、結婚し、子供が生まれ、転勤があり、と大きな転機を迎え、場所を変え、時間の過ごし方も変わっていく。

人狼ゲームは疑心暗鬼になる心理を楽しむ、という緊迫感のあるカードゲームだが、今となっては、「懐かしい」と思う。

懐かしさは、「安心感」を伴う。なるほど、僕も随分と人間らしくなってきたものだ。

2014年9月8日月曜日

182. やってみよう。一生懸命。

10月1日より、米国に赴任することが決まった。
これから約20日後の9月26日には引越で、米国に向かうことになる。

世界的に見て、臨床開発が最も盛んで、進んでいるのは米国だと思う。
これは、9年前、今の会社に入社する前から知っていたことで、「いつかは米国で挑戦したい」と思っていた。
その小さな夢が叶いつつある。


いよいよ仕事人生、第二幕。
勝つか、負けるか。
五分五分といったところ。
不安と緊張で、息が詰まる。

実際に行くことが決まり、具体的にその日が近づくと、
こんな疑問がふと頭をよぎる。


「通用するだろうか?」


海外で活躍するスポーツ選手も、渡航前にはこんなことを思ったかもしれない。
なんて、そんなスター達に比べるにはあまりにも些末なサラリーマンだが、それでも、どうしたって重ねてしまう。別にいいだろう、脳内の話である。

非ネイティブで、留学経験なし。
帰国子女というわけでもない、純国産製の32歳。

英語は、この履歴から考えると、そこそこだと思う。
TOEICで900点は超えている。
しかし、実際のところ、どうだろうか。

冷静に「引き」で見てみると、恐らく、「スタートラインに立てているかどうか」という程度に過ぎないように思う。
英語に不安がない、と言えば嘘になる。
900点という点数はその程度だ。
きっと、例えば米国でMBAを取得した人などからするとよくわかるだろう。
TOEIC 900点は、その程度なのである。

仕事は、あちらでも、臨床開発を担当する。
新薬の開発である。

今と同じ種類の仕事だが、文化的な要因が強い職種でもあり、勝手が違うのは明らかだ。
また、非常に言語に頼った仕事である。
すごくざっくり言うと、20%がサイエンスで80%が言語で出来ている、と言っても過言ではないくらい、言語に頼った職種である。

アメリカ人同士の手加減の一切ない会話の中で、自分はついていけるだろうか?
なにがしかの貢献(つまり、米国人のチームに喜ばれる、よい働き)はできるだろうか?
組織の信頼を得ることはできるだろうか?

電話会議で、「日本人向けに手加減した英語」の中であれば、特段の不都合はない。
しかし、彼らの世界の中で、彼らと同じ土俵に立ったとき、自分はどこまで「通用するのだろうか?」というのは、本音のところではわからない。

恐らく、五分五分だ。

アメリカ人の中で、アメリカ人と比較される競争社会。
恐らく、始めは負けばかりだろう。
それで挫折してしまう人もいる。

うーん。
超微妙。
自分はどうだろうか?
お前はどうなんだ?

一朝一夕で突然成長することなんてない。
だからこそ、ある程度覚悟しておかなければならないのだろう。

答えは簡単だ。
自分の気持ちを、
心構えを整える。
そして、ベストを尽くす。
それだけだ。

なんだかスポーツ選手みたいなことを言っているな、と思う。
だが、しかし、結局根本のところは、スポーツと同じなのだ、とも思う。
(だからこそ、スポーツがこんなにも人の心をつかむのだろう。そういえば、2014年9月6日、錦織圭が、日本人というか、アジア人初のUSオーブン決勝進出を果たした(!)実はベスト16に進む試合は、アメリカで観ていた。と言っても、テレビだけれど。それでもリアルタイムだった。世界4大大会におけるベスト16進出は日本人としては96年ぶり、ベスト8進出は92年ぶりらしい。そして、決勝進出は、アジア勢初。なんという素晴らしさ。彼の「粘りのテニス」は、心を打つものがある。決してサーブが速いわけではない。「Marathon man」と言われるように、彼は長期戦に強い。なるほど、そういった点でも見習いたいなと思う。また、ボクシング、フライ級の八重樫の試合。こちらは負けてしまったが、それでも心を打つものがあった。彼は王者で、挑戦者を迎え打つ立場だったが、相手は、3階級制覇を狙う天才ローマン ゴンザレス。素人目に見ても、明らかに次元の異なる相手に、八重樫は、戦いに戦い抜いた。テクニックで勝てないと判断すると、打ち合いを選び、本当にふらふらになるまで戦い抜いた。その姿勢は、闘志そのもので、がんばれ、がんばれ!と応援せずにはいられなかった。八重樫は負けた。しかし、観客は惜しみない拍手を送った。僕は、別にボクシングのことは詳しくないけれど、これが特別な試合であることは理解できた。そして、八重樫という選手を覚えることになる。一つ下の彼に、心から敬意を表したい。)

気持ちがあって、
心があって、
努力をする。

このシンプルな連鎖を、丁寧に、本気でやる。
これは、スポーツでも、仕事でも、人生でも、全部に言えることなんじゃないか?
そんな風に思っている。


最近、自分の中で、「グローバルに通用するもの」は何だろうか?と考えている。

例えば、アメリカには日本人の美容師が少ない。
その現状を知り、「もし日本人の美容師がいれば、間違いなく通うのだが」と思ったとき、なるほど「美容師の技術は、国を超えるグローバルなものなのだな」と思った。
もちろん、顧客はアジア人が多くなるのかもしれない(その意味でどこまでグローバルかという議論はあるにせよ)が、少なくとも「髪を切る」その動作は、どんな国であっても再現可能であり、その点でグローバルなのだ。

また、経済から見ても、少なくとも、日本人コミュニティーがある地域においては、日本人美容師は確実に生き延びることができる。

例え言葉に問題があっても(英語が片言であったとしても)、日本人コミュニティー、韓国人コミュニティーなどに知られれば、安定的な顧客を見込むことができるからだ。
(なんせ、アメリカの美容師には、直毛をカットする技術がない。変な角刈りになる。そのことを分かっている日本人駐在員は、日本人に切ってもらいたいし、その人数は一つのマーケットを形成する。日本人美容師のみなさん、Come on!)

さて、上記のようなことを考えたとき、美容師の仕事の大半は、「非言語の技術」で構成されていることに気づく。
この点でスポーツや音楽に近いと言えるだろう。
そして、スポーツや音楽に国境がないように、美容師の技術にも国境はないのだ。
従って、彼らの職能は、グローバルに通用する、ということになる。


さて、翻って、自分はどうだろうか?
英語は、通用すると胸を張って言えるほど大したレベルではない。
(入り口に手をかける資格くらいはあると思うが)

臨床試験の知識も、国が変われば、規制も変わり、ビジネス習慣も異なる。
(もちろんベースの部分では、共通であるが)

そうなってくると、後は、「一生懸命さ」「勤勉さ」「仮説思考」という、本当に根本の部分しか残っていないことに気づく。

これは大変なことである(!)
まるで、一回生まれ変わるような、そんな変化と言ってもいいかもしれない。

しかし、だ。
言わせてもらおう。
これこそ、自分が望んでいたことなのだ。

繰り返す毎日、
刺激の少ない日々、
退屈な時間。
そんな時間を吹き飛ばすような刺激を!

安寧の日々から、
激動の毎日へ。
やってやろうじゃないか。

まずは、できることを一生懸命しよう。
初めはバカにされるかもしれない。
恥ずかしいことなんてたくさんあるんだろう。

・・・ちくしょう。
今に見てろよ。

僕は、いつだって、負け犬からのスタートだ。
そう思ってきた。
静岡の片田舎で、ちくしょう、とつぶやいていた頃から、
僕は変わっていないことに気づいた。
そうだ、そうだ、そうだった。
これこそが、自分のスタイルだ。
負け犬であり、挑戦者だ。

負け戦、最後には絶対勝つ。
これが、僕本来の信条である。


のんだ