2014年11月10日月曜日

188. 位置を変えるということ




位置が変われば、視点が変わる。

それは物理的な意味でもそうだし、
人文科学的な意味でもそうだ。

ましてや言語、文化、政治、経済が異なる世界に身を置けば、
それは、そうなる方が自然だろう。

書きたいことが沢山生まれつつある。
(それは、主に、アメリカについてである)

理解したいことが沢山できた。
(これもまた、アメリカについてである。特に歴史と政治と人間について。)

また、新たに考える視点と支点が、次々とちらついている。
(アメリカを地域に分けてきちんと考えたい。モノクロニックとポリクロニックの対比も含めて、日本とアメリカを比較して理解したい。)

日本にいるときには、どうしても徹底できなかったことが、こちらでは自然とできる(というより、強制的にせざるを得なくて)ということもあった。
(車の運転が代表的で、次に酒量の減少と、体重の減少がある。また、当然ながら英語漬けの毎日で、夢を英語で見るようになってきた。)

組織への貢献と、自己研鑽は両立可能だ。
(これは、英語の運用能力という点で。また、自分自身の判断力、洞察力といった言語に属さないレベルの力もそうだ。)

また、異なる文化圏への適応は、一人旅でのノウハウがそのまま通用することも分かった。
(クレーム対応で何度電話をかけたり、店と交渉したりしたか分からない。粘り強さと、積極性は、旅でも海外での生活でも必須だと思う。)

日々がサバイバルで、気を抜けない。
まだ、仕事では確信が得られるような働きをしていない。
作戦を考えよう。ひとつひとつ実行しよう。
休むときには休もう。
旅に出よう。

今はまだEver Noteと頭の中にあるが、ぼちぼちここに出力していきたいなと思う。