11月20日に子供が生まれて、
僕たちの生活は、この子の時間をベースに動き始めた。
分かったことがいくつかある。
まず、僕たちは突然親になるのではない。
この子を抱いて、おむつを換えて、沐浴をして、ミルクをあげて、
せっせ、せっせと、行動を積み重ねていくうちに、
徐々に親の自覚が湧いてくるということだ。
そして、初めにこの子を見た時よりも、
今の方がもっと大事に感じている。
何かを愛おしいと思う気持ちは、
ある日突然湧いてくるのではなく、
重ねられる行動の内に芽吹いてくるのだ。
泣いている。
どうした?どうした?
と抱き上げて、
ゆっさゆっさと揺らしていると、
だんだん落ち着いてくる。
口を尖らせて、舌を出し、
ミルクが欲しいとねだってくる。
哺乳瓶を差し出すと、すごい勢いで飲みまくる。
ゲップして吐き出して、
それをガーゼで拭く。
そんなことを日に何度も繰り返している。
どうした?どうした?
と何度も語りかける。
その度に、僕は目を開かれるような、首の後ろから熱くなるような、不思議な充実感を感じる。
なるほど。
これが親の気持ちなのか。
もう一つ分かったことがある。
この子は、僕を父親にしてしまったと同時に、
僕の父をおじいちゃんに、
僕の母をおばあちゃんにしてしまった。
漏れなく、押し出し式に世代が一段上に上がってしまった。
父は70歳で、母は58歳。
「もうそんな世代だよ」と明るく言った。
そうか、もうそんな年なのか。
僕は、多分中学生くらいから、精神年齢は変わっていないと思うけど、
僕も30歳。
そんな年なのだ。
腕の中で、あやしながら、
顔をよく見る。
なんとなく、自分の幼い頃の写真に似ているような気がする。
目を細めたときは、父に似ているような気がする。
目をぱっと見開いたときは、嫁さんに似ているような気がする。
何か思案気にしている表情は祖父を思わせる。
遺伝。
この子は、僕たち家族の遺伝子が混ざり合い、
今この場に存在している。
ありありと、それが分かる。
体感する遺伝子。その権化に会ったように思う。
人と人とが出会うことは、そう珍しいことではない。
日常的に、僕たちは出会いを経験している。
しかし、僕や彼女が存在して、初めて存在する者と出会うことは、
めったにない。
もしかすると、僕たちが世界に対して行える、最も大きなことは、この出会いなのかもしれない。