一つ前の日記で
・毎日1kmでいいから、軽くランニングをする。
という目標を立ててみた。
実際は、朝目覚めるのを身体が拒否して実現しなかったけど(笑)
そのかわり、会社まで電車を使わずに行ってみることにした。
月曜日。
それから金曜日の今日まで、毎日徒歩で通勤している。
月曜日は桜が満開で、
目黒川沿いに歩いていると、春爛漫という気分に浸れた。
しかし、さすがに慢性的な運動不足の僕にとって、片道4kmのルートはしんどく、
だるさが身体に蓄積していった。
水曜日まで、筋肉痛が続き、ちょっとやめたくもなったけど、
不思議なことに、木曜からは全く苦にならなくなった。
「あ、ちょっと身体が変わったかも。」
と実感。
人間の適応力は、まだまだ捨てたもんじゃないなと思う。
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歩くことは、思考するのにとてもいいと言われている。
科学者や音楽家が好んで散歩をしたのも、
インド人が歩きながら数学を学んだのも、
「脳へのいい刺激」が「歩行」というゆるやかな動的状態で発生することを、如実に語っているのだと思う。
僕は、とりあえず音楽を聴きながら、
街を、ゆっくりと眺め、
ときどき湧いてくるアイデアや、今日の予定、これからのこと、に漠然と思いを巡らせていた。
たっぷり、40分間歩く。
たっぷり、40分間を感じる事ができた。
これだけ、純粋に音楽や思索に、(眠くならずに!)耽ることができるのは、やはり「歩くこと」の効果だろう。
さて、40分間歩き続けることに慣れた僕は、次の一手を考えた。
この40分間を、英語の勉強にも使えないか?と。
とりあえず、木曜日は「キクタンsuper」をCD一枚分、通して聴いてみた。
どうもしっくりこない。
というのは、歩いている間に集中力が街中の看板や信号に取られてしまい、
聴き逃す箇所が思いのほか多かったからだ。
そこで、金曜日の今日は、16単語だけに絞り、繰り返し繰り返し、耳にタコができるくらい聴いた。繰り返すのだから、多少聴き逃すことがあっても気にしない。
単語がきちんと聞こえてくるときは、
憶えようとしてみたり、
発音に注意してみたり、
綴りを想像してみたりと、
同じ音声に様々な角度から光をあてる。
そうすると、だんだんとその単語の音と慣れ親しんでくる。
気づくと、「知っている単語」になっている。
これはいい。
「スロー学習」とでも言おうか。
歩くこともそうだが、
スローではあるが、確実に、着実に、「慣れ」を養うことができる。
筋肉が「歩く」行為に慣れる。
耳が「単語の音」に慣れる。
「慣れ」こそが、トレーニングの本質だと思っている僕にとって、これだけ、苦にならないトレーニング法は貴重だ。
そして、ゆっくりと、しかし確実に、気力が充実してくるのを感じる。
歩く効果は、それだけではない。
まず、何より満員電車に乗らなくていい。
僕は山手線内に住んでいる割に、人混みが苦手だ。
電車に乗る時間はわずか5分程だけど、それでも、身体と身体を密着させて運ばれるのは、4年目の今でも好きにはなれない。
歩いていると、それがない。
驚く程、朝の東京は静かだし、人通りも道を選べばとても少ない。
街をひとり闊歩している。
その感じが好きだ。
五反田駅はホームが遠くからでもよく見える。
そこに並ぶ鬱々としたシルエットを眺めながら、みんな大変だな、と思う。
そこから抜け出した感覚が心地いい。
街も、もう3年間も通り慣れた街も、違った角度から見ることができる。
夜、煌煌と光りを放ちながら走る山手線を眺める。
「でっかい提灯が走っているみたいだなぁ。」
なんてのんきな空想をしてみる。
走り去って行く提灯を見ながら、僕はまた歩き出す。
僕はこの生活が、前よりも好きになっていることに気がつく。
歩くこと。
それは欠かすことのできない「人生の実感」を与えてくれる。
さて、明日は土曜日。
汗をかこう。
走るのだ。