2009年4月25日土曜日

021. 出発前夜


と言っても、日付が変わってしまった。
ということで、出発「当日」である。
今年はペルー&ボリビアの12日間の旅だ。
マチュピチュはもとより、ウユニの白い大地がとっても楽しみだ。
高山病や、強行スケジュール(現地9日間のうち3日間深夜バス移動)、強盗や偽警官、などなど、不安な事もあるが、とりあえず、気を引き締めつつ楽しんできたい。

さて、最近ふとした拍子に(例によって徒歩での通勤中に)大きなアイデアが浮かんできた。
それは、

「三年かけて、世界三周旅行」

というものである。

計画はこうだ。
55歳までに、がっつり稼ぐ。
早期退職で、退職金をがっつりゲット。
世界1周旅行券(大体50万〜70万)を購入。
1年かけて、世界を一周。
もう一年かけて、世界を一周。
さらにもう一年かけて、世界を一周。
3年間、旅をし続けるのである。
これだけ長くなると、旅は日常となり、僕はまるで現代の遊牧民のように浮遊した点となるだろう。

世界一周旅行、というのは僕の夢だ。
そして、実に多くの人がその夢を達成している。
ネットで見る限り、大体3年間くらい旅をしている人が最長のようである。
そういった人たちは、世界一周旅行券ではなく、現地での航空券の買い足しで旅をしているようである。
それもいいと思うが、僕はどうにか世界一周旅行券を使いたい。
別にたいした理由はなく、ただ、なんとなくお得な気がするからだ。
しかし、世界一周旅行券は、期限が1年間。
すると、三年間、世界一周旅行券で旅をし続けるには、地球を三周する必要がある。

「それなら、世界三周しちゃえば?」

と思いついたのである。
その、あまりに短絡的で突飛なアイデアに、思いついた瞬間、我ながら苦笑してしまった。
しかし、こうも思った。
さすがに世界を三周もすれば、行きたいところのほとんどは回れるのではないだろうか?
国という国に、足跡を残せるのではないか?
僕の1Lほどの小さな脳内(それこそ70億分の1の世界)に、世界という世界が、コンパクトに格納されるのではないか?

それは、ぞくぞくする想像だった。


この総費用は、ざっくり言って1200万円。
都心で小さく古いマンションを買うくらいの額だ。
確かに大変な額だけれど、
それをさっ引いても、恐らく老後に困るような状況ではないと思う。
(結婚していない、または子供がいない、大きな買い物をしていない、という前提で。この前提がもろくも崩れ去る可能性はあるが。)

55歳、という年齢はまだ身体が動くだろう、という見込みで考えている。
55歳〜58歳までの三年間で、人生の集大成のような旅をしたい。
僕は今、27歳。
これから30年近く先の話ではある。
しかし、そんな人生の終わりの方に、ある種のボーナスがあってもいいのではないか?と思うようになった。

僕の人生に、あえて目的を付けるなら、それは「世界を存分に堪能すること」だ。
今はまだ、GWくらいしかまとまった旅行時間は取れない。
世界一周をやろうと思えば、実はすぐにでも実行できるだろう。
会社を辞めて、有り金を全て動員すればいい。
しかし、今の仕事にやりがいを感じているのも確かだ。
今は、やめられない。
今は、やめたくない。


僕にはもう一つ夢がある。
アメリカの支社に赴任する事。
それは今の仕事の延長線上にある。
そして、まだまだ希望はあると思っている。
その夢が叶えられるとしたら、恐らくそれは僕が35歳〜40歳くらいになってからだ。
社内の体制や、海外で求められるポジション、等々を考慮すると、どうしてもそれくらいかかってしまう。
それが、初めは嫌だった。
もっと早く出たかった。
出られるだけの能力はある、と闇雲に思っていた。
しかし、と今は思う。
僕はまだ、そのポジションに見合っただけの経験がない。
知識もない。
判断力もない。
専門性もない。
それを身につけるには、じっくりと時間をかけて、極めていく、追い込んでいく必要がある。そして、その過程のひとつひとつが、僕には今や有意義に感じるのだ。
何より、そのステップが楽しくてたまらない。
だから、僕は焦らない。

どうやら、僕の夢は二段ロケットの様相を示してきたようだ。

40歳までに海外へ赴任する。
55歳から地球三周の旅に出る。

これは、僕が僕だけの人生を歩む事を前提とした、極めてパーソナルな夢だ。
ある意味、孤独と引き換えに手に入れる幸せ、と言っても過言ではない。
その先に、どんな未来があるのかは、分からない。
でも、少なくとも、今27歳の僕は、この想像にとてつもなく大きな魅力を感じている。
恐らく、一個人の理想の実現という意味で、純粋かつ究極の形だと思う。

これから僕は南米に向かう。
スペイン語が必要だ。
今回の旅をなんとかできればいい、という発想だとスペイン語の勉強などする気になれない。しかし、いずれやってくる、「世界三周」のための下ごしらえだと思うと、俄然意味合いが変わってくるのだ。
恐らく今後、毎年1回の海外旅行は、その下ごしらえの一端として認識され、機能するはずである。
また、体力作りも欠かせない。
今の徒歩通勤もそうだが、身体を常日頃から充実させておく必要がある。
タバコも出来る限り少なくした方がいい。
酒も、やり過ぎはだめだ。
太りすぎない方がいい。
健康にいいことは、全ていいことだ。
なんせ僕は55歳から旅に出るのだから。

人生のあらゆるパーツが、組織化していく。
収斂していく。
そんな漠然としたイメージが、僕の意識をよりはっきりとさせている。

さて、南米へ向かおう。

2009年4月18日土曜日

020. パルスジェネレーターの所在


最近、すこぶる調子がいい。
割と、集中力も出ているし、やりたい(けど若干面倒な)ことも、ちょくちょく手を出せている。
この調子で、生活の「強度」を増していきたい。
ところで人間というものは、「やりたいし、やった方が長い目で見ると絶対いいことなんだけど、でも、今日は疲れたから・・・今はやる気が出ないから・・・また明日ね!」
ってなかんじで、少し面倒なことや頭を使うことは、後回しにしてしまいがちである。
そんなときに思うのが、「やる気が出たらやる。」というもの。
つまり、「やる気にならない限りやらないぞ。」である。
しかし、そもそもその「やる気」とはどこで生まれるのだろう?
それは脳の中だ。
じゃあ、どういった条件が整うと、「やる気」が脳で発生するのか?
僕たちは、「やる気」はあたかも「精神力」に属したものだと思いがちだ。
精神的な「よし!やるぞ!」といった「強い決意」から「やる気」はやってくると。
つまり、脳が頑張って「やる気」を生み出している、と考えてしまう。
あたかも、脳自身がパルスジェネレーター(信号発生装置)のように。
もう少し言えば、脳による「思考」がやる気の「起点」であるとの錯覚である。
しかし、最近の調子の良さを振り返ってみると、ちょうど逆なのである。

「やる気が出たから、やる。というより、ちょっと手をつけてみたら、やり出した。」
(強い決意より、ちょっと手出ししてみる、という「軽い行動」の方が大事)

「考えたからアイデアが生まれた。というより、なんとなくでも話し始めてみたら、アイデアが話の中で生まれて来た。」
(頭の中で一生懸命思考するより、話すという行為(それは脳内の漠然としたアイデアを他者に伝わる言語に変換するという作業そのもの。「説得性の増強」や「サマライズ」といった副次的な効果もある。)の方が、アイデアを出すのには大事。)

「今起きたら、寝不足で一日つらいんじゃないか?もう少し寝て、『よし、睡眠時間十分だ』と思えてから起きよう。というより、とりあえず寝不足でつらくなるかもしれないけど、起きてみて、いつも通りコーヒーとリンゴを食べ40分かけて通勤してみてから、『今日寝不足かどうか』を意識してみよう。と、起きてみたら案外平気だった。」
(「~と思える」ことより、「とりあえず動く」ことの方が大事。大体、上記のケースでは、「うん、これだけ寝たら大丈夫。」という明確なラインがあるわけではないので、検証不能な感覚を頼りにしている時点でいけてない。)

つまり、パルスジェネレーターの機能は、どうやら脳よりも、身体の方にあるらしい。
というのが、今朝起きてすぐに浮かんだ結論である。
しかし、実はこれ以下の記事を下敷きにした結論でもある。

以下引用--------
池谷先生が指南!やる気が出る「脳」のだまし方

脳は飽きっぽくできています。「三日坊主」に悩む人が多いのも当然です。解決策は「脳をだます」ことでしょう。一つのポイントは「淡蒼球(たんそうきゅう)」という脳部位です。淡蒼球は「やる気」や「気合」など日常生活で大切な基礎パワーを生み出すといわれています。自分の意思で淡蒼球を動かすことはできません。しかし、ご紹介する「四つのスイッチ」を使えば、淡蒼球を起動させることが可能です。

 一つ目のスイッチはBody(身体)。身体は脳の支配下にあると思われがちですが、本当は逆で、カラダが主導権を握っています。進化の過程を思い出してください。脳とカラダのどちらが先に発達したか。もちろんカラダです。カラダのない動物はいませんが、脳のない動物はいくらでもいます。脳は進化の歴史では新参者なのです。「楽しいから笑う」のではなく「笑うから楽しい」、「やる気が出たからやる」のではなく「やるからやる気が出る」のです。
 日曜日の朝、平日より遅く起きていませんか? 起床のリズムを崩すことはおすすめできません。趣味や勉強の時間もあらかじめ決めておくといいでしょう。場所の移動も効果的です。新幹線や飛行機では、なぜか集中できるという人も多いのではないでしょうか。最近の研究で身体を動かさずとも、動いているという感覚があれば、脳が活性化することがわかっています。

 二つ目はExperience(経験)。日常生活の体験は「海馬(かいば)」を通じて、貴重な記憶や知恵として脳に貯えられます。
「海馬は脳の最高幹部だ」といわれます。脳を企業にたとえると、もっとも重要な指令を下すのが社長である海馬。日常生活で初めて経験するような事態では、海馬が淡蒼球などを総動員して事態に対応します。しかしいつもと同じ経験では、わざわざ海馬が顔を出す必要はありません。部下だけで処理を代行できる。つまりよほど重要なことでない限り、海馬にまで情報は届かない。海馬のためにはいつもと違う要素を取り入れるのが効果的なのです。
 そのためには「形から入る」「身銭を切る」「人を喜ばせるためにやる」などがおすすめです。また脳研究では「準備の心(プリペアードマインド)」という概念が知られています。事前に「続かなくて当たり前」と気楽に構えておくと、長続きします。

 三つ目はReward(報酬)。ごほうびの喜びは「テグメンタ」という脳部位を活性化させ、快楽物質であるドパミンを出します。ドパミンは淡蒼球に直接働きかけるため、ごほうびとやる気とは強い相関があります。
 お金や食べ物も報酬になりますが、何よりのごほうびは達成感でしょう。目標は小さくしつつ、腹八分目でやめるというのがおすすめです。

 四つ目はIdeomotor(イデオモータ)。「念ずれば通ず」はウソではありません。たとえば「コックリさん」という遊びはイデオモータの一種だとされています。強く念じることで、無意識のうちにカラダが動く。成功のイメージを具体的に描き、その自分に「なりきる」ことでやる気が引き出されます。

 脳の情報処理というのはパラレルに行われます。その意味で、「趣味は仕事のリトマス試験紙」だといえるかもしれません。仕事がうまくいかないときは、趣味には集中できませんよね。一流の人は、四つのスイッチを無意識のうちに使い、趣味を通じて、仕事にも弾みをつけているのでしょう。

-----------
よく経験と合致する部分もあるし、そうでないもの(恐らく僕のパーソナリティーではうまく機能しないもの)もある。
しかし、特に一つ目のBodyという項目は秀逸だと思う。
もう少し考えてみると、脳というのは、外部刺激を正しく認識するために発生したと言える。植物のようにその場に居ながらにしてエネルギーを産生できない動物は「捕食」が必要である。この意味するところは、食べ、食べられる、という危険な世界に身を置いているということだ。そんな危ない世界では、今自分がどんな状態に置かれているのか?を知る事は大変重要となる。つまり、外部の世界をより正しく認識したものが勝ち、生き残る。そういった淘汰の過程で、より正しく、より正しく、と突き詰めて行ったときに生まれたのが「脳」という装置だ。
しかし、この過程から明らかなように、脳は「外部からの刺激に反応する」という「受け身の性質」を持っていると言える。(池谷氏の「 進化の過程を思い出してください。」以下の下りはこのことを言わんとしているものと思われる)
つまり、パルスジェネレーターは、脳ではなく、脳の外(=行動によって出会う外部刺激)にこそ在る。
こう考えると、不思議と気が楽になる。
というのは、「やる気がでない」のは精神力が弱いから(自分がだめ人間だから)というより、「単に動いてないだけ」なのだから。問題は明白であるし、解決策も簡単だ。
「とりあえず、やってみよう。」
である。
これは、やる気の「行動原理主義」というようなものだろう。行動があって、やる気が生まれるのである。

そして、もう一つ大事なのは、

「動きながら、考える」

ということだろう。
行動をする。それから考える。
というより、
行動しつつ、考えつつ、行動しつつ、考えつつ、を繰り返す。
方が、シームレスに全てがかみ合い、成果を上げるように思う。

また、初めの一歩となる行動は、大それたものでなくていい。
緻密に計画されたものでもなくていい。
ちょっとした軽はずみで行う、程度で十分だ。
きっかけさえ掴めれば、どんな矮小な行動でも、十分意味があるのだ。
より大きな意味や結果は、後から始まる本格的な行動で得られればよいのである。
そして、本格的な行動を起こせば何かしら成果が生まれることを、27歳の僕は知っている。安心して邁進すればよい。

こうしたことを考えるようになったのは、ひとえにマイブームの「歩くこと」によるものと思う。
「歩くこと」は気軽にできる。
その上、「歩きながら考える」ことも容易だ。
やる気の行動原理主義にとって、最良の友と言える。
というわけで、今日も動こう。
来週の今日は、ペルーに居る。
今日はその準備をしようと思っている。
とりあえず、荷造りから始めよう。

2009年4月13日月曜日

019. Thanks a lot for 1000 accesses!!


このサイトを訪れてくれたみなさんへ

ありがとうございます!
本日、めでたく1000アクセスを記録しました☆
あまり検索でひっかからないサイトのため、本当に嬉しい限りです。
どうやら、このサイト(特にエッセイ)は僕の生活の一部として、順調に機能し出したようです。
今後も続けて行きますので、どうぞよろしく!

ーーーーー
(というわけで以下から今日のエッセイです)

今日は久しぶりに英語を話した。
というのも、オーストリアの友人マルティンから、友人の紹介を受けたから。
Learningのコーナーで以前書いたように、僕はたまに東京にあるゲストハウスに泊まっては、そこにいる外国人の旅人達と会話を楽しんでいる。
英語の武者修行にもなるし、外国人の友人もできるし、ガイドをすれば東京をより深く知る事にもなる。我ながらナイスアイデア!と思っている。
(本当におすすめ。下手に大金払って英会話教室に行くより、リアルに英語を話せる。何より、本当に「友達」になれるのが素晴らしい。「素晴らしい」という言葉がこの上なく合うと思う。)
マルティンはその中でも、温泉まで一緒に付き合った仲。
そんな彼が「今、東京に友人が来ているから暇だったら会ってみてよ。」と。
昨日の朝にそんなメールが来て、今日、さっそく会ってきた(フットワークの軽さが独り身の強み!!(笑))。
彼の名はトーマス。
ロックミュージシャンのような風貌だけど、御年50歳。
東京タワーに連れて行ったのだが、東京タワーの建造年が1958年。実は彼と同い年。
マルティンは25歳なので、オーストリア人としては25歳と50歳の友人ができたことになる。年齢は違えど、彼らはとても律儀で、親しみやすい。オーストリア人の気質なのかな?と思う。
今回は、15時〜24時まで東京をガイドしたのだけれど、今回のルートがひとつのスタンダードになりそう。

1)増上寺
徳川一族の菩提寺(先祖代々を弔う寺)。風水的に鬼門の方角にあり、江戸を守る役目も持つ(上野の寛永寺もそう)。気軽に本堂の中を拝見できるので、ゆっくり仏教について話せる。ここで日本の神仏観を共有。せっかく日本人が説明するのだからね。

2)東京タワー
あなどれません。東京を一望できるので、既に彼らが行ったことのある場所がどの方角にあるか?新宿の高層ビル群がどこか?などなどお話できる。
お土産コーナーも異常に充実しているので、ちょっとした買い物もできる。

3)そば屋かうどん屋
東京タワーのある大門には、安くてくつろげるそば屋やうどん屋がある。実はバックパッカーの多くはコンビニ弁当で食事を済ませていることが多く(外食が高いので)、安いことは重要かなと。僕も海外ではそうだし。

4)六本木ヒルズ
夜景がすごい。あと、森美術館があるので、日本人アーティストのグッズが豊富。日本人の僕でも欲しいくらい。トーマスもTシャツとアートブックを買っていた(山口晃さんのやつ。僕も欲しい)。

5)権八
外国人に異常な人気を博する日本料理店。昔の蔵を大胆に使った店構えが素敵。(入り口が低いので入る時、頭上に注意。)
いつか小泉首相がブッシュ大統領を招いたこともあったっけ。
今日行ってみてわかったのは、客のほとんどが外国人であること。ここまでだっけ?
広いフロアで、下手したらネイティブの日本人は僕一人だったような気がします^^;
ツーリスティックかもしれないけど、それだけ「来た感」があるのは間違いないと思う。
日本酒と焼酎を軽く飲みました。

とまぁ、こんなかんじかな。
ガイドはこれで二回目だけど、もう何も緊張しなくなった。
ちょいと観光英検とかにも手を出してみようかな。

趣味:東京ガイド

みたいなのも、いいかもしれない。

今日一番テンションが上がったのは、
「無限の住人」
をトーマスが知っていたこと。
日本人でも漫画好きにしか受けない作品なのに、オーストリアでも読まれているとは!
キャラクターの名前が通じたのには、さすがにびびった(笑)
ちなみに、オーストリアでもマイナーではあるらしいです(笑)
「オーストリア、ドイツ、スイスに来る事があったら連絡よろしく!」
とのことなので、ぼちぼちヨーロッパ旅行も考えなきゃなぁ。

また一つ楽しみが増えたよ。
ありがとう>トーマス

2009年4月10日金曜日

018. 歩くこと。


一つ前の日記で
・毎日1kmでいいから、軽くランニングをする。
という目標を立ててみた。
実際は、朝目覚めるのを身体が拒否して実現しなかったけど(笑)
そのかわり、会社まで電車を使わずに行ってみることにした。
月曜日。
それから金曜日の今日まで、毎日徒歩で通勤している。
月曜日は桜が満開で、
目黒川沿いに歩いていると、春爛漫という気分に浸れた。
しかし、さすがに慢性的な運動不足の僕にとって、片道4kmのルートはしんどく、
だるさが身体に蓄積していった。
水曜日まで、筋肉痛が続き、ちょっとやめたくもなったけど、
不思議なことに、木曜からは全く苦にならなくなった。

「あ、ちょっと身体が変わったかも。」

と実感。
人間の適応力は、まだまだ捨てたもんじゃないなと思う。
ーーーー
歩くことは、思考するのにとてもいいと言われている。
科学者や音楽家が好んで散歩をしたのも、
インド人が歩きながら数学を学んだのも、
「脳へのいい刺激」が「歩行」というゆるやかな動的状態で発生することを、如実に語っているのだと思う。
僕は、とりあえず音楽を聴きながら、
街を、ゆっくりと眺め、
ときどき湧いてくるアイデアや、今日の予定、これからのこと、に漠然と思いを巡らせていた。
たっぷり、40分間歩く。
たっぷり、40分間を感じる事ができた。
これだけ、純粋に音楽や思索に、(眠くならずに!)耽ることができるのは、やはり「歩くこと」の効果だろう。

さて、40分間歩き続けることに慣れた僕は、次の一手を考えた。
この40分間を、英語の勉強にも使えないか?と。
とりあえず、木曜日は「キクタンsuper」をCD一枚分、通して聴いてみた。
どうもしっくりこない。
というのは、歩いている間に集中力が街中の看板や信号に取られてしまい、
聴き逃す箇所が思いのほか多かったからだ。

そこで、金曜日の今日は、16単語だけに絞り、繰り返し繰り返し、耳にタコができるくらい聴いた。繰り返すのだから、多少聴き逃すことがあっても気にしない。
単語がきちんと聞こえてくるときは、
憶えようとしてみたり、
発音に注意してみたり、
綴りを想像してみたりと、
同じ音声に様々な角度から光をあてる。
そうすると、だんだんとその単語の音と慣れ親しんでくる。
気づくと、「知っている単語」になっている。

これはいい。
「スロー学習」とでも言おうか。
歩くこともそうだが、
スローではあるが、確実に、着実に、「慣れ」を養うことができる。
筋肉が「歩く」行為に慣れる。
耳が「単語の音」に慣れる。
「慣れ」こそが、トレーニングの本質だと思っている僕にとって、これだけ、苦にならないトレーニング法は貴重だ。

そして、ゆっくりと、しかし確実に、気力が充実してくるのを感じる。

歩く効果は、それだけではない。
まず、何より満員電車に乗らなくていい。
僕は山手線内に住んでいる割に、人混みが苦手だ。
電車に乗る時間はわずか5分程だけど、それでも、身体と身体を密着させて運ばれるのは、4年目の今でも好きにはなれない。
歩いていると、それがない。
驚く程、朝の東京は静かだし、人通りも道を選べばとても少ない。
街をひとり闊歩している。
その感じが好きだ。
五反田駅はホームが遠くからでもよく見える。
そこに並ぶ鬱々としたシルエットを眺めながら、みんな大変だな、と思う。
そこから抜け出した感覚が心地いい。
街も、もう3年間も通り慣れた街も、違った角度から見ることができる。
夜、煌煌と光りを放ちながら走る山手線を眺める。
「でっかい提灯が走っているみたいだなぁ。」
なんてのんきな空想をしてみる。
走り去って行く提灯を見ながら、僕はまた歩き出す。

僕はこの生活が、前よりも好きになっていることに気がつく。

歩くこと。

それは欠かすことのできない「人生の実感」を与えてくれる。

さて、明日は土曜日。
汗をかこう。
走るのだ。

2009年4月5日日曜日

017. 生活と旅の関係


花見も終わって、名実共に春が来た、というかんじだ。
これから、ゴールデンウィークに向けて、旅の準備をゆっくりとしていく。
去年は南アフリカ共和国、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナ。
一昨年はカンボジアとベトナム。
3年前は香港か。なつかしい。
この時期は、僕にとって旅の時期である。
旅には金も労力も時間もかかる。最近の若い人たちはあまり旅を好まず、部屋でゆっくり過ごすのが一般的らしい。それもいい。だけど、僕にとっては旅はこの人生になくてはならないもの、と思っている。一定のリズムで流れる日常に、変化をもたらすパーカッションのような存在だからだ。

さて、今年は、ペルーとボリビアである。
いずれも高山の国で、旅行期間中は常に富士山山頂とほぼ同じ高度で過ごす事になる。
怖いのは、治安もそうだが、今回に限って言えば「高山病」だろう。
高山病を予防するのは難しい。というか、ある程度、なることを前提とすべきだろう。
ただ、少し体力と心肺機能を鍛えておいてもいいかもしれないと思う。
高山病は、酸素の薄い状況で、通常活動に必要な酸素が十分に摂れないまま動くことによって起こる(もちろん気圧の問題もあり、三半規管にも影響を及ぼす)。酸素の問題で言えば、もともと酸素の取り込み能力が低い人程、すぐに高山病になるものと考えられる(予想)。
今の僕はその点、非常に厳しい。
というのも、喫煙はしているし、長距離走が最も苦しくて苦手だ。筋力の問題というより、心肺能力の問題だと思う。

ここらで、ちょっと生活を見直してみよう。

そんなことを思っている。
・タバコをやめる。
・毎日1kmでいいから、軽くランニングをする。
・ランニング後に深呼吸を意識的にして、「肺をよく使う」

実際に先ほどやってみた。
家の近くの信号の無い住宅街を音楽を聴きながら、まずは歩いてみた。
車や人通りが少ない事を確認して、次にもう一周。今度は走ってみた。
決して早くなく、決して急がず、ゆっくりと。
大体、1kmだと思う。
それでも、運動を全くしていない身体にとっては十分だった。
最後は肩で息をしながら、家に戻り、シャワーを浴びた。
深呼吸をする。
肺を風船のように目一杯膨らます。
それだけで、「ああ、身体を使っているな」と思えた。
「これ、続けたら、きっと身体は変わって行くな」と思えた。
所要時間は、ウォーキング15分、ランニング15分、シャワーを浴びて着替えをして、全体で約1時間程。
これなら、、恐らく、朝にできる。

6時50分に起きる。
7時から走り始める。
8時にシャワーまで終了。
8時半までに準備をして、家を出る。
9時出社。
それでもいつもより15分は早いだろう。

今まで、会社の近くに住んでいるメリットを生かしきれていなかったと思う。
朝や夜の時間を有効に活用できていなかったと思う。
しかし、きっかけも掴めず、だらだらとここまでやって来てしまった。そんな反省が心の片隅に巣食っている。

これはいいチャンスかもしれない。
本当にこんな習慣は作れないかもしれないけど、
ボリビアへの準備と考えれば、ちょっとやる気が湧いてくる。
それに、間違いなく健康にいい。

さて、せっかく上記のような「前向きな発想」を脳がし始めたので、「健康にいい」「いい習慣」「今より良くなるための習慣」「成長へとつながる習慣」そういったものを実現可能性の議論はひとまず置いておいて、ここに列挙してみよう。

・夕食は、食べ過ぎない。
(腹6分目くらいがいいらしい。ベーグル二個分くらいか。寝る2時間前からは絶食がベスト。というのも、眠りの深さに関係してくるので。寝る直前に食べると、臓器は稼働状態のまま寝ることになるので、疲れがあまりとれないらしい。また、翌日の目覚めにも影響してくる。)

・脂っこいものは、避ける。
(正直、I love 脂!な嗜好なのだが、明らかに最近太ってきた。ダブルクォーターパウンダーを2つに、コーラ、たばこという組み合わせは、さすがにやめよう。糖尿病、高脂血症、動脈硬化、それに続く脳塞栓、肺塞栓、循環器系の疾病へとつながっていくだろう。)

・たまには、魚一匹を食べる。
(今日、フクラ屋で鯵の一夜干し膳を食べたのだが、これがなかなか良かった。味はまぁそこそこなのだが、しっかりと食べるのに異常に時間がかかったのだ。ただ、食事をするためだけに恐らく30分くらいかかっただろう。強制的にスローフードである。これは忙しい日には致命的だが、休日くらいはスローフードでもよかろう。白米もいつもの松屋より美味しく、また、魚一匹を食べると部位によって味が全く異なるのもよくわかる。普段、丼ものやラーメン、カレーなど味のバリエーションが狭い食生活を送っていただけに、「魚一匹」の効果は大きいように思える。)

・英語詞の歌を練習しよう。
(英語ともっと気楽に付き合いたい、のである。そこで自分が興味を持てそうなトピックスを探していた。その一つが、英語詞である。英語の歌は難しい。ただでさえ、歌が下手なのに、さらに英語になれば当然である。しかし、英語の歌は漠然と「かっこいい」のである。それだけで、やる理由になる。)

・ビジネス書を読もう。
(これは、会社で尊敬する先輩からの助言。実はこれまでほとんど読んでこなかった(笑))

・会議では発言しよう。質問しよう。目立つ、とか、時間の無駄、とかではなく、「どれだけ短い時間に、どれだけ論旨をまとめて相手に伝えられるか?」のトレーニングになるので。
(これも、前出の先輩の助言。確かに。)

・前向きに考えよう。建設的なアイデアを考えよう。
(なんとなく、これまでも論理的に解を求めようっていうのはあったけど、その結果出てくるアイデアが「ネガティブなもの」であろうが、「ポジティブなもの」であろうが、どっちだっていい!論理的展開であれば結論のベクトルは気にしないぜ。みたいな、方向性のコントロールを完全に無視していた節がある。でも、そうじゃない。と今は思う。「前向き」な人生(時間の流れ)なのだから、「前向き」な方向性を目指した方が気持ちいいもんだ。)

・職人になろう。何かの職人に。
(臨床開発に携わって、もう4年目になる。これまで状況に対応するので精一杯で、その場その場の最適解を見つけ出そうとして奮闘してきた。ここいらで、ちょっと、「プロ意識」を意識してみようと思う。ずぶの初心者ではないのだから。プロ意識の極地は、「職人」だと思う。臨床開発のプロジェクトに対して、「職人気質」を持って向かい合いたい。このプロジェクトを成功させる、そのために必要な手を打つ。その一手一手に、真剣に。)

・英語のDVDを使って、瞬間理解度を上げよう。
(日本語音声で、英語字幕英語の読解の最大瞬間速度を上げる練習になる。と気づいてしまったのだから、やってみよう。)

・人付き合いを大事にしよう。
(あったり前。だけど、やっぱり単調な毎日に生きていると、当たり前のことが風化してしまうよね。大事です。はい。)

・名言を胸に刻もう。
(最近、格言、小説、ミュージシャンのインタビュー等に、目を見張るような、素晴らしい言葉があることに気づいた。たった一行の文章が、人生の全てを言い表しているような。たった一行の文章が、今僕が抱く不安や恐れを、スっとかき消してくれる。たった一行の発言が、人生の目標につながってしまう。そんな言葉がある。言葉はイメージを脳に出現させる。イメージは僕の行動や発言に影響し、やがて人生の一部へと組み込まれて行く。そんな、ゆるやかな、でも確かなイメージがある。言葉をなめてはいけない。言葉を大事にして、言葉に助けられ、言葉でいつか誰かを救えるように。)

・土日のうち、一日は誰かと遊ぶ。一日は1人で考えよう。
(これまで色々やってきたけど、バランスが大事だと思う。遊びっぱなしだと、考えるべき事、考えたい事、を考えるべきタイミングで考えられないし。かといって、誰とも会わずに過ごす週末は、味気ないだけだ。何気ない会話の中に、宝物が埋まっていることもある。その宝物のおかげで、また、前向きになれることもある。)

・「俺コックピット」を、さらに読書仕様に変えよう。
(「俺コックピット」というのは、細見武士(元エルレガーデンのVo.)が自宅のスタジオを指して使っている言葉。僕の場合は、このサイトを更新するためのMacとその周りのコの字型の本棚を指す。簡易的な書斎。今でも十分居心地はいいのだけれど、椅子の背もたれが低くて、読書するときに首が疲れる。もっとズドンと長時間読書に没頭できるような椅子に変えようと思う)

・エネルギーを、若干写真や音楽、等の創作活動から、仕事関係に絞って行く。
(写真は、楽しい。でも、そろそろ僕のやり方では限界が見えて来た。ちょっとしばらく距離を置こうと思う。カメラとのいい「距離」があるはずだと思う。)

・意志を持った生活スタイルへ。
(これは全てに共通しているけど、惰性で生きちゃだめ。だ。)

・笑顔を生活に。
(よく分からないけど、笑顔の人が好きだ。あんまりいつも真剣な顔ばかりだと、見ていて、なんか不安になる。それはきっと他の人も同じだろう。だったら、笑顔で。真剣なのは頭の中だけでいい。)

こんなとこかな。
僕の人生設計は続いていく。