本ブログを閉じるに当たって、個人的な記録として書籍化しておこうと思った。
編集作業を今(米国東海岸時間: 2020年12月22日)やりながら、過去の記事を見直している。
記事は、2008年11月1日から始まっていた。二十六歳の頃。
現在三十八歳、二児の父である。
−−−
正直に言うと、過去の記録を見ることは、若干の気恥ずかしさを伴う。当時は得意気に自分の考えを披露していたのかも知れない。しかし、現在の自分からすると、そこに「若さ」もしくは、「若さゆえの浅はかさ」を感じてしまうのだ。
写真も同じで、過去に撮った写真には、若干の気恥ずかしさが伴う。当時の空気、勢い、そういったものから切り離された、「現在の自分」が、客観的に「そう見てしまう」のである。これは反射的に感じてしまう類いのもので、そのような反応が自分の中に生じることに戸惑った。しかし、直観的に「そういうものか」で済ませていたように思う。当時は若かったのだ。浅はかだったのだ。ああ、恥ずかしい、と。
それで済ませることもできる。
しかし、本当にそれだけなのだろうか?
ここでは、もう一歩踏み込んで考えてみよう。
「現在の自分」は、常に過去の自分よりも、年長者であり、「間違いや浅はかさを過去の自分よりも知った状態」にある。したがって、常に過去の自分と比して、「より冷静、より客観的」になっている。その点で、「現在の自分」は常にずるく、シニカルである、とは言えないか(結果論のずるさに通じるものがある)。
したがって、現在の自分が「鑑賞者」になった時点で、この原理は作動し、決着はついているのであろう。過去の記録は、気恥ずかしいものにならざるを得ない。そういった認識上のバイアスがかかっている。
(この原理は、もちろん、この「あとがき」にも当てはまるだろう。数年後、「あの頃は若かった。原理的、という言葉を使い過ぎている」などと思っている自分が思い浮かぶ。)
しかし、だからと言って、過去の記録を「気恥ずかしいもの」として必要以上に貶める必要はないのではないか。
それが、編集作業をしながら、2020年12月22日にようやく思い至ったことだ。過去の記録がたとえ反射的に気恥ずかしく感じるものであっても、受け入れよう。ゆるそう。
それは、過去の自分が悪いのではなく、単に原理的にそういったバイアスがかかりやすいものに過ぎないのだから。
−−−
余談だが、この「過去の記録が気恥ずかしい」問題は、実は写真にも通底している面がある。例えば、20代の頃のデート写真などは、気恥ずかしさ満載の「遅効性の劇薬」のようなもので、冷静沈着な「現在の自分」には耐えられないくらいの破壊力を持つ。
(なお、2020年12月現在、世界はCOVID-19のパンデミック下にあり、米国(現在New Jersery州在住)では1日に25万人の新規感染者が報告されている。このため、外出を控えており、結果として、過去の写真(2010年から)やブログを見直す、という作業に膨大な時間を当てている。恐らく、こういった機会がなければ、一生やらなかったかもしれない(割としんどい)作業である。そして、そういった作業を繰り返す中で、上記のような気づきが生まれつつある。)
写真は、流石に破壊力が強いので、「現在の自分」視点で「将来の(家族の)鑑賞にも耐えられるか」という基準にて選別を行っている。それくらいの権利を「現在の自分」が主張しても許されるだろう(と願いたい)。
これは、むしろ、「未来の自分」への優しさとも言えよう。
(それは気恥ずかしい写真を除外しておく、ということだけでなく、数十万枚という大量の写真から、重要な写真へのアクセスを確保しておく、という意味において。2010年から年間1-5万枚撮っているため、無選別状態の場合、それを見直すだけで数ヶ月はかかる。)
−−−
さて、「過去の記録」問題は、「子供の成長記録」においても示唆に富む。
今、八歳の長男は、既に三歳の頃の記憶をほぼ忘れてしまっている。これは、当たり前のことに思われるかもしれないが、親の視点からすると衝撃的な事実である。
長男が三歳の頃、というのは、つい五年前のことで、それは2015年のことであり、自分にとっては三十三歳の頃のことである。当然、自分の記憶ははっきりしており、それこそ「ついこの間のように」思い出せる。
しかし、当の本人には、もはや、その頃の記憶はないのである。
また、本人の身体的な特徴(背丈、顔つき)も、三歳と八歳では大きく変化していて、「見た目」から三歳の頃のことを想起することは難しくなってきている。この変化は、今後も続いていくのだろう(それこそが成長であり、当然、喜ばしいことである)。
しかし、この一件が自分に告げるのは、「三歳だった長男」は、もはや「写真」や「記憶」の中にしかいないのだ、という切実な事実である。
そして、現時点で間近に見れる、本人も体感している「八歳の長男」もまた、やがて消え去ってしまい、「写真」や「記憶」の中にしか残らなくなる。
子供時代というのは不思議なもので、こうして移ろい、やがて消失してしまう。この子育ての切実さを、最近特に意識するようになった。そして、やはり「過去の記録」は、軽んじてはならないのだ、と再認識している。
下の子は、現在二歳。やはり、同じような変化を感じるようになるのだろう。
また、この現象は、自分にも当てはまる。三十八歳の自分は、やがて消え去り、四十代、五十代、六十代、七十代、八十代と変化を見せていくだろう。中には、「忘れるものか」と信じ切っていることでも、いつの間にか、「それがあったことすら忘れてしまった」という状態になるかもしれない。それは、時間軸上に置かれた人間にとって、抗いようのない摂理なのかもしれない。
「現在の自分」にできることはそれほど多くない。
しっかりと見て、相手をすること。
そして、要所で写真や記録に残すこと。
残された記録を疎かにしないこと。
−−−
COVID-19のパンデミック下にあって、多くの人々に様々な変化が起きたことだろう。自分にとっては、過去、現在、未来の関わりについて、見直す契機となった。
このブログは、主に20代後半から30代前半までの思索をまとめたものになっている。当時は、ブログで自分の考えを言語化すること、それに割く時間の意味が今ひとつ分かっていなかった。もしかしたら、膨大な時間の無駄遣いをしているのでは、と疑うことも多々あった。
しかし、30代後半の自分が言えるのは、ここでの記事があったおかげで、「思考の言語化能力」が磨かれたということだ。結果、30代後半、日本に向けたレポートを量産することができるようになった(米国での業務経験を毎月レポートにして配信していた)。その後、MBAの取得、博士課程への進学へと繋がっている。
「本当にそうだろうか?
ここでは、もう一歩踏み込んで考えてみよう。」
それが、このブログでの基本スタンスだった。そして、その思考や言語化への努力は、着実に自分の人生や仕事の質を変えていったと思う。
−−−
現在、三十八歳。
妻と八歳、二歳の子供と米国で生活している。
このような中で、最近よく思い浮かべるイメージは、「現在の自分」は、「時間の使い方を任されたファンドマネージャー」のようだ、というものだ。
時間は、「過去」「現在」「未来」のいずれかのbox(これらにつながる活動)にbetできる。
「過去」のboxには、例えば、回想や写真の整理などがある。このブログやSNSへの書き込みもそうかもしれない。
「現在」のboxには、娯楽全般(ゲーム、映画、漫画、You Tubeの動画、行楽など)や、消費(ショッピング)がある。しかし、これらは、現時点の楽しさを極大化するが、基本的に、未来への波及効果が弱い。実は、日々のTransaction的な業務(定型的な業務)もここに当てはまることが多い。現時点で誰かの役には立つが、将来の自分の仕事にはあまり影響を与えないという仕事も多い。
一方、「未来」のboxに入る活動は特殊で、その活動の効果や成果は遅れてやってくる。代表的なものは「教育」であろう。知的な体力をつけていくことは、未来へ(割と)直接的な作用を持つ。子供たちには、受験という試練がやがて平等にやってくるが、そのハードルをいかに超えて、成長していけるか。そのために、今何ができるか。そういったことを考え、動くことが、未来のboxに時間をbetするということである。他にも、「投資」や「身体的なトレーニング」もこのboxに入るだろう。ミクロ経済学では、企業の投資活動を「時間を通じた資源配分」と表現するが、これと同じ理屈である。
基本的には、未来のboxに時間を優先的にbetしていくのがいいのだろう。
不等式で表すなら、
未来 > 現在、過去
である。
しかし、前述の通り、過去の記録を振り返ることの重要性を認めている以上、話はそう単純ではない。
例えば、思考をまとめて言語化することは、その瞬間には「過去を見直すこと」であり、過去に向かってベクトルが伸びているように見える。
しかし、実は、その過程で、未来にも応用可能な「言語化能力」の鍛錬にもなっており、その面で、未来に向かってもベクトルが伸びている、と考えられる。
このように、一見わかりにくい繋がりや原理を読み解きながら、これからも未来へ向けて一歩一歩進んでいこうと思う。
「本当にそうだろうか?
ここでは、もう一歩踏み込んで考えてみよう。」
これを結びの言葉として、筆を置きたい。
了