2013年の手帳をパラパラと見直してみて、「去年も色々あったなぁ。」としみじみしてしまった。
全てをここに書くことはできないから、パッと思い出すハイライトのみ書いてみようと思う。
物理的に経過した時間は、父にも息子にも、等しく1年間。
自分の「体感」だけを信じると、どんどん時間は短くなっていきそうなのだが、
全てをここに書くことはできないから、パッと思い出すハイライトのみ書いてみようと思う。
- 仕事:日米欧亜の拠点をつなぐプロジェクトに携われるようになった。これは自分にとって大きな転機で、仕事に対する熱意や、また同時に自分の未熟さを痛感する機会となった。NY出張や、ロンドン出張も、いい経験となった。まだまだ英語が未熟だし、知らないことも多い。ただ、新しい航路が見えてきたのも事実。情報の流れを掴み、自分の頭で考え、針路を見い出し、一歩一歩、歩んでいきたい。
- 家庭:息子が11月で1歳になった。初めての子育てで、大変なこともあったけれど、笑顔になることが多かった1年だったと思う。息子のできることがどんどん広がっていて、それこそ毎日が変化に満ちている。2013年中には、既につかまり立ち、1〜2歩のつかまり歩きが出来て、意味のある言葉は話さないものの、発声することには自覚的になっている。これからも、その成長を見逃さず、一緒に時間を過ごしていきたい。
- 環境:5月に引っ越しをした。以前の家は75平米くらいだったのだが、今の家は63平米。駅から近くなったり、買い物や外食がしやすくなったのはいいのだけれど、物が納まり切らない。秋頃から、ようやく落ち着き始めたものの、まだまだ開けていない段ボールがクローゼットに多数ある。
- 英語:短期の通訳養成のコースに通ってみた。自分のリスニング力の低さ、音読の下手さに愕然としながら、いい刺激にはなったと思う。後は、これを日常の英語トレーニングにどう活かしていくかだ。差し当たっては、授業を真似た形で、音を聞き、内容を想像し、一文ごと書き取り、翻訳しということをやっていきたい。教材はTEDが良さそうだ。
- 写真:10月に無事写真展(写本展)を終了。広報班の仕事も頑張ったと思う。平日は仕事で、土日は広報班で、夏〜秋は大変だった。出展した写本はコンテストで優秀賞に選ばれた。素直に嬉しい。
- カメラ:2013年はそれほど大きな買い物をしていない。まず、EOS 6D(2012年12月購入)以降、カメラ本体は買っていない。なんてことだ。これはキヤノンのフルサイズ機に更新がなかったことと、新規マウントの追加に消極的だったことが原因だ。買うなら富士フイルムのXシリーズと思っている。なお、今年は防湿庫が一台増えて、二台体制となった。カメラが一通り収まってスッキリした。今のメイン機種はEOS 6D + EF40mmF2.8である。軽快で、光学ファインダーで、フルサイズ。とりあえず、キヤノンユーザーとしては最も小さなフルサイズセットだ。40mmという焦点距離は、フルサイズ素子の対角線長(43mm)に近く、結果として、パースペクティブ(遠近感)が自然で、人間の視野にかなり近い画角だなと感じる。また、よくレストランで対面の家族を撮るのだが、そのときもぎりぎりテーブルと上半身が納まって、いい感じなのである。これがいわゆる「標準」の50mmだと、やや画角が狭く、テーブルの上までは入らない(結果、どこのレストランかよく分からない写真になるか、自分がのけぞって撮ることになる)。今のところ、キヤノンのフルサイズを日常的に使うという選択においては、最良の組み合わせだと思っている。
- その他:車の運転を少しだけやった。三島から伊豆の堂ヶ島までのドライブや、新三郷のIKEAまで等。正直まだ慣れていなくて、駐車とかガソリンスタンドとかが億劫で仕方ない。うーん、なんとかしないとなぁ。
上記のカテゴリは、今年も継続されることになるだろう。
今年は、習慣的な目標として、
「リアルタイムの整理整頓」
「節度ある飲食生活」
を心がけたい。これは、別に今年だけでなくいつだってそうなのだが。
シンプルな環境は集中力を高めるし、
節度ある飲食は、成人病を遠ざける。
これに運動の習慣が加われば尚いいのだが、あまり高望みはしていない。(おい)
今年は、習慣的な目標として、
「リアルタイムの整理整頓」
「節度ある飲食生活」
を心がけたい。これは、別に今年だけでなくいつだってそうなのだが。
シンプルな環境は集中力を高めるし、
節度ある飲食は、成人病を遠ざける。
これに運動の習慣が加われば尚いいのだが、あまり高望みはしていない。(おい)
さて、最近ふと思うのは、「大人になると時間の流れが速い」ということだ。
これは体感的にそうなのだが、その一方で、
「1歳になるこの息子も、同じ時間の1年を経験しているはずだ」
ということも、頭では分かっている。
物理的に経過した時間は、父にも息子にも、等しく1年間。
しかし、父には早く感じられ、恐らく息子には長く感じられたはずだ。
自分の「体感」だけを信じると、どんどん時間は短くなっていきそうなのだが、
しかし、息子にも同じ時間が流れているという事実を思うと、そうでもないような気がしてくる。公平感とでも言うのか、「なんだ、自分にも許されている時間があるのだ」という気がしてくる。
息子は1年で立てるようになった。
背は24cmも伸びた。体重は3倍以上の10kg弱になった。
急速に成長しているわけだけれど、それは不公平なものではない。
例えば、30年後の彼が「体感する」時間は、多分、僕が感じている時間とそう変わらないはずだ。
人が1年でできることは、その人のステージによって違う。
時間は常に、一定の速度で流れている。
機会は平等。
だとしたら、後は「単位時間当たりの成長の効率」を上げていくしかない。
しかし、そんなことできるだろうか?
息子は1年で立てるようになった。
背は24cmも伸びた。体重は3倍以上の10kg弱になった。
急速に成長しているわけだけれど、それは不公平なものではない。
例えば、30年後の彼が「体感する」時間は、多分、僕が感じている時間とそう変わらないはずだ。
人が1年でできることは、その人のステージによって違う。
時間は常に、一定の速度で流れている。
機会は平等。
だとしたら、後は「単位時間当たりの成長の効率」を上げていくしかない。
しかし、そんなことできるだろうか?
最近こんなことに気付いた。
僕は、歩きながら、将来のことや、仕事のことについて、コンセプトを考えたり、構想を練ったりしていることがある。そうやって、併行的な、細切れの思考は、後日、机に向かった時に一気に組み合わさり、一つのプレゼン資料になったりする。
このように、細切れの思考をストックして後日ステッチするようにすると、実はデスクに向かっている時間が仮に短かったとしても、仕事は進められる。特に、情報を咀嚼し、着想を得るようなタイプの仕事だと、こんな方法は効果的な気がする。
このように、細切れの思考をストックして後日ステッチするようにすると、実はデスクに向かっている時間が仮に短かったとしても、仕事は進められる。特に、情報を咀嚼し、着想を得るようなタイプの仕事だと、こんな方法は効果的な気がする。
だから、休日に思考を止めるのは、やめよう。
休日でも、通勤中でも、自然と仕事のことを考え始めてしまったら、そのまま、徹底してしまおうと思う。
今までは、「今日は休日だから」と、考えることを中止したりしていたのだが、そんなに明確に線引きをする必要はないように思えてきた。何より、仕事のことを考えるのは、楽しいのだ。こんな熱中できることって他にあまりない。
こうやって、歩いたり、買い物したりしているときにでも、有意義な頭の使い方をしていると、時間はずっと長くなる。
2014年も、ギッシリ詰まった1年にしたい。