2012年7月1日日曜日

121. トーマス デマンド展(何を見ているか)

6月30日(土)、東京都現代美術館で開催されているトーマス デマンド展に行ってきた。
(以下ネタばれあり。本展は、7月8日まで開催しているので、もし行く気がある人は見ない方がいい。)


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トーマス デマンドはもともと彫刻家からスタートした写真家だ。
僕は現代写真論という本で、トーマス デマンドという作家と、代表作の一枚だけは知っていた。
なにやら、現実の光景を忠実に「紙」で再現して、写真を撮る人らしい。


ふーん。
紙で、かぁ。


その程度の認識だった。
しかし、百聞は一見に如かず。
実際に、作品を前にしてみると、こうも違うものなのか。


紙で再現したとは思えないその完成度にまず驚く。
(これは反射的な反応だ。)


それが1枚や2枚ではなく、延々と続くうちに、「一体何が彼を突き動かしているのだ?」と疑問が湧き上がってくる。
(理性が働き出す。)


横幅5メートルはあろうかという巨大な作品の中には、緻密で繊細な作業が蓄積しており、
「現実らしい何か」が形作られている。
そう、自分が見ているのは、「現実らしい何か」。
よくよく考え出すと、次第に自分が何を見ているのか?
何に感動しているのか分からなくなってくる。
(こうして理性の混乱が始まる。)


そこに写っているのは、「現実」ではなく、「現実を模倣した何か」である。
模倣という言葉が軽々しいのなら、「現実を再構築した何か」であってもいい。


しかし、漠然と、何の予備知識もなく、なんとなくその写真を見た人は、それが「紙で作られた虚構の世界」とは思わず、あたかもそれが本物の「鍾乳洞」であったり、「福島第一原発の制御室」であったり、「美術品の壷が不注意で割れてしまった瞬間」であったり、「有名な美術家の納屋」であったり、「米国大統領の部屋」であったりすると「錯覚する」。


大統領執務室を再構築した「大統領」シリーズは製作期間こそ2週間程度と短いが、考えさせられる作品である。
この作品を見ると、「意外と大統領室というのは、派手な色使いをしているのだな。」とか「アメリカのイメージそのものだな。」とか「ホテルで喩えると、ストリングスホテルやシェラトンではなく、ロイヤルパークホテルやマリオットホテルっぽいな」等、自然といくつかの感想が思い浮かんでくる。


しかし、理性はこう問いかける。
「いや、ちょっと待てよ。これはあくまで紙で作られた別の世界であって、本物の大統領室ではないはずだ。」
うっかり現実だと知覚した世界は、虚構の世界だった。


しかも、実際、こんな大統領室は現存しない。
というのも、米国政府はトーマス デマンドに大統領室の見取り図や室内の写真等、一切の資料を渡していないのだ。
こういった情報がテロリストに渡ってしまうことを恐れたのだ。


デマンドは、このため、Times誌の資料庫から大統領室に関連するあらゆる過去の写真、イメージを収集した。
その数は、6000点以上に及び、様々な年代の大統領室のイメージが集約された。


その結果、この写真には、ロナルド レーガンが好んだ絨毯や、ジョージ H.W.ブッシュ(親父さんの方)の万年筆、ジョージ W.ブッシュ(息子の方)の手帳、ジミー カーター時代のカーテン等(※)、様々な時代の大統領室が混在した、「現実のパッチワーク」となった。
結果として、どう見ても現実に見える虚構の世界は、その模倣元であるオリジナルの現実すら捏造されることになる。


しかし、だ。
やっぱりこの写真を見た第一印象は、「現実の大統領室」なのである。
目を凝らして、近づかないと、それが虚構であることに気付けない。


私たちは、「現実」と「虚構」は明確に区別できると思っている。
しかし、このような写真を見た時に、その自負はもろくも崩れさる。
そして同時に、これは写真を見て受けた衝撃なのか、それとも、現実のような虚構を見て受けた衝撃なのか、現実が何かを明確にできない自分自身に対する衝撃なのか、分からなくなってくる。


自分は何かを見て衝撃を受けたが、それが何だったのか表現できない。
という、もどかしさ(理性の混乱)を感じることになる。


この反響するような疑問や悩ましさが、よりその作品を見ようとする反射につながる。
結果として、長時間、細部に渡って見ていられる、とても見応えのある「写真」になっていく。
とても個人で真似できるものではないが(恐らく、映画に近いレベルの大勢のスタッフが彼のプロジェクトを支えている)、現代アートとしての写真の一つの在り方を提示していると思う。




(※トーマス デマンドの作品解説を聞いた記憶を頼りに書いているので、正確な引用ではないことをお断りしておく。例えば、もしかしたらジミーカーターの好んだ絨毯だったかもしれないし、ブッシュの親子が入れ変わっているかもしれない。いずれにせよ、各年代の各大統領の好みがバラバラに入り込んでいるということをここでは言いたい。)