宮城県北部では震度7を記録し、
岩手県、宮城県、福島県、栃木県、茨城県で震度6、
首都圏においても震度5強を記録した。
発生時、僕自身は大崎にある会社の4階にいて、会議中だった。
立っているとよろけてしまうような強い揺れ、
窓のきしむ音、
外に見えたビルがゆらりゆらりと揺れている。
二羽のカラスが慌てて飛び立ったのが見えた。
「震源地はどこだ!?」
直感的に、ここは震源地ではなく、どこか別の場所に巨大な地震が発生していると思った。
「妻が待つ埼玉は大丈夫だろうか?」
徐々に不安になる。
避難訓練のように、館内放送が流れ、研究所の敷地内にあるグラウンドに避難した。
グラウンドに出たところで、もう一度、強い揺れが発生。
軽い悲鳴とともに、「危険です!伏せてください!」という拡声器からのアナウンス。
電柱がきしみ、電線が大きく揺れいている。
とりあえず、ビルが倒壊する程ではなさそうだ。
皆、携帯でワンセグを見ている。
電話やメールは通じなかったが、一方的に信号を受信するワンセグやラジオは、地震発生時にも有効だった。
「三陸沖が震源地らしい。」
「津波がやばい。うわっ車が流されている・・・!」
「有明で火災があったらしいよ。」
「あ、黒煙だ。」
30分程経ち、オフィスビルへと戻った。
途中、アスファルトがひび割れているのを見つけた。
(これ、地割れか・・・)
オフィスビルは2005年に建てられた比較的新しいものだが、
免震構造のためか激しく揺れて、
壁の一部にひびが生じていた。
壁の建材から出たと思われる白い粉が落ちている。
「あ、また揺れてる。」
一体何度この言葉を言っただろう?
恐らく、会社に残っている間だけでも10回は言っている。
そして初めて知ったのだが、
余震があまりに頻繁に、長く続くと、
「車酔い」のような状態になるのだ。
気持ちが悪い。
インターネットで被害状況を確認する。
頭がぐらぐらする。
仕事に集中しようにも、ディスプレイを見続けると、
余震の揺れで集中できない。
震度5強。
それだけで、これだ。
震度7だった宮城県北部や、
津波により街が飲み込まれてしまった宮城県と岩手県の沿岸部では、
一体どんな状況だったのか。
想像するだけで恐ろしい。
妻に怪我はなく、幸いにも両親の待つ実家へと歩いて避難できたのだが、
強い揺れを受けたときは「真剣に死ぬかと思った」というほど怖い思いをしている。
東京の交通網は完全に麻痺し、
僕は会社のある大崎から、埼玉県の自宅に帰ることができなくなってしまった。
この家に引っ越す際に、
「大きな地震が来たら、帰れなくなるな。」
と思っていたが、それが現実となってしまった。
以前から予想をしていただけに、歩いて帰ることがかなり困難であることも分かっていた。
順調に行って、7時間かかる。
途中で強い余震が発生する可能性もある。
僕は一日、「帰宅困難者」となり、
会社近くの友人宅に泊めてもらうことになった。
翌日、つまり今日になって、JR線が復旧。
実家へと妻を迎えに行き、
自宅に戻ったのは、午後3時頃。
家では、電子レンジが冷蔵庫の上から落ちかけ、
キッチンボードの引き出しが全開となり、
自転車が倒れ、
衣服を入れていたラックが倒壊していた。
ただ、耐震対策をしてあった液晶テレビは倒れておらず、
また、気になっていたハッセルブラッド等のカメラ類も全く被害を受けていなかった。
幸い、である。
食料と飲料、それから簡単な防災グッズと、
灯油を買いに行き、
風呂へと入り、
いそいそと避難支度を始めた。
余震は収束に向かっているものの、
念のため、というものだ。
当然、避難バッグにもカメラを詰める。
どのカメラにすべきか?悩みどころだが、
とりあえず、Lレンズ二本とライカCM、EOS 5D MkII ,EOS 1Vを詰めた。
これを持ち出す日が来ないことを望む。
みなさん、どうかご無事で。
, listening to the news about the earthquake in my room.