2009年10月18日日曜日

037. ボーイズ オン・ザ・ラン(花沢健吾と新井秀樹)


ちょっと感動してしまった。

僕は本を読むのが好きなのだが、その中には日本サブカルチャーの本命、「漫画」も含まれる。

中学生の頃に、一時期本気で漫画家を目指したこともあり、一般的な人よりもかなりマニアックに漫画を読んでいると思う。(例えば、NARUTOという現在少年ジャンプで連載されている漫画があるが、僕は中学二年生の頃、この作者のデビュー作「カラクリ」を新人漫画家専門の雑誌(赤丸ジャンプ)でリアルタイムに読んでいた。一読して、新人とは思えないパースの取れた画力に目をつけた僕は、「この人は鳥山明の次を継ぐ人だ!」と周囲に公言した上(実際にはそこまで行かずワンピースに持っていかれたが(笑))に、「しかし、妙に沙村広明の『無限の住人』のコマ回しに共通する部分がある・・・」とのマニアックな読みを、漫画好きの仲間にひっそりと漏らす不気味な少年であった。後に、NARUTO作者の岸本斉史氏が「無限の住人」のファンであることを知り、「ほらね?」と意味深にニヤつく始末だった。救いようのないオタクであり、灰色の青春が確定した瞬間でもあった。)

そんな僕にとって、高校生の頃のバイブル的漫画があった。

The world is mine」

新井英樹という漫画家の作品だが、この作品に関してはもはや言いたいことが有り過ぎてこのコーナーに書けない程だ。
端的に言えば、2001年9月11日のテロをあたかも予言したかのような作品である。(僕の言葉では表現できない圧倒的な世界がそこにはある。ただし、この作品が好きだ、と公言しにくい面もある。というのも、ありとあらゆる暴力に満ちた北斗の拳真っ青の残虐物語だからだ。高校生の頃、僕はこの作品に世界の全てが詰まっていると信じてしまう程、のめり込んでいた。また、自分のメールアドレスに、登場人物の名前を入れてしまう程の熱の入れようだった。今となっては、青臭い、いい思い出だが。)

さて、この新井英樹という人は、とてつもなく冷徹なリアリストである。どうやったらそんなに現実を冷めた目線で見れるのか?本当に今になっても、いつ読み返しても理解不能なくらい天才的なセンスを持っている。
しかし、その表現があまりにもリアルすぎるために、一般受けはしないし、決して映画化できないだろう。(映画化したとしても、恐らく大ヒットはしない。また、R指定を食らうのは目に見えている。)

そんな熱烈な新井英樹ファンだった僕は、大学生時代に、ある新井作品を見て驚嘆したことがある。その作品は、

「宮本から君へ」

というサラリーマン漫画だ。
当時、この作品は絶版で、古本屋で偶然見つける以外に入手方法がなかった。このため、僕は古本屋に通っては、「宮本から君へ」がないか探し、1巻1巻徐々に集めていったものだった。(現在は、愛蔵版として復刻しているので結構簡単に手に入る。・・・あのときの苦労はなんだったんだ(笑))

さて、この作品は、1991年〜1994年のバブル崩壊直後に描かれた新井秀樹の初期連載作品である。サラリーマンが抱える悶々とした日常と、女と、男のプライドを描ききった凄まじい作品なのだが、僕を何より驚かせたのは、実はこの作品、「初めて読んだのは小学生の頃だった」ということに、ある一コマの絵を見た瞬間に気付かされた点だった。

小学校4年生か5年生の頃、親父が買ってきた(もしくは拾ってきた)青年誌が部屋に転がっていた。
それを家族が家にいない時間に、こっそりと読んでいたことがあった。当時にしてみれば、自分の知らない「大人の世界」を垣間みる背徳感を感じるものだったのだろう。

その漫画のほとんどは、小学生の僕の理解を超えた変な世界であり(例えば麻雀漫画)、僕の記憶には残っていないが、ひとつだけ明確に憶えているシーンがあった。

それは、別れた恋人の名前を何度も何度も叫びながら、ティッシュを使って自慰行為にふける男性の描写だった。

当時、小学生の僕には、自慰行為自体が不可解なもので、「なんでこの人は人の名前を叫びながらティッシュを使い続けるのだろう?」と真剣に悩んだ(笑)
その上,その描写があまりに切実過ぎて、その場面だけが、話の筋(ロジック)とは全く無関係に、強烈なイメージ(画像情報)として海馬に刷り込まれてしまった。

それはある種の「トラウマ」に近い。
僕の持っている人間観が揺さぶられたと言っても過言ではない。
一言で言えば、「うわぁ、人間って醜いなぁ。」である。

それが、だ。

10年近く経ったある日、まさか好きになった漫画家の作品に、そのトラウマシーンが出て来るとは思ってもみなかった。


「宮本から君へだったのか!!」


僕は全く予期せずして、トラウマのシーンに再会することになったのだ。
それはなんとも言いがたい経験だった。
小学生の自分があんなにも嫌悪したシーンを、
今は共感しながら読んでいる・・・。

「あれ?俺って汚れちゃったのかな?」

と、別の意味で悩んだ(笑)
時間とは恐ろしいものである。


さて、そんなエグイ場面と熱いドラマが満載の「宮本から君へ」なのだが、大人になってから冷静に考えてみて、やはり「名作」なのである。

これほど、絶望的にサラリーマンの悲惨さ(それは「生活の苦しさ」という意味ではなく、「名も残らないしがない仕事ですら、器用にこなすことができないどうしようもない自分。その器の小ささ。」を痛い程リアルに描写しているという点で、という意味である)を描いた作品はないし、これほど、精力的に人間の根源的な欲求を描いた作品もないし、これほど汗臭い作品もない。

絶望的なリアル感。
その一点においては、1968年に発表されたつげ義春の「ねじ式」に勝るとも劣らない、と言えば漫画マニアには一発で伝わるだろう。(そして大部分の人には伝わらないこと受け合いだ(笑)ちなみに、新井英樹も「つげ義春」ファンであり、恐らく、影響を受けている。特に、暗めのトーンを使用した、台詞のない背景のみのコマを多用する描写方法はつげ義春の影響と考えられる。というのが僕の意見だ。)

ともかく、「宮本から君へ」はサラリーマンの汗臭い、しょうもない人生を、時に冷徹に描写し、時にぶち壊そうとする熱いドラマが混ざり、さらに、泥臭い20代の恋愛が挟まり、その上、とてつもない犯罪が挿入され、かき乱された展開は、「血がたぎる喧嘩の嵐」へと発展して行き・・・という「これ、サラリーマン漫画なの?」という読者全員が疑問符を投げかけるような急展開を見せて行く。もはや読者の期待や想定を裏切りまくって、キャラクターが勝手気ままに動きまくるのである。

そんな「路線からはずれまくっていく破天荒さ」は一種のスリルであり、僕のような偏屈な漫画ファンを魅了した。

さて、それからしばらくして、僕は花沢健吾という漫画家を知ることになる。
彼がビックコミックスピリッツで描いた、

「ボーイズオンザラン」

という作品を読んだ時、僕が一瞬で感じたのが、


「あ、これって現代版「宮本から君へ」だ。」


だった。

これは、「異常な程のリアルな描写」と、「普通のだめサラリーマンが、恋愛をきっかけとして、暴力と喧嘩の渦に巻き込まれて行く」という破天荒な展開の両方に対して、僕が感じたことだった。
どう考えても、似てる、だったのである。

この気づきを、当時漫画の貸し借りをしていた研究室の技官さん(30代後半)にしてみたところ、

「は?全然ちゃうがな。ボーイズオンザランはボクシング漫画やし、宮本から君へはサラリーマン漫画やんか。」

と、ばっさり切られたのだった。
ちなみに、その技官さんに「宮本から君へ」を貸したきり、4年以上戻って来ていない(笑)(いいかげん来週会うときに返してもらおう。なんせ絶版ものなのだ。)

さて、そんな技官さんの一言で、

「そうかー。勘違いかなぁ。」

と思い直していたのだが、、

つい先ほど、花沢健吾をウィキペディアで調べて、決定的な事実を知ってしまった。
以下がウィキペディアの引用である。

「花沢は、新井英樹をリスペクトしており、同著者の『宮本から君へ』の愛蔵版発売に際しては、2巻の帯に、「僕にとって聖書みたいなもんである」という内容のコメントを寄せている。」


・・・間違いない。
花沢健吾がボーイズオンザランを描いたとき、頭にあったのは、
「宮本から君へ」
であろう。

「宮本から君へ」へのオマージュとも取れなくない展開は、新井英樹を意識したものだったのだ。
また、あの異常な程トーンを多用し、写真を元に描いたであろうパースの整った背景描写も、新井秀樹の影響(そして僕的には、つげ義春の遠い影響)と考えられる。

つまり、僕が無意識的に感じ取っていた「新井英樹らしさ」は、作者の意図するものであったということだ(と思う)。

ボーイズオンザランを読むとき、僕が仮定していたのは、

「現代版「宮本から君へ」を本気でやったらどうなるか?という実験がこの作品なんじゃないか?」

というものだった。

もし、暇な方は両作品を以下のような対比で読んでみると、数段面白く感じるはずだ。



「宮本から君へ」1991−1994年
【主人公像】
「宮本から君へ」の主人公「宮本」は、文具メーカーの若手営業マン。不器用であるが、情熱的。問題が起こった時に、逃げることよりも戦うことを選ぶ(ただし、自分自身の怒りに気付くのに若干時間がかかる)。自分の正しさを曲げようとしない。自分のプライドを心底信じて疑わない。俺がやりたいようにやる!という強い意志を持っている(それが爆発するまで時間がかかるが)。
【クライマックスのあらすじ】
ある事件(悲惨な悲惨な事件、女性絡み)の犯人に対して、真っ向から喧嘩を挑む。歯を3〜4本折られても、自分で自分を鍛えて、異常な程再戦を繰り返す。血みどろの戦いの末、見つけたものとは・・・!?
【僕の解釈】
1990年代初頭のバブル直後にあったとしても、宮本の熱さはうざがられたらしい(作者談)。とはいえ、それでもバブル期のイケイケな時代(自己肯定的な時代)の余韻があったからこそ、こんな主人公像は成り立つのかもしれない。なんだかんだ言って、宮本は自分に正直で、真っすぐな強い人間だった。初期の宮崎駿アニメ(ナウシカ、天空の城ラピュタ、紅の豚など)が掲げた「かくあるべし」的なヒーロー像に通じるものがある。宮崎駿ほど、ストレートな描き方はしていないが、それでも宮本は「男のなかの男」だったと思う。



「ボーイズオンザラン」2005-2008年
【主人公像】
「ボーイズオンザラン」の主人公「田西」は、27歳。ガチャガチャのおもちゃメーカーで若手営業マン。不器用である上に、姑息で、すぐ逃げる。問題が起こった時に、戦うことよりも逃げることを選ぶ。自分の正しさは頭の中では叫んでも、現実では愛想笑い。自分のプライドを何度も忘れかけ、のたうち回った末に、ようやく譲れないものだと気づく。俺がやりたいようにやる!という強い意志に到達するまでに8巻分くらい時間がかかる(全10巻中)。
【クライマックスのあらすじ】
ある事件(女性絡み)で、宿敵に戦いを挑むもぼこぼこにされる(そのときの秘策がもろに「宮本から君へ」とかぶっているし、それが返り討ちに合ってしまうのは、現代的と言えば現代的だ。敵も進化しているのである)。その後、ボクシングを始めて強くなろうとするが(この辺り、自分で筋トレを始めた宮本と大きく異なる)、結局へたれはへたれのまま。しかし、ある事件(また女性絡み。しかし、前述の女性とは異なる)でようやく譲れないものを見つけ、戦うことを決意する。血みどろの戦いの末、見つけたものとは・・・!?
【僕の解釈】
「宮本から君へ」と話の筋(女性絡みで事件があって、喧嘩へと発展)は似ているが、宮本と比べると田西はとにかくエンジンのかかりが悪い。しかも、エンジンがかかってもガス欠をよくするし、自信もないし、要所要所ですぐ逃げる。このような主人公像の変遷は、そのまま「時代の変遷」を物語っていると思う。1990年代後半から2000年代にかけて、エヴァンゲリオンのような「強くない主人公」が「強くないこと」をそのまま出す形で、物語に登場するケースが目立ったが、このボーイズオンザランにおいてもその系譜が流れていると言えよう。「かくあるべし」のヒーロー像に胸焼けがした、か弱き僕たち世代には、田西のような自意識過剰なわりに自信欠乏気味な主人公の方が馴染みやすいのかもしれない。


描写方法と話の筋が似通っているのにも関わらず、主人公像がここまで異なる二作品。
なかなか面白い対比なのではないだろうか?
さて、こんな話を書いていたら、別のサイトでも両作品の類似性について論じているものを見つけた。(やはり、両方知っていると、「似ている」と気がつくものなのだなぁと再確認。)
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/boysontherun.html
このサイトでは、主役の変化に加えて、ヒロインの変化や物語の軸の違い等についても指摘している。

さて、これら2作品に加えて、60年代の漫画「ねじ式」を読めば、日本の青年漫画史の移り変わりを一気に俯瞰することができるのではないかと思う(非常に偏った領域のみであるが)。

マニアックな漫画好きで、かつ大人の男にお勧めする作品である。
女性は見ない方がいいです。単に気持ち悪くなるだけですから(笑))

listening to 「September/Radwimps」

2009年10月10日土曜日

036. 物質化(外部記憶と内部記憶)


僕がこのエッセイコーナーで色々なことに関して、自分の考えを述べているのは、詰まる所、「世界ってどうなってんの?」という疑問に自分なりに「答え」を見いだしたいからだ。

「世界ってどうなってんの?」

という問いは、恐らく僕が生まれてからずっと持ち続けている疑問だと思う。幸いにも、大学、大学院と理系の道を歩んで来た結果、「科学」というツールが僕には実装された。

「世界の姿」への迫り方は色々あるけれど(例えば宗教的な迫り方もあるだろう)、僕は「科学性」をキーワードに自分の考えを推し進めていきたい。

ここで言う「科学性」というのは、実験データに基づいた帰納法的な真理の探究や、ある規則性/法則からの演繹的推論といういわゆる純粋な「科学」そのもののロジックを指すのではなく、むしろ「科学」で一般的に用いられる言葉(例えば、結合や反応性、相互作用、力、エネルギー、ポテンシャル、パルスや装置といった科学で頻繁に用いられる概念)を拡張的に、ときにはレトリックとして使用することを言う。

要は、「世界に対する僕なりの記述」を科学的な言葉に換言して、整理してみましょう。ということだ。

さて、僕の命題に対するアティチュードを示したところで、今回は、外部記憶について考えてみたい。
ここで言う外部とは、僕たち人間の脳の「外」を指す。当然、「内部」とは脳の中だ。



台風開けの快晴の朝、僕は音楽を聴きながら会社へと歩いていた。
イヤホンから流れる曲は、クラムボンの1stアルバム「JP」だった。

「このアルバム、もう10年くらい前のものだな。」

僕はふとそう思った。(後で調べてみて、本当に1999年にリリースされていたことを知る。)

そのアルバムは未だに僕にとって名盤であり、今聴いても感動できる。リズミカルで、少しジャジーで、ボーカルは凛として張りがあり、10年の歳月を全く感じさせない。クラムボンはそれからも13枚程アルバムをリリースしているが、1stの良さを覆すことはなく、僕はiPod miniのホイールを何度もこのアルバムで止めては、再生を繰り返している。


「しかし、よくよく考えてみると、この原田郁子さんの声は、10年前に発せられたものなんだよなぁ。」


僕は今日やろうと思っている仕事を頭で整理しながら、そんなことを考えていた。

10年。

10年一昔、というのなら、この声は一昔を超えて、僕の今の耳に飛び込んで来ている。
その当たり前の事実に、今更ながら感嘆してしまった。

僕たち人間は、自分が経験したあらゆる事象、感覚、感情、考え、予想、結論、哲学を全て記憶することはできない。その瞬間、瞬間で強烈に感じたり、思ったり、気付いたりしたとしても、やがていつかは忘れてしまう。

僕はうまいラーメンを食べるのが好きだ。
そのラーメンの味を忘れたくないし、そのラーメンが運ばれて目の前のカウンターに置かれたときの「さぁ食べよう。」「どんな味がするんだろう?」という感覚的な思いを忘れたくはない。
しかし、その味や匂いは、食べ終わるとともに徐々に薄れて行き、やがて白い霧の中に隠れてしまう。

僕は考えることが好きだ。何かを知ることも好きだ。それがより正確に世界を記述するための道具になるのなら、それは僕にとって非常に重要なものになる。僕はその考えや知識を忘れたくはない。
しかし、忙しい仕事をこなす日々の中で、そういった考えや知識はやがて消え去ってしまう。あのとき考えついた真理(のようなもの)や知恵(のようなもの)は、僕の脳のどこかに潜んでいるのかもしれないが、そのうち引っ張り出すことも、それどころか、そんな考えがあったことすら忘れてしまう。

脳は全てを憶えているのかもしれないが、引っぱり出すことができなければ、それは「無い」のと同じだ。
つまり、僕たちは、

感じ、考え、そして忘れる生き物

なのだ。
それが嫌だから、少しでも長く、正確な記憶として残しておきたいから、僕たちは「外部記憶」を作る。

それは、音声や楽曲を収録したCDであり、ラーメンを撮影した写真であり、そしてこのような言葉で書き留められたエッセイでもある。

僕は、クラムボンのJPを、今=2009年=発声から10年後の未来に、聴いている。この声は、原田郁子さんのものだ。原田郁子さんの声のはずだ。

しかし、・・・本当にそうだろうか?

厳密に考えてみよう。
原田郁子さんの「本当の声」は1999年のスタジオで発せられ、その瞬間に空間を揺らし、そして消えてしまったのではないか?

それが現実に起こったことであり、このiPodを経由して再生されている原田郁子さんの声は、文字通り「再生」された(再び構築された)音データに過ぎない。
そんな冷酷な見方を、人は好まないかもしれないし、僕も本当は好きではないが、しかし、事実として、この僕を10年間ワクワクさせている音源は、「音データ」なのだ。

原田郁子さんの素晴らしい歌声は、人を感動させるものであった。
それを残しておきたいと思った。
色々な人に伝えたいと願った。
その切なる願いは、結果として、録音されたCD-ROMへと結実した。

その外部記憶は、10年経っても変わらず、忘れないでいてくれる。そして、そのスタジオに居合わせることができなかった大多数の人々にも、そのときの感動を渡してくれる。これは素晴らしいことだ。

しかし、その感動を運ぶベクターそのものは、原田郁子さんそのものではなく、原田郁子さんの音声を忠実に記録した「データ」であり、CD-ROMであり、それは間違いなく、生身ではない「物質」なのだ。

外部記憶を作ること、それをここでは「物質化」と呼ぼう。

僕はラーメンの写真を撮る。ラーメンを食べたときの味を匂いを感動を、忘れないようにシンボルにして、取っておこうと考えているからだ。写真撮影という行為には、美しさを追求しようとする「作品づくり(芸術としての写真)」の側面と、忘れないようにしておこうとする「外部記憶づくり(記録としての写真)」の二つの側面があるが、後者にのみ焦点を当てるなら、これは間違いなく「物質化」に相当する。

ラーメンを見た自分の視覚情報を、jpegという画像データに変換し、それをSDカードという磁気ディスク上に書き込む。パソコンのディスプレイで再現された画像を見て、「やっぱり六厘舎の太麺はうまそうだなぁ。」と後日再び感動を催したとして、それは「本物の六厘舎のラーメン」に対するものではなく、物質化された「六厘舎のラーメンの様子」に対するものであることに意識的でありたい。

僕は夜の五反田を歩いているとき、ふと、通っていた小学校の風景を思い出した。既にその小学校は移転しており、その場所に小学校はない。

しかし、僕は頭の中で、驚く程正確に小学校の全体像を再現できた。

鉄棒やジャングルジム、地中に半分埋まったタイヤの遊具、その色が黄色いこと、その黄色のペンキがはがれて黒いタイヤの表面がむき出しになっていたこと、その表面が子供達に何度も踏まれたためにテラテラと黒光りしていたこと、校庭の硬い土の感覚、その土をうっすらと覆う砂の感覚、校舎の位置、階段の様子、水道の位置、ワックスが塗られた廊下のつるつるとした感触、その廊下をハイソックスの靴下を履いて全速力で走るとスライディングが容易にできたこと、体育館とプールとアスレチックの位置関係、階段の高さ、渡り廊下の屋根が幅10cm程の台形が繰り返し続く形状であったこと、その色は褪せた水色であったこと、非常階段の下が乾いた土になっていてその土を使うと硬い泥の団子を作れること、その土の近くに鶏小屋を作ったこと、校長室の前が池になっていて鯉がたくさんいたこと、その池には1m程の高さから水が流れ込んでおり渓流を思わせる景観になっていたこと、その渓流の上はなだらかな坂になっておりツツジが植えられていたこと、そのツツジとツツジの間には子供1人がようやく通れる道が迷路のように続いておりかくれんぼにはうってつけだったこと、その道を上までいくとアスレチックのエリアに出ること、そこには丸太の木が飛び石状にいくつも刺さっており、そこをジャンプして遊んでいたこと、アスレチックの一番上には鉄製の球体のようなジャングルジムが付いており、その一番上から長い長い滑り台が伸びていたこと、アスレチックを抜けて校舎の裏手をぐるりと回るとプールへと行き着き、そこには更衣室があったこと、その更衣室は埃っぽく照明がなかったが、夏の強い光が粗末な木の壁の隙間から漏れ出してうっすらと内部を明るくしていたこと、プールの裏手には木が何本か植わっており、フェンスの向こうに小さな神社があったこと、生け垣の高さや手の折れた石膏像の姿、そのすぐ傍に生えているザクロの木の表面のつるつるした感じ、そういったものが、僕の頭には全て入っている。

これは内部記憶である。
そして、現実にはもうない世界だ。
僕はある意味で、記憶装置であり、小学校の様子を脳内に格納している。
しかし、この僕が持っている記憶は、もはや正確に人に伝えることは難しい。上の長い記述は、言語というツールで僕の内部記憶の伝達を試みたものだが、この文章を読んだ人が僕の持っている小学校の様子を正確に把握することは難しい、というより不可能だろう。恐らく、自身の小学校の記憶を参照しながら、「こんな感じだろうか?」とイメージを作り上げることはできても、やはりそれは、僕の持つイメージと正確には合致しないはずだ。

つまり、外部記憶と比較して、内部記憶は共有化が難しい、と言える。

また、こうも思う。
もし、この瞬間に、この五反田の街から人が全て消えてしまったとしても、このビルの垂直に切り立った壁は、少なくとも数十年くらいはそのまま垂直だろう、ということだ。

つまり、生身の人間が消え去っても、物質は存続しつづける。

もちろん、風雨による浸食はあるし、窓ガラスは汚れるし、植物ははびこるし、景観はゆっくりと変化して行くに違いない。
しかし、その垂直な壁は、大型の地震が起きない限り、今のまま健在なんじゃないだろうか?

街はめまぐるしく変化している、とは人間が経済活動をする過程で、ビルを建てたり壊したり、店舗をかまえたり、たたんだりとする結果、生じている現象に過ぎない。
ある日突然、人間がいなくなったら、その街は自然の法則に従って、ゆっくりとデグラデート(劣化、分解)していくだけだ。そして、そのデグラデートするスピードは、人間の経済活動がドリブンするスピードに比較して、極めて遅い。

つまり、だ。
生身の人間が生起させる変化、に比較して、物質が固有値としてもっている変化は極めて遅いと言える。

これは外部記憶の意味を理解する手助けになる。
外部記憶の実体が、「物質」であることは先に述べた通りである。
内部記憶が生身の人間の脳が保有するクローズドかつ消失しやすいものであることも、先に述べた通りである。

生身の人間、というのは変化が激しい。
端的に言えば、人間は「ナマモノ」なのだ。
ナマモノの変化は非常に早い。
ナマモノには死がつきまとう。
ナマモノの寿命はせいぜい100年だ。
だからこそ、愛おしい。

その壊れやすい存在を、もろく儚い存在を、それでも尊いと感じるのなら、壊れにくいものに変換すればよい。
これが、外部記憶を人々が希求する心理的動機だと思う。

僕たちは、記憶がなくなってしまうことを、経験的に知っている。
僕たちは、すばらしい経験をいつか忘れてしまうことを、恐れている。
僕たちは、やがて僕たち自身がこの世から消え去ってしまうことを、知っている。

それを僅かながらでも先延ばしにしたくて、「外部記憶装置」を発明した。
外部記憶を元に、僕たちは脳内の内部記憶を増強することや、また改築することも、またはねつ造することできる。さらに、他者へとその記憶を(内部記憶よりは)正確に伝達することも可能だ。また、例え僕や私が、世界から消失してしまっても、その外部記憶は物質としての終焉を迎えるまで他者が閲覧することが可能だ(正確にはその外部記憶を再生する装置が正常に動作するまでだが)。

そうやって、僕たちはある瞬間、ある空間の情報を、社会の中で共有化することができている。

高度情報化社会、という言葉に、あまりピンと来ていなかったが、今になって思うと確かに高度に情報が集積した社会になりつつあると思う。それは単純に「インターネットで世界のPCがつながった世界」という意味だけではなく、また「情報のやりとりが迅速に行われるようになった世界」という意味だけでもなく、もっと根本的には、「物質化された個人の記憶」が世界の至る所で急速に山積されていく世界という意味でである。

僕がこうしている間にも世界中で、「記憶の物質化」が同時多発的に起こっているだろう。そして何を隠そう、このように文章を書くこと自体、今生成されつつある個人の記憶を「物質化」していることに他ならない。

物質化進行中、である。


,listening to 「はなればなれ/クラムボン」

2009年10月6日火曜日

035. ああうれしい。(作品公開中)


>みなさま。

前々回の日記で、写真コンテストで入賞しました!とご報告しました。
その作品が、以下のページで公開中です!

お時間あるかたはぜひ。

スタッフ賞をいただいています。

,listening to 「K/BUMP OF CHICKEN」