2009年2月18日水曜日

014. 想像の後先(多忙なる日々)


想像が止まらない。
こんなことやりたい、あんなことしたい、これもあれも全部やりたい。
アイデアが次々と胸に湧いて、そして、その大半は夢想で終わるのだけれど、それでも次から次へとやりたいことが湧き上がってくる。

写真
や、
サイト
などこれまで守備範囲としていたことから、だんだんとイメージは離れて、
映像作品
や、
音楽
や、
小説
や、
業界分析
などに飛び火している。
英語の勉強スタイルも変わった。
ゲストハウスに単身乗り込んで、1対9の英会話っていうか、もう英会話っていうより、「会話」をやるっていう実践型のスタイル。
単語カードはもう使わないだろう。
めんどくさいや。
もっと、もっと、実践系で。
もうロスタイムなんてない、発想と発動とが限りなくゼロに近い「ゼロ式」の行動。そんな学習スタイル。
本も、これまでとは比べ物にならないくらい、読めている。
読んでも読んでも、まだまだ、興味は尽きない。
あれも知りたい。これも知りたい。
どうしてなのかは分かっている。
単純に、自分「だけ」の時間が増えたからだ。
独り身に落ち着いてからというもの、時間というリソースは完璧に僕のものになった。僕は時間というリソースを、あらゆるものに変換する力を持つ。
それは、「想像の後先」だ。
想像は自由だ。
そして、僕の身体、能力、作品、生活、仕事は全て、この僕の脳内で日々繰り返される「想像」の後先として存在している。
そんなことを、アメリカにいる親愛なる友人に漏らしたところ、Productiveだね、と言ってくれた。
Productiveっていう語感に、英語学習者としては若干の違和感を感じるけれども(僕としては、今を表現するならCreativeを使う)、どっちだっていいんだ。

ああ、早く実現したい。
頭の中では、僕にしか聞こえない音楽がなっている。
僕にはそれを実現する手段がわからない。
僕の頭の中では、僕にしか見れない映像がフラッシュバックのように再生されている。
僕にはそれを実現する手段がわからない。
僕の頭の中では、僕にしか経験できないストーリーが展開している。
僕には、それを少しだけ文字に起こす事ができる。
だから、僕はとりあえず小説を書いている。
でも、それは僕の想像のたった一部だ。
僕には、実現したいものがたくさんある。
1人でいると、時間を持て余すんじゃないか?って不安になっていたけれど、
今ではそんな気持ちもなくなった。
1人で使っても、この時間は少なすぎる!
そうだ、今度はジョギングを始めよう。
ガンガンにロックをかけながら、ビートに乗って走るんだ。
夜の東京を、
ダンジョンをさまようように走る。
これってきっと想像では気持ちいいけど、実際にやったら相当しんどいんだろうなぁ。でも、今なら、試す価値を感じる。
身体を鍛えた方がいい、健康にいい、から走るんじゃなくて。
走りたい、という欲求に純粋に従って、走る。
その潔さが素敵だと思う。
僕には、想像する自由がある。
想像の中では、現実的なスキルや能力の欠如を無視して、trial and errorを無限に行うことができる。
なんて素晴らしいんだろう。
社会人になって、サラリーマンになって、自由を奪われる。なんて、ステレオタイプな物の捉え方をしていたけれど、今では自信を持って言える。
想像の自由は脅かされていないし、
僕は、想像を楽しみ、そして時に現実世界にダウンロードして、生の実感を掴んでいる。

もっとやろう。
行けるところまで、行ってみよう。