2009年2月28日土曜日

015. 旅の計画


僕の人生の目的はシンプルだ。
1)脳を使い切る。
2)世界を知る。

「脳を使い切る」というのは自分の持てる能力を余すところ無く活用する事(それは仕事であったり、趣味の写真であったり、最近は作曲であったり)、自分が獲得できるスキル、言語を極限まで高めて行く事(英語とか、仕事上のスキルなど)、自分が知覚できる作品に可能な限り触れること(小説、映画、マンガ、学問、サイエンスなどなど、脳内に展開される「世界」ってやつを可能な限り引き延ばしてくれる存在たちを、人生の続く限り摂取すること)。
単純に言えば、とにかく必死になって自分の脳と遊びましょうということだ。

さて、もう一つの「世界を知る」は、基本的には旅がベースになる。
自分の生活圏とは異なる世界、言ってみれば、僕個人にとっての「異世界」を、色々見て回りましょうよ、ということだ。

世界は狭い、なんて思いたくない。
それは錯覚だからだ。
世界はとてつもなく広い。歩いても歩いても終わりがない。
この星の表面は、変化に富み、美しい。
そう思えたなら、僕は「勝ち」だ。
僕の生きる目的は、それだけだ。(今のところ)
そのための手段として、仕事をしている。(仕事は仕事で面白いけどね。)

さて、前置きが長くなってしまった。
今、ゴールデンウィークの計画をしている。
今年は、4月28日を休んで、9日間を確保しようと思っている。(ちょっと27日も休んで夢の12連休にしてやろうかな、って気もしている(笑))
今候補として考えているのは、

1)ブラジル(イグアスの滝、かな。でも想像の範囲を超えない可能性がある。。)
2)ボリビア(ウユニ塩湖、といっても乾期のこの時期は干上がってるけど)
3)アルゼンチン(エル・チャルテンでトレッキング。アルパカ見たい。)
4)ベネズエラ(ギアナ高地の湖)
5)ギリシャ(ロードス島などなど。5月の気候がいいのが高得点。)


さて、比較検討してみましょう。
1)ブラジル
見たいところが点在していて、かつ国土が非常に広いので9日間では南(イグアス)か北(アマゾン流域)かを絞る必要があると思う。

北:サンルイスの街並とアマゾン河流域を巡る旅
難点は雨期であること。写真撮りにとっては、太陽が出ない事には。。。
8、9月が雨が少ない。
アマゾン河はボートで巡ることになるが、ちょっとメコンデルタで肩すかしを食らってる僕としては、、飽きるかもしれない。動物は大型のやつは少なそう。

南:イグアスの滝、リオデジャネイロ
ネットで見る限り、晴れる日もありそう。それはいいのだが、イグアスの滝がビクトリアフォールズとかぶりそうで、ちょっと躊躇している。あと、国立公園なので結構年いってからでも余裕で行けそう(飛行機だるいけど)。

【結論】
判定微妙。もう少し、イグアス付近で楽しいイメージが出来たらいいんだけどなぁ。







2)ボリビア
なんと言っても、ウユニ塩湖の風景が、地球離れしていていい。
5月は水は張っていないらしいけど、それでも見る価値はありそうな光景。
「鉄道の墓場」という古い列車(蒸気機関車もある!)の打ち捨てられた様子も気になる。
「荒野の温泉」というのは入るのは別としても(荷物がね)、なかなか惹かれるものがある。

【季節の情報】
こちらのページ(http://www.hentabi.com/travel_guide/uyuni_season.html)によると、
乾季(5月~10月)
南半球では冬なので夜は非常に寒い。
昼間はまあ大丈夫そうですが、僕は行ってないので...。
塩湖は干上がっているので、ツアーが水量の影響を受けたりすることはない。
あと白い大地が確実に見たい人はこの時期がオススメ。
良い点:
・寒さが厳しくない
・水によるトラブルがない。
悪い点:
・水面に映る空が見れない
らしい。

とりあえず、「南米」という言葉のイメージでいると痛い目にあいそうだ。
それもそのはず、ウユニ湖は地上3700mにあるのだ。
考えてみると、富士山の頂上に行くようなもので、富士山の頂上に行った事もない僕には、高山病の恐れがある。(スカイダイビングで4000mから落ちた事はあるけど)
まぁでも、それを行ってたら一生行けないのでこの際無視しよう。

【旅費】
航空券:ラパスまで、アメリカン航空で204000円が最安。サーチャージはざっくり50000円と考えると、254000円也。
もろもろ含めると、大体33万くらいか?

【安全性】
我らが外務省によると、
ボリビアに対する渡航情報(危険情報)の発出(2008/07/10)
 首都ラパス市、エルアルト市、コパカバーナ村、サンタクルス市及び
  スクレ市
    :「十分注意してください。」(継続)
らしい。
ラパスには行くつもり無いし、いつも通り注意していれば大丈夫だろう。

【結論】
結構魅力的。景色に惹かれるものがあるのと、天気が良さそうなのがいい。
「南平らしさ」(ってのが、ジャングルなのか、コロニアルな街並なのか、発展著しい街並なのかは人それぞれだけど)は味わえるのか微妙かもしれないけど、まぁ、それもまたよしか。






3)アルゼンチン
アルゼンチンといえば、イグアスの滝かパイネ国立公園の高山地帯、またはロス・グラシアレス国立公園だろう。
イグアスの滝はブラジルとかぶるし、9日間で他と一緒に回るのは厳しい。
パイネ国立公園とロス・グラシアレス国立公園は近接しているため掛け持ちもできるかもしれない(体力が続けば)。
パイネとロスは、南米大陸の最南端に近く、標高も高い。メインは氷河と切り立った山々。あと、アルパカ。
アルパカ見てみたい気はする。
ただ、氷河なら、南極とか、アラスカ?でも見れそうだし、あえて「南米」で見る必要はないかな?

【旅費】
ブエノスアイレスまで、コンチネンタル航空で174000円が最安。
サーチャージ入れて、224000円くらいか。
ただし、ブエノスアイレスからさらに飛行機で移動が必要で、その費用を考えると300000円は固い。
氷河なら南極に取っておきたいし、自分的にはCP悪いかな。

【結論】
とりあえず、アルゼンチンは保留。
ブラジルからイグアスにアクセスして、アルゼンチンの国境を渡るくらいでいいかな。
あとは、南極への通り道として、いずれお世話になろう。







4)ベネズエラ
ギアナ高地の写真集を見て感動した憶えがある。
また、友人の日記でベネズエラのオーケストラがすごいことも知った。
というわけだが、いかんせん治安がよくない。
以下、外務省より。
ベネズエラに対する渡航情報(危険情報)の発出(2009/01/30)

 カラカス首都区のリベルタドール市全域及びスクレ市(ペターレ地区)
  並びにコロンビアとの国境地帯
    :「渡航の是非を検討してください。」(継続)
 上記以外の地域
    :「十分注意してください。」(継続)

2009年2月18日水曜日

014. 想像の後先(多忙なる日々)


想像が止まらない。
こんなことやりたい、あんなことしたい、これもあれも全部やりたい。
アイデアが次々と胸に湧いて、そして、その大半は夢想で終わるのだけれど、それでも次から次へとやりたいことが湧き上がってくる。

写真
や、
サイト
などこれまで守備範囲としていたことから、だんだんとイメージは離れて、
映像作品
や、
音楽
や、
小説
や、
業界分析
などに飛び火している。
英語の勉強スタイルも変わった。
ゲストハウスに単身乗り込んで、1対9の英会話っていうか、もう英会話っていうより、「会話」をやるっていう実践型のスタイル。
単語カードはもう使わないだろう。
めんどくさいや。
もっと、もっと、実践系で。
もうロスタイムなんてない、発想と発動とが限りなくゼロに近い「ゼロ式」の行動。そんな学習スタイル。
本も、これまでとは比べ物にならないくらい、読めている。
読んでも読んでも、まだまだ、興味は尽きない。
あれも知りたい。これも知りたい。
どうしてなのかは分かっている。
単純に、自分「だけ」の時間が増えたからだ。
独り身に落ち着いてからというもの、時間というリソースは完璧に僕のものになった。僕は時間というリソースを、あらゆるものに変換する力を持つ。
それは、「想像の後先」だ。
想像は自由だ。
そして、僕の身体、能力、作品、生活、仕事は全て、この僕の脳内で日々繰り返される「想像」の後先として存在している。
そんなことを、アメリカにいる親愛なる友人に漏らしたところ、Productiveだね、と言ってくれた。
Productiveっていう語感に、英語学習者としては若干の違和感を感じるけれども(僕としては、今を表現するならCreativeを使う)、どっちだっていいんだ。

ああ、早く実現したい。
頭の中では、僕にしか聞こえない音楽がなっている。
僕にはそれを実現する手段がわからない。
僕の頭の中では、僕にしか見れない映像がフラッシュバックのように再生されている。
僕にはそれを実現する手段がわからない。
僕の頭の中では、僕にしか経験できないストーリーが展開している。
僕には、それを少しだけ文字に起こす事ができる。
だから、僕はとりあえず小説を書いている。
でも、それは僕の想像のたった一部だ。
僕には、実現したいものがたくさんある。
1人でいると、時間を持て余すんじゃないか?って不安になっていたけれど、
今ではそんな気持ちもなくなった。
1人で使っても、この時間は少なすぎる!
そうだ、今度はジョギングを始めよう。
ガンガンにロックをかけながら、ビートに乗って走るんだ。
夜の東京を、
ダンジョンをさまようように走る。
これってきっと想像では気持ちいいけど、実際にやったら相当しんどいんだろうなぁ。でも、今なら、試す価値を感じる。
身体を鍛えた方がいい、健康にいい、から走るんじゃなくて。
走りたい、という欲求に純粋に従って、走る。
その潔さが素敵だと思う。
僕には、想像する自由がある。
想像の中では、現実的なスキルや能力の欠如を無視して、trial and errorを無限に行うことができる。
なんて素晴らしいんだろう。
社会人になって、サラリーマンになって、自由を奪われる。なんて、ステレオタイプな物の捉え方をしていたけれど、今では自信を持って言える。
想像の自由は脅かされていないし、
僕は、想像を楽しみ、そして時に現実世界にダウンロードして、生の実感を掴んでいる。

もっとやろう。
行けるところまで、行ってみよう。

2009年2月12日木曜日

013. Thanks a lot for 500 accesses!


>このサイトを訪れてくれたみなさま

ありがとうございます!
本日、500アクセスとなりました。
500アクセスを踏んだのは、、、僕!!(笑)
とはいえ、来ていただける方がいるということだけで、本当に嬉しいものです。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

ところで、200アクセスくらいから急激にスピードがアップした気がするのですが、
恐らく、相互リンクを貼ってくださっている「iWeb でお気軽ホームページ」様のおかげかと思います。ここで御礼申し上げます。ありがとうございます^^

ではでは。

2009年2月7日土曜日

012. 思考する水


ユキノシタの苔玉に、水を上げているときに思いついた。
たっぷりと張った水の中に苔玉が沈んでいて、その中に手を入れる。
手は水の冷たい感触や抵抗を受けながらも、滑らかに水の中に入る事ができ、
そして苔玉を手にして、取り出す事ができた。
当たり前のことだが、水にはその「形」があるようで、ない。
水の「形」は容器に依存して変わり、水「固有の形」というものは存在しない。しかし、その「存在」は確実にある。気体ほど希薄ではなく、固体ほどに凝集していない。その適度な「柔らかさ」こそが、液体の水が持つ類い稀な性質といえる。

我々人類は、未知の惑星に到達した時、まず探すのは「水」だろう。水が存在するのならば、その惑星に生命が存在する可能性があるからだ。このロジックは恐らく誰もが疑いようのない、ある意味で当たり前の感覚だろう。しかし、その感覚の裏には、「水」を生命の根源として見る、科学とそして人類の歴史を通してきた経験知が潜んでいるように思う。つまり、人類は「水」が生命に先立つ要件、つまり必須条件であることを知っている。

ここで僕は空想をする。
水が生命の「条件」ではなく、「生命」そのものだったら?
水自体は、疑いようもなく「物質」に過ぎない、というのが西洋科学を経験してきた僕たちの常識だ。しかし、その常識をここでは一切無視してみよう。


水は、長い歴史をかけて、その「分布」を非常に巧妙に変えてきた。
初め、水は地球の表面にできた巨大な凹みにただ漫然と居た。
つまり、海である。

40億年前、その海に変化が起きる。海底火山の噴出口付近で、1μmほどの球体が発生する。海のサイズに比べると、ほとんど「無」と言っていい程小さな小さなその球体は、しかし、海と明確に別物であることを主張するように、脂質でできた薄い膜で確実に海と自己とを隔てていた。球体の内側にも外側でも水が満たされているが、その球体は、自己を複製し仲間を増やした。原始的な生命の誕生である。

生命に内包された水は、生命の「舟」に乗って、40億年の旅に出る。「舟」は原核生物、真核生物、原生生物、藻類、魚類と海の中で形を様々に変えた。そして、その「舟」が高等植物になった頃、水は初めて地球の凹みから自らを脱出させることに成功する。つまり、上陸である。

植物はそのライフサイクルの中で大量の酸素を放出し、その結果、大気中の酸素濃度が上昇。酸素を効率的に利用するエネルギーサイクル(電子伝達系)を獲得した両生類という「舟」に乗った水が上陸を果たす。両生類は、さらに外皮を強化し、外部に水の少ない環境であっても生存が可能な爬虫類へと進化し、水はさらに海から遠く離れたところへと分布できるようになる。

爬虫類は、巨大化し恐竜と呼ばれる巨大な容積を持つ「舟」になる。恐らく、隕石の衝突と気候の急激な変化、氷河期の訪れ、等によってエネルギー効率の悪かった恐竜は死滅するが、体表面を毛皮で覆った小さなネズミはその苦境を乗り越えた。我々哺乳類の始祖である。

また、恐竜の中で生き延びた者の中には、上肢の構造を揚力の発生に適した形に変えた鳥類がいた。こうして、水は、鳥類という乗り物により、夢にまで見た天空を舞うことができたのである。

さて、小さく卑しいネズミは、その後、その旺盛な繁殖力を武器に、その数を、その種類を増やして行く。地表の環境に合わせて、自らの形を少しずつ、時に大胆に変えて行き、様々な動物のバリエーションが生まれた。

300万年程前、アフリカの大地で大きな地殻変動が起きる。引き裂かれた大地の東側では、土地が乾燥し、森が死滅し、そこに分布していた猿は餌の豊富な森という「楽園」から閉め出されてしまう。しかし、猿は生き延びるために、枯れた大地で道具を作り、火を使い、上手に獲物を捕らえるようになる。つまり、人類の誕生である。

人類の環境適応能力は凄まじかった。わずか300万年のうちに、狩猟から農耕、集落、村、街、国を発生させた。石器、青銅器、言語、鉄器、 紙、文字、羅針盤、船、火薬、 蒸気機関、自動車、電力、電気信号、トランジスタ、集積回路、通信技術、インターネットを発明した。 村会議、王政、民主主義、共産主義、司法、立法、行政の分立等、社会機能を巧妙に組織化した。 衣服、食、家、建築、それぞれの分野で芸術性を発展させた。詩、短歌、俳句、小説、漫画、映画、アニメーション、CG、ゲームなど自らの「感覚の限界」を引き延ばす装置を開発した。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ギリシア正教会、ロシア正教会、仏教、ヒンドゥー教、など神の概念を発生させ、集団の意志統一を行った。
 このように様々な方法で、その「舟」は自らが生き伸びやすいように、地表面で多くの物質と情報の再配置を行った。街には水道が引かれ、下水道も引かれ、自然の循環を遥かに越えるスピードで水を自らの社会へと組み込むことに成功した。水の組成にも気を使い、フランスの山奥からペットボトルに水を詰めて東洋の国まで運び、飲み、下水へと流すという、自然現象では非常に時間のかかるプロセスをわずか2週間程度の期間でやってのけている。

このように、水は、今、非常に多様な経路で、自らの位置を、分布を変えて楽しんでいる。さしずめ「地球規模の遊園地」にいるような気分なのだろうか?

水という物質に、「人格」を与えるという空想をしてみると、水は自らの意志で様々な舟を作り、世界中を長い時間かけて探索しているように思える。さらには、この星からも脱出しようと試みているように思える。
今、地球上に分布している人類の「総意」は、ない。ように見える。それぞれがそれぞれの立場で、自由に、その生を全うしているように見える。しかし、その生自体が実は、水が自由闊達にこの世界を歩き回るための「手段」に過ぎなかったら?自分自身がそのためのパーツに過ぎなかったら?この世界は、水の知的興味によってのみ構成されていることになる。

そんな空想をなんとなく思いついて書いてみた。
僕の空想レベルは中学生の頃からあまり変わっていないようだ。