2008年11月22日土曜日

001. 読書について


僕は読書をあまりしてこなかった。

というのも、文字を読むのが遅いからだ。苦手、とまではいかないけれど、実にゆっくり読むと言っていい。
例えば、少年ジャンプを普通の人なら30分程度で読み切ってしまうだろう。僕はその倍、1時間〜1時間半くらいかかって読む。
恐らく、文字を認識し、その意味を読み取るという機能が弱いのだと思う。

というわけで、これまで僕は読書というものに対して、積極的ではなかった。

自分の本棚(本棚を持っているだけで、多少は読む方かもしれないが)を見ると、大体4割が漫画、2割が英語の学習本(未読のもの多し)、2割が雑誌(内容は、るるぶのようなタウンガイドやダイヤモンドのような経済誌、それからラーメンとカメラの雑誌とPC関連)、1割が旅に関するガイドブック(主に地球の歩き方)、そして1割が小説といったところだ。漫画が圧倒的に多いのは、単純に好きだからだが、「文字を読むのが遅い」ということの証左である気もする。

また、内容としては、圧倒的に「知識型」が多い。
英語、旅、カメラ、ラーメン店、経済、知らない事を減らそうとする、もしくは好きな事をもっと知ろうとする、という意志の現れだろう。
しかし、
と最近少し思うようになってきた。

読書をもっと、もっと、意義深いものにしたい。
端的に言えばこういうことを思っている。

もう少し書くなら、

「知識を得る」ではなく、「知性を磨くため」の読書がしたい。
「知性を磨く」という言葉が多少抽象的ならば、「より深く考える」と換言してもいい。
「考えること」は「知識を得ること」と根本的に違う気がする。
これまでは、「考え方」を教わるのは嫌だと思っていた。

考えるのは、あくまでも僕である。
というのが言い分だ。

「考えるのは、自分でやるから、とりあえず新しい知識を仕入れよう。」

と思ってきた。『知識」を仕入れて、それから自分だけで考えよう、というのである。

しかし、最近は少し心持ちが変わってきたようだ。
人生26年生きてみて、「自分だけでは到底、到達できない極み」があることを経験的にわかっている。
その極みに到達した人の考えに興味がある。
その人がどんな風に感じ、何を大事に思い、どのように生きてきたか、を知りたい。

それを知る事が出来る、というのは最高に楽しいことではないか。
そんなことを思いながら、仕事を早く切り上げた水曜日に、僕は三冊の本を買った。

・五輪書 鎌田茂雄 著
・名短編、ここにあり 北村薫 宮部みゆき 編
・無所属の時間で生きる 城山三郎 著

さて、これをサクサク読んでいきたい。