2014年10月24日金曜日

187. Breaking News

本日、2014年10月23日―

New York Cityにて、初のEbola感染者が確認された。
ギニアで、「国境なき医師団」の一員としてEbola患者の治療に当たっていた、33歳の医師である。

先ほど、9:45頃よりNYCの公式会見があり、患者のこれまでの経過や他者との接触度合い等について、NYC市長のBill de Blasio、NY州知事のAndrew Mark Cuomo、そして患者が入院している病院の医師から説明があった。

このBreaking Newsを、NYCからハドソン川を挟んで対岸にある、West New Yorkという街で見ている。
それが現在の自分である。

9月26日にアメリカに入国してから、ほどなくしてTexas州のDallasにて米国で1例目となる Ebola感染者が確認された。リベリア人の彼は、その後、不幸にも死亡することになる。

次いで、2例目と3例目が、リベリア人の治療に当たっていた看護師から確認される。
このうち1名は、結婚式の準備中で、感染成立後にウェディングドレスを試着したり、移動が多かったため、連日ニュースではその行動範囲が取沙汰されていた。

その間にも、Kansas cityでEbola疑いの患者が報告されたり、
ペンタゴンの近くで嘔吐した人がEbola疑いで隔離されたり、
New Ark airportで嘔吐した乗客がEbola疑いで隔離されたり、
と各地でEbolaパニックが続いていた。

「やがてくるのだろうか?」
ニュースを見る度に、感じていた予感は、
現実となった。

アメリカに入国してから1ヶ月もたたないうちに、自宅からわずか30分の距離まで、近づかれてしまった。
これが、現代の感染症の怖さだ。人の移動のスピードが速い現代では、潜伏期間の長い感染症は急速に広まってしまう。Ebolaは21日間ほど潜伏するらしい。この間、人は自由に動けてしまう。

以前のような、西アフリカ限定的な「局所的流行」から、今回のような「世界的流行拡大」に至った最大の理由は、このような症状がない状態、もしくは弱い状態が伸びたため、と思われる。ある意味、症状が弱くなった結果として、拡散(=被害)が加速した、と言える。

Ebolaは基本的に接触感染するタイプで、患者の体液、吐瀉物、排泄物、患者本人の体などに触れなければ感染しないとされている。
このため、Ebola患者と接触する医師や看護師が、二次感染者となりやすい。
今回のNYCの感染者も医師である。

この「医療従事者」という一定範囲から、社会的な接触レベルで感染が広まってしまうようになると、非常にまずい状況になる。

NYCの会見では、医師による経過の説明があった。
  • 患者は、10月17日にJFK国際空港に到着した。(実は、僕は前日の16日にJFK空港からDenverへと飛び立っている。1日違い(!)もちろん空港は広いし、ターミナルが違えば接触などありえない。とはいえ、これが現実なのだ)
  • 患者は医師であり、Ebola感染者と接触していたことから、自身がハイリスクにあることを認識していた。このため、一日二回体温を測定し、自らモニタリングしていた。
  • 患者が接触したのは、非常に限られた範囲の人間であり、フィアンセと、友人二人が直接的な接触があった。彼らは、現在隔離されている。
  • 患者のマンションも現在立ち入り禁止となっている。
  • 患者が最初に感じたのは、疲労感であり、Ebola対策センターのある当院に検査入院した。
  • Ebolaは症状が現れてから、他者への感染リスクが高まる。患者が発熱したのは、本日(10月23日)の朝が初めてである。従って、状況は幸運にもよくコントロールされていた、と考えられる。(本日朝、という点を強調していた。つまり、既に病院内に隔離された後に、感染可能状態になったので、公共へのウイルス暴露は事実上ほとんどないですよ、と言いたいのだ。)
会見に かじりつきながら、僕は2011年3月の福島原発事故後の政府会見を思い出す。
あの時も、パニックが起きないことを最優先とした会見が行われた。

「ただちに影響はない。」
繰り返し使われたこの言葉に、「じゃあ、いつかは影響があるのか?」と聞き返したくなったことを思い出す。

政府は、緊急事態に直面した際、混乱を避けるため、まずは「影響が深刻ではない」ことを発表する。次いで、「我々はコントロールできている」という説明をする。アメリカでは、さらに「我々は 自信を持っている」という台詞が加わる。
なるほど、これがアメリカか。

NY市長の Bill de Blasioは、英語での説明の後に、スペイン語で(恐らく同じ内容の)説明を繰り返した。彼の出自を知らないのだが、 ヒスパニックが非常に多い国であることを考えると、このような会見は効果的なのだろうな、などと冷静に思ったりする。

西アフリカでは既に4800人以上がEbola出血熱で死亡している。
事態は決して楽観できない。

富士フイルム(の小会社となった大正富山の)インフルエンザ治療薬が、Ebolaに有効かもしれない、というポジティブなニュースもあった。

しかし、本当に今後、どうなっていくのだろう?事態は無事収束していくのだろうか。
アフリカで恐らく数千人がEbolaに感染しているが、医療従事者が防護服を着ても防ぐことが難しい状況で、この数千人を治療するのに十分な、「勇敢な医師」は存在するのだろうか。

仮に、万が一、不足していた場合、どうなるのだろう?
想像には限界がある。

まずは、患者の医師の回復を祈るばかりだ。
そして、今後の三次感染が確認されないことを祈りたい。

2014年10月6日月曜日

186. New Jerseyにて その2

New Jerseyでは、車がないと生活できない、と言われている。
それは、お店が車でしか行けない距離に点在しているためだが、距離だけの問題であればバスを使えばクリアすることができるのでは、と考えていた。
また、お店に歩いていけるくらいの場所に住めばいいのでは、と考えていた。

しかし、どうやらそれだけではないようだ。
僕たちは、River Road沿いにあるHomewood Suiteというホテルに滞在しているのだが、ここから、日系スーパーとして有名なMitsuwaまで歩いて行ってみた。(ここはその昔、ヤオハンというスーパーだったらしい。ヤオハンは、僕の故郷 静岡県三島市にもあり、今となっては懐かしい存在だ。バブル期に海外展開も含めて過剰出店して、結果倒産してしまったのだ。しかし、NJ州では、その後継店が今でも大人気なのである。NJに住んでいる人でMitsuwaを知らない日系人はいないものと思われる。)

大体、25分かかって到着。
写真を撮りながら、1歳児を連れながら、ということで大人一人であれば15分くらいの距離かと思う。
車道にはところどころ切れているものの、歩道がある。
道沿いの店に入ってくる車に気をつけながら、それでも比較的苦労なく、Mitsuwaに到着。

しかし、そこで問題に気づいた。
お店に入ろうと思っても、歩道がお店まで通じていないのだ。
道路から店に向かって伸びているのは車道のみで、歩行者はどこから入っていいのか分からないような造りになっている。
(歩道が道路から店につながっていないため、一時的に車が出入りする車道を、1歳児をつれて、ベビーカーを引いて入る必要がある。とても危険だ)

なるほど、「NJでは、車がないと生活できない」と聞いていたが、それはもはや建物や敷地の造りにまで反映されていることがわかった。
こうなると、車生活を始める以外に選択はない。

会社の規定で、日本人赴任者は必ず運転講習を受けることになっている。
昨日早速受けてみた。

元々、日本でもペーパードライバーで、運転はうまくない方だ。
駐車では5〜6回切り返すのが平均である、と言えば大体程度は知れるだろう。
奥さんの方は、日本で免許をとりたてで、免許取得後に公道に出たのは1度だけという経験値である。

この二人が、15分ほどの説明後、いきなり公道を走ることになる。
まず、日本と比べて勝手が違うのは、

  • 左ハンドルである。
  • 結果、ワイパーとウィンカーのレバーが逆であり、左折、右折するたびに、ワイパーをまわしてしまう。
  • 右側通行である。
  • 結果、左折が対向車線を跨ぐことになり、日本で言う右折と同じような気の使い方になる。逆に、右折は日本の左折と同じで、最小半径で回るようなイメージである。
  • 危ないのは、左折したときで、このとき気をフッと許すと、日本と同じ左斜線に入ってしまい、対向車と正面衝突をするということだ。これをやった日本人がいた、と会社の先輩には聞いている。
といったところだ。
さらに、アメリカ特有と思われるのが、

  • Yieldというルールがある。これは、大きな道路に小さな道路から入るときに、ちょうど高速の入り口のように、道がカーブして接続しているところがある。ここに逆三角形のYieldという表示が出ている。これは、自分の道の方が優先権が低いため(正確には、yieldとは「優先権を相手の道路に譲れ」という意味であり、結果、この標識を見た側の優先権は相対的に合流する道路より低くなる)、合流する道路にいる車の動きを見て、車がいなければブレーキを踏まずそのまま合流していいが、車がいた場合は、徐行して合流するように、という意味である。このYieldの効用は、信号が不要であり、一時停止も車が少ない限り不要であることから、ガソリンと時間の節約になるというものである。ある種の合理性を感じるルールだが、運転が不慣れな自分にとっては、あまり嬉しくないルールだ。躊躇して一時停止してしまうと、後ろから衝突されるリスクがあるし、逆に合流する相手の道路状況を見間違えて行けると思うと、側面からぶつかるリスクがある。これを動きながら判断しなければならないので、運転の下手な自分としてはYieldサインを見るたびに、またか、と思うのである。
  • No turn on redという標識がある。これを理解するには、まずTurn on redという概念を理解しなければならない。NJでは(もしかすると全米でも?)、赤信号であったとしても、右折は可能なのである(!)前述の通り、米国での右折は日本の左折であり、対向車に邪魔されることなく曲がることができる。このため、交差点で自分から見て左から来る車がおらず、かつ歩行者が横断していないのであれば、例え赤信号であっても右折してよい、ということになっている。Turn on redのTurnとはTurn rightという意味なのだ。これは、運転教習の教官曰く、オイルショック後にガソリン節約のためにできた法律である、とのことだった。つまり、右折しても実質的に危険がない状態であれば、アイドリング(これがガソリンを無駄に喰ってしまう)をさせないで、曲がってしまってよい、というようにルールを変えてしまったのだ。日本では、アイドリングストップ車というように、「技術」でこのガソリンの無駄遣いを防いだわけだが、米国では、「法律」で防ごうとしたわけである。なんというか、こういうのをカルチャーショックというのかな?と思う。Turn on redはあくまで自己責任であり、歩行者を見落としてしまったら事故につながってしまうわけで、日本では、こんな改正法案は、改悪法案としてみなされてしまうだろう。ここらへんが、根本的に日本と異なる。背後には、「個の価値観の優先度」「安全への意識の違い」「合理性」などがあるように思う。さて、話を標識に戻すと、Turn on redという標識は存在しない。この概念は「標識に表示されていなくても、当たり前のこと」なのだ。このため、この常識が禁止されている箇所にだけ、No turn on redという標識を掲げている、ということになる。この標識がある交差点では、たとえ赤信号であっても、右折をしてはならない・・・!というのは、日本人からすると「いつも通りにしていればよい」ということだ。むしろ、この標識がない場所で、赤信号で自分が先頭で右折のウィンカーを出しているときに、歩行者もおらず、左から来る車もいない場合であっても、日本の感覚からすると、右折はしないのだが、そうすると、後続車から非難囂々なのだろうな、と思ったりする。