2013年3月10日日曜日

157. 31歳のはじまり

31歳の誕生日は、終電の中で迎えた。
12時を過ぎた頃に奥さんからメールがあって、「ああ、そうかー。誕生日になっちゃったなぁ」と。
翌日、翌々日も結局仕事が終わらずに、終電で帰ったので、あっという間に過ぎ去ってしまった。

仕事でトラブルが出てしまったので仕方がないのだが、これだけ忙しいのは就職してから一番かもしれない。
気を許すと、落ち込んでしまったり、不要な不安感を抱いてしまったりと、精神的に苦しいのだが、なんとか自分を立て直そうと、心のハンドリングを意識している。

トラブルが大きく、他部門との間にそれがあった場合、責任のなすり付け合いになりやすい。追いつめられると、人のせいにしたくなる。人のせいにすることで、一瞬楽になるのも事実だが、人と人との間にトラブルが発生した以上、責任はどちから一方にあるのではなく、双方にあると捉えるべきだろう。

100%自分が悪い、となると精神のバランスを崩すし、
100%相手が悪い、となると信頼のバランスが崩れる。

自分の精神の許容量の中に収められる範囲で、責任を取る。
(それを超えると、今度は自分が破綻する。)

うまく表現できないが、そういうことで、自分を守りながら、信頼も維持することが今置かれている状況では最善の策と言えるだろう(しかし、このようなトラブルを起こさないことが真の意味で最善の策なので、本当の意味では「次善の策」である)。

31歳の一年は、「スタート直後に、いきなり転倒してしまった」という印象だ。
悔しいし、情けないけれど、起こってしまったことはいくら悔やんでも変えることはできない。

こんな状態だからこそ、一層、「誠実さ」を忘れてはならないと、自分を戒めている。
(気を許すと相手を責めたくなる、狡い自分がいるからだ。それは一種の精神安定剤になるかもしれないが、効果は一瞬であり、その後信頼を落とすという長期的な副作用がある。それが分かっているから、誠実に、低姿勢で、問題に対応していきたい。)

どんなに酷い状況であっても、その中で取るべき、正しい選択があるはずだ。

問題そのものの被害を最小限に留める方法、
担当者間の信頼を大きく損なわない方法、
自分自身の精神バランスを大きく損なわない方法。

考えよう。答えはきっとあるはずだ。

2013年3月3日日曜日

156. ヒトの感情形成

今日は自分が主催していた、とある会合が無事終わって、ひとまず一安心している。
とは言っても、明日からまた走り出さなければならない。

ここ4ヶ月程、大規模な試験の準備で、張りつめた空気の中、朝から晩まで働き通している(朝6時45分に出発し、8時から業務開始、22時半〜24時くらいに帰宅する)。

あーもう疲れた。

と何度も思っているが、やらなければならない。
自分がやらなければ、ならない。
代わりはいそうでいない。
というのも、他のチーム員も一杯一杯なのだ。

全員が120%を出し切って、それでも終わらない。
知らなかったのだが、労働基準法の上限を超える残業申請は連続4ヶ月までらしい。
もう4ヶ月も前の記憶などないに等しいので(毎日の上書きっぷりがすごい)、いつもの通り2月も申請したら却下されてしまった。

素直な気持ちとして、「あれ?そんなに連続して申請してたっけ?」と思った。
確かに11月(息子が生まれ一月前頃)から、忙しくなった気はしていたのだが、いつの間にか4ヶ月も経っていたというのが実感だ。
(というわけで冒頭で、「ここ4ヶ月程」と書いているのは、この申請却下でようやく知った事実である)

仕事は比較的好きな方なのだが、難しい取引先を任されることが増えてきて、正直しんどいと思うことも多くなってきた。
タイムラインがしんどいところに、難しい仕事が3種類以上同時に進行すると、かなり追い込まれてしまう。

最近はストレスからか、一日が終わると「顎」が疲れていることに気付くことがある。
どうやら、知らず知らずのうちに、「歯を食いしばって」いるらしい。
そのことに気付いてから、意識的に口を開けて、凝りをほぐすようにしている。
ストレスで顎関節症になってしまうことがあるらしい(嫁さんはなったことがある)。

夜も、寝たら寝たで、結構な確率で仕事をしている夢を見る。
それは、存外正確なもので、「現実世界でやらなければならない仕事」を必死でやっているのだ。

下手をすると、まるで翌日は夢をトレースしているような気がするほどだ。
仕事のタスクリストが頭から離れていないということだろう。
ちょっと病んでいるのかもしれないが、「それくらいがちょうどいい」という話もある。

ギッタンギッタンに仕事してやるぜ。
っていう、無茶苦茶な勢いが、まだ自分の中にある。
それが、ちょっと嬉しくもある。

ただ、実際はやっぱり疲れていて。
夜にもなると、ディスプレイの文字が見えづらいことも多い。

考えてみると、先週の土日も会社で、昨日は家で仕事して、さらに今日は会合本番だったので、ここ2週間まるで休んでいないことになる。

うーん。
そして明日も・・・いや、やめておこう。

さて、前置きが長くなってしまった。

こんな状態にはあるが、帰ってきたらなるべく息子を抱いて、あやして、話しかけて、こちょこちょして、とふれ合いを持つように心がけている。


最近は本当によく笑うようになった。
(現在、生後3ヶ月と10日)

それも、ちょっと前までは「笑っている」=「楽しい」ではなかったように思うのだが(つまり、楽しいから笑うのではなく、筋肉の動かし方を学んでいる過程でたまたま「笑っているように見える表情」になっているだけで、「感情」が伴っていないように思えたのだが)、最近は「笑っている」=「楽しい」という図式が成り立ってきているように思える。

そもそもこの「楽しい」という感情も、生まれてから2ヶ月まではあるのかないのか判別できないくらいだった。

冒頭のように、僕は息子と触れ合う時間が残念ながら短いので、間違っているかもしれないが、息子を介して見る「感情」や「感覚」の成長には以下のような順番があるように思える。


  1. 不快さを感じる(お腹が空いた)
  2. 恐怖を感じる(お風呂でお湯が顔にかかると息ができない→お湯が怖い)
  3. 寂しさを感じる(自分がかまわれていないと泣いて呼ぶ)(ミルクを与えられたり、熟睡したりといった満たされた「快」の状態が「当たり前(ベースライン)」なため、感情の発露として初期段階に発信されるのは基本的にネガティブなものばかりになると考えられる。残念ながら「快」の感情は、なかなか表に出てこないのが現実だ。)
  4. 揺さぶられることを好む(表情からは読み取れないが、抱き上げて揺らすと泣き止む。きょろきょろと周りを見渡す。恐らく、揺られている状態が好きなのだ)
  5. 自らの肉体を意識する(手をしげしげと見る。指をおしゃぶりする)
  6. 自らの声を意識する(最近になって、自分から意図的に声を発するようになった。それをそっくり真似して繰り返してあげると、喜ぶ。)

まず僕が思ったのは、ネガティブな感情の方が根源的だということだ。
不快さや恐怖というのは、生まれてから真っ先に感じる、天性の、最も基本的な感情なのだと思う。
この感情が支配的な、新生児の時期は、

「ぼーっとしている時間」と「ミルクを飲んでいて満たされた時間」が最も多く、その合間に時々、「不快や恐怖を感じる時間」があるというような、認識の中で生きている。

例えば、小さな子が喜びそうなぬいぐるみや音を出しても、まるでそれが何か分からないといった感じで、喜んだり、はしゃいだり、楽しがったりは一切しない。

ただ、快と不快の間を漂うような意識のレベルなのだ。

息子を見る限り、「楽しい」という感情は、かなり遅れてやってくるようだ。
「楽しい」「面白い」という感情は、3ヶ月くらいになってようやくその片鱗が見えてきたという印象である。
だからこそ最近は、「あやし甲斐」が出てきて、とても楽しい。


また、一方でネガティブな感情に紐づく「複雑な感情」は早くから備わるもののようだ。

僕が驚いたのは1週間くらい前だったと思うのだが(つまりちょうど3ヶ月を過ぎた頃)、僕が仕事から帰ってきて、すぐにお風呂に入り、
嫁さんは夕飯の支度をしていて、息子をかまってやれない時間が30分程続いてしまったことがあった。
風呂から出てみると、大分泣いていたようで、涙が顔を伝っており、声もひっくひっく言っている。可哀想になってすぐに抱き上げてあげたのだが、口を真一文字に閉じて、目を合わせようとせず、身体を固くしている。その様子は明らかに、「すねている」のだった。

「構ってくれないならいいよ!ほっとけよ!」

という、見事なすねっぷり。
全身から、そういうオーラが出ている。

「すねる」という感情は、結構高度な感情かと思っていたのだが、既に3ヶ月時点でそういった感情も発生するようだ。

この「すねる」という態度の前には、

「構ってもらえなくて寂しいな。」
「こっちに来てよ!(泣く)」
来ない
来ない
「ちくしょう、こんなに呼んでるのに来やしない!」
「もういいもん!」

というような感情の動きがあったわけで、そういう感情の連続性や論理性が既に彼の意識下に存在しているということになる。
3ヶ月でここまで育つのだ。
もうこれは、すごいとしか言いようがない。


僕は、すねてしまった息子を抱きかかえて、ゆっさゆっさと揺らしたり、話しかけたり、色々と気を引こうとしたがその日はなかなか心を開いてくれなかった。
それだけ「意志」というものがあったということだ。

これもよく考えるとすごいことだ。
「意志」というのは「心の持続性」を意味しているので、「すねる。すねてやる!」と決めた、その心が、少なくとも僕がなんとか気を惹こうとした数十分間、持続していたことになる。
(なお、その後はめそめそしつつも、ミルクを飲み、静かに寝入ったのだった。つくづく子供らしい、100%子供らしい子供だ。うん、いいね。とてもいい。)

他にも変化はある。
これまでは、外に連れて行くと必ずと言っていい程、眠っていたのだが(それは外界をシャットアウトするかのような、ものすごい落ちっぷりだった)、それも、最近は変わってきた。

これは嫁さんが言っていたのだが、今日などは、外に連れて行くと抱っこ紐の間から外をきょろきょろと眺め、外界に興味を示していたようだ。

最近、自分の手を見つめることが多くなっていたのだが、

自己
外界

の境界線や、その多様性を理解しつつあるということだろう。
それは、とても重要なことだ。
一生のテーマにもなりえる。

好奇心一杯に、世界を見て、闊歩するようになってほしい。
親としては、その初めの数歩をともに歩んでいきたい。
そういう気持ちである。

この子の成長を見ることは、どこかに忘れてきた幼少時代の自分を見つめ直すことでもあるのだと思う。そうやって、ヒトは人になるのかもしれないな。
などと、ベタなことを考えながら、僕は今日を生きている。

(最近は、ベタなことの「力強さ」を信じるようになってきた。ベタなことは、大方正しい。そして、フラットな気持ちで考えると、心地よい。ベタなことを真っ正面から、言える人でありたい。)

2013年3月2日土曜日

155. 特火点のその先(価値観と家族と生活と)

iPS細胞を用いた網膜色素上皮の置換施術について、臨床研究の実施が理化学研究所の倫理審査委員会で承認された。

今後、厚生労働省にて実施が承認されれば、世界初のiPS細胞を用いた臨床研究がスタートすることになる。

僕の友人は、この臨床応用を事業化する仕事をしていて、昨年末から「一緒にやらないか」とリクルートを受けていた。

特に、1月末から2月中旬まで、かなり多くのことをしてもらったと思う。
研究所を見学させてもらい、様々なデータを見せてもらった。また研究を統括する教授とも引き合わせていただき、ハード面からソフト面まで、全てを伝えてもらった。

本当に魅力的な仕事で、医薬品開発に携わってきた人間からすると、これ以上の充実感はないだろうと思われる内容だった。(詳しく書けないのが本当に残念だが、日経新聞の一面記事になるだけあって、大変夢のある技術だ)

同時に、会社の上司にも、会社を移ろうか迷っていることを正直に話した。
恐らく普通は、転職を決めてから会社には報告するのだろう。
しかし、今回の場合、僕は自分自身の会社を気に入っているという状況にある。
このまま、今の会社でキャリアを積むことも、十分魅力的と感じているのだ。

だから正直に話して、この会社で今後自分に任せてもらえそうなこと、今後自分がどのようなキャリアを積める可能性があるのか、今考えてみるとかなり不躾な、ストレートな質問なのだが、そういったことを聞いてみた。

また、人生の先達である、自分の父親と義父にも意見を聞いてみた。
父は、技術屋として、外資系メーカーを渡り歩いており、転職経験者としての意見を話してくれた。また、義父はとある企業の取締役であることから、経営の視点から、考えられるシナリオやリスクを話してくれた。

そして、嫁さんとも何度となく相談した。
転職すれば神戸に拠点を移す可能性があること、どのような生活になりそうか、子育てにはどれくらい参画できそうかということから、この分野の将来性や発展性、また、任される仕事の大きさ、将来の夢。

ちょうどこの相談をしていたとき、子供はまだ2ヶ月半で、子育ての大変さを身に沁みて感じていた。正直言って、不安の真っただ中にいると言っていいと思う。
朝起きると奥さんが泣いていた、ということもあった。

こういう時期に、生活の基盤を丸々変えることは、しんどい。
不安も大きくなる。

しかし、最後には、「それでもやりたいことをやってほしい」と、自分の意志を尊重してくれた。感謝である。

以上のように、
自分の人生において重要な決定を、
自分の人生において重要な人達と相談しながら、考えた。

そして、ようやく出した結論は、
「今の会社に残って頑張る」だった。

最後まで悩み抜いて、考え抜いた結果なので、後悔はしていない。
今は、彼らが無事、臨床での有効性、安全性を確かめ、事業化に成功してほしいと願うばかりだ。

最後にCEOから電話がかかってきた。
月曜日のお昼だ。

考えうるあらゆる論理(夢やロマンに始まり、国家としての戦略上の位置づけや、産業としての発展性、技術としての発展性、必要性と必然性)を駆使して、
またあらゆる話法(譲歩、懐柔、感情の発露、強行、権力行使、想定の置き換え、答のない質問)を駆使して、説得された。

舌戦。

恐らく時間的には20分くらいだったと思う。
僕は驚いてしまったが、と同時に、次に何を言い出すのか少しだけワクワクしながら、その全ての質問や言葉に応戦した。

専守防衛。

そんな会話はなかなかする機会がないが、圧倒的な力を前にして、自分の立場と意見と主張を守り抜くような会話だった。
それはちょっとゾッとするようなものだった。

「20年後の未来を考えてみてください。あなたは今の選択に自信を持てますか?」


こんなクリアな、そして、途方もない質問を繰り出せる人は世の中にそうそういない。

そして、肝心なのは、この質問には「答がない」ということだ。

僕は、こう答えた。

「自信なんかありはしませんよ。ただ、必要なのは自信ではなくて、この「選択」の結果を引き受ける覚悟でしょう。その覚悟はあるつもりです。」


一言で言えば、信長のような人だった。
警戒心を持ちつつも、一方で憧れも感じるような人だった。
こういう人が新しい世界を創るのだろう。

そう思いながら、僕は僕が描いた道を進むことにした。
いつかまた仕事で出会えたらいいと思う。