2011年7月19日火曜日

094. 写真メモその一:シャーマン的写真の見方

えー、写真をどのように見るのか?というのは、誰にどう教えてもらうものでもないわけで、自由に見ればいいわけですが、自分の理系的嗜好から、どうしても「因数分解」してしまいたくなるわけです。

「どうして、この写真がいいのか?」

被写体自体が美しいからか?その被写体が貴重だからか?自分が知らない世界が写っているからか?そこにドラマを読み取れるからか?色がいいから?雰囲気がいいから?ピントがきちんと合ってるから?主題が引き立つボケ感が出てるから?パンフォーカスで手前の桜から奥の富士山までキチッとはっきり写ってるから?中判写真特有の濃密感がいいから?アイキャッチが入っているから?光源の方向が順光+レンブラント光+補助光だから?シャドウのトーンが出ているから?フィルムスキャン時の設定が適切だから?構図が面白いから?なんとなく?運命だから?有名な写真家の作品だから?有名な写真家の有名な作品だから?


と、簡単にカオスってしまうので、自分の頭を整理したい。
というわけで、今日のテーマはこれ。


『写真をどう見ているのか?』


僕は写真論といえば、スーザン・ソンタグの「写真論」とホンマタカシの「たのしい写真」しか読んでいない。このため、以下の考察はほぼ僕の直感から生まれたもので(知らず知らずのうちに上記二つの写真論から影響を受けてしまっているかもしれないが)、世の中で認められた芸術論/写真論のバックボーンはない(つまり、いいかげん)。
そこを承知の上で、以下をご覧いただければ幸いである。



写真の見方(1)「世界を知る見方」

例)「こんなシーンがこの世界にあったんだ」

写真家の例) 
梅佳代(すごい表情、すごい状況)、米美知子(すごく美しい風景)、梶井照陰(波って怖いなぁ)、川島小鳥(こんな子いるんだ)、川内倫子(すごい透明感)、本橋成一(屠場って・・・うわぁ)、報道写真家(人ってこんなに醜いんだ。戦争ってこんなに悲惨なんだ。)


基本的には、被写体が持っている「力」を知覚させられることで、「世界を思い知らされる」、「新しい世界の見方を提示させられる」というような「見方」をしている場合。
(ここを書いていて思ったのだが、「見る」という行為は能動的でありながら、情報を読み取るという点からすると、受動的でもある。このため、「世界を知る見方」を能動的に行いつつ、主体である自分に対して起こる作用は、「世界を思い知らされる=受動」、「新しい世界を提示させられる=受動」といった受動的な作用となる。個である自分と、外である世界とが、「見る」という行為を通して繋がるようなイメージ。よくよく考えると、見る、とは不思議な行動だ。受動と能動の両面を持つ。)

人間には生存への欲求とともに、世界をより知りたい、という欲求も備わっている。(もちろん、生存への欲求の方がより根源的だ)
このため、写真が提示する「向こう側の世界」に興味を持つのは、ある意味本能レベルで普通のことで、その「向こう側」が見たことない世界だと、ははぁ〜っと感心してしまうわけである。


写真の見方(2)「絵を見る見方」

例)「ああきれいだな。」

写真家の例) 
アンリ・カルティエ・ブレッソン(ああ、いい構図。)、吉村和敏(すごく美しい風景)、米美知子(これまた、すごく美しい風景)、三脚立てて尾瀬で写真を撮っているおじいさん達(やっぱり構図はいいよね)、植田正治(シュルレアリスム的なバランスの良さ。いつまでも新しい)

ブレッソンと風景写真家をイッショクタニスルナンテ!とおしかりを受けそうだが、「構図の納まりの良さ」を求める=絵画的な良さを求める、という感性で考えると、これらの写真家の作品は押し並べて、「いい写真」となる。その点で、等価だと思う。初見で「ああ、きれいだな」という作品は、絵画的な要素を持っている。つまり、「ここに合ってほしい、この位置には船があって、この位置に夕日が来て、ここに灯台があって、、」というような要素の納まりが「いい」ものは、「いい」のである。
喩えて言うなら、「美人」と同じだろう。美人というのは、人によって色々あるけれど(そらそうだ)、一般的に(多数決で)美人と言われる人は、目と鼻のバランスが黄金比を満たしていることが多いそうだ。しかも、個々のパーツ自体には個性がない方が良く、むしろ問題は、その「配置」「バランス」にあるようである(※きちっとした考証はしていない。又聞きレベルの話である)。
さて、黄金比をなぜ美しく思うのか?というところまで掘り下げると、学者にでも聞いていただきたいのだが、少なくとも、「バランスがいいことを求める感性」というのがヒトに備わっている、ということは示しているように思う。
そして、そのようなバランスを求める感性を満たすとき、ヒトはソレを美しいと思う。写真が1枚の紙であり、平面上の図形であり、物であり、シーンであることを考えると、そんな絵画的な見方をしてしまうのも自然と言える。


写真の見方(3)「技術目線の見方」

例)「絞ってるねぇ〜この写真。絞りいくつなの?」

写真の例)
カメラ雑誌の新製品レビュー時の作例

(※「写真家」としての例は該当なし。ここを書いていて思ったのだが、これは完全に「見る側」の話なので、写真家単位では例に出せない。絞る、絞らないの話で言えば、ニューカラーかそうでないか、くらいはあるかもしれないが、写真家自身にとっては、技術は「意志を昇華させるための手段」に過ぎないので、自分の望む表現が出来るレベルまで技術がつけば、どうだっていいことなのだろう。)


写真は、見方によっては「カメラという機械を操った先にある、アウトプット」とも言えるので、他人の作品を見た時に、「これどうやって撮っているんだろう?」と考えてしまうのも、人の性である。
なまじ、カメラの仕組みなどをあれこれ知り始めると、調子に乗って、考え出す。

「これは、フィルムだな。」
「これは、中判だな。」
「これは、カラーネガ。」
「これは、結構絞ってるなぁ。」
「粒状感、すごいなぁ。ISOいくつだろう?」
「ここまで波の動きを止めるってことは、1/2000くらい?1/1000かな?」
「雪がここまではっきりするのは、フラッシュを使っているからか?」
「とすと、ローライでフラッシュ?へぇ〜」
「これは、クローズアップレンズでも使っているのか?」
「アイキャッチがいい感じだけど、照明はいくつだろう?ひとつ、ふたつ・・・」
「この抜け感。レンズは何だろう?」

とまぁ、楽しい時間を過ごすわけである。
これも一つの見方だと思う。
ただ、全く「主題」に入り込んでいない点で、作家さんの努力とは無関係の見方をしている、とも言える。
楽しいこたぁ楽しいのだが。


写真の見方(4)「シャーマン的な見方」

例)「うわっ・・・この、シャッターを押しているとき、アラーキーは何を考えていたのだろう?」

写真家の例)
荒木経惟(「愛しのチロ」、「センチメンタルな旅・冬の旅」、「チロ愛死」を連続して見ると、もうだめだ)、川内倫子(「Cui Cui」はいい本です。)


「被写体を見る」よりも、
「被写体を撮っている撮影者を感じる」
そんなシャーマン(霊媒師)的な見方である。

このシーン、撮影者はどんな風に見たのだろう?どんな気持ちで見ていたのだろう?
そんなことを真摯に考え出すと、

写真とは、「視覚の共有」であることに気付く。

「写真を見ること」は、「撮影者と私が視覚を共有すること」と同義なのだ。

当たり前のことだが、写真を見ているとき、僕たちは、その写真の構図、画角、被写体、世界しか視覚情報を与えられない。

その視覚情報から何を読み解くのかは、個々人の感性に任されることになるが、間違いなく言えることは、撮影者がシャッターを押した「その瞬間」の「撮影者の視覚」と、今写真を見ている僕たちの「視覚」は、写真を通して(無理矢理にでも)一致させられているということだ。

これは、ある意味で、「見える世界の強要」であり、別の言い方をすれば、「撮影者との世界の共有」であり、また別の見方をすれば、「写真集を買うことは、作家の視覚を手に入れること」でもあるのだ。

写真の「手前」には、撮影者がいる。
その撮影者を強く意識してみよう。
何を思って、この瞬間にシャッターを押したのか。
何を感じて、この写真を選んだのか。

写真の被写体、ではなく、写真の撮影者を意識する見方。
それが、第四の見方、シャーマン的な写真の見方である。

このような見方をするとき、僕たちは、決して知ることのできない「撮影者の本当の気持ち」を想像している。
あたかも霊を降ろすシャーマンのように、撮影者になりきって、その写真の世界を知覚する。

このような見方ができる写真は少ない。
また、意図して撮れる類いのものでもない。


ただ、個人的な感想としては、このような見方をしたときに、僕は感動している。

2011年7月6日水曜日

093. Cui Cui(生と死のあいだ)

どこまでも続く空の上に、
階段が浮かんでいる。
その階段は緩やかに、
しかし確実に、上へ上へと上って行く。
どうやらこれは、エスカレーターのようだ。

階段の横幅は異様に広く、
地平線の彼方まで続いている。
その一段一段に人が立っている。
いや、「人々」と言うべきか。

私もその一員で、あなたもそこに立っている。
私たちの目の前には、階段に並べられたおびただしい数の人々が、
ゆっくりと、天高くを目指して、階段に連れられて行く。

ところが、ある瞬間、
あなたのはるか前方にいる人が消えた。
よぉく、目を凝らして見る。
それは1人ではない。
幾人もの人が、ぽつり、ぽつりと消えて行く。

あなたはやがて、その数が、高さを増す毎に増えて行くことに気付くだろう。
どうやら、
ある高さまで上がった時に、階段の床が一人分抜ける仕組みになっているらしい。

落下した人の行く末は分からない。
なぜなら、あなたも私も、この階段から一歩たりとも動くことができないのだ。

自分の場所は決められている。
そして、その場所は、ゆっくりと、確実に上がって行く。

ふと、後ろを振り返る。
そういうことか。
自分の後ろにいる連中は、みな、自分よりも若かった。

遥か後方には、大勢の赤ん坊が見える。
一方、遥か前方には、じいさまやばあさまが見える。
先に行く程、残っている人数も少なかった。

自分の階段の床がいつ抜けるのか?
それは分からない。
しかし、階段の高さが増す毎に、床が抜け消えて行く人々が周囲に増えてくる。

自分と同じ高さの階段で、
消えてしまう人が増えてくると、
自分もそろそろではないだろうか、と不安になる。

また逆に、自分の後方に若い連中がたくさんいることを
考えると、自分はよく生きた方だ、なんて思うのかもしれない。

---

以上は、僕が見た白昼夢だ。
最近、あまりに抗がん剤の試験データを見過ぎていて、
ちょっとやられているのかもしれない。

上記の暗示的な想像が、寒々しいくらい客観的なのは、
きっと、縦軸が「生存者数」なんていうグラフを「客観的に」相手にしているからだろう。
グラフは、時間の経過とともに減衰していく。
一目盛り減るごとに、1人の人間が亡くなっていく。
そういうことを、リアルに想像して、感じてしまうと、
(それ自体は素晴らしい感性のはずだが)あまり精神衛生上よろしくない。


件の白昼夢は、言うなれば「ところてん方式」で人類全体の生死を表したものだ。
そんな価値観に立って考えると、
全てのことが、あらゆる事物が、「虚しく」思えてきてしまう。

仕事で関わる気難しいあの人も、
あと40年も経てば、階段の床が抜けるかもしれない。

世間を賑わすアイドルグループも、
あと50年も経てば、階段の床が抜けるかもしれない。

そんな風に考えると、何故か、世界は遠くなり、
自分が世界から隔絶された客観的な存在のような気がしてきてしまう。

駅でごった返す人々。
その一人一人に、死相を見ることができるくらい、
意識が先鋭化してしまうこともある。
一人一人の顔に50年の時間を外挿してしまうのだ。

それは全くの想像で、当の本人には無関係のものだが、
結果として感じるのは、「虚しいなぁ」だった。

「あの人も、この人も、みんな死んじゃうんだなぁ」

そんなことを思うのは、異常に思われるかもしれない。
しかし、気をつけていただきたいのは、
それが「事実」である、ということだ。

やがて、死ぬ。
それは生まれた瞬間から確定している。
そんな当たり前のことを、今更騒ぎ立てたところで・・・・・・
と大人の感性をお持ちの方は言うのかもしれないが、
「客観的に見て」
とても重要なことだと思う。

さて、そんな世界認識を持つ僕にとって、
川内倫子さんの写真集「Cui Cui」は衝撃的だった。

僕は写真が好きだ、と言いながら、
元来、人の作品をあまり見ない人間だ。
というのは、見ると真似してしまいそうだから。

そう思っていたが、最近は少し変わってきた。
写真って、それそのもので何ができるのだろう?
という根源的な、初歩的な、疑問が出てきたからだ。

写真にできることは少ない。
直感的にはそう思う。
では、写真にどこまでのことができるのか。
それを見てみたい。

そんなことから、写真展に行くようになった。
渡部さとるさんの写真展、川内倫子さんの写真展と立て続けに見てみた。

思うことは色々あるが、
その中でも、ふと手に取った川内倫子さんの「Cui Cui」は、非常に良かった。

その内容については、ここでは触れない。
言語にしてしまうと、どうしてもズレてしまう気がするからだ。

ただ、それが僕にもたらした影響については、言語にできそうな気がする。

僕は、白昼夢の世界から世の中を眺めた時、
「虚しいなぁ」
と感じていた。

しかし、今では少しばかり違うことに気がついた。
「切ないなぁ」
なのである。

人々は、ところてん式に奈落の底に消えていく運命にある。
しかし、その間。
生と死のあいだにある時間、
それは死ぬから虚しいのではなく、
死があるからこそ、切なく、懸命に生きる価値がある。

そう思うと、全ての存在は「切なく」なってくる。
アラーキーではないが、センチメンタルなのだ。
生きとし生けるものは、平等に、切ない。

だから、せめて、大切にしよう。
そんな気がしている。

2011年6月27日月曜日

092. ブロニカS2 > 自分(時を超えるカメラ)


また買ってしまいました。

今回は、「ブロニカS2」というカメラである。





6×6の中判一眼レフで、1965年7月から発売されたカメラだ。
(※ちなみに、この記事は2011年7月10日頃に書いたものを編集しています。)

ブロニカの系譜をごく簡単に振り返ってみよう。

・ブロニカD 1959年〜
初代ブロニカ。ハッセルライクなデザインでコンパクト。クイックリターン機構搭載やフォーカルプレーンシャッターによる1/1250のシャッタースピード等、高性能が売りだった。創業者の「吉野善三郎」氏の理想を具現化したカメラと言える。なお、「ゼンザブロニカ」という名称は、創業者の「ぜんざぶろう」から来ていると言われているが、真相は、「ブローニー判(中判)のカメラ」で「ブロニカ」、それに新規参入第一弾のモデルということで「前座」=「ゼンザ」が付き、「前座のブローニーカメラ、ゼンザブロニカ」となったらしい。もちろん、結果として「善三郎」と引っかかっている点もポイントだ。クイックリターン機構はスウェーデンの高級機、ハッセルブラッドも搭載しておらず、ブロニカDは当時、最新鋭の高性能中判一眼レフだった。ただし、値段もそれに見合った高級仕様で、その結果、販売に苦しむことになる。このため、これ以降のブロニカは、機能を縮小し、廉価版に転化していく形で新機種が生まれていく。初代がスゴすぎたが故の、不思議な変遷である。

・ブロニカS 1961年〜
機能を制限して、かつ大型化した普及モデル。S=スタンダードの意味。だが、それでも十分高級機だった。

・ブロニカC 1964年〜
フィルムバックを固定し、シャッタースピードも1/500に落とした、大幅な簡略化モデル。普及版を狙った一作。

・ブロニカS2 1965年〜
ブロニカの歴史で、最後のフルメカニカル、フォーカルプレーンシャッター機。
そして、値ごろ感もあり、一番売れたとされる機種でもある。



まず、ぱっと見た瞬間に思ったのは、
「ハッセルより、随分やぼったいなぁ」
だった。

それはハッセルより、横幅が大きいことと
巻き上げレバーが不格好なくらい大きく、存在感が強いことによる。

しかし、zenza BRONICAというロゴには、どこか愛嬌を感じた。
Oのところに☆のマークが入っている、字体もユニークだ。

実は、ブロニカは初代のデザインがあまりにもハッセルブラッドに似過ぎていたため、スウェーデン政府から大使館経由で抗議を受けたことがあり、その結果、デザインを大幅に変更している、という歴史がある。

その結果、「こんなんなっちゃいました」という無骨なデザインになったわけだが、
よくよく見ていると、だんだん好きになってくる(笑)

なんというか、幅がある割に、標準レンズは短く、ファインダーを覆うフードが曲線的であるために、「丸っこい」印象を与える。言うなれば、ぽっちゃり体型なのだ。
レバーやレンズは無骨な感じだが、そのぽっちゃり体型と、前述の字体の雰囲気とが相まって、

「無骨かわいい」

という新しいジャンルの格好良さを感じさせるのだ。(1960年代のカメラですけど)

色は、グレーとブラックの二色。
グレーの方は、ハッセル同様、銀色の縁取りがされている。(が、その素材はスチール製であり、スウェーデン鋼のハッセルとは趣が異なるが、これはこれで丈夫で錆びず、評判は良い方だと思う)
一方、ブラックの方は、スチール部分も黒くメッキされており、全体的に黒い。
ただ、スチールのメッキが実にいい感じで、黒い革の間を、ヌメッとした黒い金属が纏わりついているようで、渾然一体となったその黒のボディは・・・とかって何を暑苦しく語っているんだって気もしないではないのだが(笑)まぁとにかく、ブラックにはブラックの良さがあるのである。

一般には、グレーが多いらしい。
僕が中古屋を回って見ていても、グレーの方が多かった。
しかし、個人的にはブラックの方が端正な印象を受けて
「おおう。かっこいいぜ。」と思ってしまった。

しかも、純正フードがまたいいのである。

神奈川県大口にある、とある中古店で買ったのだが、
1時間半程の(熱い)立ち話の後、S2の購入を決めると、
「ちょうど純正フードがあるんですよ。これすごいいいですよ。」
と気さくな店長が、おもむろにフードを出してきた。

つや消しのブラックで、
ちょっと戦車の装甲板を思わせる、
ハードな質感だ。撫でるとざらざらとした凹凸を感じられる。

これが、無骨さをさらに際立たせて、

「KOREMOKUDASAI」

という日本語しかしゃべれなかった。
もう完璧に術中にはまっているのだが、
実に心地良かったことを記憶している。(アフォです)

ただ、もともと、この機種が目に留まったのは、上述のデザインからではない。

「6×6で、標準域で寄れるカメラが欲しい」

という条件に合致したからだ。
6×6で寄れるカメラ=最短撮影距離が短いカメラは、実は結構少ない。

レンジファインダーは1mくらいが限界だし、
ハッセルブラッドに付いているプラナーなども1m〜90cmが限界。(広角レンズは対象外)
6×7であれば、Pentax67の標準レンズが寄れるし、
645でも、Pentax645の標準レンズが寄れるのだが、
6×6となると、途端に少なくなる。
(マイブームは6×6)

接写リングを付けることも考えたが、合焦距離が極端に狭くなるので、「近くの物だけ撮る」と決めないと使えない。付けたりはずしたりは面倒だ。
これはレンジファインダーの接写装置(オートアップ)も同様である。
ローライ等の二眼レフも同じ。

そこへ来て、ブロニカS2に標準装備されているNikor 75 mm F2.8は60cm弱まで寄れてしまう。この数十センチの差は、数で言うと大したことがないのように感じるが、ファインダーを覗くと、大きな違いであることを体感できる。

手の届く範囲に被写体が居る。
というのは、やはり違うのだ。

アラーキーも言っていたように、
「カメラは寄れるのがいい」
と思う。
(しかし、アラーキーはプラベルマキナ67も使っていた気がする。。「寄れる」とは、ペンタ67のことを言っていたのか?→詳しい人、今度会ったら解説お願いします。)


さて、僕のブロニカS2は、シリアルナンバーが「CB52989」で、最初期型のブラックである。
推定発売年は、1965年〜1968年頃。
御年、43〜46歳。
自分より、14〜17歳も年上ということになる。

自分が自分というヒトになる前から、
この物体はカメラという役割を続けている、と思うと不思議な気持ちになってくる。

このカメラは、フルメカニカルで電池を入れなくても動く。
露出計も入っていないので、
電子的な部品は一切ない。
言うなれば、「カラクリ人形」と同じようなものだ。

シャッターを巻いてチャージして、
それを開放して写真を撮る。

シャッターの力学と、
フィルム上の化学
それから、レンズと絞りの光学から
成り立つ装置。

そこに、電気の介在はない。
それ故、比較的丈夫。
(電子式シャッターを使用した70年代以降のカメラは、その基盤が逝かれた時点で、即終了になってしまう。治しようがないのだ。一方、歯車とバネの塊であるフルメカニカル機は、多少なりとも治せる。交換する部品が枯渇してくると微妙だが、それでも、ばらして、掃除して組み直すだけでもかなりの確率で生き返ってくる。)

それが、すでに45年くらい続いているわけだ。

カメラの部品の気持ちになってみると、

どこかの地中に埋まっていた鉄鉱石が、
どこかの誰かに熱せられて、溶かし出され、
歯車の鋳型に入れられ、
集められ、
組み込まれ、
これまで45年間、せっせとカメラを動かしていたわけだ。

ホモサピエンスの特徴的な行動として、「物質の再配置」というものが挙げられると思う。この種が誕生して以来、地球上の物質はその存在位置を変えられ、他の物質と結合させられ、組み立てられ、「機能」を持たされ、ヒトの社会で「意味」を与えられてきた。
その「機能」が時間とともに減衰し、その社会上の「意味」が喪失したとき、その物質は社会から解放され、ゴミとして廃棄され、徐々に熱力学第二法則に従って拡散して行く。


この一連の「物質の再配置」は、その速度を早め、回転している。これからももっと加速していくのだろう。


デジタルカメラの世界は、回転が速い。1年あれば十分に、かつての新製品が陳腐化する。フィルムカメラではフィルムという共通の撮像媒体を新旧のカメラで使い回せたが、デジタルカメラでは撮像素子(CMOSセンサー、CCDセンサー)がカメラ本体に内蔵されており、その素子そのものの更新速度がフィルムよりも格段に早いからだ。


ベイヤー配列から、三次元配列へ。
またベイヤーの配列自体の刷新もあり(正確には色情報を取得する単位が増えている)、ローパスフィルター非搭載機もちらほらと出てきた。
画素数競争もまだ続いている。


また、AFのシステムも、刷新が続いている。一眼レフに搭載される位相差AFや、コンパクトデジカメに搭載されるコントラストAFに加え、最近では撮像素子そのものにAFセンサーを組み込んだ像面位相差AFも出てきた。


像面位相差AFを用いることにより、画像を液晶で表示させながら(ライブビューしながら)位相差AFのような素早いAFが可能となり、特に動画撮影や、EVF表示や液晶表示で撮影することが前提となるミラーレスカメラで重宝される。


まだ光学ファインダー(OVF:プリズムやミラーで反射させた、実際の光学的な像を見る従来のファインダー)から、電子ビューファインダー(EVF:撮像素子で取得した画像を小型の液晶に出力した像を見るファインダー)への遷移も続くだろう。
今の時点では、画像更新速度に問題のあるEVFよりも、従来のOVFの方が優位性を保っているが、液晶の応答速度にはまだまだ伸びしろがあるはずで、いずれ、EVFがメジャーになってくるだろう。


要素技術は順次刷新され、製品サイクルは高速度に回転を続ける。
そんな流れの速い世界で、いつまでBronica S2は、Bronica S2としての存在を保ち続けられるか。


少なくとも僕は大事に使っていこう。

2011年6月5日日曜日

091. 率と量(人生の評価)

目標をたてて、
一定期間を経て、
その目標の何%を達成できたか?

そういった「達成率」で
人生を評価すべきだろうか。

それとも、
目標の如何に関わらず、
何をどこまでできたのか?

そういった
できたことの「総量」で
人生を評価すべきだろうか。

どちらが正しいか、
またはいずれも正しいか、
またはいずれも間違いか。
(そんなことはどうでもいい。という意見は一旦棄却して。)

ただ、言えるのは、
「達成率」で
評価をするのなら、
小狡く、「目標をあらかじめ小さくしておく」
という方法が有効だ。
そうすれば、達成率は自ずと高くなるから。

ただ、言えるのは、
「総量」で
評価するのなら、
小賢しく、「目標は夢想のようにあいまいにしておく」
という方法が有効だ。
そうすれば、目標を達成できなかったことがわかりにくくなるから。



あなたはどうだろう?


小狡く、「目標を小さくする」か、
小賢しく、「目標をあいまいにする」か。


そのバランスで、
その人が、
どこまで行けるのか
決まる気がする。




また、暑い、夏が来る。

2011年5月26日木曜日

090. 斑(ひとつのスタイル)

一日が24時間では足らない。
一日が48時間くらいあったら、ちょうどいいのに。
それが無理な願いなら、
代わりにこう願おう。
倍のスピードで全てをこなせないだろうか。
一日の時間は24時間でもいいから。

それくらい、もどかしい。

仕事も、プライベートも、どちらも僕にとっては重要で、
その両方で、僕が望むラインに到達するには、
時間が足らないか、
スピードが足らないか、
その両方か。

欲望は、倫理的な範疇から逸脱しない限り、
多ければ多い程いいと思っている。

欲望が、全てのラインを決めるから。
品質のラインも、そう。
成長のラインも、そう。
成熟のラインも、そう。

欲望が満たされた時点で、成長は止まってしまう。

例えば、とある民族の文化的な発展具合、というのは、
その民族の総意としての欲望が規定しているように捉えられる。
ベネツィア人は、ガラス工芸にここまで欲望を持っていたのか。
そんな風に、旅先の民芸品を観察している。

あらゆる宗教が説くように、
満足(足るを知る)は安心を与えるけれど、
それはもうちょい年を取ってからでいい。
半人前の今の自分には、それはまだ早いのだ。


欲望の設定が高い場合、
そこに到達するには、
バランスを崩す必要が出てくる。

普通にやっていたらだめだ。
普通の人の範囲では、そこには到達できない。

のめり込むこと。
一過性であってもよい。
のめり込んで、我を忘れてやる。
それくらいのバランスの崩し方をしないと、
目標は達成できない。

しかし、移り気な僕は、それをコンスタントに続けることができない。
僕は結構、忍耐弱い。
例えば今、僕は一切、英語の勉強はしていない。
ここ3ヶ月は確実に何もやっていない。

その分、今僕が熱中しているのは、中世イタリアに関する塩野七生の小説を読むことだ。
4月から5月にかけて、イタリアとドバイに半月程行ってきた。
新婚旅行である。
例によって、ツアーではなく個人旅行で、宿もその日その日に決めていた。
こういう旅は自由度が高く、自分でテーマ設定をできる点がいい。
今回は、塩野七生の小説をベースとした「追体験」がひとつのテーマとなった。

フィレンツェでマキアヴェッリの史跡を探す。
29歳から43歳までのマキアヴェッリが毎朝通ったであろう、通勤経路を追体験してみる。
グイッチャルディーニ通りからポンテヴェッキオを渡り、ヴェッキオ宮を目指す。
観光客でごった返すシニョリーナ広場は、
実はサヴォナローナが火刑に処された場所でもある。
そんなことをリアルに考えると、薄ら寒い気分になってくる。
あのヴィルトウ(力量・才能)とフォルトゥーナ(幸運)に満ちた、ロレンツォ・イル・マニーフィコもここを通ったであろう、と思いながら歩く。

そんなフィレンツェは、言うなれば、「歴史との交差点」のようなものだ。

ジョジョの奇妙な冒険第5部で、プロシュート兄貴は、

「探す発想を『4次元』的にしなくてはいけないんだ」

と意味不明な台詞を口走っていたが、
しかし、このような体験は、或る意味「4次元的」だ。

というのも、旅というのは、縦横高さのある三次元空間を自由に(高さは制限付きにせよ)移動するわけだが、歴史という時間軸を脳内で再生することで、さらに時間という軸(次元)が一つ加わることになる。
これを荒木先生流の跳躍的表現で喩えるなら、「4次元的」となるのだろう。
(※プロシュート兄貴の台詞はもちろんこんなことを想定してはない)

話が大分逸れてしまった。
いずれにせよ、こういった体験は、非常に「濃い」。
視覚や聴覚が、現実のフィレンツェのテクスチャーを僕の脳内にインプットすると同時に、
ほぼ同時に、
僕の海馬はポンプのように、そこで起こったであろう歴史的事件、そのときの当事者、その当事者の置かれた政治的状況、思想、思考、不安、期待、といったものを(小説を介した擬似的なものであるにせよ)大脳皮質に投影する。

外界からの刺激と、
内界からの記憶との
せめぎ合いが白波を立てる。

その界面に、
僕は立っている。
そんな感覚だ。

そういう濃い体験をしていたい。
そのためには、時間が足りない。


仕事で、周りの人々、チーム、会社、業界、医師、患者さんの役に立ちたい。
そのためには、期待される以上のパフォーマンスを常に出力し続ける必要がある。
集中することが必要で、
また、そう簡単には全容が把握できない仕事でもある。
周りの人たちもすごい。
タレント揃いだ。
その中で、パフォーマンスを出していくには、それ相応の時間を費やす必要が出てくる。
仕事が全て。
それくらいの覚悟が必要かもしれない。
それくらいの努力でようやく達成されるのかもしれない。

しかし、仕事だけ、で生きて行くほど、
私生活に魅力がないわけじゃない。
正直言って、私生活にも前述のようなキラリと輝く宝物のような時間が一杯詰まっている。

つまり、
仕事でも、
私生活でも、
全てが欲しい。

そのためには、時間がない。
スピードが足りない。

しかし、時間は伸びないし、
スピードも正直言って僕程度の能力ではこれが限界だ。

とすると、後は、集中するしかない。
集中、とは、差異を設けることだ。
「今は、ここに、力を入れる」
そう決めることだ。
つまり、一過性にバランスを崩すこととほぼ同義だ。

僕は16日間旅行に出ていたが、これは一般的な社会人からすると、バランスが崩れてしまっていると思う。
大分周囲の人にはあきれられたものだ。
でも、そのおかげで、「4次元的な」濃密な時間を過ごすことができた。
その後の仕事復帰は色々としんどいものがあったが、ようやく、馴染んできたように思う。

その間、僕は、かなり仕事仕事していたと思う。
私生活はとりあえず我慢して、
仕事に集中しようと決めた。

そうやって仕事に集中することで、先鋭化していく思考も感じることができる。
それはそれで濃密なのである。

「濃密な時間を体験すること。」

それが僕の根本的な欲求で、
高校生の頃から全く変わっていない。
ただ異なるのは、そのときそのときで対象がコロコロと変わっていることだけだ。

こんなやり方を繰り返して、
僕はこれからもやっていくのだろう。

その軌跡は、きっと直線的ではない。
滞留があり、横道があり、渦を巻いていたり、時には淀んだりしながら、複雑な模様になっていくだろう。

斑のように。

願わくば、その紋様一つ一つが濃密なものでありますように。

2011年4月20日水曜日

089. 障壁除去(処方箋)

もしも、次にすべき行動が具体的で、
その行動が引き起こす結果が、
自分にとって重要であると認識できるのなら、
僕は迷わずその行動を起こすだろう。

逆に、次にすべき行動が不明瞭で、
その行動が引き起こす結果が、
自分にとって意味のないことであると認識したのなら、
僕はその行動を先送りするだろう。

つまり、ある行動をとる/とらないの判断には、
その行動に関する、

・具体性
・重要性

の2点が支配的な影響を与える。

これを少し離れた位置から眺めてみると、面白いことが分かる。

例えば、部下を動かしたい時。
それは、彼/彼女にその行動を起こさせなければならない時に他ならない。
そのときに、あなたはどのような指示を出すべきだろうか?

上記のロジックを受け入れるのなら、
その部下に、あなたは、その指示を「具体的に」かつ「その重要性を伝えた上で」出さなければならない。

例えば、自分自身を動かしたい時。
上記の例と同様に、あなたはあなた自身に、「具体的な」行動計画を示し、かつ「その重要性を伝える」必要がある。
その二点を押さえれば、障壁は消え去り、某かの結果は付いてくる。

そのためにやるべきことは、
その行動計画は具体的か?
その重要性を周知できているか?
を真摯に考えることである。

2011年4月17日日曜日

088. 自浄作用(不完全さの中で生きる)

時として、
突如として、
僕は自分自身の不完全さを思い知らされ、
打ちのめされてしまうことがある。

茫然としてしまい、
恥ずかしくなり、
自分自身が無価値な人間であるかのように思えてきてしまう。
そんなことが、ある。

その対象に心を奪われているときは、
どうやってそのような心境から抜け出せばいいのか、
皆目見当もつかない。

しかし、例えば、
妻と話したり、
友人と話したり、
写真を撮ったりしていると、
つまり、その対象とは全然関係のないことに心を傾けていると、
いつの間にか、
その対象から少し離れた位置に自分の心を置けるようになる。

それは一種の忘却でもあるわけだが、
少なくとも、その対象を客観的に見られるくらいの冷静さを
与えてくれる作用がある。
(僕には、土日という二日間の休日がそのために与えられているとしか考えられない)


そうすると、
nativeな積極性や主体性やpositiveな思考回路が、
徐々に、半自動的に働き出す。

「弱い部分があるのは、仕方ないじゃないか。
その部分を認識して、そこを潰す方策を考え、
それを具体的に実行していく。
それしか自分にはできないし、
それをやり続けていく以外に、いい方法は思いつかない。
スナップショットの自分を取り上げられて、
その不完全さを非難されたとして、
それが一体どんな意味を持つのだろう。
それよりもむしろ、将来にわたって発展的であることの方が
よほど重要だ。」


不完全さの中で生きなければならない。
そういった条件を与えられたとき、
完全さのみをひたすら求めてしまうのは
恐らく正しい態度ではないのだろう。
むしろ、それは危険ですらある。
精神衛生上、よろしくないからだ。

繰り返す経験の中で思うことは、
完全さを求めるのであれば、
むしろ不完全さを見つめる事の方が重要である、ということだ。

不完全な、不十分な部分をいかに補うか。
考えて、考えて、
一つ一つ歩を進めて行く。

不完全であることを責める必要もないし、
気に病む必要もない。
どう補うか。
それに集中するだけで精一杯。

不完全であり続ける人生を生きるのには、
この方がよっぽど気楽だろう。